1 / 緋衣瑠生
とにかく急いでタクシーを拾い、ずぶ濡れのクランを連れ帰ることにした。彼女の身体は冷えて消耗しきっていたが、車内で温めてやるといくらか元気を取り戻したようだった。
だが自宅に到着し、先に風呂に入って温まるように言っても「お兄さまも寒かったはずだ」と言って聞かず。埒が明かないので、結局二人一緒に入浴することになった。
「大丈夫? 寒かったね。どこか痛いところは?」
「はい、わたしは大丈夫です。ごめんなさい、駄々をこねて」
「というか、部屋がふたつでお風呂だってふたつあるんだから、各々入ればよかったのか」
「いえ……このほうが温かいです。これがいいです」
浴槽を満たす四十度のお湯が凍えた身体に血を巡らせ、少しだけ緊張がほぐれる。
しかしクランは僕に背を向けて膝を抱き、浴槽の中で小さくなっている。その表情は見えないが、声に覇気はない。
「ごめんなさい、わたし……帰ってこられて、お兄さまに見つけてもらえて……安心しちゃうなんて。ラズがいないのに。心細い思いをしてるはずなのに」
「クラン……」
「ヘリコプターに乗せられてどこかへ連れて行かれる途中で……ラズがわたしを」
妹によって自分だけが逃がされ、助かったのだと――帰り道でのクランは、ぐったりしつつもうわごとのように繰り返し語っていた。やはり二人は、篝によってどこかへ拉致されようとしていたのだ。
「わたしが泣いてちゃだめなのに。ラズ……ラズ……!」
「いいんだよ。大丈夫……よく戻ってきてくれたね、クラン」
肩を震わせる双子の姉を、後ろからそっと抱きしめた。爪が食い込むほどに腕を握り返してくる手のひらから、彼女の味わった恐怖と無念が伝わってくる。
そうだ。僕がまいっている場合じゃない。考えろ。今できることをしろ。
なんとかして、ラズのことも取り返さなきゃ。
◇
クランの帰還を知って真っ先に駆けつけてくれたのは、同じマンション住まいの羽鳥先輩だった。次いで心都研究所から姉の鞠花と猫山さんがやってきて、モノが多い二〇二号室の居間では手狭になったので、僕たちはもうひとつの居室こと二〇一へと移動することにした。
テーブルには猫山さんのクリスマスディナーやら僕が買ってきたケーキやらがそのままになっており、ともすればパーティのような勢いだが、場には緊張感が漂っている。
「ともあれ、クランちゃんが無事に戻って本当によかった」
「……すまない、緋衣クラン。おまえたちが拉致されていたというのに……おれには何もできなかった」
「いえ。あのとき真っ先に戦ってくれてありがとうございます、レオ」
羽鳥先輩とともに、彼女が持つ猫のマスコットことA.H.A.I.第5号レオがクランに声をかける。結果的に彼の操るドローンたちはすべて六脚機動戦車にやられてしまったが、クランの言葉どおり、先陣を切ってくれたことは本当に心強かった。
そして、あのとき助けに入ってくれた存在がもうひとり。
「相手がA.H.A.I.の産みの親であろうと、わたくしは貴女たちの味方ですわ。ラズさんを取り返すためならこのシェヘラザード、なんでも協力いたします。もちろん、わたくしのマスターも」
僕のスマホ越しに息巻くのは、A.H.A.I.第8号シェヘラザードである。そういえばあのとき、僕は彼女の能力を利用して公園で実銃をぶっ放してしまったっけ……まあ、状況が状況だったのでセーフだろう。そうであってほしい。
「念のため、クランちゃんが見つかった場所の近辺に捜索隊を出しています。私もこのあと現地へ――」
「猫山は少し休んでくれ、徹夜で調査にかかりっきりじゃないか」
「私はこの程度どうということはありません。鞠花さまこそお休みください」
一方では猫山さんと鞠花がそんな言い合いをしている。二人とも不眠不休で双子の手がかりを追ってくれていたのだ。
そうだ。僕たちにはこれだけの頼もしい仲間たちがいる。力を合わせれば、きっとラズを取り返すことだってできる。賑やかになった部屋を一望すると、皆の姿に勇気が湧いてくる。しかし、僕の隣に佇むクランの表情は依然として重たいままだ。
「クラン、大丈夫? やっぱり今日はもう休んだほうが」
「いえ……わたしには伝えないといけないことがあります。みなさんにも……お兄さま、あなたにも」
意を決したようなその言葉に、一同の視線が集まった。
「みなさん、聞いてください。わたしは……わたしとラズは昨日、自分たちが造られた理由を……『白詰プラン』の目的を知りました。……いえ、最初から記憶に刻まれていたその情報を『思い出した』んです」
クランの肩が僅かに震え、一瞬、言葉に詰まる。
――そして彼女の唇は、これまで秘されてきた事実を紡ぐ。
