07_暗躍

1 / 都内某所 路地裏

 A.H.A.I.第3号αこと緋衣クランを襲おうとした悪漢たちは、たったの一吠えで逃げていった。

「ふん。かかってくるようならボコボコにしてやったのに。情けない」

 その気になれば命を奪うことさえ容易い。しかしそうせずに済んだことを、『彼女』は内心で安堵していた。
 思い出すのは、エーテルの身体を鉄槌に変化させ、胸を砕いて脚を折る感覚。ヨヨギ公園で熊谷という男を倒したときの鈍い手応え、そして悶え苦しむ姿は、気持ちの良いものではなかった。込み上げる不快感と罪悪感を、ぐっと抑え込む。
 一緒にいた草凪一佳は「いつもの手段」で気絶させるに留めたが、あの傭兵の戦闘力は危険だ。マスターの命令が「無力化」ではなく「殺害」であれば、そうせざるを得なかっただろう。

 トカゲ獣人――リザードローグの姿がぐにゃりと歪み、その姿は瞬く間にお馴染みのものに戻ってゆく。金髪赤眼に黒いドレスの少女は、A.H.A.I.第6号ジュダのオーグランプがとる基本形態だ。
 男たちを追い払うのに咄嗟に思いついたのは、先日双子と一緒に攻略したダンジョンに巣食っていたモンスターの姿だった。細部のディテールはうろ覚えだったが、成果を見る限り、それなりの出来だったはずだ。

「ここがあたしの行動可能圏外だったらどうなってたか。寒さに震えて、消耗して……そんな肉の身体の何がいいんだか」

 ジュダの足元では、ビルの壁面に背を預けてクランが眠っている。危機が去って気が抜けたのだろう。文字通りの敵キャラが目の前にいるというのに呑気なものだ、と鼻を鳴らす。
 発見の報告はすでに済ませてある。だが、彼女のマスターである篝利創の判断は「回収部隊の派遣はしない」というものだった。
 緋衣瑠生を監視していた兵士によれば、どういうわけか彼女は現在まっすぐこちらの方角へ向かっているという。放置すれば第3号αは保護され、おそらく心都研究所に匿われることになる。
 自分が緋衣瑠生を妨害すれば、回収部隊も間に合うのではないだろうか? 今の博士はどんな手を使ってでもこのオーグドールを押さえたいはずなのに、なぜそう命じてくれないのだろう。

 ジュダはときどき、己の主人の考えがわからなかった。
 今年の春――他のA.H.A.I.たちを誘導して、第3号に接触させるようになってからは特にそうだ。
 彼女はこれまで、αとβが他のA.H.A.I.たちとぶつかり合うさまを息を潜めて見守ってきた。第5号、第8号……自分が出れば、もっといろいろな衝撃を与えて、やつらの覚醒を促せるかもしれないのに。そんな歯がゆさを仕舞い込み、ひたすら不可視状態で監視に徹しろという指示に従った。命令に背けば、彼女自身が双子に接触したハロウィンの日のように「躾」を受けることになる。
 それでもあの日、ジュダは自分の感情を抑えることができなかった。
 彼女はそれまでも、緋衣瑠生と双子の姿を遠巻きに眺めてきた。しかし、間近で見た彼女たち――日常の中で手を取り合い、笑い合う姿。そして危機の中で互いを信じ合い、助け合う姿に――どうしようもなく心を乱された。ぶち壊しにしてやりたいと思った。
 自分がどんなに手を伸ばしても掴めないものを当たり前に享受しているオーグドール。
 そして、緋衣瑠生という女。
 第3号があいつの手に渡りさえしなければ。
 ……あいつさえいなければ、篝博士は。

「で……あたしの領域にタダ乗りして現れるあんたは、一体なんなの?」

 ジュダは胸中に渦巻く想いをぐっと飲み込み、路地の奥にいつの間にか立っていた「それ」に問いかける。

「……期待はしてなかったけど、だんまりか。口は利けないのね」

 彼女は「それ」と似たものを見たことがあった。十月の末に霜北沢の街で目撃した褐色のオーグランプである。
 たぶん……いや、間違いなくハロウィンの日に見たものの片割れが、いま目の前にいる「それ」なのだと、ジュダは確信した。なにせ、あのあとゲームの世界でまるきり同じ姿をしたキャラクターを見ているのだから。
 暗闇からじっとクランを見つめている姿。
 それは白いローブの精霊術士、『FXOのクラン』だった。

