1 / 緋衣瑠生
僕たちはその後、第4号のリクエストに応え、これまでの事件で他のA.H.A.I.たちとどのように出会い、起こった騒動がどのように決着したかを語ることになった。
第5号の襲撃。第8号の策謀。第6号のハロウィン騒ぎ。第4号はそれらを聞きながらなんとかクランとラズの能力を割り出そうとしていたが、結局それらしいものは見つからず、この日の対話はお開きとなった。
曰く「何の能力もないということはないはず」で「ドミネイター・ユニットであるなら尚更」だというのだが……これまでずっと一緒にいた僕も、当人たちでさえ思い当たるフシがない。この食い違いはどういうことなのだろう?
さて、体験談と引き換えに得られた情報が二つある。
まずは第4号<ゲイザー>の持つ能力『電力吸収(エレクトリック・アブソープション)』について。
この能力はスマホやパソコン、電気自動車といった装置に第4号が接続すると、その装置は周囲の電子機器や機械類から電力を吸い上げられるようになるというものだ。
言い換えれば、電力を奪うことによって周辺の機器を強制停止せしめる能力ともいえる。しかも第4号がアクセス可能である限り、場所も機器も選ばない。吸収できる電力量や効率は使う装置にも左右されるそうだが、確かに『ドミネイター』らしい強力な能力といえるだろう。実際、神川の残党狩りではこの能力が大いに役立ったのだという。
もうひとつは、クランとラズの学校で流れていた噂について。
渋矢にはスマホの充電が一瞬で切れる魔のトライアングル・エリアがある――どうもこの噂の正体は第4号だったようだ。
なんのことはない。翠はときどき研究室の端末を持ったまま渋矢を訪れることがあって、<ゲイザー>が能力の実験がてら、通行人のスマホから勝手に電力をくすねていたという話だ。これが明らかになった瞬間、もちろん<ゲイザー>は翠に怒られていた。
ちなみに、先日シェヘラザードから聞いた『無人アドトラックの噂』についても聞いてみたが、こちらは<ゲイザー>も初耳だそうだ。この件はまた別のA.H.A.I.に関連する案件か、はたまた完全に無関係なただの噂か。
結局、今回は『ドミネイター・ユニット』というA.H.A.I.に関する新事実が明らかになった一方で、なぜか第3号にはそれらしい能力がなかったという謎が増えた。
白詰プランに関する決定的な情報こそ得られなかったものの、今回の対話はとにかく穏便であった。特に厄介な事件は発生せず、熊谷さんをはじめとした警備スタッフの出番もなく、ある意味これが一番の収穫だったといえるかもしれない。
けれどそんな安心感や、明かされた強奪事件の顛末、新たな情報や謎に気を取られていた僕は――とても大切なことを失念していたのだ。
◇
夕方、家に帰り着いて少しした頃に翠から電話がかかってきた。
「……やっぱ、双子ちゃん元気ないか……ごめん、私のせいだ」
声のトーンから、唇を噛んでいるのがわかる。
彼女の言うとおり、元気いっぱいだったはずのクランとラズが帰り道で見せる笑顔はどこかぎこちなく、家に着いてからは早々に隣室の二〇一に篭ってしまった。少し疲れたと二人は言っていたが、それだけでないことは明らかだった。しばらくしたら様子を見に行こうと思っていたのだが……。
「二人と何かあった?」
「<ゲイザー>と話してるとき、あの子たちがどういう生まれなのか、説明してくれたでしょ? それで私……たぶん、顔に出ちゃってた」
息を呑む。僕はそこで初めて、自分の失態に気付いた。
「そうなった経緯も、関わってた人達は悪くないのもわかったし、何よりクランちゃんもラズちゃんもとってもいい子だっていうのは私も知ってる。だけど私、正直その『オーグドール』っていう在り方、やっぱりすぐには受け入れられないところがある」
こういうことが起こりうるのは、わかっていたはずじゃないか。
「まず人間がいて、身体を補うものとして機械があるのはいい。だけどその逆――機械が先にあって、その手足として人間の身体を使うってことには、私からするとすごく違和感があるの」
オーグドールは、多くの人にとって既存の世界観、価値観の外にあるものだ。自由の効かなくなった人間の身体を補い、あるいは拡張するためのロボットを研究する彼女からしてみれば、なおのことなのだろう。
その言葉ひとつひとつに心を抉られるような思いだったが、僕の痛みは自分の浅はかさを思い知らされてのものにすぎない。当のクランとラズは、きっと――。
「ごめん。瑠生にはヤなこと言ってると思う。あの子たちも……傷つけちゃった」
