1 / 緋衣瑠生
明けて翌日、十二月に入って最初の土曜日になった。これといった予定がない昼下がり、僕と同居人たる双子の姉妹は、近所にある大きめの公園へ散歩にやってきていた。大きな芝生広場の上では子供たちがボールやフリスビーで遊び、家族連れがレジャーシートを広げていたりする。
左右から並木が見下ろす広々とした遊歩道をゆくのは、僕を挟んで左側にクラン、右側にラズというお馴染みの並びだ。
「こうしてここをお散歩するのも、久しぶりな気がしますね」
「葉っぱも落ちちゃったね。いろいろ忙しくて、紅葉見に来てなかったな」
「じゃあ来年は見に来ようよ。またこうやって三人でさっ」
少し遠出してリフレッシュしたい気持ちもあったものの、昨日の今日である。見えない警戒体制が敷かれているであろう自宅周辺エリアから、なるべく離れないほうがいいのではないか……そんな思いもあって、今日はここでまったりすることにしたのだった。
「瑠生さん、クリスマスは一緒に出かけられるんだよね!」
「空けてあるから大丈夫だよ」
「ラズってば、昨日もそれ心配してたね」
「うー。だって最近忙しそうだからぁ」
確かに、ここのところ週末は昨日のような就活関連のイベントがあったり、相変わらず産みの両親のことを調べてみたりで慌ただしかった。……いずれも目立った成果はさておいて。
とはいえ二十四日・二十五日に関しては、以前よりクランとラズから一緒に過ごすのだと強く念押しされていたこともあって、他の予定は入れないようにしている。
「忘れてないから大丈夫だって。どこか行きたいところ決まった?」
「うん! やっぱり去年のリベンジしたいなって、クランと話してたんだ」
「あー、ヨヨギ公園のイルミネーションか……」
「はい。結局風邪ひいちゃって行けなかったので」
去年の今頃、二人がうちに来てから初めてのクリスマスのこと。
毎年この時期イルミネーションはさまざまな場所で催されるが、彼女らが食いついたのは渋矢・ヨヨギ公園のそれだった。……のだが、本人が語ったとおり、なんと当日になってクランが熱を出して寝込んでしまったのである。
そのときの無念は、この一年間彼女たちの中で静かにくすぶり続けていたのだろう。ちなみにクランが復調した途端ラズに風邪がうつってしまったため、去年末は今年とは別の意味で慌ただしかったのだった。
「風邪ひきも悪いことばっかりじゃなかったけどね。瑠生さんも猫山さんも、いつも以上にやさしくしてくれるから」
「でも、あのしんどさは味わいたくないですね……」
「二人とも体調には気をつけてね、今の時期インフルエンザとかも流行ってるから。あれはただの風邪よりずっとしんどいよ」
「「はーい」」
それにしても、クリスマスの渋矢か……絶対混むやつだよなあ。
まあ首都圏のお出かけスポットなんて、どこへ行こうが人混みに揉まれることになるんだろうけど、あそこはその最たる場所といえるだろう。今はだいぶ落ち着いたらしいが、かつてハロウィンの時期なんかは暴動に例えられるくらいのカオスが繰り広げられていたという。
そんな都内有数の繁華街へと思いを巡らせていると、不意に足元へころころと転がってくるものがあった。「おっと」とラズが屈んで拾い上げたのは、小ぶりな水色の子供用ボールだ。それを追ってきたのだろう、芝生の方から三、四歳くらいの女の子がぱたぱたと走ってくる。
「これ、きみの?」
「うん。ありがと、おねえちゃん」
「どういたしまして」
女の子はボールを受け取ると、にこやかに去っていった。
ラズが手を振って見送った先には、一緒にボール遊びをしていたであろう同年代の子供が二人に、それぞれの母親と思しき女性たちが待っていた。仲睦まじい憩いのひとときといった雰囲気だ。
「……おねえちゃんかぁ。多分ぼくのほうが後に生まれたんだけど」
「言われてみればそうだね。まあ、見た目にはわからないよ」
「えへへ。悪い気はしないけどね」
というか僕自身もすっかり慣れて、意識することは少ないが……確かに、あれくらいの歳の子でもクランとラズにとっては人生の先輩ということになるのか。
「人間の幼児期って、どういう感じなんでしょう」
ボールの投げ合いに戻った子供たちをまじまじと見つめながら、クランが言う。
「どういう感じ、って言うと難しいけど……まあ、たぶん物心ついてくる時期じゃないかな」
「自我の芽生えということですよね」
「それをはっきり覚えている人はいないと思うけどね」