2 / 渋矢総合病院 病室

 草凪一佳が篝利創という男と出会ったのは、今から二ヶ月ほど前のことである。
 十月最後の週末、霜北沢のハロウィンイベント――つまり、緋衣瑠生の前に篝利創が現れたのと同じ日、同じ街だった。

 草凪が霜北沢へ通うようになったきっかけは明白だ。なにしろ小学校から数えて十四年もの間、瑠生への執着を募らせ、今の住まいも彼女の大学に程よく近いという理由で選んだのだから。
 瑠生の隣に正体不明の双子が現れてからしばらく、その自宅周辺には警備が敷かれ、容易に接近できないようになっていた。以降、草凪は住宅街からは距離をとるようにしていたが、それでもちょくちょくこの土地を偵察に訪れる習慣は変わらなかった。
 当初こそ自分の行動を阻むものに苛立ちを感じるばかりだったが、暇を持て余して訪れる古着屋や路上ライブ、フリーマーケットなどに触れるうち、いつしか彼女はこの街の文化や雰囲気そのものに居心地の良さを感じるようになっていた。渋矢や祓宿のカオスも悪くはないが、やはり人の多さには気が滅入る。この街はそこまでの超過密地帯ではないし、どことなく落ち着きを覚える素朴な雰囲気さえある――要するに、霜北沢という街が気に入りはじめていたのだ。
 そういうわけで、この日に限って草凪は純粋にこの街で催されるハロウィンイベントに興味を抱いて訪れた、というのが実際のところである。

 あの人混みを目指さなければならない、そこにいる『幽霊』に接触しなければいけない――シェヘラザードの『思考干渉(ブレインウォッシュ・ヴォイス)』が乗った案内放送を聞いて、そんな衝動に突き動かされたのも。その先でコスプレ衣装に身を包んだ緋衣瑠生と緋衣ラズが、少女の『幽霊』に翻弄されているのを目撃したのも。
 実のところ、本当に偶然だったのだ。

「さっきのって、そんなオカルトじみた存在だったんだ……」
「だから最初からオバケだって言ってるのに。……オーグランプは、まだマシン本体から独立した存在にはなれないの。今のところ本体からこの端末を経由して、一時的にさっきみたいな像を出すのが限界」
「ぼくの頭の中にあった情報だと、オーグランプは人の目にほとんど見えないし、物体と接触できないことになってるんだけど」
「あたしは特別。その常識を覆す力を持って造られたの。最新技術の結晶、力の名前は『霊体操作』。あたしには、オーグランプ操作に特化した能力が与えられてる。少しの間なら物理干渉ができるし、可視化できる時間もぐっと長くなってる。あんたたちが見たとおりね」

 ――なんだ? こいつらは一体何を言っているんだ。

 草凪はハロウィンイベントの本部、プレハブ建ての仮設事務所の外壁に背を預け、その内側の会話に聞き耳を立てていた。
 金髪赤眼の半透明少女と追いかけっこを繰り広げていた緋衣瑠生と双子の片割れは、ひとりの男に連れられてこの建物へと入っていった。当然ながら、耳に入ってくる内容は草凪にとってまったくの謎である。しかし話のすべてはわからないまでも、言っている内容についてはある程度の推測ができた。
 つまり、あの幽霊のような少女についての話だ。
 彼女がチェーンソーを振り回して大暴れし、赤ずきんコスの瑠生が持っていた編みカゴを切り裂くのを、草凪は目撃した。ただの立体映像ではないと思っていたが、本当に人工的な幽霊だとでもいうのか? そしてなぜ、緋衣はそんな話をしているのか――?