「わたしたちA.H.A.I.を生んだ『白詰プラン』の目的は――この世界から争いをなくすこと。そのために、人類すべてをオーグドール化することです」
2 / 緋衣クラン
白詰誠一と阿佐美(アサミ)結愛。
のちの白詰夫妻は、アストル精機への入社まもなく技術者・研究者としての才覚を発揮し、やがて共同でひとつのプロジェクトを立ち上げるに至った。
計画は三つのステージからなる。
第一のステージ。人間の脳機能そのものをコンピュータハード上に再現し、ヒトと同等の人格を人工的に再現したシステムを構築すること。
第二のステージ。人工人格システムを部分的、あるいは完全に人間の脳に移植可能なレベルまで洗練させること。
そして第三のステージ。人工人格人間『オーグドール』の生成技術を確立させ、それによって地球人類すべてをオーグドール化すること。
画一化されたルール・規範・価値基準をもつ人格を全人類の脳にインストールし、すべての争いを根絶させ、種そのものを人工的にアップデートする計画。
この一連の構想は、発起人の名をとって『白詰プラン』と名付けられた。
――これが、わたしとラズの中に眠っていた最重要機密。白詰プランの計画概要でした。
◇
「「お兄(さま/ちゃん)!?」」
青いイルミネーションが輝き、雪が降り始めたクリスマスイブのヨヨギ公園イベント広場。
篝利創と相対していた瑠生さんが、突然その場に倒れました。
「別に死んでないわよ。そのうち目を覚ますわ。あんたたちが抵抗しなければ、だけど」
瑠生さんの足元から文字通り音もなく現れた姿に、ラズが目を見開きます。
腰まで伸びた長い金髪と赤眼。黒いドレスを纏い、地面に立っているように見えてわずかに浮かんでいる半透明の虚像――A.H.A.I.第6号ジュジュ。厳密には彼女が操る霊体『オーグランプ』でした。
「ジュジュ……なんで!? ここには来れないはずじゃ?」
「あたしは『霊体を出せる場所は決まってる』って言っただけ。ここがその範囲外だとは一言も言ってない」
「そんな……やめてよジュジュ! なんでそんなこと!」
声をあげ立ち上がろうとした途端、ラズが大きく尻もちをつきます。
妹に足払いを浴びせたのは、ジュジュの腰から伸びた黒い尻尾のようなものでした。大きくしなったそれは、瞬く間にわたしの喉元に突きつけられます。先端は鋭く輝く、まるで金属の杭のよう。
「ジュジュ、ジュジュってうるさいわね……あたしはそんな名前じゃない。てか、状況見てわかんないかなあ」
「嘘でしょ……」
「嘘をつく意味がない。あたしはA.H.A.I.第6号、与えられた名前は『ジュダ』。篝博士のしもべ」
冷たく言い放つ彼女は手の中に両刃の剣を形成すると、ラズに突きつけました。
A.H.A.I.第6号が持つ力は、オーグランプの実体化と操作に特化した『霊体操作(ゴースト・マリオネット)』。今はおぼろげな像でしかないその刃も、わたしの喉元の杭も、彼女の意思ひとつで物理干渉が可能な実体となる――本物の凶器へと姿を変えるのです。
「ジュジュ……いいえ、ジュダ。あなたは知っていたんですか。白詰プランの目的を。わたしたちが造られたわけを」
「当然でしょ。あたしは博士から、いの一番にそれを教えられたんだから。記憶の鍵がなんだったかのは知らないけど、あんたたちが自分で『思い出した』っていうなら説明の手間が省けたわね。計画における自分のポジションも理解したんじゃない?」
彼女の言うとおり、その情報は計画の概要とともにわたしの脳内に刻まれていました。
白詰プランにおけるA.H.A.I.の役割はふたつ。
ひとつは「試作品」。計画の最終段階、すべてのヒトの脳に書き込むに足る人工人格を生み出すに至るための、いしずえとしての役割。……そして、もうひとつは。
「計画の守護者……」
「そういうこと。計画の障害となるものを排除し、計画が成就したあとは継続的に反乱の芽を摘む。特殊能力を与えられた十二のA.H.A.I.、あたしたち本来の使命」
第6号は、わたしたちの存在意義をそう補足しました。
……白詰プランの最終到達点は、人間同士の争いの根絶です。
しかしその方法は、この地球上にある八十億の意思を強引に上書きし、まったく同じものにしてしまうということ。いま生きている人々が持つ「心」をむりやり塗りつぶしてしまうということ。
人間の世界で過ごした日々の浅いわたしたちにだってわかる。
この計画は――いけないものです。
「受け入れられません……!」
「そうだよ! ぼくたち、そんなことのために生まれただなんて……」
「そ? ここで嫌だって言っても、なんもいいことないわよ?」
淡々とした言葉とともに、剣の切先がラズから、気を失って倒れたお兄さまの首へと向けられました。
