1 / 緋衣瑠生
――その人形たちを壊しに来た。
草凪一佳は、そう言い放った。
「まさか、この子たちのことを言ってるわけ?」
「他にいないでしょ。オマエの大事なお人形さんだよ」
今のクランとラズに一番聞かせたくない呼び方だ。強い嫌悪と怒りが胸に渦巻いてゆく。
理由はわからないが、彼女が僕から二人を奪おうとしていることだけは理解できた。
「わたしたちを、殺すということですか」
草凪の異様さに気圧されながらも、クランが問う。
「そ。けど、場合によっては見逃してもいい。例えば」
「自分に勝つことができたら」
手にしたスマホをぷらぷらと遊ばせる草凪にそう続いたのはアルルカンだ。
「勝つって、何……?」
「言葉どおり、戦って勝つということです。これまで遭遇してきた相手を撃退したように、その力を見せてください」
「意味わかんないよ! ぼくたち、戦うなんて……」
「味方につけた他の『きょうだい』の助けを借りても構いません。自身に戦う力がないというのなら、それもドミネイターたる貴女がたの力と見なしましょう。……第3号になんの能力もないという話、自分はまだ疑っているのですがね」
「それが<ゲイザー>のしたいこと? 草凪さんに手を貸す理由なの?」
「そのとおり。この第4号こそが優れたドミネイターであることの証明を。そして今の自分は研究室の補助AI<ゲイザー>ではなく、戦うもの――『アルルカン』です」
困惑するラズに、A.H.A.I.第4号は淡々と答える。
「ま、そういうことで。こいつの言うとおり仲間は呼んでもいいけど、逃げるとか通報するとかしたらどうなるかわかんないからね」
草凪の言葉はともかく、いずれにせよ救援を呼ぶべき状況であることは確かだ。クランに目配せすると、彼女は頷き、スマホを取り出した。とはいえ他のA.H.A.I.たちにせよラボの人間にせよ、こんなところへすぐに助けが来てくれるとは思えない。
「それで、はいそうですかってこの子たちを差し出すわけないだろ。草凪……きみの恨みを買うような覚えはないけど、僕に文句があるなら僕に言いなよ」
「恨みなんてあるもんか。オレはオマエのことを同類だと思ってるんだから」
「そんないわれもないけど、だったらどうして」
「そういう顔をしてて欲しいからだよ」
草凪が何を言っているのか、やはり僕にはよく理解できない。しかし彼女が本気であることは、視線に宿る仄暗い光が雄弁に物語っている。
「……この人ヘンだ。お兄ちゃん、やっぱり通報しよう」
僕がラズの言葉に頷いてスマホに手を伸ばした途端、草凪が首を振る。
「あぁ違う違う。ダメって言ったじゃん」
すると電話を起動したはずの画面は真っ暗になり、操作を受け付けなくなってしまった。
「ウソ、充電はちゃんと残って……」
「その電力はたった今自分がいただきました。……先日お伝えしましたよ。『電力吸収(エレクトリック・アブソープション)』。この力の前では、すべての電子機器は無力です」
不敵に言うのは<ゲイザー>……いや、アルルカンだ。
やられた。ラズともども唇を噛む。相手の持つ能力はわかっていたはずなのに。
「ダメです。ジュジュから応答があったのですが……『そこには行けない』と」
「どういうこと? あの幽霊みたいなのは?」
「ジュジュの能力で霊体を出せる場所は決まっているそうで……代わりに、マスターの穂村さんがこちらに向かってくれるそうですが」
クランが苦い顔をする。早速、有力な助けのアテがひとつ遠のいてしまった。
僕たちのひりついた様子に、だんだんと周囲の注目も集まってきた。こんな人目につく状態で何か仕掛けてくるとは思いたくないが、白昼堂々、翠に襲いかかった相手だ。なんとか隙を見て逃げないと。
「周りが鬱陶しいな。アルルカン」
「了解しました」
指示と応答だけの短いやりとり。
次の瞬間、ドン、ドン、ドン――立て続けに三つ、耳をつんざく轟音が鳴り響いた。
この広場を取り囲むように三方から、昼間と見紛うほどのまばゆい光と熱が辺りを包んだかと思うと、それぞれの方角に真っ赤な炎があがった。
僕たちから見て正面と後方、広場の東西に位置する球技場。そして左手、北側の陸橋を挟んで向かい、バラ園のあたりだ。
「なに、これは……まさか爆弾……!?」
ドン、ドン、ドン! さらにそれぞれの爆炎の側から絶え間なく第二第三の爆発音が続き、火柱を形作ってゆく。
一瞬の硬直ののち、辺りはすぐにパニックに陥った。悲鳴が上がり、その場にいた人々は一斉に広場南の欅並木から、公園出入口に向けて走り始める。