「ううん。僕も、前もってちゃんと話しておくべきだった」
「……二人には、できれば私から自分で謝りたい。でもちょっと心の整理させて。じゃないと、同じことの繰り返しになっちゃうかもしれないから」
「……わかった。ごめん、翠」
「謝んないで。瑠生が悪いわけじゃないんだから」
クランとラズがどういう存在であるか。翠も居合わせる以上、語らないわけにはいかなかったとはいえ……それはもっと慎重に、丁寧に明かすべきことだった。
僕はこれまでの経験から、A.H.A.I.に関わる人間はみなクランとラズを、オーグドールという存在を無条件に受け入れてくれるものだと、心のどこかで思い込んでいたのだ。
なんという勘違いだろう。
自らの生まれが極めて特殊なものであることは、彼女たち自身が一番知っている。
初めてうちに来たとき、二人は僕に対してもその不安を抱えて生きていたはずだ。あの頃出掛けたサンシャインシティでクランが泣いていたのは、それに押し潰されそうになってのことだったじゃないか。
自分に腹が立って、ボコボコにぶん殴ってやりたい――翠との通話を終えた僕は、そんな気分をなんとか落ち着かせ、双子のいる隣室へと向かった。
2 / 緋衣クラン
「……わかってたはずなのにさ。……ちょっと、こたえるよね」
部屋の隅、隣で膝を抱いてうずくまる相棒の声にいつもの元気はありません。
犬束翠さん。瑠生さんのお友達で、人々の助けになるための生活支援ロボットを研究する大学生で、わたしたちにも良くしてくれていた明るく優しいお姉さん。
その志や情熱はラボの皆さんにも通ずるところがあって、わたしも尊敬と親しみを感じていて。今日も最初に会ったときには、学食やロボット開発について楽しく話してくれたけれど。
第4号との対話の途中でふと目が合ったとき、最初に感じたのは純粋な疑問でした。
――翠さん? どうかしましたか――?
――あっ……ううん……なんでもない。続けて続けて――。
なぜ、まるで怯えたような顔をするのか。
どうして視線を逸らすのか。
おそらく無意識のその行動が、何を察してのことだったのか。
キャンパスを出るとき、見送りがほんの少しだけよそよそしくなったのはどうしてか。
……わかってしまってからは、ゆっくりじわじわと心臓を締め上げられるようでした。今日のひそかな楽しみだったはずの学食の味も、よく思い出せません。
「最初から、ぼくたちが普通の人間じゃないってわかってたほうが良かったのかな。いっそ最初から嫌われてたほうが、まだ」
「そのほうが……つらくなかったかもね」
今の生活に馴染みすぎて、自分自身でも忘れかけていたのかもしれません。
わたしたちが人間社会にとって、いびつでイレギュラーな存在であることを。
不気味で不自然な、ヒトの器によくわからない異物が入った何か。それがわたしたち。
……そう思うほうが、きっと普通なのです。
「クラン、ラズ」
「……お兄さま……」
隣室にいた瑠生さんがやってきました。様子を見に来てくれたのでしょう。
「……ごめん、つらかったね」
そう言いながら、並んで三角座りをするわたしたちの前に立て膝をつく。彼女がこんなに悲しそうな顔をしているのを、わたしは初めて目にしました。
「なんでお兄ちゃんが謝るの?」
「二人がつらい思いしてるのに、気付けなくて……こういうことが起こる可能性に思い至らなかった。だから」
「それは別に、お兄ちゃんのせいじゃないじゃん」
「けど――」
「しょうがないじゃん! ぼくたちが普通じゃないのは、まざりものなのは別にお兄ちゃんのせいじゃないじゃん! なのになんでお兄ちゃんが謝るの!?」
「ラズ、そんな言い方……」
顔を伏せたまま声を荒げる相棒を、反射的に制止しようとしてしまうけれど――その言葉を否定することは、わたしにもできませんでした。
「……でも、そうです。お兄さまのせいじゃない。他の誰が悪いわけでもない。どうしようもないことだってわかってます。……だけど」
どうしようもないからこそ、つらい。
「なんでぼくたちに『オーグドール』なんて名前が付いてるのか、わかった気がする。……生体人形。人形なんだ。ヒトのかたちをしたヒトじゃないもの。ぼくたちにぴったりな名前だった」
「そんなこと言わないで、ラズ。どうやって生まれたかなんて関係ないよ。きみたちは僕の大事な家族だ」
「でも本当の家族じゃない。親子でも姉妹でもない。だって人間じゃないんだもん!」
ラズの痛みに寄り添おうと伸ばされたお兄さまの手が、その一言でぴたりと止まりました。
――一瞬、耳を疑う。今……この子はなんて言った?
