1 / 緋衣瑠生
そして世間は十二月二十四日を迎えた。
いろいろありはしたものの、直近かつ特大の心配事がなくなったことは事実で、そうであるなら僕の、そしてクランとラズのこの日の予定はもちろん決まっている。
時刻は正午過ぎ。街灯には赤や緑のフラッグがなびき、ビルに掲げられた大型ビジョンにもロマンティックなイメージ映像が流れている。そこかしこから流れる季節のヒットソングに、道行く人々の口ずさむ声や「これ知ってる」「懐かしいね」なんて談笑も聞こえる。
僕たち三人は去年の無念を晴らすべく、クリスマスの色に染まった渋矢の街へと降り立った。
「ハチ公がサンタ帽被ってます!」
「ほんとだ。かわいい!」
はしゃぐ双子の姿をスマホのカメラに捉え、僕はシャッターを切った。待ち合わせ場所としておなじみの秋田犬の像も、今日はどことなくごきげんに見える。雑踏行き交う駅前スクランブル交差点周辺は相変わらず多くの人でごった返していて、今日のような日はさらなるおしくら状態だ。
混雑を避けるべく、昼食は地元で早めに済ませている。午前中に体力を温存したぶん午後はめいっぱい遊び、夕方から夜にかけてイルミネーションを見て帰るというプランである。あいにく空模様は快晴ではないが、そのかわり雪予報が出ているので、運が良ければ電飾の輝きとあわせて幻想的な風景を見られるかもしれない。
そして最後は自宅で猫山さんが用意してくれるごちそうを囲み、互いのプレゼントを交換して締める。――なお、それとは別に急遽追加で用意したクリスマスカードもあって、こちらは折を見て渡せるよう懐に忍ばせてある。
「瑠生さん、そんなとこから撮ってないでさ」
「三人で写りましょう」
「おっとと。……そうだね、せっかくだもんね」
画面越しに笑っていた二人に手を引かれてハチ公の前に並ぶと、クランもラズもてきぱきとインカメラを起動し、各々のスマホに記念写真を収めてゆく。
もはや二人は手際もポーズも慣れたものだが、全員で自撮りをしようとするとやっぱりぎゅうぎゅう詰めになってしまう。年末の冷たい空気の中、その暖かさが心地よい。
双子の楽しげな笑みに、僕は内心で胸を撫で下ろした。
A.H.A.I.第4号にまつわる事件そのものは大きな危険もなく終わったが、彼女たちにはつらい思いもさせてしまった。今日はそのぶんまでめいっぱい楽しく過ごして欲しい。
そのためにやることはひとつ。この三人で、クリスマスの休日を存分に満喫するだけだ。
◇
まずは駅から東口方面へ進んで渋矢ヒカリエへ。
街の象徴のひとつでもあるこの大型商業施設では、シーズンに合わせてショップエリア内の各所に吹奏楽隊や弦楽器隊が登場し、訪れた人々を楽しませていた。
広場には目玉である巨大なクリスマスツリーが立ち、色とりどりのオーナメントに加えて立体映像を組み合わせた演出が施されている。小さなサンタクロースがトナカイの引くソリに乗り、雪の結晶を振りまきながらツリーの周りを飛ぶ。そんな華やかな光の中、僕たちは聖歌隊の歌声とハンドベルの美しい音色にしばし耳を傾け、さっそくクリスマス気分を味わった。
次いで訪れたミヤシタパークは、イルミネーションスポットのひとつだ。まだ明るい今のうちは点灯していないが、公園エリアにかかるアーチに施された電飾は、日が落ちれば眩しいきらめきで芝生を彩ることだろう。
ここではゆるキャラたちに加えてサンタやトナカイ、さらにはクリスマスツリーの着ぐるみが練り歩いており、道行く人々や寄ってくる子供たちと戯れている。ラズはその姿を認めるやいなや突っ込んでいき、おっかなびっくり気味のクランが後に続いた。
着ぐるみたちとの記念写真を撮った僕たちは、消防署前のファイヤー通りに沿ってさらに北上。道なりに祓宿(ハラジュク)方面へ進み続けると、辿り着くのは日本有数の大神社・明治神宮である。祓宿駅からほど近い、もっともメジャーな参拝ルートであろう南参道の出入口は、多くの人々で賑わっている。