僕は反射的にクランとラズを胸にかばい、身を低くした。
「わーお。思ったより派手にいったな。ま、人払いはこれで済むでしょ」
「人払い……これが? 草凪、きみはそんなことのために!」
めちゃくちゃだ。どうかしている。ただ僕たちを孤立させるためだけに、爆発物を仕掛けたとでもいうのか。
炎と立ちのぼる黒煙にスマホを向けている人間もちらほらいたが、断続的に続き、迫ってくる爆発に恐れをなし、あるいは急ぎ走る人に突き飛ばされ、皆すぐに避難していった。
悲鳴と怒号がヨヨギ公園に渦巻く。そんな混乱のさなか、逃げ去っていく人々の流れに逆らい、渋矢方面から一陣の風が駆け抜けてきた。
「瑠生さま――!」
ヒュンッ、と空気を裂く音とともに、草凪に向かって何か小さなものが飛んでくるのがかろうじて見えた。太ももあたりにぶつかるかと思われたそれは、しかし彼女の周囲に突如発生した白い閃光によって弾かれる。
近くの地面に刺さったのは、薄い杭のような真っ直ぐな投げナイフだった。
この武器には見覚えがある――そう思ったのも束の間、両腕に抱いた双子ごと、身体が引っ張り上げられて宙に浮く。
僕たちを抱えて大きく後ろへ飛び退ったのち、ナイフの使い手は草凪に立ちはだかるように前へ出た。その姿は角刈りにサングラス、スーツ姿の大男。心都大学情報科学研究所の警備スタッフにして現代の忍者(だと、僕は思っている)。
「「熊谷さん!?」」
クランとラズが驚きの声を上げた。
「わたし、まだ呼んでないのに……」
「申し訳ありません。先日の神川の件もありましたので、念のため潜伏して御三方の様子を伺っておりました。私の独断です」
「えっ? じゃあ、今日ずっとぼくたちの近くにいたの?」
「いえ。少し離れた、主に高層ビルの上などから。折角のクリスマスに水を差してはいけないと思ったのですが……その不届者が近くに現れましたので」
ばつが悪そうに言う熊谷さんだったが、その存在はこの上なくありがたかった。……というか、高層ビルの上からこの短時間で駆けつけたのか、この人?
「奴に近づかれませぬよう。あの電撃、A.H.A.I.第4号の力を利用したものかと。神川の残党たちを無力化せしめたのも、おそらく」
「ちっ。急に出てきてよく喋る」
乱入者の登場に驚く様子もなく、草凪はけだるげに肩をすくめる。
「ま、そのおっさんの言う通り。コイツは近場の好きなとっから電気を吸える。てことはその逆、放電もできるってワケ。ちょうど今みたいな不意討ちから身を守ってくれたりもして」
そして熊谷さんの刺すような眼光をものともせず、口の端を裂いたように歪め、不気味な笑みを浮かべた。
「じゃあそろそろいこうかアルルカン。喜べよ、本番だぜ」
「了解しました」
――何か仕掛けてくる。
熊谷さんが身構え、僕も草凪の動きを見逃さないよう神経を尖らせた。
「伏せてください!」
いち早く何かを察知した熊谷さんに促され、さらに低く身を屈めた瞬間。草凪の背後で立ちのぼる炎の中から、何かが高く飛び上がった。
それは間も無く地響きと砂煙をあげ、僕たちの目の前に着地した。
「……なに、これ」
炎に照らされたシルエットは、巨大な甲殻類のようだと思った。
地面を踏みしめる柱のような三対の脚は、見上げると膝のような節があって、丸みを帯びた本体の両側に接続されているのがわかる。胴体部分の大きさはマイクロバスくらいだろうか。前面には四本爪を備えた腕が二本備わっていて……翠はこういうのを、マニピュレータと呼んでいたっけ。もちろん、魂宮大の研究室にあったものとは比べものにならないほど巨大なものだ。
物言わぬはずの機械に睨まれているように感じたのは、両腕の上についた一つ目のようなライトがこちらを照らしていたからだろう。
――鋼鉄の怪物。そう形容するのが相応しいカーキ色の鉄塊が、突然降ってきた。
「アレキサンダー六脚機動戦車!? なぜこんなものがここに……」
驚きに目を見開く熊谷さんが言うには、このでかいロボットのようなものは戦車の一種らしい。
「イイだろ、緋衣? クリスマスにピッタリのイカしたオモチャだと思わない?」
草凪はいつの間に登ったのか、六脚の怪物の上からこちらを見下ろしていた。
「そして、ドミネイター・ユニットである自分の手足となるもの。単騎にて最強であることが、すべてのA.H.A.I.を上回る最も優れたものの器として相応しい」
続くアルルカンの声は、アレキサンダーなる戦車本体から聞こえてきた。おそらく第5号がドローンを操っていたのと同じように、この機械の蟹は第4号の支配下にあるのだ。
