07_おさけのむのむ:12月12日(木)

1 / 緋衣瑠生

 大学の最寄り駅前の栄えているエリアにも居酒屋はいくらかあるが、それらはだいたいどこも連日うちの学生で混み合っている。
 僕たちがよく利用する呑み屋は駅を挟んで向こう、あんまり栄えてない側の端にある『でんがく』という店だ。でんがくは比較的新しい個人経営店であり、小さいが内装はきれいで小洒落ている。価格は全体的にリーズナブルで、店名のとおりおでんが美味しい。
 本当に特になんでもなく来ることももちろんあるが、水琴から声がかかるのは大抵なにか祝い事か愚痴りたいことがあったときで、今日は後者であった。

「ちょっとペース早すぎだよ、水琴」
「飲まずにいられるかっての! 腹立つー!」

 言ってる側から、真っ赤な顔して日本酒の入ったお猪口を呷る。天田水琴は荒れていた。

「ああもう……なんであんなのがいいと思ってたんだか。自分で自分が一番腹立つわ……」
「うん。うん。しんどいね。でも水琴は悪くないからね」
「瑠生ぃ……もうあんただけよそういうふうに言ってくれんのは」

 怒っていたかと思えばへにゃへにゃと情けない声を出す。大荒れの理由は男絡みである。
 先月くらいから、水琴と急接近していた男子学生がいた。学部は違うものの彼女と同じ講義に出席していて、僕も何度か話したことがある。なんとなく軽薄そうで最初の印象はあまり良くなかったのだけれど、意外にも親切で面倒見がよく話も合うとかで、徐々に水琴と仲良くなっていく様子は彼女の話からも伺えた。
 熱っぽく浮かれていく水琴の様子からも、てっきり二人はもうくっついたか、もうすぐくっつくものだとばかり思っていたのだが……。

「三人も同時に落とそうとしてたとかマジでありえなくない!?」
「うん。ていうか、そんなの実在するんだね……」
「しかも選んだのはあたしではない」
「いやあ、でもそういう手合いは付き合った後でも同じことするでしょ」
「アー! ホンットなんなんあいつ!」

 酒とつまみを僕はちびちび、水琴はがぶがぶやりながら、概ねこういうやりとりを三回くらい繰り返している。要するにそいつはクリスマスまでに彼女を作りたいとかで、水琴以外にも複数の女子にアプローチをかけており、最終的に別の子とくっついたというのだ。その時点でだいぶアレだが、あろうことか水琴に交際を申し込んでおきながら、彼女がOKを返す頃には「もっといいと思ってた子」とカップル成立していたと聞いた時にはさすがに僕も憤慨した。
 一杯目は勢いのまま水琴と一緒にガブ飲みしてしまったのだが、空きっ腹に酒を入れたせいでアルコールの回りが早い。僕は慌てて水で中和したものの、当事者たる彼女は構わず恨み節、そして思えばあの時気付くべきだった論を並べてヤケ酒を続けている。
 水琴はそれだけ本気だったのだ。裏切りへの憤りは痛いくらいに伝わってくる。だけど結果としてはそれで良かったんだろうと思う。そんなやつはどうせ相手を大切になんかしないし、交際は長持ちしないだろう。

「ああ、ちょっと抑えて抑えて、水琴も水飲みなよ」
「うう……瑠生はいいよね、双子ちゃんがいてくれるんだもん……かわいくて一途で絶対浮気とかもしないじゃん……」
「はい?」

 まずい。悪酔いの矛先がこっちに向きはじめた。

「しかもごはんまで作ってくれるようになったんでしょ? 嫁じゃん、それはもうさぁ嫁じゃん」
「嫁って。いやあの子たちは――」
「どうなのあんたっ。瑠生は無碍にする気じゃないれしょうね……ちゃんとぉ、ちゃんと幸せにしなきゃダメなんだかんねぇ」
「そんな大袈裟な」
「なにも大袈裟じゃないでしょうよぉ、そんだけ愛されといてぇ」

 普段の彼女はどちらかというとサバサバしているタイプだが、酒が入るとダル絡みをしがちである。今に始まったことではないが、今日はなかなか酷い。事が事だし、とことん付き合う覚悟ではあるけれども……。

「瑠生はどーなのよぉ、双子ちゃんのこと好きなの? ちゃんと一緒にいたいって思ってるの?」
「……それは……」
「てかもういっそあたしの面倒もあんたが見てよぉ!」
「はぁ!?」
「うぅっヤバ……吐きそう……」
「ちょちょちょ! 水琴! マジで飲み過ぎ!!」

 たいして強くもないのにペースが早くて心配していたが、やっぱり大丈夫じゃなかった。
 僕は自分自身も若干目を回しながらも、急激に青い顔になった水琴を強引に立たせてお手洗いへと急いだのだった。

 そりゃもちろん、クランとラズがいる生活は心地良い。
 慕ってくれて、側にいてくれて、暖かくて癒されて。それなのに。

 ――双子ちゃんのこと好きなの――?