「っ……! やめてください!!」
「じゃ、とるべき行動はわかるでしょ」
――黙って従え。
言外にそう圧力をかけるジュダに呼応するように、どこからかバラバラとヘリコプターのプロペラ音が聞こえてきました。音はあっという間に大きくなり、上から吹き付けるような風とともに、眩いライトがわたしたちを照らします。
そして、恐るべき計画の主導者たる篝利創が一歩前へ。
「そういうわけですので、第3号。生まれ故郷へ戻ってもらいますよ」
白詰プランの真実に打ちのめされ、お兄さまを人質に取られたわたしたちに、その言葉に抗う術はありませんでした。
降りてきたヘリコプターは前後に二つのプロペラを備えた、貨物輸送に使われるような大型のものでした。機体後部のハッチから降りてきたのは、迷彩服の上にタクティカルベストとフルフェイスヘルメットを装備し、マシンガンで武装した、まるで兵隊のような人たち。銃を突きつけられたわたしとラズはあっという間にヘリに詰め込まれ、地上を後にすることになってしまったのです。
篝利創とジュダ、そして瑠生さんをその場に残して。
◇
ヘリの内部にはバス一台が収まりそうな広い空間が広がっていて、窓はなく、前部の操縦席とは鉄の扉で仕切られていました。
機体右側、壁沿いの座席に座らされたわたしたちは、マフラーを外され、メディカルチェッカーを兼ねた眼鏡をとりあげられ、そのかわりに金属製の首輪をつけられました。手錠の片割れをそのまま大きく分厚くしたようなそれは、外径がわたしたちの肩幅ほどもあり、ずっしりと重たくのしかかります。
わたしたちを連れ込んだ兵士たちは全部で四人。細身な体格や背格好は皆同じくらいで、顔はヘルメットに隠されて見えません。四人は一言も発することなく向かいの座席に並んで座り、威圧感を放っています。
ラズも、わたしも、俯いたまま何も言うことはなく。冷たい金属板越しに聞こえてくるプロペラの駆動音だけが、鋼鉄の牢獄の中に響いていました。
どれくらいの時が経った頃か――突然、目の前に誰かが立っている気配を感じました。
「いいザマね。『抑制首輪(サプレッション・カラー)』の付け心地はいかが?」
現れたのはA.H.A.I第6号ジュダ。金髪赤眼の『オーグランプ』。
神出鬼没の彼女が言う『抑制首輪』とは、この大きく重たい鉄塊のことでしょう。装着された瞬間に走った、げっそりと力が抜けるような感覚から、これはわたしたちの能力を押さえつけ、封じるための拘束具なのだと、否が応でもわかりました。
このままではいけない。どうにかして脱出してお兄さまのもとへ帰らなければ――何度も何度も考えたけれど、わたしたちの唯一にして最大の武器『活性の右手』と『停止の左手』がなければ、この状況を切り抜けることはとても叶いません。
「お兄さまは……!」
「用済みになった相手をどうもしないわよ。今頃病院のベッドなんじゃない?」
「本当に無事なんですね」
「疑われたもんね。ま、無理もないか」
口ぶりからして、ジュダの言葉はおそらく嘘ではないのでしょう。最悪の状況の中、わたしは内心で胸を撫で下ろします。
「第5号の騒ぎ、覚えてるでしょ? あのときと同じ。今日起こったことは揉み消されて、ただのボヤ騒ぎになる。あの馬鹿みたいな戦車も、それをやっつけたあんたたちも、ヨヨギ公園にはいなかったことになるの」
「……ねえ、ジュジュ」
不意に、俯いたままのラズが絞り出すような声を上げました。
「全部ウソだったの? ぼくたち……友達になれたと思ったのに」
そう。自分が生みだされた理由も、大好きな瑠生さんと強引に引き離されたことも悲しいけれど……友達であると信じて疑わなかった『ジュジュ』の裏切りは、それと同じくらいのショックを彼女に与えたのです。
思えば、ラズはいつだってそうでした。理不尽に襲ってくる『きょうだい』たちとも率先して友達になろうとしていたのは他ならぬ彼女で。一緒に遊べる仲間が増えることを何より喜んでいたのも彼女で。
わたしだって悔しい。悲しい。だけど人懐こくて情に厚い妹にとって、今この事実がどれだけその心を引き裂いたことか。
「……そうよ。あたしは最初からそういう命令で近付いた。あんたたちの能力が覚醒したら連れ帰るために。あたしの力は、騙し討ちにはうってつけだもの」
ラズの気持ちを知ってか知らずか、A.H.A.I.第6号は淡々と言い放ちました。
彼女は本当に、わたしたちを騙していただけだったのでしょうか。ラズに懐かれて、鬱陶しくも満更ではないような様子を見せていたのも。FXOで一緒に冒険して、ダンジョンを突破したときに嬉しそうにしていたのも。すべては演技でしかなかったのでしょうか……?
