1 / 緋衣瑠生
十二月二週目の日曜日の午後。今週は曇りの日が多かったが、週末は晴れて少し暖かくなってくれた。
今日のクランとラズは学校の友達と遊びに出かけている。近場とはいえ今は状況が状況なので、警備スタッフの皆さんにガードを固めてもらった。
双子の不在は、彼女たちにあげるクリスマスプレゼントを見繕うのにちょうど良い機会ということになる。そういうわけで近所の雑貨店巡りに繰り出した僕は、クランとラズがうちに来て間もなく、三人お揃いのマグカップを買いに来たあの店を見に来ていたのだった。
「アクセサリなら、去年よりも少し大人っぽいやつのほうがいいかな……」
「だったらそっちのとかはどうです? 二人に似合いそうじゃないですか?」
「ああ、確かに……これもアリかも」
さまざまな商品を物色する僕に付き添い、見落としていたアイテムを教えてくれるのは、高校時代の先輩・羽鳥青空だ。長らく会っていなかった相手だが、半年前のA.H.A.I.第5号事件の折に再会し、その後マンションのひとつ上の階に住むご近所さんとなった。時々こうして食事やら買い物やらの時間を一緒に過ごすのも、今やすっかりお馴染みのことである。
誰かと一緒に出かけるときは、事前に言うように――そんな言葉にしたがって、今日の予定については一応双子に伝えてある。こういうことを言い始めるのはクランかと思いきや、意外にもラズ発だった。というのも、そうしないと後でクランが怖いらしく、こっそり耳打ちされる形での通達であった。なるほどね。
「ちなみに私は、ボードゲームをあげようと思ってます。ちょっと気になるのがあって」
「先輩、それもしかして自分で遊びたいやつですか?」
「そうでもあります。あ、そんなに場所をとる大きいのじゃないですから安心してください」
羽鳥先輩は意外とその手のテーブルゲームが好きらしい。高校時代にそんな話を聞いたことはなかったのだが、それもそのはず。その後就職した会社にアナログゲーム好きの集まりがあって、そこで引きずり込まれたのだそうだ。
チェスやオセロといった定番の遊びにも強い先輩は、ラズはもちろん、最初は彼女を警戒していたクランにも戦い甲斐のある対戦相手の登場として喜ばれた。
なお、僕はその手の戦略や駆け引きが得意ではない。情けない話、先輩に二人をとられてしまったようでなんだかちょっとモヤッとしたので、ひそかに戦法を勉強していたりする。なので今は前よりだいぶマシになった……はずだ。まあ、勝率自体はほぼゼロのままだけど。
大人気ない話はともかく、双子への贈りものは先輩と被らないものを選ばなければ。
ヘアケア用品、ペンケース、定番の手袋やマフラー。料理をするクランにはエプロン、陸上部のラズには保冷ボトル? 彼女たちとの日常会話の中でも一応アンテナは張っていて、いろいろ候補が思い浮かびはするのだが、どうにもしっくりこない。
ああでもないこうでもないと唸っていると、羽鳥先輩がなんだか楽しそうにくすくすと笑っているのに気がついた。
「なんですか、人の顔見て」
「いえ、悩んでるなあって。今の瑠生ちゃん、イキイキしてて楽しそうでいいです」
再会してからというもの、先輩はたびたびそんな感じのことを言ってくる。
それはそうかもしれない。今でもどちらかといえば陰気な自覚はあるけれど、先輩の知っている高二の頃の僕はといえば。
「まあ、我ながら昔はひどかったですからね……」
「そうですねー。最初に会ったときなんか、話しかけてもつれないし、目は合わせてくれないし、無視されちゃったこともありましたし」
「うっ。その節は本当に失礼しました……」
当時の僕は、絡んでくる人に対して基本的に態度が悪かった。
卒アルに載ってる目つき悪い写真とか、いま思い出すと恥ずかしくて死にそうになる。
「そういう子だとかえって気になって、構いたくちゃうんですけどね。私」
先輩はけろりと笑う。
放課後の図書室、並んで過ごした五日間の果てに微妙な別れ方をして、そのまま音信不通になってしまった人。だけど今こうして一緒に楽しく過ごせているのは、時間の流れが和らげてくれたものもあるだろうが、彼女のこうした人柄も大きいのだと感じる。
「先輩って自分のことを人嫌いみたく言いますけど、親切だし構いたがりですよね」
「人嫌いというか、あんまり他人に関心がなくて、関心を持たれるのも苦手って感じでしょうか。だから瑠生ちゃんみたいにツンツンしてる子がいると、仲間かなーって引き寄せられちゃうんでしょうね」
そういえば、高校当時にも似たような話をしたことを思い出した。
