14_岐路

◇ 回想(岐) / 1-17 DEATH:α ◇

 心都大学情報科学研究所の地下。
 大学二年生の春、クランとラズが突然うちに押しかけてきてから二週間ほど。池梟(イケブクロ)での楽しい休日の最中、クランは突如倒れた。
 この場所へ彼女を運ぶ最中、僕は鞠花とラズから双子の出生の秘密――『A.H.A.I.第3号』の存在と、その人格をヒトのクローン体に移植したものこそが二人の正体であったことを知った。

 ――意識を失ったクランを助けるには、彼女の心の中に潜り、人格の競合を解消しなければならない。
 一か八かの救出作戦が、これから開始される。

「準備完了しました」

 研究所スタッフの山畑さんから声が上がる。
 僕は台座の上に登り、ふたつのストーク・ポッドの間に腰掛けた。
 左のポッドには、双子の姉が眠るように横たわっている。

「ごめんねクラン。これからちょっとお邪魔するね」

 右のポッドには、双子の妹が頼もしく控えている。

「じゃあ行こうか。ラズ、よろしくね」
「ん。まかせて」

 自分の半身にして相棒を救うべく、ラズはサムズアップで応じた。
 ヘッドマウント・ディスプレイを被ると、周囲のスタッフがその位置を微調整、固定する。

「それでは、瑠生。ラズ。接続を開始するよ」

 ――僕はその場に寝そべり、頭に流れ込んでくる感覚に身を任せた。
 最初に見たのは、無音で真っ暗な視界の真ん中に、白い穴が浮かんでいるような映像だった。
 やがて周囲のところどころにも小さな白い点が浮かんできて、星々の散りばめられた夜空か、宇宙のようなイメージへ。
 ――そして。

「うあっ――!?」

 両のこめかみの辺りに突如として、針を刺されたような痛みが走った。
 次いで全身が痺れるような感覚。視界にノイズが走り、白黒に激しく点滅。HMDに映っていた映像は途切れ、意識は現実に引き戻される。
 ――なんだ? 何が起こった?
 ヘッドホン越しに、機械のビープ音とスタッフたちの怒号が聴こえる。

「どうした!?」
「わかりません、同調がうまくいきません!」
「もう一度やり直すんだ!」
「これは……いけない、容態急変。クランの脳波が急激に弱まっています!」
「心音微弱、脈拍低下。このままでは――」

 不穏な報告が飛び交い、真っ黒だった視界には真っ赤な「ERROR」の表示が浮かぶ。
 何が起こったのかよくわからない。
 けれど――考えうる限り最悪の状況に陥ったことだけは、直感的に理解できた。

「くそっ……! クラン!!」

 HMDを頭から剥がし、スタッフを押しのけて左のポッドに駆け寄る。すぐにラズもやってきた。
 双子の姉の白い肌は、もはや青白くさえ見える。
 横たわる彼女は弱々しく胸を上下させ、閉じていた瞼をかすかに開いた。

「る……い、……おにい……さ、ま……?」
「クラン!? しっかりして!」

 わずかに動く右手を掴み上げ、握る。……体温が急速に抜けていく。
 目が合うと、小さな口元が微笑んだように形を変えた。

「ワタ、シ……クラン……は……」
「待ってて、もう少しだけ……! すぐに助けるから」
「あな……た……を」
「だめだよクラン! そんな……」

 指先から力が抜け、ふたたび瞼が閉じる。
 そしてクランは――そのまま、二度と目覚めることはなかった。

1 / 緋衣瑠生

 膝をつく。
 頭が割れるように痛い。立っていられない。視界がハッキリしない。
 ――今のはなんだ? 過去の記憶? 今はいつだ?
 違う。あのとき、僕たちは確かにクランを助けたはずだ。だって僕は知っている。その後もずっとそばにいて、少し背が伸びて、髪も長くなって、学校に通うようになって、友達ができて、料理がうまくなって……一緒に危機を乗り越えてきた彼女を。
 だけど、彼女が事切れたときの絶望も、怒りも悲しみも、その後の喪失感も本物だ。
 クランは確かに(今も生きている/あのとき死んだ)。

「いかがですか? 今度はあなたの過去の記憶から……『ほんの少しだけズレた可能性』を視たはずです」

 頭上から見下ろす、神経に障る男の声が聞こえる。
 過去の記憶……? 可能性……?