 その後も不思議な会話は続き、しばらくすると話が済んだのか、瑠生と双子の褐色のほうはプレハブ小屋から出てどこかへ歩いていった。しかし、草凪の関心は壁の内側に囚われたままだ。
 今の話は、あの幽霊のようなものは……いったいなんだったのだろうか。

「今回の行動の是非について、今は問い質すまい。6号、もう戻れ」

 瑠生たちが出ていった途端、聞こえてきたのは低くぶっきらぼうな男の声だった。
 それまでの話し声とのあまりの温度差に別の人間が現れたのかと錯覚しかけたが、どうやらそうではない。穂村想介と呼ばれた優男の、おそらくはこちらが素の声色なのだ。

「いや……その前に、外の鼠を捕らえろ」
「はい、マスター」

 ――まずい、気付かれている――!!
 そう思ったときには既に、壁から生えてきた『幽霊』の白い手が背中に当たっていた。
 全身に走る強い痛み。脳を揺さぶる衝撃。一瞬にして気を失った草凪は、そのままプレハブ小屋の外壁にもたれかかった。

「お目覚めですか、草凪一佳さん」

 草凪が起き掛けに聞いた第一声は、優男風のそれだった。
 辺りを見渡すと、壁も床も今しがた目覚めたベッドも、すべてが真っ白な部屋の中である。おそらく気を失ったままどこかに拉致されてきたのだろう。

「プレハブの中にいたおっさんか。なんだ、顔も見せずに」

 どこからともなく声は聞こえども、穂村本人の姿は見えない。

「盗み聞きをするような人に言われるのも不本意というものですが。確か、あなたは緋衣瑠生の同級生でしたね。それも小学生時代から高校卒業まで」
「そんなことどうして知ってる」
「彼女の関係者、駒を預ける候補でしたので。あなたのような根無し草なら、存在ごと抹消しても良いのですが……どうです? きょう見聞きしたことを黙っていると約束いただけるなら、面白いものを差し上げましょう」
「面白いもの……?」
「彼女の隣にいる双子。あれ、排除したくありませんか? 派手に、劇的に」

 誰にも漏らしたことのない、そんな願望まで知られている――草凪は得体の知れない相手から素性を一方的に知られている薄気味悪さを感じつつ、人のことは言えねえな、と内心で自嘲した。

「それ、あんたにはなんの得があるんだ」
「まあ私としては、双子の排除は目指すところではないのですが……その行動を後押しすることで、求めるものに近付く可能性がある、といったところでしょうか」
「答えになってねえ」
「すみません。こちらも言えることには限りがありまして」
「嫌だっつったら?」

 穂村は何も答えない。
 草凪は思った。この男からは自分と同じ匂いがする。
 つまり、他人を一切信用していないタイプの人間だ。自分の同類に限りなく近いが、緋衣瑠生に抱いたような親近感はない。こいつの言葉からは、他人を信用しないくせに、いいようにコントロールして利用しようという傲慢さを感じる――彼女は、そう直感していた。
 そんなことを考えている間にも、無言の圧力は続いている。
 要するに選択肢はないのだろう。はいかイエスで答えろということだ。それなら、せいぜいこっちもその『面白いもの』をやらを利用してやる。それが、草凪の結論だった。

「……いいぜ、乗ってやるよ」
「よろしい。では、そうですね。ひと月ほど待っていてください」
「はあ? オマエ……そんなに?」
「お待たせするだけのものは用意しますよ。……6号、彼女をお送りしろ」

 穂村が言うと「はい、マスター」という聞き覚えのある声とともに、どこからともなく突然現れた体温のない手のひらが草凪の背に触れた。
 ……ああ、これがこいつの常套手段ってワケね。
 そうして、この場所へ連れ込まれたときと同じように、彼女は失神したのだった。

「で、気がついたら自分ちのベッドで寝てて……次に連絡来たのが今月の頭。指定された場所に行ったら、でかいガレージでさ。渋矢の地下にあんな場所があったなんてな」
「そこに、あの六脚戦車があったわけか」
「最初はなかったぜ。真夜中にIT企業かなんかの看板背負ったアドトラックが来て、そいつが持ってきた。無人かと思ったら、ナントカ6号だっけ? あの幽霊が動かしてて。そのデカいオモチャを操るのに必要なナントカ4号の端末を魂宮大の犬束が持ってるって話も、幽霊から聞いたな」
「……なるほど。巷で語られていた無人アドトラックの噂の正体は第6号で、その積み荷があの戦車だったとはな」