――他人に構われたくないくせに自分では構ってくるとか、めちゃくちゃ自分勝手ですね。
僕はそんな失礼な返しをして、先輩はやっぱりけろっとした顔で「そうですよ?」なんて微笑んでいたっけ。
人間嫌いだったA.H.A.I.第5号レオしかり、当初彼女を威嚇していたクランしかり。そういう相手に怯まないどころか積極的に絡みにいくあたり、変わり者というかなんというか。
「そんなふうに自分を重ねてた子だから、私は瑠生ちゃんの変化が嬉しいのかもしれません」
「どうでしょうね。人を好きになるってどんな感じなのか、僕は結局わかんないままです」
「こんな真剣にプレゼントを悩むような相手がいるのに?」
「茶化さないでくださいよ」
プレゼントを考えているときの僕は、先輩が言うように本当に楽しそうにしていたのだろう。クランとラズの喜ぶ顔は今の僕にとって何よりの宝で、そのためにあれこれ思いを巡らす時間もまた然りだ。
「……けど、二人のことも最近疑問に思うんです。もしかしたら、自分に都合のいい子たちだから手放したくないだけなんじゃないかって」
「あら。端から見てるとそんなことないと思いますけど……というか瑠生ちゃん。それ間違っても本人たちの前で言っちゃダメですよ」
めっ、と言わんばかりに鼻先を指差されてしまった。
「わかってますよ。けどなんだか……」
「どうしたんです? そういう『好き』じゃないにせよ、瑠生ちゃんが二人のことを大事に思ってること自体は、疑う余地ないと思いますよ?」
先輩は戸惑い気味だ。彼女から見れば……いや。ここのところ自分でも、ちょっと様子が変かも、と思う。
「……就活とか、最近の不穏なアレコレとかで疲れてません? 結構あちこち見て回りましたし、ちょっと休憩しましょうか」
「あ、いえ。とりたてて疲れてるとかはないんですけど」
まだプレゼントも決まっていないし、と抵抗するも、いいからいいからと肩を叩かれ、背中を押されてしまう。
「それは疲れている人のセリフです」
「いや、本当に」
「私もちょっと一息つきたかったんです。ほら、行きましょ」
そのままあれよあれよと店の出口へ。何も買わずにばたばた騒がしく出ていく申し訳なさを感じつつ会釈すると、店主のおじさんは「またどうぞ」と笑ってくれた。すみません。
◇
羽鳥先輩によって近くのコーヒーショップまで連行された僕は、そのまま一杯奢られるとともに、ここ最近抱えていたモヤモヤを白状することになってしまった。
「なんででしょうね。クランとラズのこと、ちゃんと大事にできてるのかなって考えると……なんか最近、マイナス方面に思考が引っ張られがちっていうか」
自分は依存対象を手元に置いておきたいだけなんじゃないか、とか。
逆に、自分がいることで二人の足を引っ張らないか、とか。
好きだとか一緒にいたいだとか、当たり前に思っていたはずのことを、はっきりそうだと言うことができない。
自分の心がよくわからない。考えるほど、何がわからないのかすらわからなくなってくる。
「今回はちょっと深刻そうですねえ」
向かいの席の羽鳥先輩は、顎に指を当て「うーん」と唸っている。
ちょっとした困りごとを相談することなんかはたまにあるが、こういうことを聞いてもらうのは初めてかもしれない。
「でも、クリスマスはちょうどいい機会じゃないですか。プレゼントと一緒に、大好きだよって二人に言ってあげたらいいと思います」
「それができてたら、こんなんなってないですって」
「こういうイベントでなら、言えちゃうかもですよ? 一度思い切って言葉にすることで、自分の心にも整理がつくかもしれません」
「そういうもんですかね……?」
ここでああだこうだと言うのは簡単だけど……想像できてしまう。先日のように言葉に詰まって結局誤魔化してしまう自分が。
「なんだか聞いてると、その疑問に対する答えどうこうより、どうしてそんなに自分の気持ちを疑おうとするのか、それ自体が問題なような」
「逆に、なんで先輩は断言できるんですか」
「瑠生ちゃんが自分で思ってるより、バッチリ態度に出てるからですかねえ。そのことにちょっとだけ素直になればいいんじゃないか、なんて気がしますよ」
その通りだとすれば、僕は自分の心に言い訳並べて、目を逸らしているということだろうか。だとしたら――
「……はあ。なんてヘタレで、めんどくさい奴……」
「そ、そこまでは言いませんけども」
いったい誰に、何に対する言い訳だというのだろうか。二人の身を預かる責任の重さ? 不甲斐ない自分への不信感?