僕の一番古い記憶も三歳くらいだった気がする。あと、好き嫌いの発生もこれくらいの頃だと聞いたことがあったっけ。
「そういえば、クランたちってそのあたりどうだったの?」
「うーん、『わたしはわたしという個である』という意識が強くなったのは、お姉さまやラボのみなさん……それとやっぱり、瑠生さんに出会ってからのような気がします。ただそれとは別に、自分がどういうものであるか、という知識と認識は最初からはっきりあったと思います」
「へぇー。自分が何者なのか最初からわかる、か……それもそれで不思議な感じだね」
自我の芽生え。自己存在感のはじまり。期せずしてちょっと哲学っぽい感じになってしまった。
しかしクランの言葉に「でも、そのへん今は逆にわからないかも」とラズが続く。
「わからないって?」
「ぼくたちも最初が自分はコンピュータシステムだって自覚があったけど、今はそうは言えない状態でしょ?」
「かといって、やっぱり普通の人間とも違う……ああいった『わたしたちより幼い先輩』を見ていると、特にそう感じます」
「ぼくたちの在り方に『オーグドール』って名前はついてるけど、それって結局なんなんだろう、って思ったりもして」
「うぅん、なるほど……」
彼女たちには彼女たちの、特殊な生い立ちゆえの疑問があったのだ。
オーグドールとは、A.H.A.I.の人格をヒトの脳に書き込んだものを意味する名前だ。鞠花たちラボスタッフはA.H.A.I.第3号を解析することでそのような存在を造り出せる可能性に至り、それを実行した結果、クランとラズは今ここにいる。
――のだが、ここでひとつの疑問が出てくる。
彼女たちの記憶領域にはオーグドールの名とそれが示す概念が、あらかじめ隠し情報としてインプットされていたのである。それはつまり、人工人格のヒトへの移植はA.H.A.I.の開発段階で既に想定されていたということにならないだろうか?
白詰プランなる計画は、全部で十二台存在するというA.H.A.I.たちは、いったい何を目的に造られたというのだろう……?
「瑠生さんスマホ鳴ってる? なんかさっきからときどき音しない?」
僕が思案にふけっていると、ラズが首を傾げた。実はバイブ音らしいものは聞こえていたのだが、どうも気のせいではなかったらしい。
「僕じゃないな。ってことは」
「すみません。わたしですね……」
震えているのはクランのスマホだったようだ。彼女が少しむっとしながらそれを取り出し、通話ボタンをタップした途端。
「クランさぁ〜〜〜〜ん! ようやく出てくれましたのね!!」
スピーカーモードでもないのに、めちゃめちゃでかい声が僕たちの耳をつんざいた。
「……こんにちはシェヘラザード。うるさいです」
「だってだって、なかなか出てくれないんですもの! わたくし貴女とお話がしたかったのに」
「わたしは今、瑠生さんとお散歩という大事な用事の真っ最中なんです! また邪魔をするというのならブロックを」
「あー! 待って! それはやめてくださいまし!!」
電話の相手は真宿の占い屋『アルフライラ』の占い師シェヘラザード、その正体はA.H.A.I.第8号。クランとラズにとってはきょうだいのような存在である。
自分の声を聞かせた者の思考を操る『思考干渉(ブレインウォッシュ・ヴォイス)』なる能力を行使し、クランの拉致監禁を目論んだ危険なAIだったのだが、僕たちに企みを破られたことで観念、和解した。自らを管理する元教師にして占い師・山羊澤紫道にきつく絞られたこともあって、今ではその力が無闇に振るわれることはない……はずだ。
あれからクランは妙に気に入られているようで、時折LINEでメッセージのやりとりをしたり、こうして通話している様子を目にするようになった。
「それと、どうぞわたくしのことは『シェラちゃん』とお呼びくださいな」
「なんでですか。その呼び方を付けたのはラズじゃないですか」
「可愛くてお気に入りなんです。クランさんにも親しみを持って呼んでいただきたいんですの」
「もう用がないなら切りますよ」
「あー! 待って! 待ってくださいな!!」
「トークなら見ましたよ、既読ついてたでしょう」
「じゃあ何か反応をくださいまし!」
「先週の話題の再放送じゃないですか」
「さーみーしーいーでーすーわー」
「それは失礼しました、以後気をつけますね。それでは」
「あー! 待って! あー!!」
なんかめんどくさい彼女みたいになっている。このまま放っておくと、話したいシェヘラザード対切りたいクランの果てしない戦いが続きそうだ。