「……わかんないよ……」

 べろべろになった水琴を彼女のアパートまで送り届けてベッドに放り込み、僕自身もなんとか帰りの電車に飛び込んだ。ヤツの明日の講義が何限目からだったかは思い出せないけど、あとは自力でなんとかしてもらうしかない。
 夜の時間帯、上り方面はあまり混まないのがありがたい。下りは地獄の満員電車になることもしばしばだ。寝過ごして終点まで行ってしまえば、その地獄に揉まれて折り返す羽目になる。くらくらする身体を座席に預けつつ寝落ちしないよう気を張っていると、水琴にかけられた言葉が脳裏をよぎった。

 ――一緒にいたいって思ってるの――?

 酔っ払って口走ったことなのだろうけど。その問いは、僕の心の真ん中に突きつけられるようだった。
 わからない。どうして「そうだ」と言えないのだろう。
 クランにもラズにも、僕は今まで出会った人間の誰よりも心を寄せている。それは都合のいい甘えで、依存しているだけなのかもしれない。だけどそうだとして、「一緒にいたい」という気持ちには違いないはずなのに。
 僕には恋する気持ちがよくわからない。だから二人から寄せられる想いが、二人との関係が、その「よくわからないもの」になってしまうのが怖いのかもしれない――そう思っていた。
 自分が一緒にいることが、二人の成長をかえって妨げることになってしまわないか――そんな不安もあった。

 だけど、本当にそれだけ?

2 / 緋衣クラン

 A.H.A.I.のきょうだいたち、そしてお姉さまとの楽しいひとときを過ごした後。
 帰りは日付が変わってからになりそうだという瑠生さんからの連絡を受け、わたしとラズは観念して先にベッドに入ることにしました。なんでも、水琴さんが酔いつぶれてしまったので自宅まで送り届けてくるとか。
 お酒という大人の特権をお兄さまと共有できるうえ、さらには介抱までしてもらうという。そんな水琴さんにおぼえる微かな嫉妬をシャワーで洗い流し、通学カバンに明日の教科書を詰め込んで、わたしは冬用のふかふか掛け布団をかぶったのでした。

「お酒かあ……」

 瑠生さんは本人いわくあまり強くないそうで、家では滅多に飲みません。
 だけどたまにお酒の入った彼女は、ほんのり色っぽく頬を染めて、楽しそうに笑って、普段はあまり話さない自分のことや昔の思い出などを教えてくれることがあります。
 お兄さまを少しだけ饒舌にしてくれる、魔法ののみもの。……もちろん中学生は飲めません。

「あと七年は長いよねえ」

 わたしが考えていることはだいたいわかるのでしょう、少し遅れて就寝準備を終えたラズが隣に潜り込んできます。
 彼女が言うとおり、瑠生さんと一緒に飲むためには、これまで生きてきた年数の倍以上の時を待たなければなりません。

「うん。もどかしいなあ……電気消すね」
「おっけー」

 枕元のリモコンのボタンを押すと、常夜灯の微かなオレンジ色を残して部屋が闇に包まれます。相棒とふたりだけで横になるベッドはいつもより少し広くて、少し寂しい。

「……レオが言ってたこと、どう思う?」
「わたしたちの呼び方に理想とか願望がこもってるっていう?」
「うん」
「考えたこともなかった。けど、確かにそういう面もあると思う」

 思えば最初は単純に『お姉さま』が引き合わせてくれたプレイヤーだったから『お兄さま』というだけだった呼称は、知らず知らずのうちにそれ以上の意味を持つようになりました。
 最初はゲームの中で、そして現実世界で。形は違えど生き方を教えてくれて、守ってくれる――わたしたちにとってFXOの『ルージ』とリアルの『緋衣瑠生』は地続きの存在。暖かくて頼もしい、最高の『お兄さま』。いつもそうであって欲しいという思いは間違いなくあって。

「でもね。そうじゃないお兄さまも、わたし好きだな」

 生活をともにして見えてきた、それだけではない側面の数々。
 信じられないほどの辛党で、わたしたちが見ただけで怯んでしまうような食べものを美味しそうに食べているところ。
 わたしたちを着せ替えては写真を撮ってにやけて、本物が目の前にいるのに撮った写真に夢中になってしまうところ。
 一緒にジョギングするようになって少し慣れたみたいだけれど、それでもやっぱり朝に弱くてむにゃむにゃと唸っているところ。
 ちょっと面倒くさがりなところ。人見知りなところ。
 そして、実はとっても寂しがりやさんなところ。

 どれも、最初に思い描いていた凛々しくてかっこいい姿とは違います。だけどそんな「ただの緋衣瑠生」をひとつ知るたびにちょっぴり嬉しくて、この気持ちは強まっていきました。
 ……それと同じだけ、もっと自分を見てほしいとか、言わない気持ちを汲んでほしいとか、わがままになってしまうこともあるけれど。