先日、酔っ払いながらもぐるぐると頭を巡っていた疑問がリフレインする――本当にそれだけ?
「……うう。次来たときは、僕に奢らせてください……」
「それは別にいいですよ。私、先輩なので」
「でも……」
「じゃあ、代わりに」
僕が納得いかなげな顔をしていたからだろう。
少し困ったような顔をしていた先輩の顔が、いたずらげな微笑みに変わる。
「ちゃんと自分の心を信じてあげて。クランちゃんとラズちゃんにも、素直な気持ちを伝えてあげてください。先輩との約束です」
2 / 緋衣ラズ
今日のぼくとクランは、学校の友達と総勢六人で連れ立って霜北沢の片隅にあるミニシアターに映画を観に行ってきた。ここでは時折さまざまな特集として過去の作品をリバイバル上映していて、今のシーズンはクリスマスに関連する映画がラインナップされている。
主人公は雪に包まれた村に住む女の子。仲良しのしゃべる犬と猫をおともに、失われたクリスマスの星を求めて冒険するという全編3DCGのファンタジー映画だ。締めはもちろんみんなで楽しくクリスマスを祝うというハッピーエンドだった。
華やかに飾られたツリーとリース、たくさんのごちそうとケーキ。そしてもちろん、クリスマスにはもうひとつ欠かせないものがある。
「プレゼント、どうしようか?」
思い出し、考えていることは同じなのだろう。
隣に座る相棒の口からそんな言葉がこぼれ、暖かく湿った空気に反響する。
「プレゼント、どうしようね?」
帰宅して夕飯や後片付けを済ませて、今はバスタイムの真っ最中だ。
二人並んで湯船に浸かりながら、湯けむりに霞む暖色の照明と換気口をぼーっと見上げ、ぼくたちはそんな漠然としたやりとりを交わしている。ここ数日、何度も議論を繰り返している直近の課題は、瑠生さんへのクリスマスプレゼントをどうするか議論なのだった。
「やっぱりマフラーにしない? 手編みのマフラーがいいと思う」
「しっ! お兄さまに聞こえちゃう」
「大丈夫だよ、さっき部屋でヘッドホンしてたじゃん」
「いま外してたらどうするの。……でも、やっぱりそうだよね。みんなも絶対いいって言ってくれたし」
このテーマについては今日一緒だった友達にも聞いてみたんだけど、クランが言うとおり、手編みのマフラーは全員一致で支持を集めた。
「でもなあ。家庭科部でいろいろやってるクランはともかく、ぼくはうまくできるかな」
「そろそろ始めないと間に合わないし、やるなら腹を決めちゃおう。わたしだって、編みものはちょっとしかやったことないよ」
この案自体はプレゼントを考え始めた当初からずっとありつつも、完成品の出来への不安から躊躇していたものだ。
だけどみんなが言うには、多少不格好でもそれもまた良し、むしろアリ、らしい。
「わたしでわかることはラズにも教えてあげる。猫山さんにコツを聞いてみてもいいかも」
「なるほど。じゃあせっかくなら内緒でもう一個作ってさ。猫山さんにもあげたくない?」
「あ、それいいね。猫山さんにはずーっとお世話になりっぱなしだもんね」
鏡写しの顔と目が合い、笑い合う。決まりだ。
「じゃ、明日の放課後は買い出しだね」
「買い忘れがあるといけないから、いるものはお風呂あがったらリストアップしておこう」
「おっけ。喜んでもらえるように頑張らなきゃ。お兄ちゃん、最近ときどきちょっと疲れてるというか、悩んでる風だし」
「ここのところ心配事が多いからかもね。元気づけてあげたいな」
「だね。そしたら、きっといーっぱい褒めてもらえるよ」
「そうかな? ……そうかも」
「うん! きっとね」
ぼくたちの頭を撫でて、よくやったね、すごいね、ってぎゅっとしてくれて。それで、お姉ちゃんとか羽鳥さんとか、友達みんなに自慢してくれたら嬉しい。それでそれで、年が明けたらそのマフラーを巻いて、一緒に初詣に行ったりして。
そう考えたら、やっぱりしっかりしたものを作らないと。ラッピング袋を開けたときにわっと驚くくらいのを。
