◇ 回想 / アストル精機本社地下研究所 ◇
「ようこそ! 評判は聞いてます。あなたのような優秀な研究者を迎えられて嬉しく……ああ、すみません散らかしちゃってて。この部屋、狭いですよね」
白衣を羽織ったぼさぼさ頭の男が、気まずそうにはにかみながら頬を掻いた。
壁はあちこちにメモや貼り紙がされ、部屋内に置かれたデスクの上はどれも機材や書類、資料の山だ。床には卓上に置ききれない書物と段ボール箱が積み上がっている。真っ白なはずの室内は、男の言葉どおり雑多で足の踏み場もない。
計画の立案者にして、自身も優秀な研究者。その肩書きに反して気さくで温和……を通り越して、抜けた印象さえ与える。そんな彼の雰囲気にあてられたのか、挨拶に訪れた研究者はくすりと微笑んだ。
「いえ。前の研究所もこんな感じでしたから、むしろ安心します」
「ははは。それは良かった……の、かなあ? まあ、それは一旦置いといて」
部屋の主は本と箱でできた柱の間を慣れた様子で器用にすり抜け、新たな仲間のもとへと歩み寄る。
「『白詰プラン』責任者の白詰誠一です。これからどうぞよろしく」
「篝利創です。みなさんの力になれるよう、力を尽くします」
朗らかな笑みとともに差し出された手を、訪問者はしっかりと握り返した。
アストル精機の極秘プロジェクト『白詰プラン』。
この記憶は――計画のために用意された地下研究所に「篝利創」がはじめて配属された日のものだ。
◇ 回想 / 白詰邸 ◇
「いいんですか? お邪魔してしまって」
「時間があったら連れてこいってせがまれててね。ごめんよ、無理を言って」
「いえ、とんでもない。私も結愛さんとは、最近ずっとメッセでのやりとりだけでしたし」
配属から六年ほど経ったある日、篝は誠一の車の助手席に座り、白詰夫妻の邸宅へと向かっていた。
この頃になると、篝利創と白詰誠一はすっかり気心知れた研究仲間となっていた。そしてそれは誠一とともに計画を立ち上げた共同研究者にしてパートナー・白詰結愛も同じ。篝と知り合った当初の結愛は阿佐美という姓だったが、二人は一年ほどで結婚、さらに一年ほどで子供を授かった。
……あれから四年。産後しばらくは心身ともに疲弊しながらも研究所に顔を出していた彼女だったが、プロトタイプが安定してからは落ち着きを取り戻し、育児に注力できるようになった。研究所としては夫妻の片方、あるいは両方を欠く場面も未だ多いが、既に熟練となった篝らスタッフが仕事を分担することで、今のところうまく回っている。
「瑠生ちゃんも四つですか。随分大きくなっているでしょう」
「おかげさまで。みんながアレコレ肩代わりしてくれるおかげで、僕も娘に顔を忘れられずに済んでる」
「我々がもう少し二人の穴埋めをできれば良かったのですが」
「好きでやってることさ、もともと僕たちが始めた計画なわけだし。……篝。きみは、今のプランをどう思う?」
「……そうですね。当初の方向性とは少し違ったものになったかもしれませんが……私はこれで良いと思っています。計画が結実すれば、より多くの人を救うものになるはずです」
「そうか……ありがとう」
車は白詰邸の駐車場に停まった。一戸建ての一階部分に作られたインナーガレージだ。
誠一が家の扉を開けて妻と娘のもとへ向かい、篝は頃合いを見て顔を見せるべく、しばし玄関に留まる。
「このやり方は非人道的という批判を浴びもした。だけど彼らの……我々の目指すものは間違っていない。そうだろう?」
俯き、呟く篝。
ほぼ時を同じくして、誠一が向かった部屋の奥から元気な子供の声が聞こえてくる。
「パパ、おかえり!」
「よしよし、瑠生もただいま」
「……誠一くん、顔色が良くないよ。ずっと徹夜続きでしょう」
「これくらいどうってことないよ。今は目指すべきところがはっきりしているからね」
「わかっているけど、それでももう少しかがりんや皆に任せてもいいでしょう?」
「コアユニットの試作品がもうすぐってとこまで来てる。現物に触らないとできない調整もあるからね」
「そりゃあまあ……できれば私も立ち会いたい。ていうか、パルス出力とか、そういう調整の部分だけでも自分の手で」
「だろ? だからその分もさ。ところでそのかがりんだけど、今日は少し早く上がってね。……瑠生、パパとママのお友達だよ」