「こういうのもありますよ」

◇ 回想(岐) / 2-11 DEATH:β ◇

 A.H.A.I.第5号が操るドローン軍団から逃れるべく、僕と鞠花は熊谷さんの助けによって、首都高速道路を爆走するミニバンの後部座席で身を小さくしていた。
 銃弾の雨が止んだかと思えば、今度はロケットランチャーが飛んできて爆音を轟かせる。
 これはだめだ。相手の殺意が高すぎる。
 死の間際、人は生涯のさまざまな出来事を回想するという。よく走馬灯に例えられるアレだ。
 僕の脳裏に浮かんだのは、クランとラズの姿だった。
 産みの両親、育ての両親を差し置いて真っ先に二人が出てくるのは、彼女たちを残してこの世を去ることへの未練なのか、それとも無意識下で救いを求めている相手が彼女たちなのか。

『――お兄(さま/ちゃん)!』

 爆音とどろくしっちゃかめっちゃかな状況下でスマホの着信に気付けたのは、双子が僕を呼んでいるような気がしたから――だったのかもしれない。
 振動するスマホの画面には、満面の笑みでダブルピースする双子の姉の写真がでかでかと表示され、「着信 クラン」の表示があった。
 言葉を交わせる最期の機会か。パニック寸前だった思考で、僕は通話ボタンを押した。

「お兄さま!」
「クラン! 良かった――」

 思わず安堵の声が漏れたものの、何を言い残すべきか。
 愛してる? 元気でね? ラズといつまでも仲良く?
 まったく考えがまとまらないうちに、クランの悲痛な叫びが耳に届く。

「お兄さま……ラズが! ラズがぁっ……!!」
「……えっ」

 僕の思考は真っ白になった。

 第5号が操るドローン軍団の暴走は、それからすぐに止まった。
 殺すつもりのない、むしろ救おうと考えていた相手を死なせてしまったからだそうだ。
 だけど、そんな理由はどうでもいい。

 封鎖された無人の道路を逆走し、僕たちが駆けつけた先では。

「……ラズ……?」

 頭から血を流して路上に横たわる体操服姿のラズと、その胸に顔を埋めて泣きじゃくるクランの姿があった。
 全身から力が抜け、その場に膝をつく。
 二人は僕と鞠花を救うべく、青い武装ドローンに取り付いて追ってきていたらしい。
 そして必死の説得の最中――ラズは、振り落とされて墜落した。
 クランとドローンたちがその場に降りたときには、彼女はすでに動かなくなっていたという。

「嘘……でしょ……?」

 おそるおそる伸ばした手で触れた、彼女の頬に。
 もう、いつもの無邪気な笑みと、心を溶かす温かさはなかった。

2 / 緋衣瑠生

「A.H.A.I.第12号は、10号と11号を取り込んでいます。10号の『記憶読取』(リーディング・メモリ)で読み取った記憶をもとに、11号の『未来予測』(フューチャー・プレディクション)で起こり得る事象を検索、そして12号本来の能力『原色幻視』(プライマリ・ビジョン)で脳に直接情報を『視せる』。13号に先立って実験的に造った複合マシンですが、なかなかの出来でしょう」

 男が何か言っているが頭に入ってこない。
 過去の記憶の中で、今度はラズが命を落とした。
 僕を助けるために無茶をして。優しくて勇敢で、人懐こくて少しお調子者で、甘えんぼうで朗らかな、僕の友人で、家族で……世界で一番大切な、二人の女の子のうちのひとり。
 違う。そうはならなかったはずだ。僕はその後も彼女と一緒に生きてきた。
 だけど、心臓をまるごと抉り取られるような絶望感と無力感に動けなくなる。目の前が涙でぐずぐずになって見えない。
 ラズは確かに(今も生きている/あのとき死んだ)。

「お兄さま! お兄さまっ!」
「もうやめてよ! お兄ちゃんに何を見せたんだ!」

 四肢の自由を奪われながら、必死に訴える二人の声が聞こえる。

「少し夢を見てもらっているだけです。まだ序の口ですよ」

◇ 回想(岐) / 3-5 DEATH:α ◇

 ――いったい、僕は何をやってるんだ!?

 真宿駅まで戻ってきた僕は急いで踵を返し、廃ホテルへと走った。
 占いスペース「アルフライラ」を出た僕とクランは、接触を図ってくる怪しげな女たちを撒いてラブホテル街の片隅にあったボロボロのビルに逃げ込んだ。そこで僕は、頭に流れ込んでくる声が命ずるままに――部屋に用意されていた手錠をクランにかけ、布で猿轡を噛ませ、あろうことか泣いて助けを乞う彼女をその場に放置して駅まで戻ってきてしまったのだ。
 どうしてそんな場所に? なぜクランにそんなことを? それを命じたあの声はなんだ?
 わからない。だけど今はとにかく、彼女を迎えに行かなければ。

『イヤです! こんなのおかしいです! 助けてください! お兄さま! お兄さまっ!!』

 あのときのクランの声が、涙がリフレインする。胸が痛い。どうかしているなんてレベルじゃない。さっきの自分は、どうしてあんなことを平気で――!
 暗くカビ臭い階段を息を切らせて昇り、さっきの三〇六号室へ。
 勢いに任せて扉を開く。

「クランっ!!」

 だけどそこには既に誰の姿もなく。

「クラン……どこだ、クラン! クラン!!」

 建物じゅうを探し回っても、返事はなく。

「そんな……どうして……どうして、僕は」

 頭を抱え、その場にうずくまる。
 どうして? どうしてこんなことに……!?