「……すっごい。おっきい神社だね……」
高さ十メートルを超える巨大な鳥居を見上げ、感嘆の声を漏らすのはラズだ。
「まだ入口だけどね。本殿まではここから結構歩くよ」
今日一番の目的地は、神宮と隣接するヨヨギ公園である。イベント広場でクリスマスマーケットを楽しんだ後、夕方からは欅並木に灯るイルミネーションを一番に見て、渋矢駅方面へと引き返しつつライトアップされたスポットを回る計画だ。
神社といえばクリスマスとは縁遠そうな場所ではあるが、せっかくの近隣名所なので今日のおでかけコースに組み込んだ次第である。
「なんだか……スケールに圧倒されてしまいます。繁華街のすぐ近くにこんな場所があるなんて、不思議」
大鳥居をくぐり、参道へと踏み出しながらクランが言う。
鎮守の森の奥へと伸びる道幅は十五メートル近くあり、鳥居よりさらに高い緑樹の枝々が、アーケードの屋根のように空を覆っている。都会の真ん中から急に異世界に入り込んだような感覚さえ感じさせる風景が、ここには広がっていた。
「森の匂いって、こんな感じなんですね」
「なんか空気も違う気がする。こういうのが『澄んでる』ってことなのかな」
「あー、そうだね。街暮らしだとこんなふうに木が多い場所ってないし……」
考えてみれば、彼女たちが大きな森林に触れるのは初めてのことだ。
「なにげに僕も実際に来るのは初めてなんだよね、ここ」
「えっへへ。そうなんだ」
「ラズ、嬉しそうだね」
「だって瑠生さんもはじめてなんでしょ?」
「そういう場所に一緒に来られるの、わたしも嬉しいです」
これまでの外出先は近場の、僕も過去に訪れたスポットであることが多かった。特に去年のうちはいろいろなことに不慣れな彼女らを連れ歩くにあたり、ある程度自分が見知った場所を中心に選んでいたからだ。
「ところで、この森は最初からあったのではなく、百年以上前に人の手でつくられたそうですよ」
「えっ、これを? こんなに広いのを?」
「昔は荒れ地で、神宮を囲むためにたくさん木を植えたって話だよね。クラン、よく知ってるね」
「はい。今日ここに来ることになってたので、ちょっとだけ調べてきました」
双子の姉はふふん、と少し得意げな笑みを浮かべる。いつも控えめな彼女だが、褒めるとしっかりこういう顔をしてくれるので頬が緩む。
一方、普段テンション高めの双子の妹は、左右に広がる深緑を不思議そうに眺めていた。
「人工の森かぁ。……なんか、ちょっと親近感湧くかも」
「……うん。自然物のように見えて、人の手でつくられたもの……少し、わたしたちと似てるね」
二人が少し寂しそうな顔を見せているのは、先日の一件によるところだろう。
「人工の森とはいっても、当時からこういう風景だったわけじゃないよ。将来豊かな森になるように、百年二百年の未来を見据えて考えられてた……だったよね? クラン」
「はい。天然の森と同じように循環、存続するようなものを目指して設計されていて、人の手でメンテナンスはしていないそうです」
「じゃあ、植えるだけ植えて、あとは放ったらかしだったの?」
ラズが首を傾げる。まあ、言ってしまえばそのとおりなのだけど。
「ただ放置してたわけじゃなくて、たくさんの人たちが見守っていたはずだよ」
「ちゃんと設計どおりに成長してるかってこと?」
「計画した人たちにはそういう視点もあったかもしれないけど……きっと近くに住んでた人とか、参拝に来た人とかは、みんな純粋に森の成長を楽しみにしてたんじゃないかな」
「……そっか」
彼女は腑に落ちたような笑みを浮かべ、僕の右手を掴んでもたれかかるようにくっついてきた。
「ねえ……瑠生さんも、ぼくたちのこと見ててね」
「大丈夫。ちゃんと見てるよ」
その手を握り返すと、ラズは白い歯を見せて、ご機嫌な様子でぴょんぴょんと跳ねた。全身で喜びを返してくれる姿に、思わず目を細めてしまう。