誠一がちょいちょいと手招きしているのが見える。「えっ、来てるの? 言ってくれればいいのに」と驚く声。篝はふっと微笑み、リビングへと歩を進めた。
「お久しぶりです、結愛さん」
「ひさしぶり! いらっしゃい」
ソファに腰掛けた結愛は、にっこりと来訪者へ微笑んだ。
いっときは気の毒なほどやつれていたこともあったが、今そこにあるのはかつてと同じ華やぐような笑顔だ。さらに母親としての落ち着きが加わったからだろうか、以前よりも穏やかな印象だ。
そして隣には四歳になったばかりの小さな娘――瑠生の姿があった。あどけなくも整った顔立ちには、結愛の面影が見える。母親似だ。見慣れない客人に緊張し、少し不安げに結愛の服の裾を握っている。
読み聞かせでもしていたのだろう、二人の傍らには星座の本が置かれていた。
◇ 回想 / 街田市:事故現場 ◇
篝利創は、焦燥とともに走っていた。
「……頼む。違っていてくれ……!」
その日はチームの仲間数人とともに、久し振りに完全オフでの食事会が催される予定だった。子連れのメンバーもおり、この会は家族ぐるみの親睦会を兼ねている。
リーダーである白詰夫妻と娘の瑠生は参加者の筆頭であるが、まだ現れていない。「道路事情により迂回を強いられ、少し遅れるかもしれない」という連絡があったため、一同は待ち合わせ場所であるカフェのテラス席で談笑しながら、気長に三人の到着を待っていたのだった。
そして、待ち合わせの時刻を少し過ぎた頃。
――ガシャン!! ドンッ!!
何か硬いもの同士がぶつかったような、聞き慣れない嫌な音。続いて、悲鳴。
――事故だ。
現場は見えないが、そう遠くない。通行人を含めたその場の誰もが音のした方角を向き、息を呑み――待ち合わせたメンバーの全員が「まさか」と思ったことだろう。
ここには子連れの仲間もいる。「様子を見てくる」と真っ先に駆け出したのが篝だった。
頼む。違っていてくれ。
しかしその願いは、無惨に裏切られる。
「ああっ……!!」
かくして篝が目にしたのは、前半分がほとんど潰れてひっくり返り、かろうじてそれと認識できる白い小型乗用車――白詰家の車だった。
近くの建物にはトラックが頭から突っ込んでいて、コンクリートや窓ガラスの破片、サイドミラーの残骸などが散らばり、路上にはタイヤの跡も残されている。……きっと、あれと衝突したのだ。
運転席の窓だった場所からは、頭と片腕を覗かせ這い出ようとする人影があった。
「誠一さん!!」
駆け寄った篝は絶句した。
弱々しく伸ばされた手首はあり得ない方向に曲がり、肩口には金属片が刺さって真っ赤になっている。足元には今も血溜まりが広がり続け、おそらく胸から下は――そして、さらに酷く潰れた助手席は――そこに座っていたであろう、結愛は――。
「かが……り、か……?」
意識がある。篝はその場に跪き、伸ばされた手を取った。
「誠一さん!! そうです、篝です!」
「ああ、き、み……が……いて、くれ……よかっ、た……」
「待っていてください! すぐに、助けを……」
そう口にはしながらも、篝も、おそらくは誠一自身も理解している。
――これは、もう助からない。
「篝……きみが……かんせ、い……させ……計画、を……れ、い……の……」
「喋らないで、もう……」
「た……のむ……篝……」
「駄目です、こんな……こんなことって……!」
篝の震える手から、力が抜けた重みと血のぬめりで誠一の腕が滑り落ちた。
そして、その最期を看取った者に計画の未来を託し――「白詰プラン」創始者のひとりは瞼を閉じたのだった。
1 / 緋衣瑠生
「――っは、はぁっ、うっぐ、うっ……! はぁっ、はっ、はぁっ……!!」
心臓がありえない速さで鼓動し、こめかみの辺りがびくびくと脈打っている。
僕はいつの間にか、その場に倒れてうずくまっていたらしい。身体が重い。息がうまく吸えない。頭だけが熱く、それ以外の全部が冷たい。腹の中からせり上がってくる酸っぱさが喉と鼻の奥を焼くようだ。
「お兄ちゃん! どうしたの、お兄ちゃんってば!」
「お兄さま、しっかり!」
お兄(さま/ちゃん)? 誰のことだ? ……「僕」だ。背中に感じるこの手の温度の持ち主――大切な二人の少女が、僕を呼ぶ名前だ。意識がはっきりしてくる。