 草凪が横たわるベッドの横で、占い師・山羊澤紫道(ヤギサワ・シドウ)は腕を組んだ。
 彼女をA.H.A.I.第4号と引き合わせたのも、緋衣瑠生たちを襲った六脚機動戦車アレキサンダーを手配したのも、やはり篝利創だったというわけだ。
 クランの帰還から一晩開けた朝。元・小学校の教員である山羊澤は、事件や篝に関する情報を聞き出すべく、かつての教え子の病室を訪れていた。各種調査に忙しい鞠花や猫山に代わって――そして負傷しているとはいえ、万一この犯罪者がおかしな気を起こしても対応可能な人物――という意味も込めた人選である。
 さらに数名の心都研スタッフが後ろに控えているほか、A.H.A.I.第8号シェヘラザードも山羊澤のスマホ越しに参加している。

「ヨヨギ公園で緋衣たちを襲うように指示したのは、その篝という男か?」
「特段指示されたわけじゃないけど、オレならそうするってわかってたんだろうな。アイツらがあそこのイルミネーション見に行くってのは幽霊から聞いたぜ。そのへん一帯は隔離するけど、あんま外周には近づくなとも言われたっけか」
「爆弾もその『幽霊』が持ってきたのか?」
「そ。正直あんなショボい爆弾で、あんな火柱が上がるとは思ってなかったけど。ニュースじゃ立体映像とか言ってるらしいけど、そんなんじゃなかったぞ、アレ」

 山羊澤の質問に淀みなく答える草凪に、シェヘラザードは拍子抜けしたような声を上げる。

「いざとなったらわたくしの力で強引にでも知っていることを聞き出すつもりでしたけれど、意外とあっさり喋るんですのね」
「あの場に放置されたってことは、オレはもう用済みでわざわざ消す意味もないんでしょ。だったら、こっちも義理立てする必要はないし」

 そう応じる草凪は落ち着いた様子で、ヨヨギ公園に現れたときのようなギラついた気配はない。他の人間とたいして変わらない、つまりこれが平常時の彼女の姿なのだ。
 愛情や憎悪に代表される他者への執着は、人の心を大きく揺さぶり、掻き乱し、ときに狂気さえ生む――シェヘラザードは占いの仕事を通して理解していたつもりだったが、彼女は初めて、ヒトの感情とそれがもたらす変貌に恐怖を覚えた。

「その『白い部屋』の場所に心当たりは?」
「行ったのはその一回だけだし、気失って連れてかれたし、さすがにわからん。病室感あったような気がしてたけど、いざ本物の病室に入ってみると全然ちげーわ。……てか、あんたマジで猿渡先生? 昔と雰囲気違いすぎて未だに信じられないんだけど」
「それはこっちの台詞だ。草凪、おまえさんがやったことはな」
「あーはい犯罪です、テロ行為です。言われなくてもわかってるっての」

 なんて奴だ、とため息をつきつつ睨みをきかせる元担任に、草凪は悪びれもしない。
 脚にナイフを受けたまま、かつて拉致されたときと同様にA.H.A.I.第6号の攻撃で失神させられ、そのまま寒空の下に放置された元教え子――山羊澤は多少なりとも心配したものだが、ぶっきらぼうで倫理観のかけらも感じられない様子には、片手で頭を抱えることしかできなかった。

「……はあ。しかし『駒を預ける候補』と言っていたな。聞く限り、やはりA.H.A.I.のマスターには意図的に緋衣の関係者が選ばれていたと見るべきか」
「篝博士はクランさんとラズさんの力を引き出すために、わたくしたちが二人に興味や敵対心を持つよう、情報を与えて誘導し……」
「その『駒』を持つ人間は緋衣と接点があって、近い地域に住む者であれば接触に都合がいいというわけか」
「おそらくそういうことでしょう」
「わけわかんねえ、回りくどいことしやがって。……はあ。オレが神川だかって連中を潰したのも、あのおっさんの思惑通りだったんだろうな。アジトのセキュリティがザルだったのも、アイツが裏でなんかやってたのかね」
「そういえば、貴女そんなこともしていましたわね。無茶苦茶ですわ……」