「聞いてあげたら? クラン、シェラちゃんには時々塩対応だよね」
「まあ。ラズさんもそこにいらっしゃいますのね! さすがいいことを仰いますわ!」
「特に重要な用事もないのにこういうことをするからです! そもそも日頃から雑談トークを投げてくる頻度が」
「あります、あるんです口頭でお伝えしておきたいことが」
「だったらさっさと本題に入ってくださいっ」
クランはスマホを地面に叩きつけんばかりの勢いだ。普段は穏やかな彼女だが、おのれの行動を阻まんとするものには割と辛辣である。そして「ぼくも聞きたい」という妹のリクエストには通話をスピーカーモードに切り替えて応える、キレていながら律儀な姉なのだった。
ちょうどそこに空いているベンチがあったので、一同そこへ腰を落ち着けることにする。
「神川の残党について鞠花さんから聞きましたわ。わたくしの方でも情報を集めているのですが、お店のお客さまに、深夜の渋矢でスーツ姿の怪しい集団を見たという方がいらっしゃいました」
「スーツの集団? 怪しいってどんな?」
「皆同じような黒いスーツのいでたちで、何かを探しているような風だったそうです。確か一昨日くらいだとか」
確かにその様子は飲み会帰りのサラリーマンたちというわけではなさそうに思う。かつて鞠花たちのラボに現れたのも黒尽くめの男たちだったというし、不穏な話だ。
先生と話した昨晩、最近の事件と関係ありそうな噂がアルフライラに舞い込んだりしないものかとほのかな期待を寄せてはいたが、さっそくである。
「それとつい先程、別のお客さまから変な噂を聞きましたの」
「変な噂……?」
「人々が寝静まり、かのスクランブル交差点にも滅多に人が通らなくなった頃――渋矢の街を無人のアドトラックが走り回っているという」
「……なにそれ?」
思わず困惑の声をあげてしまった。
怪談だろうか。いや、これだけでは恐怖要素も薄く、つかみどころのない与太話のように思える。しかしクランとラズは、じっと考え込むような表情を浮かべていた。
「二人とも、なにか心当たりがあるの?」
「いえ。そういうわけではないのですが」
「学校で聞くヘンな話と、ちょっと似てる気がする」
「ああ、言われてみれば……」
二人の通う中学校では、時折奇妙な噂が流れているという。
その中には『真宿のアルフライラには、姿のみえない占い師がいる』という、まさにA.H.A.I.第8号シェヘラザードについての話もあったはずだ。
ほかにも『霜北沢のホンダ劇場では、深夜に金髪の幽霊が宇宙と交信している』というものがあった。これは後に、ハロウィンのお祭りで出会ったA.H.A.I.第6号ジュジュのことだったことがわかっている。
金髪の幽霊は、まさにジュジュが行使する霊体『オーグランプ』の特徴と一致する。
またジュジュ本人が語ったところによれば、人目につきづらい深夜帯に駅前エリアをうろついていたことがあったそうだ。もちろんこれは能力のテストであって、さすがに宇宙と交信していたわけではないらしい。
ともかく重要なのは学校で流れていた噂の中にA.H.A.I.に絡んだものがふたつもあったということで、それらは決まってこうしたオカルトっぽい特徴を備えていたのだった。
「わたくしも、なんとなくお二人の言う噂話と通ずるものを感じまして。ずばりこの話、A.H.A.I.が絡む案件のように思えませんか?」
「確かに、無人のアドトラックなんていかにもそれっぽいかもね。シェヘラザード、それっていつ頃からの噂かわかるかな」
「具体的な時期はわかりませんけれど、この話を教えてくれたお客さまも今朝SNSで見たそうなので、かなり新しいものかと。それと瑠生さん」
「はい?」
「貴女も宜しければ、わたくしのことは『シェラちゃん』と」
「ああ、うん……」
ラズがこの愛称をつけたのは「長くて呼びにくいから」という理由だったと思うが、ともかく彼女はいたく気に入っているようだ。
「学校でも、渋矢のウワサは一個聞いたことがあるんだよね」
「スマホのやつ?」
「そうそう、『スマホの充電が一瞬で切れる魔のトライアングル・エリアがある』。これはお姉ちゃんたちがちょっと調べてくれたんだっけ」
「何もわからなかったみたいだけどね」
以前に双子から聞いた学校の噂は、その多くが不幸をもたらす何かやら恋愛成就やらに絡んだありがちなエピソードだった。ラズがあげた渋矢のトライアングル・エリアの話は、そんな中で妙にインパクトがあって印象に残っているものだ。