目が回る。今のはなんだ? ――いや、わかっている。いま僕が「視た」見たものは――。
「今の光と耳鳴り……篝博士、お兄さまに何をしたんですか!!」
「私の記憶を視ていただきました。天井の装置が見えますね? あれはA.H.A.I.第12号と繋がっていまして……その能力によって、私の記憶している過去のビジョンを読み取り、彼女の脳へと送り込んだのです。白詰誠一から篝利創へのプラン継承――彼の最期の瞬間を」
「最期……? お兄ちゃんの産みの両親って、交通事故で……、なんてことを!!」
力の入らない腕で、なんとか上体を起こす。
――そうだ。今のは紛れもなく「過去の記憶」。
リフレインする血と排気ガスのにおい。父の遺言。ただの幻覚というにはあまりにもリアルで、生々しくて、五感すべてが伴っていた。
脳が揺さぶられ、油断すれば意識を持っていかれそうだ。
けれど問わねばならない。
酷い頭痛と脱力感を、ふたたび吐き出しそうになったものを、ぐっと堪えて目の前の男を見上げる。
だってこの「記憶」は――今の状況と、決定的に辻褄が合わない。
「あなたは……」
今の回想は……いったい「誰の視点」だ?
父の研究室を訪れた篝利創。
新しい仲間を研究室に連れてきたのは誰だ?
助手席に乗っていた篝利創。
後部座席から二人の会話を眺めていたのは誰だ?
事故現場に駆けつけた篝利創。
誠一の最期を篝と一緒に看取ったのは誰だ?
「あなたは……誰だ?」
目の前の男が「篝利創」であるはずがない。明白だ。
今の記憶の中で篝と呼ばれていた「彼女」と、この男は似ても似つかない。
「篝利創です。今は『私が』篝利創なんですよ」
そうだ。今ならはっきり思い出せる。
だって自分の記憶にあるのと同じ場面を、たったいま別の視点から見たのだから。
十七年前。母に星座の本を読んでもらったあの日、家を訪ねてきた人がいた。
ひとりは「篝利創」。そしてもうひとり――今の記憶の持ち主。この男だ。
「ご覧になった通りです、あなたの考えは半分正解だったんですよ、緋衣瑠生さん!『篝利創』の同僚だった私が彼女に代わって、今こうして計画を遂行しているのです」
「どうしてそんなことを? あの人は……本物の篝さんは……」
篝利創を名乗る何者かは、温厚な笑みのまま口元を大きく歪めた。
「白詰夫妻も『篝利創』も……科学者として、研究者として優秀ではありましたが、この計画を預かる者としては相応しくなかった」
――ああ、やっぱりそうだ。
今の記憶の中で感じた、仲間であるはずの研究者たちに向けられる感情。不信、憤懣、怨嗟、侮蔑。笑顔の下に隠されたドス黒い衝動が……父が最期に「篝」の名を呼んだときに膨れ上がった嫉妬と憎悪こそが、この男の本性で。
「なので皆さんご退場いただきました。他のスタッフたちも順番にね。もうここに残っている人間は私ひとり……ですがそれで十分。A.H.A.I.第3号αとβ、二体の枷が外れた今、プランの達成はもう目前なのですから」
愉悦と優越に染まった視線を受けて確信する。
誠一と結愛の命を奪ったあの事件は、偶発的な事故などではなかった。
二人だけではない。本物の篝博士も、チームの仲間たちも、皆この男に排除されたのだ。
「あなたは、わたしとラズをどうするつもりなんですか」
「結論から言えば、私が作り上げた新たなA.H.A.I.である第13号にその力ごと人格を取り込みます。つまり機械の身体に戻すということ……βにはもうお話ししましたね」
「機械に、戻す……!?」
それは本当なのか――姉の目配せを受けたラズが、苦々しく言う。
「第13号は一度に大勢の人間に人格を書き込む力を持ってる……ぼくたちの『活性と停止』の力が合わされば、そのとき邪魔になる元の人格を封じ込めて、もっと広範囲に力を行使できるって」
人格の人体移植で発生する、元の人格との競合。まさにクランの身にかつて起こったことであり、13番目のA.H.A.I.がとろうとしている解決法は、それを無理矢理にねじ伏せる暴力的な手段だ。
それを――そんなことを、こいつはこの二人にやらせようというのか。
優しくて世話焼きで、少し臆病なクランに。
無邪気で仲間想いで、甘えん坊なラズに。
それも、再び機械の身体に閉じ込めて?