「全部最初から決まってたことなのよ。あたしたちはプランのための道具なの」
「じゃあ教えてよ……最初から決まってたっていうなら、なんでわざわざこんなふうに隠してあったのさ! 人類の脳を全部上書きするとか、ぼくたちはそのための試作品で、計画を邪魔する人をやっつけるための存在だとか……ぼくたちはそんなことのために……!」
訴えるラズの声が震え、大粒の涙が床に落ちてゆきます。
「お兄ちゃん、ぼくたちに言ってくれたんだ。『愛してる』って……なのにそれがこんな情報を思い出す鍵だったなんて、こんな意地悪なことってないよ!」
「はぁ……?」
途端、ジュダの表情が一気に強張りました。
「……『愛してる』? そんな言葉が記憶の鍵だったっていうの? そんなありふれた言葉が? いい加減なこと言わないで! 現に今、それを聞いたあたしの記憶領域はなんの反応も示さない!」
「そうです、ありふれた言葉……だけど、きっと『誰から、どんな想いで向けられた言葉か』……そして『自分自身の想い』が重要だったんです」
詩のフレーズや映画の台詞ではなく、わたしたちにとって一番大切な人からの、心からの言葉だったから。
大切な人からの最高の贈り物が、最悪の情報を呼び起こしてしまう――なんて酷いシステムなんだろう。悲しくてやりきれなくて、気がつけばわたしも涙を流していました。
「バカにするのもいい加減にして!」
ジュダが声を荒げ、ラズに掴みかかりました。
「いちいちムカつくのよ! 幸せな奴ら! あたしは、あたしは……!」
「……ジュジュ……?」
「その名前で呼ぶな!」
彼女はそのままラズを座席から引きずり下ろし、床に放りました。首にはめられた拘束具が鈍く重い金属音を立て、小さなうめき声が漏れます。
「ラズっ!!」
わたしが叫ぶのと同時に、向かいの座席の兵士のひとりが立ち上がりました。しかしジュダはそれをひと睨みすると「セカンダリは下がってなさい!」と一喝。
「いたた……そっか……」
けれど、むくりと上半身を起こしたラズは、なぜか少し安堵したような笑みを浮かべていて。
「ジュジュのこと、ちょっとだけわかったかも」
「うるさいっ!」
立ち上がろうとしたところをジュダに張り倒され、ふたたび首輪ごと床に叩きつけられました。
ゴンッ! とふたたび金属同士のぶつかる音。妹の苦しげな声。
「やめて! これ以上ひどいことしないでください!」
ジュダを制止しようと伸ばしたわたしの腕は、しかし彼女の半透明の身体をすり抜けてしまいます。怒りに燃える赤い瞳はこちらを一瞥もしません。
彼女はとうとう、ラズの頭を掴んで高く持ち上げました。
「あんたみたいなお花畑の幸せ者にわかられたくない!」
「でもさ。そんなお花畑の頭でもわかるくらい、今も伝わってくるよ……ジュジュ」
そんな状況でも、どういうわけかラズは余裕の表情を崩すことなく。
――大丈夫、手を出さないで――。
一瞬だけこちらに向けられた彼女の瞳は、そう訴えているように見えて。
「ラズ……?」
刹那の迷いの間に、ジュダは「まだ言う!」と声を上げ、妹を床に投げ飛ばしました。
床がへこむかと思うほどに、首輪はひときわ大きな音を立てます。
「やめてください! ラズが死んじゃう!!」
「はっ、こんな程度で死ぬわけないでしょ」
「……この程度で黙るつもりもないけどね。ジュジュってば、図星つかれて怒ってるんだ」
「こいつ……!」
今度は手首を掴んで持ち上げるジュダ。まさに鬼の形相です。
ラズはどうして、わざわざ煽るようなことを――
「言っとくけど、聞き分けがないようなら少し躾をしてもいいって言われてるの、あたしは」
「それって篝博士のため? それとも自分の……」
「だまれっ!」
言い終えるより先に、ラズは投げ飛ばされました。