この話については、僕の姉にして双子を僕のもとへ送り込んできた張本人・緋衣鞠花の所属する心都大学情報科学研究所が調査に乗り出したことがある。しかし、噂話に出てくる繁華街エリアにそれらしい場所もなければ、実際に現象に遭遇したという人の話も要領を得ず、調査はどん詰まってしまったということだった。
多忙であろう心都研のスタッフがこんなふわっとした噂話の検証をやってくれたのは、第8号や第6号の件があったからである。全十二台のうち未だ確認されていない残りのA.H.A.I.たちが、彼女らのように危険な行動を起こさないとは限らない。できればそうなる前に発見しておきたいというわけだ。
ちなみに僕も噂を聞いてから渋矢の繁華街をうろついてみたことがあるが、スマホにこれといった異常は起こらなかった。
「翠さんが襲われたのもつい先日、渋矢でしたよね。関係あるでしょうか?」
「うーん、なんとも言えないね……」
クランの疑問は、まさしく僕と同じだった。
黒いスーツの男たち。アドトラックの噂。相互の関連性を断言できるようなものではないが、場所も時期も近い。先生から聞いた草凪の話といい、事件と関係あるかどうか微妙な、近いような遠いような情報が多い。なんとも言えない気持ち悪さが胸中に渦巻いている。
「これまでの話が全部繋がってるとすると、草凪って人は神川の残党の仲間で、その人が盗っていった端末から<ゲイザー>は操られてて、その<ゲイザー>がレオみたく遠隔操作でアドトラックを走らせてるとか」
「……なんのために?」
「……なんのためだろうね?」
クランのツッコミに腕を組んで唸ってしまうラズだったが、彼女が言うように神川機関の残党が翠の事件に絡んでいるというのは、今ある情報から想定しうる最悪のシナリオである。
「可能性としてなくはないでしょうが、そう断じるのは早計というものでしょう。まあ、不穏な情報を持ってきておいて言うのもなんですけれども、あまり悪い方向に考えすぎても、かえってよからぬことを呼び寄せてしまうかもしれません」
シェヘラザードの語り口は、占いでよくない結果が出たときに励まし諭すときのそれだ。神川関連の情報は重要なものであることに違いないが、同時に僕たちのさらなる不安を煽りかねない――そのことを見越して、最初は明るくおどけてみせていたのだろうか。
「ひとまず、こういう話がありましたというご報告まで。また何かわかったことや、変わった噂を耳にしたらお知らせいたしますね。クランさん、お散歩の途中お邪魔してすみませんでした」
「あっ、いえ。わたしこそツンツンしちゃってごめんなさい」
「ちなみに、御三方の今日のラッキーアイテムはキーホルダーですわ」
「了解です。ばっちりスマホについていますから、きっと今日はいい日になりますね。ありがとうございます、シェヘラザード」
「かーらーのー?」
「それではまた」
「なぁんで『シェラちゃん』って呼んでくれませんの! ……うう。いいでしょう、今日のところは引き下がりますわ……」
シェヘラザードは心底残念そうに「それでは」と言い残し、通話を切った。……やっぱり、彼女は素でこんな感じなだけなのかもしれない。
快晴の午後に穏やかな静けさが戻り、一瞬の沈黙ののち双子がハモる。
「「……イルミネーション……」」
うん。まあ、言わんとすることは明らかに下がった声のトーンでわかる。イルミネーションには連れていってあげたいけれど、今の話の流れだと正直あんまり渋矢には近づきたくない。
「ほら、まあ他にもやってる場所はいろいろあるし……」
「そうだけどさー! もう気分は完全に渋矢行きだったんだもん!」
「ラズ、しょうがないよ。どちらにせよ、今ってあんまり油断できない状況だし」
唇を尖らせて不満を述べるラズをたしなめるクランだったが、気持ちは同じはずだ。
だが実際に彼女の言うとおり、今は僕たちにとって不穏な情報が多い。今後の続報によっては、外出そのものを控えたほうがいい、なんてことになるかもしれない。せっかくの機会、二人には楽しいクリスマスを過ごさせてあげたいところだが……。
二十四日までに翠を殴った犯人が捕まって、A.H.A.I.の安全性が確保され、神川の残党もいなくなるか、そもそもその潜伏が誤報であった――そんな都合のいい展開になって、気兼ねなく出かけられるようになってくれればいいのだけれども。
……世の中そううまくはいくとは思えないよなあ。