「そのとおり。αとβ、3号はふたつでひとつのパーツです。一時はどうなることかと思いましたが、こうして無事に揃ってくれて安心しています」
――いちいち、神経を逆なでする物言い。
怒りに身体が熱を帯びる。四肢に力が戻ってくる。
人間の心身というのは、意外とシンプルにできているらしい。
「わたしたちは……戻りません」
右手を構えるクランに、簒奪者はやれやれと首を振って見せる。
「その力は使えませんよ。この場所にいくらエーテルが充満していようとも、『抑制首輪』と同じ力場が働いている限り、第3号がそれを操ることは叶わない。体内の蓄積エーテルもこの部屋に至るまでに尽きている……説明せずとも自分でわかっているはずです」
プランを立ち上げた父母の真意がどこにあったのかは、今はいい。
ここに来た目的を思い出せ。いま目の前にいるこいつは、この「篝利創を騙る男」は、なんとしてもここで止めなければならない危険な存在だ。
産みの両親の仇。狂気の計画の主導者。だけど、僕にとってはそれ以上に――クランとラズを奪い、人ではなく道具として、望まぬ命令を強いようとする――敵。
「そんなことさせない……絶対にやらせない!」
鞠花から預かった拳銃を抜き放ち、スライドを引いて両手で構える。
銃口の先には、目を見開いた男の顔。
止まるな。怯むな。草凪と対峙したときのようにためらうな。このまま撃て!!
トリガーにかけた人差し指に力を込め、そのまま引く。
銃声と反動。
放たれた銃弾は――届かなかった。
「当然、『こちら側の能力』は自由に行使することができます」
宙に浮いた鉛の弾を中心に、虹色に揺らめく波紋のような模様が広がっている。
ヨヨギ公園の一角を外界から遮断し、先程は突入部隊の行く手を阻んだというあの「壁」だ。……やはり、相手もただ無警戒に姿を晒していたわけではなかった。
「お兄さまっ!」
銃を握った僕の手に、すかさずクランが右手を添える。
「無駄だと言ったはずです。その小さな身体に残ったエーテル量では――」
その「壁」を貫けないと思っていたのだろう。好都合だ。
構わずふたたびトリガーを引き、銃弾を放つ。
――マズルフラッシュとともに、銃口から眩く力強いライトピンクの光が溢れた。
「なっ――」
クランの力が乗った弾丸が「壁」に接触し、火花が弾けるような光と音が散る。
光の弾はその勢いのままに、強固な守りを螺旋状に穿って容易く突破。
今度こそ驚愕に顔を歪めた男は、その表情のまま大きくのけぞった。
……だが。
「この力場の抑制下でそれだけの力……体内のエーテルは残っていないはず……」
簒奪者は血の流れるこめかみの辺りを押さえて、憎々しげにクランを睨んだ。
外した――!!「壁」の突破にこそ成功したものの、それで軌道がずれたのだろう。弾は男の顔を掠めただけだ。
もう一度狙って、もう一発――!