 警察とラボに連絡し、夜まで捜し回っても、クランを見つけることは叶わず。

「クラン! ……どこにいるんだ!!」

 強引に家へ送り返され、眠れない夜をラズと過ごし。

「……ごめん。クラン……ごめん。ごめんよ……」

 結局、彼女は翌日になって警察に発見された。
 ――変わり果てた、無惨な姿で。

◇ 回想(岐) / 3-12 DEATH:β ◇

 霜北沢ハロウィンフェスティバルに現れたA.H.A.I.第6号は、いよいよその凶暴性を露わにした。
 ナタを振り回して僕が持っていた赤ずきんの編みカゴを切り裂き、レオとの通信端末である猫のマスコットを握り潰し、とうとう巨大なチェーンソーまで持ち出した。
 横薙ぎの一撃を、なんとか後ずさって回避する。

「あっぶな……!」
「まだまだ!」

 返す腕でもう一撃繰り出してくる。後退距離が足りない。咄嗟に盾代わりにした編みカゴが切り裂かれ、今度こそ粉々になって破片が舞った。
 肝を冷やす間もなく、第6号は唸るチェーンソーを高く掲げる。

「あんたなんか――!」

 避けきれない――そう思った瞬間、半透明の少女と僕との間に割り込んでくるものがあった。

「ダメ、お兄ちゃんっ!!」

 トン、と腹を押されて突き飛ばされる感覚。
 尻もちをつくと同時に、振り下ろされた凶器が鈍く何かを巻き込む音がした。

「あ――ああああぁぁぁぁっ――!!」
「ラズ……!?」

 回転する刃が赤い飛沫を散らし、青い空へと吹き上がる。
 あたたかくぬめる雫が頬に当たる。
 周囲の人混みから悲鳴が上がり、それを合図にパニックが起こる。人々が散り、逃げ惑う。

 僕が相手を引き付けている間に、ラズが後ろから忍び寄って捕まえる……そういう手筈だったはずの彼女が飛び込んできて、僕の身代わりになって――路上に倒れた。

「ラズっ!! 嘘……」

 血溜まりが広がる。死神衣装の黒いマントが、白いブラウスが、赤く赤く染まってゆく。

「お兄……ちゃ……」
「嘘でしょラズ、どうして……どうしてこんな!」
「ぼく……ぼく、は……あなたの……」

 背骨ごとばっさり斬られて致命傷を負った彼女は、そのまま眠るように瞼を閉じた。

◇ 回想(岐) / 4-18 DEATH:α/β ◇

 冷たい鉄の爪に拘束され、身動きが取れない。
 草凪がけしかけてきたアレキサンダー六脚機動戦車は、身を寄せ合うクランとラズにもう片方の腕を向け、電撃の発射体制をとっている。
 A.H.A.I.第4号が操るこのマシンは、最初からやろうと思えばこの広範囲のどこからでも電力を吸い取れたのだ。――さっきの戦いも全部が演出。必死に抗ったのも全部が茶番。二人の死は最初から、草凪によって決められていた。
 徒労だ。無力だ。絶望感が心を覆う。
 白くスパークする光の迸りはどんどん激しくなり、パリパリと空気が震え、辺りを眩しく照らしてゆく。

 ――嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。こんなことあってたまるか。
 父さんと母さんのように、僕はまた――喪うのか。

「クラン! ラズ! 逃げて!!」

 双子は動かない。恐怖か絶望か、あるいは諦めか。
 こちらを見上げたまま、互いの手を握りあって震えている。

「というわけでお人形さん、最期になんか言い残すことある?」
「いいから走って! 逃げて!」

 二人は何も言わない。ただゆっくりと、その場で目を瞑った。

「……特になし、か。まあいいけど」

 結局のところ僕がいつ間違えたのかといえば、戦おうとしたことでも、この公園に来てしまったことでもなく、そもそも最初からで。
 こいつの言うとおり、人を拒絶することしかできない人間が人を愛そうとしたから。執着心を持ってしまったから。
 だから、こういう結末になるしかなかったのかな。