「一番近くにいて支えたい。支えられるようになりたいって思う」
「そっか。なんだかクランのほうがオトナな感じするなあ」
「ラズは違うの?」
「ぼくは……レオの言ってたこと結構図星だなって思った。あ、もちろんどんなお兄ちゃんも好きだよ。そこはクランといっしょ。だけどやっぱりかっこいい姿に憧れるし、自分もそうなりたいって思っちゃう」
「ラズらしいね」
「それから、守られてるばっかりじゃなくて、いつかはぼくがお兄ちゃんを守れるくらいになりたいな。クランのこともね」

 そう言ってはにかむ相棒の、自分のものとは少し違う彼女らしい憧れの形を、わたしは美しく、頼もしく感じます。

「わたし、はやく大人になりたいよ」
「お酒のこと?」
「それもあるけど、そうじゃなくって。……わたしたちはお兄さまにとって友達で、家族で……それは嬉しい。でも……」

 もっと近く、深く繋がりたい。求められたい。そう望まずにはいられない。
 対等に支え合う存在として手を取り合って、気持ちを通わせ、やがて心も身体も預け合う――

「……そうだね。今のぼくたちじゃそれは叶わない」

 子供のままではそういう愛し方はしてもらえない。
 この気持ちをぶつけて、受け入れて欲しい。だけど無理を言ってただ困らせるだけのことは、もうしたくないのです。

「こんなことなら、最初にもう少しオトナの姿に作ってもらったら良かったのかなあ」
「身体だけオトナでもしょうがないよ。あのときのわたしたちって本当に何も知らなくて、何も出来なかったもん」
「あはは……だよね。今だって全然なのに」

 時は誰にでも平等に流れます。わたしたちと瑠生さんの間にある、二十年という年数と経験の差が埋まることは決してありません。お兄さまにとってのわたしたちは、いつまで経っても「かわいい子供たち」止まりなのかもしれない。そんな不安もつきまとっていて。

「ねえ、クラン。友達とか家族とか恋人とかってさ。どれかひとつに決めないといけないことなのかな」

 不意に、ラズがぽつりとつぶやきました。

「ずっと考えてたことがあるんだ。もしお兄ちゃんとクランが結ばれて……三人じゃなくて、ふたりとひとりになっちゃったらって」
「……それは……」
「お兄ちゃんのこと好きになったって話したとき、自分と同じだって喜んでくれたよね。ぼくもクランがわかってくれて嬉しかった。……でも、やっぱり怖いよ」

 布団の中でわたしの手をきゅっと握る妹の手は、少し震えています。

「……うん。わたしもあのハロウィンの後……ラズが変わったなって思ったときから、同じこと考えてた。もしお兄さまとラズが結ばれたら、残ったわたしはどうなるんだろうって」

 最初は違いなんてほとんどなかったのに、時を経るごとに性格も嗜好も少しずつ自分とは違うものになっていく相棒。特に学校に通うようになってからのラズは、その明るさでたくさんの友達に囲まれて――すぐ近くにいるはずなのに、なんだかその存在を遠く感じることもあって。
 わたしは、そんな半身が自分と同じ想いを抱いていることを嬉しく思いました。
 けれどその裏で不安も芽生え始めて。
 彼女はきっと、これと同じものをずっと抱えていたのです。

 わたしたちは二人。瑠生さんは一人。
 この先に進もうとすれば、選ばれるのはどちらか――あるいは、どちらも選ばれないということだってある。
 わたしたち二人を別け隔てなく愛してくれる今の瑠生さんが好きです。
 わたしにない強さを持っていて、どんなときにも助け合えるラズが好きです。
 ここから誰かが抜け落ちて、遠ざかってしまう。そんなことは考えたくない。

「だけど……そもそもわたしたち、ここにいていいのかな」
「……どうして?」
「わたしも、最近少し思うんだ。今起こってることも、今まで起こったことも……わたしたちがここにいるせいで、お兄さまを巻き込んでるのかなって。わたしたちがいるから、遭わなくていい危険に遭ってるんじゃないかって」
「クラン……」
「お兄さまはそんなこと思ってない。それはわかるの。だけど、やっぱり……」

 ラズはわたしの言葉を否定も肯定もせず、ただ少しだけ寂しそうな顔をします。
 きっとどこかで、彼女も同じことを思っていたのでしょう。

「……それでもぼくはずっとみんな一緒がいい。……三人でいたいよ」
「わたしもだよ、ラズ。あなたともお兄さまとも、離れたくない」

 さらに深い愛情が欲しい。だけど失うのは怖い。
 危ない目に遭ってほしくない。だけど一緒にいたい。

 相反するわがままな想いを抱いて、わたしたちは身を寄せ合いました。