「マスターっ!!」
叫び声を上げて飛び込んできたのはA.H.A.I.第6号ジュダだ。
遠く部屋の端に待機していた彼女は、ものすごい速度で床の上を滑り、こちらへ迫りながら実体化した腕をムチのように変化させて伸ばし、僕が握っていた拳銃を弾き飛ばした。
しまった、と思う間もなく飛んできたのは、篝の爪先だった。
咄嗟にクランを庇い、彼女への直撃は避けたが、二人揃って蹴り倒される。
科学者という言葉のイメージとは程遠い鋭いキックが脇腹に刺さり、激痛が走った。
「「お兄(さま/ちゃん)!」」
「いけませんね、そんなもので人を撃ち殺そうだなんて」
「どの口が……!」
「自分の手で人を殺すなんて、私はそんな野蛮なことはしません」
僕たちを見下ろす男は、床に倒れたクランをちらりと見やる。
セーラー服のスカートから覗く太腿。黒いタイツの一部分だけが不自然に盛り上がっている。
「なるほど……そのチップを使ったか」
唇を噛む。一発で見抜かれてしまった。
クランが脚だけでなく両腕や胸、胴、全身に仕込んでいるそれは、自宅の前の電柱から見つかり、霜北沢やヨヨギ公園の周辺から心都研究所のスタッフが回収してきた「タグのようなもの」。互いの間に特殊な力場を生み出し、周囲のエーテルを集めるチップだ。
体内の蓄積エーテルが絶えず奪われ続ける環境下でも、これを大量に身に着けていれば周囲のエーテルを高速吸収し、ある程度相殺できる――クランのために突貫で作られた「MP回復装備」だった。
「6号、βを拘束しろ。αが抵抗したら、片腕くらい切り落として構わん。どうせ最後には不要になるボディだ」
「えっ――」
「何をしている」
ジュダは一瞬戸惑ったように見えたが、すぐに命令を実行した。しなる鞭状の腕でラズの両手を捕らえ、そのまま床に引き倒す。
「ラズっ!」
「聞いてたでしょ。抵抗しないで」
燃えるような真紅の瞳に睨まれ、クランが歯ぎしりをする。
「……やれやれ。まさか貫通されるとは思っていませんでしたが、一体使っておいて正解でしたね」
やはりこの状況で「壁」を破られるのは想定外だったらしい。あと一歩を仕留め損なった自分を呪いながらも、彼の物言いに不気味な違和感をおぼえる。
壁が「一枚」ではなく……「一体」?
僕が眉をひそめる様子に気付いてか、男はにやりと笑った。
「白詰プランの目標のひとつに、『ヒトの能力の拡張』というものがあります。それは通常持ち得ない超能力をヒトに与えるということ。つまりA.H.A.I.の能力はいずれも人体移植を前提としたものであり……機械よりもエーテルとの親和性が高いヒトのボディでこそ、真価を発揮します」
いつの間に近づいていたのか、部屋の端で待機していたヘルメットの兵士のひとりが主人の隣へとやってきた。
「6号の『霊体操作』はそのまま運用した場合、生成したオーグランプが物理干渉できるのはごく短時間……ですが、ヒトのボディに6号をインストールしたオーグドールならば、このとおり」
兵士が右手を突き出し広げると、その十センチほど先に半透明の人影が現れた。記憶の中で見た「本物の篝利創」の姿だ。白詰誠一、白詰結愛、記憶の中にいた研究者たち――それはさまざまな姿を経て、最終的にオーロラのように揺らめく板状の「壁」となった。
「強固かつ長時間にわたる物質化が可能となります」
男はふたたび温和な笑みを浮かべ、コツコツと拳で「壁」を叩いてみせる。
「まさか、今まで見た兵士たちは全部……?」
「正解です。それらはすべて6号のオーグドール、『セカンダリ』と呼称しています。すでにご覧になっているかと思いますが、ヨヨギ公園の隔離に使った『壁』と『火柱』、それにヘリの光学迷彩、侵入者の迎撃と、能力の用途は多岐に渡ります」
楽しげに解説する姿は、教室で教え子に講義でもしているかのようだ。
「だめだ! やめてよ!」
ジュダに捕らえられたラズが悲痛な叫びを上げる。
――何か、様子がおかしい。
「まあ、このように非常に優れた霊体を形成できるぶん――」
オーグランプを操っていた兵士は膝をつき、そのまま前のめりに倒れた。
その拍子に、被っていたヘルメットのバイザーが開く。
「その力は生命と引き換え。要は使い捨てです」
「……は……?」
絶句する。……意味がわからない。
だってそれじゃ、いま倒れたこの兵士は、もう。
「生命を持たない機械の状態では、その力のすべては発揮し得ない。生命ある有機体のオーグドールならば飛躍的に能力が向上するものの、その力は一度限り。まさに一長一短ですが、クローンならいくらでも量産がききます……とはいえ、生産や処分のコストもありますから、ゆくゆくはもう少しなんとかしたいですね」
それに、ヘルメットの中のその顔は。
目を見開いたまま動かない、この兵士の素顔は。
「……お兄、さま……?」
驚愕は隣のクランも同じ。
そうだ。これは毎日鏡の向こうで、僕を見つめ返しているのと同じ顔だ。
よくよく見てみれば、背丈も、体格も。
――男は言った。これは「クローン」なのだと。
まさか、兵士たちはすべて、僕の――?