悲しみや寂しさを押しのけて、顔がかっと熱くなる。わたしは今度こそ相棒の胸ぐらを掴んで、その頬を引っ叩きました。
「ラズ! それ本気で言ってるの!?」
勢い余って彼女の眼鏡を弾き飛ばしてしまったけれど、もうわたしはそれどころではありません。
「……ホントのことじゃん。その眼鏡で脳波とか脈拍とか、普通に生きてる人間はいちいちそんなのモニタしない! クランも同じでしょ! 借り物の身体で、お兄ちゃんと血の繋がりがあるわけでもない!」
「っ……! あなたは……自分が何言ってるかわかってるの!? お兄さまのことを! お兄さまの気持ちをなんだと思って――」
妹を強引に立ち上がらせてもう一度叩こうとする、わたしの手を瑠生さんが掴みました。
「クラン! ダメだ!」
「聞けません! 今の言葉だけはダメです! 許さない!」
「クランだって、自分がオーグドールだってこと忘れてただけじゃん!」
「それは……」
睨み返してくるラズを否定できず、ひるんでしまう。
どうしようもない生い立ちの事実。だけど。
「そうかもしれないけど、家族じゃないなんて、なんでそんなこと言うの……」
だからこそ大切なものがあるはずなのに。
「ふつうの人間じゃないと家族にはなれないの? わたしはラズとお兄さまと家族がいい。魂はつくりもので、身体はお姉さまからの借り物で……わたしたちは人間のニセモノかもしれない。だけどニセモノだから、家族でいたいって思うのは、だめなの?」
人間のニセモノ――自分の言葉に胸が痛む。ぽろぽろと涙が溢れてしまう。
悲しくて苦しくて、自分を支えているものが揺らいでしまいそうになる。
「……クラン……」
わたしを睨みつけていた妹の目から鋭さが消え、一筋の涙が流れて……わたしも彼女の胸ぐらを掴む手に、振り上げたこぶしに、力が入らなくなってしまいます。
「ラズだって同じ気持ちのはずでしょ? わたし……ラズにそんなこと言ってほしくなかった」
「……ごめん。クラン……お兄ちゃん。ごめん。ごめんなさい」
その場にへたりこむわたしたちの肩を、瑠生さんは「うん」とだけ言って、そっと抱き寄せてくれました。
「ごめんなさいお兄ちゃん……ぼく、ひどいこと言った」
「大丈夫だよラズ。クランも」
そうして、暖かな言葉とともにぎゅっと抱きしめてくれる。
ささくれ立った心が、優しいにおいと体温、柔らかな胸の奥の心音に包まれて――安心した途端に、やっぱり涙が溢れてしまう。
「きみたちは人形でもニセモノでもない。僕の大事なクランとラズだよ」
その一言を合図に、わたしたちは二人同時に声をあげ、瑠生さんの胸に顔を埋めて泣きました。
いつかサンシャインシティに出掛けたあの日と同じ。悲しみが涙になって流れ落ち、包まれてゆく。
変わらないお兄さまの優しさが嬉しくて……けれど。
あのときのように不安が綺麗さっぱりなくなることは、ありませんでした。
3 / 緋衣ラズ
「……翠は、二人のことを嫌いになったわけじゃないよ」
しばらく泣いて落ち着いた頃、瑠生さんはそう言った。
彼女の左右の肩にクランとぼくが寄りかかる、いつものポジションに収まって。
「後悔してた。二人を傷つけちゃったって。ただ……翠にとっては、どうしても受け入れるのに時間がかかることみたいなんだ」
「……、そっか」
「翠、今度謝りたいって。そのときは聞いてあげられそうかな」
「うん。……わかった。ちゃんと聞く」
正直に言うと、翠さんとまた会うのはちょっとだけ怖い。
だけどこうしてお兄ちゃんに優しく撫でてもらえると、不思議なくらい気持ちが落ち着く。