「……えへへ。まだなんにもできてないのに、いろいろ想像膨らんじゃうなあ」
「……んー……」
「クラン?」
「んふ、そうだねぇ……」
クランは既にぽやーっとしている。ぼくの声が聞こえているのかいないのか、時々半笑いでうっとりしていて、頭の中ではさらなるストーリーが展開されているのかもしれない。
そう、たとえば――
「ちゅーしてもらえるかも、とか」
「はぅわ!?」
ちょっとからかいたくなって耳打ちすると、クランは頬を赤くしてのけぞった。
あんまり大声だったので、ぼくまでびっくりしてしまう。
「クラン? ラズ? なんかあったー?」
「「な、なんでもないでーす」」
「あんまりお風呂で騒がないでよー?」
「「はーい」」
居室にいる瑠生さんにも、今のはぅわはバッチリ聞こえていたらしい。
ふたたび声のボリュームを絞る。
「ホントにそう思ってたんだ?」
「や、そっそそ、それは、やっぱりちゃんと気持ちを伝えてからじゃないとだめかなって、今は思う!」
「レオのときにもしてもらったじゃん。ほっぺにさ。……ああ、クランが考えてたのって」
「ううっ。もうラズ! 意地悪しないでよっ!」
かつておはようのキスを強行しようとした、半年前の自分の所業でも思い出しているのだろう。妄想たくましい相棒は真っ赤になって、ぷいとそっぽを向いてしまった。
これは有利状態だ。するなと言われると、もうちょっと追い打ちをかけてみたくなってしまう。
「でももしかしたら、そんなこともあるかもよ?」
「やぁ……うぅ……そんな下心は……」
「ぼくたちで今のうちに練習しとくー? んー?」
だけどこれがよくなかった。唇を尖らせてふざけていたことを、ぼくはすぐに後悔することになる。
「――ある」
「ふぇ?」
「ラズ、それは一理ある」
「ええぇっ!?」
クランは急に向き直ると、真剣な顔でとんでもないことを言い始めた。
「いざその時になって、かっこ悪いキスなんてしたくないもん」
「えっ、いや冗談だって、待ってクラン!」
相棒はずいずい迫ってきて、顔を近づけてくる。
ぼくの肩を捕まえようとする手のひらに応戦し、両手を組み合った状態で押し返すけど、彼女も負けじとさらに力を込めてくる。
――おーい。うるさいよー。
「なんで抵抗するの? ラズが言い出したことでしょ」
「待って待って! 一回ちょっと待って! 落ち着こ!」
そんな下心はなかったんじゃないのか。
浴槽の中でじゃぶじゃぶと派手に音を立てて押し合い揉み合い、だけど気迫に押されてどんどん詰められてしまう。
――二人ともー? 聞いてるー?
「落ち着いてるよ、いたって冷静」
「うそつけ!」
「妹はお姉ちゃんのいうことを聞くものでしょっ」
「こういうときにそういうの振りかざすのよくないと思うなあ!」
「大事なことだよ? ラズはちゃんとできなくていいの?」
「それは……じゃなくてクラン、あっちょ、や――」
とうとう押し負ける――!
その瞬間、ガラッと音を立てて風呂場の扉が開いた。
「もう、聞こえてないの!? きみたち、揉めごとなら一旦あがって、ちゃんと話し合――」
その事態に、ぼくもクランも反射的に固まってしまった。
つまり。裸で、両手の指を絡め合って、ばっちり唇を重ねた姿のまま。
二人でおそるおそる、開け放たれた扉のほうへと視線を移す。
ぼくたちを叱る険しい顔をしていたはずの瑠生さんは、宇宙空間に放り出された猫みたいななんとも言えない表情になっていた。
「ふぇっと……おにいひゃん」
「おにいはま、こへは、ほの……」
唇同士がくっついたまま喋るので、声がもごもごしてしまう。
瑠生さんは虚無を顔に貼り付けたまま、風呂場の扉を静かに閉じた。
「待って待って!」
「違うんです!」
「「お兄(さま/ちゃん)!!」」
二人揃って勢いよく立ち上がり、一瞬の立ちくらみ。
初めてのキスの味は秒で忘れてしまった。たぶん盛大に波立てた浴槽のお湯みたいな味だったんだと思う。