ふと左手側を見ると、もうひとりの同居人がわざとらしくあさっての方向に目を逸らしていた。少し不満げなその顔には「最初にこの話をしたのは自分なのに」と書いてある。
「クラン」
「……むう」
差し出した僕の手を、クランは口を尖らせながらもおずおずと握った。
「べ、べつに機嫌をそこねているわけじゃありません。わたしはお姉さんなので」
「うん。しっかり者の頼れるお姉ちゃんだ」
ぐっと握り返して引き寄せると、すぐにいつもの笑顔が戻ってくる。
「もう。本当にそう思ってるんですか?」
「クランに嘘なんかつかないよ」
「怒らせると怖いもんね」
「あっ! ラズ、そういうこと言う!」
「やば。瑠生さんかくまって!」
「ああちょっと。二人とも、こんなとこで騒がないでよ?」
向き合った双子が僕を挟んで、前へ後ろへ顔を出す。
足下に敷き詰められた玉砂利が一歩ごとに小気味よい音を立て、冷たく透き通った森の空気に無邪気な笑い声が響いてゆく。
なにげない日常の幸せを噛み締めながら、二人を連れて神宮の本殿へと歩き続ける。
……三人一緒のこんな日々が、ずっとずっと続いていけばいい。
◇
僕はそんな祈りを込めて賽銭箱へ百円玉を投げ入れ、手を合わせたのだけど、クランとラズが何を願ったのかは内緒だという。彼女たちにも秘密の願望、もしくは目標なんかがあるのかもしれない。
参拝を終えてヨヨギ公園へとやってくる頃には一六時近く、日は傾きつつあった。
この公園のイベント広場はイルミネーションの会場である欅並木のすぐ近くにあり、休日は常になんらかの催し物で賑わっているらしい。もちろん、今の時期に展開されているのはクリスマスマーケットだ。雑貨やクリスマスオーナメント、おみやげ用のお菓子といった華やかな品々が露店に並んでいる。
マーケットをひととおり回って楽しんだ僕たちは、軽食の屋台で調達してきたホットココアを片手に広場の真ん中、時計台付近に設置されたベンチに三人並んで腰掛けていた。
「そろそろ日没ですね」
「並木のイルミネーションって何時からだっけ?」
「一七時からだね。このあたりで待ってれば、点灯の瞬間に遅れる心配はないと思うよ」
気温は下がってきたが、手の中の紙コップで湯気をたてるココアが温かい。優しい甘さが口の中から喉を通り、体中に染み渡っていくようだ。
「今日はいろんなとこ歩いたけど、楽しかったなあ」
「もう、ラズ。この後が今日のメインなんだからね」
「暗くなってたきたからつい。でも、クランも楽しかったでしょ?」
「うん。写真もいっぱい撮っちゃった」
濃厚なミルクの風味を味わっていると、両隣からおまえはどうだと言わんばかりのキラキラの眼差しが見上げてくるが、そんなことは言うまでもなく決まっている。
「そうだね。僕も、こんなに楽しいクリスマスは初めてだよ」
「ホントに!? 今までで一番ってこと?」
「うん」
「これまでのどんなクリスマスより、ですか?」
「もちろん。クランとラズが一緒だからね」
それは嘘偽りのない、今の僕の本心だ。
自分の気持ちを信じきれず、モヤモヤと悩んだこともあったけど――羽鳥先輩が言っていたように、結局のところこの気持ちが答えなのだろう。
「……瑠生さん。わたしたち、あなたの側にいてもいいですか?」
「どうしたのクラン。当たり前じゃない」
「ぼくたち、ちゃんと家族だよね? ……人形じゃないよね?」
「ラズ……」
明るく振る舞っていても、傷がすぐに癒えるわけではない。
自分たちは人間と違う存在である。ヒトであってヒトでない。……二人が抱えた寂しさと不安は簡単になくせるものではなくて、あるいは生きている限り、ずっとついて回るものかもしれなくて。
「もちろん、きみたちは緋衣クランと緋衣ラズ。僕の大事な家族に決まってるでしょ。僕は今が一番幸せなんだよ、本当に」
