1 / 渋矢区内 路地裏
昼夜を問わず鮨詰め状態の繁華街であっても、滅多に人が寄り付かない場所というのは存在する。深夜帯ともなればなおさらで、この路地裏もまた、そういった場所のひとつであった。
草凪一佳は四人の大男に囲まれていた。
男たちは皆同じような黒のスーツ姿に白い手袋をしており、夜闇の中でもわかるほどに殺気鋭く草凪を睨めつけながら、じりじりと距離を詰めている。
左右にも奥にも行く手のない行き止まりの壁を背にし、いわゆる袋小路に追いやられた状態である。にも関わらず、肩までの黒い長髪に右半分が隠れた表情に焦りの色は見られない。
「アイツ……犬束だったっけ、の仲間って感じじゃなさそうだな。まさかこんなめんどくさいおまけが付いてくるなんて」
独り言のようにつぶやき、にじり寄る追跡者たちを一人ずつ確認する。草凪は追い詰められながら冷静な態度を崩さない。
そんな彼女を警戒しつつ、男の一人が低くドスの利いた声を発した。
「知らぬ存ぜぬが今更通用しないことはわかるだろう」
「あのゴツいオモチャのこと?」
「わかっているなら、おとなしく奪ったものを返してもらおうか」
「人聞き悪いな。オレはもらっただけなんだけど……まあどっちにしろムリ。あれはオレが有効に使わせてもらうんで」
「そうか。悪く思うなよ」
事が穏便に済む可能性は完全に潰えた。
標的からの返答に対して、男のひとりが懐に忍ばせた拳銃に手を伸ばす。
が、それより先に。
「んじゃ、アルルカン。よろしく」
草凪が呟いた途端、追跡者全員の全身に衝撃が走り、その視界を白黒させる。
所詮は一般人ひとりと、男たちが高をくくっていたのは事実だ。だがそうでなかったとしても、この結果が覆ることはなかっただろう。「彼女の手に渡ったもの」の在処を知るために、初手で射殺を選ぶわけにはいかない――その時点で彼らの運命は決まっていた。
声を上げることすらできず、何が起こったのかを理解する間もなく。
意識を奪われた屈強な男たちは、ひとり残らず膝を折り、地面に伏したのだった。
◇
「神川機関……残党の末端とはいえあんなものですか」
「要はアイツら、頭が潰れて有能な人材も根こそぎいなくなった後なんでしょ。まあ、それでもオマエがいなかったら、さっきオレは死んでたかもなぁ」
死んでいたかもしれない、などという割にその口調は軽い。
自販機で買ったエナジードリンクを片手に住処への帰り道を歩きながら、草凪はイヤホンから聞こえる通話相手の声に応えた。
盗品のパソコンからスマホに移植したA.H.A.I.との対話アプリは、問題なく動作している。
「結局後から来たやつらも合わせて十人くらいしばいたっけ? 一応縛っといたけど、アレ生きてんの?」
「死なない程度に出力調整しています」
「そ。まあ別にどっちでもいいか。人殴ってパソコンパクった時点で逮捕案件だろうし」
「本当に自分の関心事以外はどうでも良いのですね。自分も人のことは言えませんが」
――オマエは機械だろうが。彼女は心中でそう突っ込みつつも、アルルカンと名付けた「共犯者」の生意気な物言いを好ましく思っていた。
犬束翠から端末を奪った日、草凪は対話ソフト越しにこのAIへ「共闘」を持ちかけた。
本当に乗ってくるのかは半信半疑であったが、<ゲイザー>と名付けられていたこのAIは、拍子抜けするほどあっさりとその呼びかけに合意した。そしてそのとき、手を組む条件として要求してきたのが「自分にふさわしい新たな名前を与えること」であった。
アルルカンという名は、自身にとって馴染み深い道化というモチーフからとったものだ。命名自体に特にこれといった意図はない、要は適当につけたものだったのだが、AI自身は思いのほかその名を気に入ったようだった。
ナントカ第4号だのゲイザーだのといった以前の呼び名が、余程好きではなかったのか。そのあたりの機微はよくわからなかったが、草凪からすればどうでも良いことだった。それもまたアルルカンの言葉どおり、自分の関心事ではないからだ。
重要なのは互いの利害。目指すところが一致しているということである。
「さっきの連中、また来ると思う?」
「来るでしょうね。アレを取り返したいようですから」
「めんどくさ……ま、いいか。最終的にはあいつらのボスにご退場いただくわけだし」
「向こうから情報を持ってきてくれるくらいの気持ちでいましょう」
差し向けられた刺客にさしたる興味も、危機感もない。それは草凪もアルルカンも同じだ。
とはいえその存在は自らの目的の障害であり、潰すべきものである――その思いもまた同じ。期せずして神川から拝借することになった「オモチャ」は、彼らをおびき寄せる格好の餌であると同時に、いざとなればその襲撃を退ける最大の武器となるだろう。
そうこうしているうちに、今の仮住まいとしているガレージへと辿り着く。
シャッターをくぐった先の空間、光源がほとんどない暗闇の中にあっても「それ」は威圧的な存在感を放っている。
草凪はその鉄塊を見上げ、来たるべき時に思いを馳せて心を踊らせるのだった。