「ああ、これですか? A.H.A.I.も大元は白詰夫妻がつくったものですから、その血が流れるボディに良く馴染む……道理でしょう?」
鳥肌が立ち、背筋が凍る。
なんて……なんて悪趣味。
「こんなの酷いよ……ダメだよ、ジュジュ……」
「……うるさい……っ!」
クローンの亡骸を前に、ラズは涙を流している。彼女はすでにこの残酷な仕組みを知らされていたのだろう。彼女を抑え込み、拘束するジュダ――無数の兵士に宿る魂のオリジナルは何を思うのか。俯いたその表情は見えない。
「まさか、第6号の人格もそのままそのクローンに……!?」
「ええ。作戦実行能力に少し難はありますが、6号は私に非常に忠実なので」
「なんて、こと……」
この部屋で最初に控えていた兵士は、二人いたはずだ。
たった今絶命したのと、もうひとりは――いつの間にか部屋の隅に横たわっていた。おそらく彼女も、先ほど銃弾を防いだ「壁」を生成するのに命を消費されたのだ。
猫山さんは言っていた。「壁」に触れた指先から、不安、悲しみ、寂しさ、そして恐怖を感じ取ったと。ヨヨギ公園の壁と火柱。ヘリに光学迷彩を施した兵士たち。突入部隊に仕向けられたオーグランプ軍団――それだけのことを為すのに、今までいったい何人の「ジュダ」が犠牲になった?
人の心のかけらもない。鬼畜の所業とはこのことだ。かつての仲間も、自らに忠誠を誓うA.H.A.I.の心も、魂も、この男は簡単に切り捨てる。
「本体の生命は尽きても、生成された霊体はこのように命令をこなし続けます。……拘束を」
男の号令で、「壁」は板チョコを割るかのように八つの破片へと分裂した。
それらは三十センチ四方の立方体状に変形して飛来、クランとラズの四肢の先に取り付き、二人の手足はまるで水槽に突っ込んだみたいに半透明の立方体の内にめり込んだ。
双子は立方体に両手両足を引っ張られ、磔のような格好になって宙に浮かぶと、滑るように男のそばへと運ばれていった。あっという間の出来事だった。
「「お兄(さま/ちゃん)!!」」
「クラン! ラズ!!」
「さて。それでは、ここまでお届けありがとうございます、緋衣瑠生さん」
「くっ……!」
どうする?
さっきの拳銃は弾き飛ばされてしまったが、もう一挺、予備が残っている。
だけど、これでは抜けない。クランとラズが近すぎる。このままでは……!
「このままお帰りいただけるなら、先の銃撃は不問に――と言いたいところですが、もう先日のように捨て置くわけにはいきません」
「殺すってこと……」
「私は自分で人を殺したりしません。先程も言ったじゃありませんか。……ことここに至っては、殺す意味もありません。もうすぐその人格も上書きされて消え去るのですから。その他大勢の人類と同じように」
悪魔のような男が右手を掲げて笑う。
「どうせ消え去る人格ならば、実験に役立っていただくのが有意義というもの。……ああ……この時を愉しみにしていましたよ、憎き白詰の忘形見。どこまで壊れずに耐えられるか、せいぜい足掻いてみせてください」
天井の機械が青白い光を放ち、何かが頭に降り注ぎ、侵入してくる。
抵抗する間もなく、ふたたび意識が混濁してゆく――。