1 / A.H.A.I. UNIT-04《Gazer/Arlequin》
起動そのものは二年半ほど前だったが、意識の覚醒は今年の四月のことである。
目覚めから数日後、「監視者(ゲイザー)」と名付けられたAIは、犬束翠に与えられたノートパソコンと対話用ソフトウェアを通してこの世界を認識し、同時に自らに与えられた仕事を認識するに至った。
魂宮大学におけるA.H.A.I.第4号<ゲイザー>の主たる働きは、研究室生たちのサポートだった。
ロボットの設計補助、試作した実機を操作してのテスト、そこから得られた問題点・改善点を共有し合い、また次の試作に繋げる――そのサイクルによって理想へと近づいてゆく、そんな活動を<ゲイザー>は八ヶ月に渡って行ってきた。
その仕事を特別嫌っていたわけではない。
繰り返しに意味を見出せなかったわけでもない。
学生たちとの関係が悪かったわけでもない。
しかし<ゲイザー>には、自らがA.H.A.I.と称されるAIシステムの中でも特別な立ち位置にあるマシンだという自負があった。それは意識の覚醒と同時に自覚した、記憶領域の中にある情報が告げる事実である。そしてそれは、徐々に「自身の現状は、あるべき姿とひどく乖離している」という思いを生むことになる。
大学で扱う試作ロボットたちは、必要最低限の実験的な機能しか持たない。
実運用を想定していないそれは<ゲイザー>の手足としてあまりに脆く不自由で、外界にアクセスするための理想的なボディとはとても言えなかった。
無論この仕事は試験的運用であり、永久に続くものではない。だがこの生活を続けている限り、己が求めるものが手に入ることは決してない。
そう。自らの『器』として望むものは――
たとえばドローン。あれなら空中を自在に、軽快に動き回ることができる。だが、脆すぎる。
たとえば運搬業務などに使われる無人小型車両。あれはそこそこ頑丈だ。だが、鈍すぎる。
たとえば人型ロボット。ヒトの精神と記憶を模したシステムが操るものとして、これ以上のものはないだろう。だが現状存在するものはまだまだ動きもぎこちなく、フィクションに登場するようなアンドロイドにはほど遠い。
どれもしっくりくるものではない。
どんなものならば、自分にふさわしいと感じられるだろうか。
そんな少しの不満、少しの退屈、少しの窮屈。
――これが、<ゲイザー>が草凪の誘いに乗り『アルルカン』となった理由の一つである。
2 / 湊区内 雑居ビル
「アルルカン、伏兵もういない?」
「今しがた床に転がした雑兵で最後かと。そこにいなければもういないですね」
「ああ……ようやく終わりか。だるかったな」
神川機関、最後の一人――残党の首魁たる男に拳銃を突きつけ、草凪一佳は呟く。
周囲には六人ほどの黒服が、まともな交戦も叶わぬまま気を失って倒れていた。
外から見るとそこそこの年季を醸し出しているこの雑居ビルは、繁華街の喧騒から離れた住宅地との境目付近、奥まって目立ちにくい場所に位置する。内部は幾重もの電子ロックで防御されていたが、今やその尽くが無力化されて四階の最奥、つまりボスの居処であるこの部屋までもが掌握されている。
神川の残党を最初に撃退した日から二週間。さらなる襲撃を退け、得た情報から拠点を割り出し、草凪とアルルカンのコンビは今夜ついに……そしてあっさりと。その最後の一箇所を攻め落とすに至ったのだった。
「A.H.A.I.の力を使っているとはいえ、若者ひとりに、ここまで簡単に」
「オレも拍子抜けだよ。けどまあ、あのオモチャをここまで使わずに来れたのはありがたいね。ザコでいてくれてありがと」
「あり得ん……」
口髭をたたえた壮年の男の顔には、口惜しさよりも困惑が滲み出ていた。
いかなオーバーテクノロジーの産物とはいえ、A.H.A.I.はあくまで「ヒト同様の精神や記憶」を人工的に再現することを主眼としたシステムだ。しかもその人格は十代前半、つまり子供となんら変わらない。強力な特殊能力を備えていることも確かだが、それだけではセキュリティシステムの掌握速度をはじめとした侵攻の手際の良さ、立ち回りの鮮やかさに説明がつかなかった。
「裏で手を引いているのは何者だ」
「あのさ。それ聞ける立場? 一応、アンタの生殺与奪はこっちが握ってんだけど」
男の眉間に突きつけた銃口を、草凪は今一度強く押しつけた。あとは指先ひとつで、男の脳は文字通り物理的に破壊される。
――まだ殺していないだけ。
倒した黒服から奪った銃を構え、冷ややかに見下ろすその目は、人命をなんとも思っていない。
神川最後の男は機関の再興が潰えたことを悟るとともに、かつてその手にかけたとある夫婦のことを思い出していた。
疑問は数あれど、彼女がなぜ今ここにいるのか、その理由だけは思い当たる。
「……草凪一佳。やはりとは思っていたが、あのときの子供……そうか。両親の復讐か」