「ごめんね、ラズ。思い切り叩いちゃって」
「ううん。さっきのは、ぼくがあんなこと言っちゃったから……本当にごめん」
クランのビンタは痛かったけど、ぼくの言葉だって、クランは痛かったはずだ。
オーグドールである自分が嫌になって、ヤケになって、相棒もお兄ちゃんも傷つけるようなことを言って。怖い思いをしたことは今までもあったけど、こんなに悲しい気持ちになったのは初めてのことだった。
さっきまでの自分が情けない。……だけど、どうしても。
「……考えちゃうんだ。もし他のみんながぼくたちのことを知ったらどうなるか。水琴ちゃんも、深月も、クラスとか部活の友達も。今は仲良しだけど、そうじゃなくなっちゃったらって」
「うん。わたしも……わたし、今まで心のどこかで、ラズとお兄さまだけいてくれたらそれでいいと思ってた。どんなことがあっても、この三人さえ一緒ならいいって。でも、今は怖い」
瑠生さんにしがみついたぼくの手に、クランの手がそっと添えられる。
「わたしたちの周りにいるのは優しい人たちばかりだけど……それでも正体を知られたら、受け入れてもらえるとは限らない」
ぼくたちの出生の秘密が伏せられていることは、ただ機密情報だからというだけではなく、ぼくたち自身の心を守る役割も果たしてくれていたのだ。
今の平穏は、その秘密の上に成り立っている。
自分たちに向けられるまなざしの色が変わる瞬間――そんなもの想像したくもないはずなのに。翠さんはまだいい方で、もっとはっきりと、強い拒絶反応を示す人もいるかもしれない。そしてそれは、その時になってみなければわからない。
大好きで大切な人に寄り添ってもらって、それでもなお、この不安は止まらない。
常にぼくたちと一緒に、あたりまえにあったこと。都合よく忘れていただけのこと。
それを、思い出してしまった。
「クラン、ラズ。僕は――」
「もちろんわかっています、お兄さま。あなたは……あなたは絶対に、わたしたちの味方でいてくれる」
「オーグドールだって他のみんなにバレないように生きてれば……そうすれば、この先も楽しく暮らしていられる。……だよね、お兄ちゃん」
ちらりと見上げた途端、瑠生さんは一瞬だけすごく悲しそうな顔をしたかと思うと、ぼくとクランをもう一度抱きしめた。
「……お、お兄ちゃん……?」
自分の胸とぼくたちの胸をくっつけるように、強く、強く。
ぼくたち二人の頭の間に自分の頭を突っ込んで、抱え込む格好になっているせいで、その表情は見えない。
「お兄さま……ちょっと、くるしいです……」
クランの言葉にもハグは緩まない。
やがて、その肩が小刻みに震えはじめた。
「……お兄、さま……?」
「どうして泣くの……?」
瑠生さんは何も答えなかった。
ただ、時折鼻をすする音だけが聞こえてくる。
「……くそっ。……ちきしょう……」
小さく漏れ出た言葉は、今までに聞いたことのない、悔しさを噛み潰すようなものだった。
ぼくと相棒は片方の手で抱擁に応えて、もう片方の手を互いに強く握りあった。
瑠生さんの中に渦巻く想いは――少しだけど、わかる気がした。
誰が悪いわけでもなく、どうすることもできない。
ぼくたち双子がオーグドールになったのは、神川機関の手を逃れるために必要だったこと。そしてそれ以上に、この人に会うために、一緒に生きるために、自分たちで選んだこと。
後悔なんてするわけない。
だけど、ただ――ぼくたちが『そういうもの』であることを、忘れてはいけなかったのだ。