13_Arlequin Ⅲ

1 / 湊区内 雑居ビル

 草凪一佳の父母は、もともと神川機関のシンパであったという。
 熱心な支持者であり、資金源でもあった彼らをなぜ「処理」しなければならなかったのか。当時末端の一人に過ぎなかった男は、その事情の正確なところまで把握していたわけではない。
 ただ、何か組織にとって重要な情報を売ったのだと。自宅から拉致した夫妻を連れて行く車内で、それだけを聞かされた。

 クローゼットの中、扉の隙間から見つめる視線に気付かなかったわけではない。
 子供の存在は当然知っていた。自分たちの突然の訪問に、両親が必死の思いで我が子を隠したのであろうことも察せられた。
 ――だが、彼女がそこ出てきてしまったら、見なかったことにはできない。
 ――どうかおとなしくしていてくれ。
 偽善に満ちた祈りは通じ、男は子供の命を奪う罪から逃げおおせた。
 十五年前のことである。

「……草凪一佳。やはりとは思っていたが、あのときの子供……そうか。両親の復讐か」

 間違いない。自分を見下ろしているのは、クローゼットの中のあの目だ。怨恨の炎に身をやつし、仇敵を滅ぼしにやってきたに違いない。
 かつて見逃した子供によって、これまで尽くしてきた組織が、そして自分自身も人知れず、今度こそ終わりを迎えようとしている。
 因果なものだ。突きつけられた銃の向こうの女の姿を見て、男は思った。

「撃てばいい。おまえにはその権利があるだろう」

 彼女から親を奪った罪も、それ以外に重ねてきた多くの業も消えはしない。
 復讐の裁き。自分の最期として、なんと相応しい――

「ん? なーんか勘違いしてるみたいだけど、それは別にどうでもいいの」
「……は?」
「父さんと母さんのこと、オマエらだってのは知ってる。けどそれは別にどうでもいい。特に関係ない」
「親の仇を前にして……どうでもいい……?」
「親の仇って、それ自分で言う?」

 男の思い違いが可笑しいのか、草凪一佳はあっけらかんと笑う。

「草凪夫妻を攫って殺したのは俺だぞ」
「知ってる。顔見たらすぐピンと来たもん。……なんだろ、むしろ撃たれたい感じなの? まあそれを叶えるのもやぶさかじゃないけど」

 そう言いながらも彼女は、引鉄にかけた指を伸ばし、また引鉄にかけては伸ばす。

「けどなー、うーん……ここまで不殺で来ちゃったしなー。そうなってくると最初に殺すのがこの爺さんってのはだいぶ微妙い。せっかくだから初めては大事にとっときたいよね」
「そうですね。自分もオススメしません。無闇に殺してしまうと後が面倒ですよ」
「だよね。さっすが、ここまで全員半殺しに留めてくれて、あざます!」

 A.H.A.I.第4号アルルカンの合成音声と軽口を叩き合う草凪の表情は、つい先刻まで見せていた冷徹なものではなく、友人とじゃれ合う普通の若者のようだった。
 しかし、男と合わせた視線を外すことはない。眉間に強く押し付けた銃をずらすことも。
 ……虚ろな瞳の奥に、良心の呵責などない。食後の飲みものをコーヒーにするか紅茶にするか、草凪にとって発砲の可否はそれくらいの違いでしかないのだと、彼は悟った。

「復讐でないなら、なんのために……?」
「A.H.A.I.第3号」

 それは、男がまったく想定していなかった回答だった。

「なんとかドールだっけ。イカれた話だよね、AIの人格をヒトの身体に書き込んじゃうなんて。ともかくその第3号をさ、懲りずにまた狙ってたわけでしょ?」

 ――そうだ。
 かつて神川機関は、A.H.A.I.第3号を手中に収めようとした。
 それは当時、十二のマシンの中でも実機の所在が明らかだったのが第3号だけだったからだが、それ以上に――A.H.A.I.の初期モデルには、後続モデルを支配しうる何らかの機能が備わっているとされていたことが大きな理由だ。
 実のところ、機関の存続はもともとギリギリのところだった。
 時代とともに内部での権力闘争による分裂が進み、海外拠点が制裁を受け、組織はじわじわと弱体化していった。それこそ草凪夫妻による情報漏洩も衰退の一端だったのだろう。
 A.H.A.I.第3号奪取計画は、神川再興をかけた最後の生命線のひとつだったのだ。

 結局その企みは失敗に終わり、ほどなくして神川機関は解体された。
 しかし、心都研究所から強奪したA.H.A.I.ハードウェアのパーツ群は残されている。そしてその中にあったデータは二体のオーグドールとして存続していることがわかった。ならば……両者が揃えば、あるいは。

 緋衣鞠花らの目論見どおり、バラバラに分解されたマシンを神川の人間が元のカタチに組み直すことはもはや不可能であり、ドールたちを捕らえたとして、その人格をマシンに戻すことはさらに不可能だ。
 それでも。だとしても。なんとかしてそれらが叶えば、神川機関は息を吹き返すことができるかもしれない。ほとんど幻想のような可能性に、それでも彼ら残党は縋り、再結集したのだ。しかし――

「なぜ、おまえがそんなことを知っている? おまえになんの関係がある?」
「オレが喋る義理はないし、なによりめんどいよね。まあとにかくさ、それでアイツにちょっかい出されたりすると、こっちとしては非常に鬱陶しいわけ」

 草凪の言っていることが、男にはよくわからなかった。

「なんだ? 何を言って――」
「んじゃアルルカン、よろしく」

 草凪は銃を下ろし、呆気にとられた男から一歩退く。
 途端、男の全身に鋭い痛みが走った。
 ――復讐などではなく、単に別の目的があって、その邪魔だったから。
 かつて国の命運さえ握りえたはずの自分たちが、些事として片付けられる。そのことへの無念も憤りも覚える間もなく、彼はあっさりと意識を失った。

「あとはこいつら拘束して通報したら、お掃除完了かな。お疲れアルルカン、これ終わったら一回帰っていいよ」
「了解しました。一佳、あなたもお疲れさまです」
「邪魔者は消えて準備万全、っと」

 肩を鳴らして伸びをして、草凪一佳は一仕事終えた満足げな笑みを浮かべる。

「さーてと。会うのが楽しみだな……緋衣瑠生」