それに対して何もできない自分が歯がゆい。だけどせめて、彼女たちが望む限り、僕は一番近くで寄り添ってあげたいと思う。
懐に仕舞っておいたクリスマスカードに手を伸ばす。
「あのさ。二人に――」
拙いながらも想いを込めたメッセージを、いま二人にに贈りたい。
そう思った、まさにそのときだった。
「いやいや待て待て。そりゃあ嘘ってもんでしょ」
不意に真後ろから、そんな声が聞こえてきた。
決して大声ではなかったが、呆れるような、まるで勿体ぶった期待外れのショーでも見せられたみたいな、大げさに嘆く声色。
それはあまりに突然で、脈絡がなく。だけど、間違いなく僕に向けられたものだとわかった。わかってしまった。
――この声の主を、僕は知っている。
「「……瑠生さん?」」
怖気立つ僕の様子を感じ取ったのだろう、クランとラズが肩から離れ、首を傾げる。
恐る恐る席を立ち、振り返ると――僕たちが腰掛けていたのと背中合わせに配置されたベンチに、そいつは座っていた。
「よっ、緋衣。久しぶり」
ゆらりと立ち上がり、振り返る。そこにいてはならないはずの、そいつは――。
「草凪、一佳……!」
かつてのクラスメイトであり、犬束翠を殴ってノートパソコンを強奪し、その後自ら警察に出頭したはずの人間が、ここにいる。肩まで長く伸びた長い髪に顔の半分が隠れ、高校時代よりいくらかやつれているように見えるが、目の前にいるのは間違いなく彼女だった。
「草凪一佳、さん……? この人が?」
「えっ、でも……なんでこんなところに」
そうだ。この女は今ごろ留置場にでも拘束されているはずなのだ。
草凪は戸惑う様子を見せるクランとラズにちらりと目をやると、「ふうん」と声を漏らした。
「こう近くで見ても、やっぱ見た感じはマジで人間と変わんないな」
虚ろな視線に、双子は一気に警戒を強めて身構える。
それは二人の事情を知っていなければ出てこない言葉で――彼女たちを人として見ていない言いように苛立ちを覚えながら、クランとラズを後ろにかばい後ずさる。
「きみは逮捕されたものだと思ってたけど」
「されたよ? オマエに用があるんで抜け出してきたけど。コイツに手伝ってもらってさ」
草凪はひょいとベンチを飛び越えると、懐からスマホを取り出した。
こちらに向けられた黒い画面の中心に映っていたのは、『Arlequin』という白い文字だった。
「御三方とも、先日はどうも。良いクリスマスをお過ごしのようですね」
「「<ゲイザー>!?」」
クランとラズが驚きの声を上げた。
画面の明滅とともに聞こえる合成音声は、つい一昨日に魂宮大学の研究室で聞いたのと同じものに相違ない。
「どういうこと? やることが済んだから、翠さんの研究室に戻ったんじゃないの?」
「一時的に戻っただけですよ、ラズさん。言ったでしょう、一佳には目的があって、自分はそれに協力することを選んだと」
「それは……神川機関の残党を倒すことが目的ではなかった、ということですか?」
「さすがクランさんは理解が早い。そのとおりです」
A.H.A.I.第4号<ゲイザー>――アルルカンは感心したように言う。
「どうして? 神川は、草凪さんにとって家族の仇じゃなかったの?」
「それはそう。けど、そんなことはどーでもよくって」
「どうでもいい……? 家族なのに……?」
「家族だろうがしょうもないやつってのはいるのよ。人間にはね」
ラズの疑問に、草凪は大げさに首を振った。
肉親を奪った相手を壊滅させながらどうでもいいと吐き捨て、自ら出頭しておきながら脱獄して、何を果たそうというのか。なぜ第4号は彼女に味方し、なぜ今こちらに接触を図ってきたのか。
――わからないが、こいつは危険だ。
「そうそう。オマエ、やっぱそういう顔がイイよ」
「言ってることがよくわからないんだけど」
「ああ、要件の話ね。まあ端的に言うと……オレは、その人形たちを壊しに来た」