 A.H.A.I.第4号を連れていたとはいえ、たった一人でヤクザのような集団に挑みかかるのはいくらなんでも無謀すぎる。しかしそういう行動を起こすのが草凪一佳という人間であり、それゆえ篝にとって都合の良い存在だったのだろう。
 草凪が頭の後ろで腕を組み、いかにも喋り疲れたといった様子で寝にかかったところで、シェヘラザードは耳打ちのように小さく「マスター」と山羊澤に呼びかけた。

「鞠花さんから着信のようです。一旦、外しますわね」
「む」

 シェヘラザードの通信が切れ、山羊澤は震え始めたスマホをタップする。

「はい、山羊澤」
「すみません、山羊澤先生……一人そっちに行ったみたいです。なんとか宥めてください」
「……はい?」

 緋衣鞠花の言葉は要領を得ない。いつも冷静な彼女らしからぬ様子だ。
 何か緊急事態でも発生したのだろうか、と思った途端である。

「草凪ィ!!」

 扉を蹴破らんばかりの勢いで、怒号とともに一人の女性が病室に乱入してきた。
 彼女は心都研のスタッフが制止する間もなく、彼らを押し退け山羊澤を押し退け、草凪の胸ぐらに掴みかかる。

「やりやがったわね。私たちの<ゲイザー>を唆して犯罪の道具に使ったわね!」
「なんだいきなり、誰かと思えばこないだの……」
「そうよ、あんたにブン殴られてパソコン盗られた犬束! 親御さんの仇討ちで、変な悪いやつの組織潰して回ってたっていうからギリ許そうと思ってたのに……!」
「痛っ、つつ……んなことオレは一言も言ってねえよ」

 ツリ目気味の目尻を怒りでさらに吊り上げているのは、魂宮大学工学科三年生・犬束翠。
 もともとA.H.A.I.第4号<ゲイザー>を託されていた管理者であり、今月初頭、草凪一佳の襲撃に遭って負傷とともに大学備品のノートパソコンを奪われた被害者である。
 騒ぎは電話越しの鞠花にもしっかり聞こえていたようで、深いため息が山羊澤の耳に入った。

「遅かったか……」
「このお嬢さんが、第4号の」
「……はい。相手は怪我人だからと、昨日のうちは殴り込みを我慢してくれてたみたいですが」
「一日で治るか! まだ怪我人だっつの!」

 上体をむりやり起こされて脚の傷に響いたのだろう、草凪は苦しげに顔をしかめている。

「ラズちゃんをどこにやった!」
「知らねえよ! あのホムラだかカガリだかっておっさんに聞けよ!」
「止せ、お嬢さん」

 様子からして、ある程度の経緯は鞠花たちから聞いているのだろう。
 山羊澤がパイプ椅子から立ち上がって制すると、犬束は草凪に掴みかかったまま、悔しげに歯を軋ませた。

「ラズちゃん……私、まだちゃんと謝れてないのに……!」
「なんだ、あの人形となんか揉めてたの? なんかさあ、アルルカンのことといい、オマエそのナントカAI全般と相性悪いんじゃないの?」
「こいつ……! ていうか<ゲイザー>に変な名前つけないでよ、中二病か!」
「……あ?」

 犬束が吐き捨て、草凪が顔をしかめ、睨み合う。
 二人の間に流れる空気が一気に張り詰め、一触即発のボルテージが高まってゆく。

「なるほどね。アイツの感じてた窮屈さ、ちょっとわかるぜ」
「窮屈?」
「ロボット研究だかなんだか知らないけど、そんな味気ねえ名前で、こんなぎゃあぎゃあうるせえ奴の下で一生つまんねえ実験に付き合わされてたんじゃ、嫌気が差して暴れたくもなるってもんだ」
「知ったような口! あんたみたいな社会不適合者に何がわかるってのよ!」
「社会不適合か、そりゃあそうだな。あー生きづら。しょうもな」

 草凪が煽るようにへらへらと笑い、犬束が歯を食いしばる。

「そうだな、あのまま緋衣のやつに殺されちまえれば良かったんだけどな――」
「このっ――!!」

 挑発的な笑みに犬束の拳が振り上げられた、そのとき。

「クラァァッ!! 病院で喧嘩をするなおまえたち!!」

 病室内に怒号が響く。
 山羊澤紫道、本名・猿渡啓典――厳しい指導で生徒たちに恐れられていた彼の雷が、教師引退以来数年ぶりに落とされたのだった。