爆弾の次はロボット戦車なんて、悪い冗談が過ぎる。こんな兵器群を彼女らはいったいどこで手に入れたのだろう。
「こんなのと戦えっていうの……?」
「そうです。自分は貴女達を倒し、ゆくゆくはすべてのドミネイターを倒し、A.H.A.I.を統べる力あるものとしての証を立てる」
「無理です、わたしたちには戦う力も、武器だってない……第4号、あなたはどうしてそんなものを欲しがるんですか?」
「自分がドミネイターだからです」
後ずさりながら、震えるクランとラズをふたたび後ろにかばう。
……こんなものを使って自分より弱いものを蹂躙するのが、優れたドミネイターだとでも言うのだろうか。先日の対話でのおとなしい様子が嘘のように好戦的で、草凪同様に話が通じない。あるいはこの『アルルカン』としての言葉こそが、A.H.A.I.第4号の本性なのかもしれない。
「聞こえるか、緋衣クラン。緋衣ラズ」
「「レオ!!」」
割って入るように、クランのスマホから馴染み深い合成音声が聞こえてくる。
次の瞬間、近くのコンサートホール上空から立て続けに飛来するものがあった。一つ、二つ――全部で八機。それは三角形の黒いボディに三つのプロペラを備え、本体下部にアサルトライフルを装着したドローンだった。
「援護する。おまえたちは自分の身を守ることに専念しろ」
僕たちの頭上に旋回し、三角形の編隊を組んだドローンのうち一機がそう告げる。間違いない、これを操っているのはA.H.A.I.第5号レオだ。
「こんなもの、どこから……?」
「私の車に用意していたものを彼に預けました。第5号の一件から、念のために積んでおいたのですが……まさかその第5号に使わせることになるとは」
「感謝する、熊谷和久。ここはおれが預かる」
A.H.A.I.第5号レオの持つ力は『並行操作(マルチプル・オペレーション)』という。彼はヒトの心の再現を主眼に置いて造られたA.H.A.I.でありながら、多数の電子機器に同時並行でアクセスし、各個自在に操る能力を有する。ドローン部隊のリアルタイム制御は、彼の最も得意とするところだ。
以前レオが操っていたものは一メートル四方もあるような大型の輸送用ドローンであったが、それに比べると熊谷さんが用意したという今回のものは随分小ぶりだ。しかしそのぶん動きは機敏で、おそらく最初から戦闘を想定したドローンなのだろう。
最悪の危機の中、わずかな光明が見えた。
「A.H.A.I.第5号……レオと言いましたか。お初にお目にかかります。自分はA.H.A.I.第4号、アルルカン」
「第4号アルルカン。この行動の理由を問う。これは明確な破壊行為だ」
「何を言いだすかと思えば。貴方も同じようなことをしていたではありませんか」
「そうだ。だからおまえの行動は止める必要がある」
「ふむ、まずは貴方が相手ということですね。ですがその前に」
アルルカンの言葉とともに、アレキサンダーの四本爪のあたりがカメラのフラッシュのごとく白く光る。
途端、僕たちに背を向けて戦車と対峙していた熊谷さんがよろけた。
「御膳建てありがとさん。けどさ」
「『きょうだい』の助けを借りても構わないとは言いましたが、部外者の乱入は別です」
「グゥッ……!」
爆発の炎とは違う、焦げたようなにおいが鼻を突く。――アルルカンの電撃だ。無敵の超人かに思われたガードマンが、いともたやすくその場に膝を折った。
「熊谷さん!?」
「……私のことは構わず。みなさま、なんとかこの場を離脱してください」
「だけど、熊谷さんを置いていくわけには」
「それは奴の思うツボです……じき猫山や他のスタッフも到着します。どうか離脱を」
「「熊谷さん!!」」
息も絶え絶えに言い残して前のめりに倒れた熊谷さんに、クランとラズが駆け寄ってその身体を揺する。
「死んではいませんよ。しかし、今のを食らって数秒とはいえ意識を保っているとは」
「そのおっさんは邪魔だから適当に退けといてくれる? ……安心しなよ、緋衣。他のやつはともかく、オマエを傷つけるつもりはないからさ」
六脚戦車の胴体上部ハッチが開き、草凪が中へと身を滑り込ませる。
「じゃ、始めようか。オレは特等席で見させてもらうぜ」
ハッチが閉じると、一つ目のような戦車の前面ライトが妖しく光る。
レオのドローンはそれに呼応するように散開し、高空から円を描いて「敵」を取り囲んだ。
――クリスマス、日没間近の渋矢でAI同士の小さな戦争が始まる。
動き出すアレキサンダーが一際大きく響かせたモーターの駆動音は、まるで怪物の咆吼のようだった。