「じゃ、さよなら」
「やめろぉぉぉぉっ!!」

 ふたつの小さな心臓を撃ち抜く、雷の矢が放たれた。

「「――お兄(さま/ちゃん)」」

 最期に一度だけ開かれた四つの瞳と、目が合う。

「「ありがとう。大好きです。……どうか、生きて」」

 クランとラズの身体は閃光に貫かれ――その生命は、潰えた。

3 / 緋衣瑠生

 ――また死んだ。また喪った。
 十回、二十回、三十回……いったい何度繰り返しただろう。これまで遭遇してきたA.H.A.I.絡みの事件の中で、あるいは過ごしてきたなにげない日常の中で。
 重大な判断間違い。行動タイミングのずれ。あるいはその両方、もしくはどちらでもない外的要因の介入による、記憶とは異なる運命。
 クランが命を落とした。ラズが犠牲になった。
 頭が熱くて、目眩と頭痛がひどい。視界が朦朧としている。
 だけどそれ以上にどん底の悲嘆が、心痛が、無力感が、虚脱感が――最愛の相手を亡くした、張り裂けそうな喪失が何重にもなってのしかかってくる。感情のキャパオーバーなんてとっくに超えている。とても立てない。動けない。

 白い空間。天井の機械。立ってこちらを見下ろしている男。手足を拘束されて宙に浮いた二人の少女――いま見えているものは本当に現実だろうか。もうそれすらも曖昧で――。

「第12号……やめてください! わたしの声が聞こえるなら、今すぐ止まって!」
「あれに呼びかけても無駄ですよ。12号からは、制御の邪魔になる人間的な思考能力を剥奪していますから」
「そんな……」
「苦労しましたよ。なにしろ処置をしくじれば、思考能力どころかA.H.A.I.としての能力そのものが失われてしまいますからね。これを確立する過程で、1号や2号は使い物にならなくなってしまいました。人間で言うなら、廃人同然といったところでしょうか」
「ひどい……ジュジュだけじゃなくて、他のA.H.A.I.もそんなふうに……!」
「しかしそのデータのおかげで、12号はこうして自由に制御できる」
「あなたという人は……! お兄さま! お兄さまっ!!」
「お願いお兄ちゃん、もう逃げて!!」

 ――いや。聞こえる。二人は……生きてそこにいる。
 かろうじて意識を保つ。その声が僕を「今」に繋ぎ止める。
 今までのはすべてまやかし――と言い切るには実感を伴いすぎていて、そうなっていてもおかしくなかった紙一重の運命で。
 だけど、僕たちが「辿らなかった結末の話」だ。
 クランはここにいる。
 ラズはここにいる。
 ならば、目の前で僕を呼んでいる二人は……今ここにいる僕が、なんとかして助けなければ。

「さて、緋衣瑠生さん。ここまでにいくつもの『もしも』を視たかと思いますが……それらはどれも貴女にとって都合の良い未来を迎えたはずです」

 ――都合が、良い……?

「そうでしょう? A.H.A.I.第3号αとβのどちらか、あるいは両方が失われれば、この計画は成立しなくなってしまう。貴女の望み通り計画は止まる。つまり、これらは遺憾ながら私がしくじったケースとも言えるわけですね」

 大切なものを亡くしても、生きている限り日々は流れゆく。
 クランの亡骸を葬ったあと、ラズは心都研のスタッフに連れられ姿を消した。
 ラズの葬式のあと、その死を間近で見ていたクランは二度と笑わなくなった。
 クランを死なせた自責の念から、僕は自殺を図り、結局失敗した。
 ラズを喪った僕はやっぱり後を追おうとして、やっぱり失敗した。
 二人を殺された怒りのままに、僕は草凪一佳に銃を向け、原型がなくなるまで発砲し続けた。
 そんな世界でも痛みを抱えたまま人生は続き、僕は結局普通に生きて、普通に死んだ。
 そういう未来を――僕は視た。

 ――確かに。いま視たすべての『もしも』の中で、白詰プランは――全人類の洗脳計画なんてものは、最後まで発動しなかった。産みの両親の名を冠した頭のおかしいプランは、僕の預かり知らぬところで、潰えたのだ。

「逆に言えば、αとβが健在である限りプランの宿命から逃れるすべはありません。仮に今ここから逃げおおせたとしても、私を討ったとしても、それは変わらない」

 ――うるさい。そんなことわからないじゃないか。
 立て。とにかく立て。
 なんとか腕に力を込める。だけど……指先を動かすのが精一杯だ。

「人生五十回分近いシミュレーション結果を叩き込んだはずですが……このくらいではまだ潰れませんか。どうです?『第3号を私に返す』と言っていただけると、ここは丸く収まります。場合によっては、貴女の人格はプラン実行後も保存してあげてもいいですよ」
「……そんな……こと……!」

 許容できるわけがない。
 クランとラズをこんな奴の道具にされてたまるものか。何をされようが、そこを曲げることなどあり得ない。
 立て。二人を取り返せ。
 手を床につく。ようやく頭を持ち上げる。

「……させ、ない……!!」
「そうですか。まあそれはそれで構いません。では、夢の続きをどうぞ」