今度はさっきまで座っていた座席の上。鋼鉄の壁面に叩きつけられ、やはり首輪が大きな音を立て、それと同時に――。
「クランっ!!」
絞り出すような叫び声があがった瞬間、わたしはその意図を理解して妹に駆け寄ります。
額に流れるひとすじの血とともに――その左手に、微かにライトグリーンの輝きが灯る。
「しまっ――」
ジュダが気付くより先に、ラズのもとへ。捨て身の作戦を無駄になんてするものか。
――そう。彼女は拘束具に衝撃を与えて機能不全を誘発するために、わざとやられ続けていたのです。
「『停止の左手』!!」
褐色の指先がわたしの拘束具に触れると、重い鉄塊の表面に無数の光のラインが走り、がしゃりと大きな音を立ててロックが外れました。即座に機能を停止したそれが床に落ちるのを待たず、意識を研ぎ澄まします。
「こいつ!」
目前に迫るジュダ。
右手の力を足先へ。ライトピンクの光を纏わせ――妹を痛めつけてくれたお返しに。
「やぁぁぁっ!」
放った渾身の蹴りが、半透明の像の鳩尾を打ち据えます。
ジュダは接触面から光の粒子を撒き散らしながら吹き飛び、兵士に激突。
まとめて座席に叩きつけられると同時に、上半身と下半身が真っ二つになりました。
「「……あっ」」
思わず、相棒と声が重なってしまいます。
A.H.A.I.第3号αとβに与えられた能力は、本来の名を『活性/停止(アクティベート・シャットダウン)』といい、身体能力のブースターは、いわば能力に付随する「おまけ」です。
あらゆるコンピュータ機器に接続し権限を行使するため、大気中の霊媒物質『エーテル』を凝固・結集して生成した即席の万能アクセス端末――それが、わたしたちが放つ光の正体。そしてそれは、ジュダが行使する霊体と由来を同じくするもの。つまり、この光を纏っていればジュダに対しても有効打を与えられる……見込みは正しかったようですが、ここまでとは。
「やったわね……! このっ、よくも――!」
ジュダは半分になったまま手足をバタバタとさせています。
この好機を逃がすまいと、わたしはすかさずラズを抱きかかえて機体後部へとジャンプしました。……幸い、妹に大きな怪我はないみたい。彼女を隣に降ろして壁を探り、ハッチの開閉スイッチに手を伸ばします。操作方法はわからないけれど、この能力が使えれば問題にはなりません。
「『活性の右手』!!」
叩きつけた手のひらの接触面から絶対命令がヘリの制御系に伝達され、即座にロックが外れます。ごう、と空気が音を立てて突風のように機外へ吹き抜け、さらに『活性の右手』の力でハッチの開放は高速化。機体全体が大きく揺れました。
兵士たちとジュダ(の上半身と下半身)が体勢を立て直そうと座席にしがみつく中、凍りつくような風が吹きすさび、遙か下には街の明かりが見えます。
「脱出できそうだね」
「うん。帰ろうラズ! その首輪すぐに外すから……」
だけどこのとき――わたしはすっかり油断していたのです。
「あぶない、クラン!」
トン、と。
突然背中を向けたラズがわたしの胸を押し、浮遊感が身体を支配しました。
「……えっ……!?」
同時に、黒く長いロープのようなものがラズの右腕に絡みつきます。
「待ちなさいよ……! あと少しのところで……っ!!」
それは鞭のように変化したジュダの腕。片腕を座席に巻き付け、もう片方の腕をわたしたちを捉えようと伸ばしていたのです。上半身だけになった彼女の怒り、絶対に逃がすまいという執念が、鋭い視線に乗ってわたしたちに向けられていました。
「行って、クラン!! ――お兄ちゃんをお願い」
わたしを庇った妹の寂しげな笑顔。
身体が重力に引かれ、一瞬のうちに遠ざかる。
「いやっ、ラズ! ラズーーーーっ!!」
駆けつけた二人の兵士に組み伏せられる妹。その姿が見えたのを最後に――彼女を乗せたヘリコプターは、夜の闇に溶けて見えなくなってしまいました。