02_旧友のお見舞い:12月6日(金)

1 / 緋衣瑠生

 僕は友達が少ない。
 たとえば中学時代。小学生の頃の友人とはほとんどが学区違いで別れたこともあり、周囲の人間関係は一新された。
 人が違えば空気も違う。もともとどちらかといえば内向的だった僕はこの時期、いっそう他人との間に壁を作りがちだった。人に迷惑をかけないように。人を信用しすぎないように。――必要以上に近付かないように。
 端から見れば付き合いが悪く気難しい人間に見えたであろう、そんな僕の友人となってくれたうちの一人が、犬束翠(イヌヅカ・ミドリ)という少女である。とりわけ活発なタイプというわけではないが、明るく誰とでも分け隔てなく接する子だ。
 彼女はそういう性質なので、何かと僕のことを気にかけてくれていた。よくよく話してみればなんとなく馬が合い、気がつけば進級してクラスが分かれても時々つるんでいた。去年ばったりと再会したときはびっくりしたものだが、それ以来、ときどき連絡をとりあうようになっている。

 そんな翠が怪我を負って入院したとの報せを受けたのは昨日の晩。幸い軽傷らしく、連絡も本人からだったが、頭を打ったというから心配だ。
 今日の就職説明会は、都合よく(と言っていいのかわからないが)彼女の入院先からさほど遠くない。というわけで、僕は帰りがてらにお見舞いの品を見繕い、翠のいる病院へと立ち寄ったのだった。

 翠の病室は、多くの患者が入院する大部屋だった。

「ひさしぶり、就活忙しいとこごめんね。瑠生くん、リクスー似合ってんね」
「やめてよ。全然着慣れないんだから」

 カーテンで仕切られた一角に入り、挨拶を交わすやいなや軽口が飛んでくる。
 直接会うのは一年ぶりくらいだろうか。ベッドから身を起こした翠は頭に包帯を巻いているものの、思ったよりも元気そうな様子だ。彼女が僕を『瑠生くん』と呼ぶときは、基本的にからかいのニュアンスが含まれる。

「これ差し入れ。急ぎだったんで、こんな袋であれだけど」
「そんな気を遣ってくれなくてもいいのに。……あー懐かしい! よく購買で買い食いしたやつ。ありがとね」

 手渡したスーパーの袋を漁り、取り急ぎ用意した品々の中に馴染みのチョコ菓子を見つけた翠は、中学時代と変わらない笑顔を輝かせた。単にツリ目と表現してしまえば厳しく近寄りがたいイメージになりかねないが、彼女に関してはその明るさと聡明さを際立たせるチャームポイントだ。

「双子ちゃんは元気してる?」
「うん。相変わらず元気いっぱいだよ」

 我が家の同居人たる双子のことはもちろん翠も知っている。というのも、この懐かしい旧友と再会するきっかけを作ったのは、他でもない二人なのだ。

 去年、空葉原(アキハバラ)の街でクランとラズが迷子になった。
 国内最大の電気街として知られるかの地は、アニメや漫画、ゲームといったサブカルチャー文化の発信地としても名高く、そういった諸作品とコラボしたテーマカフェやコンセプトカフェなども数多く存在する。そのひとつが、僕たちにとって馴染み深いオンラインゲーム・FXOを題材にした飲食店――つまり、その日の「お目当て」であった。

 双子の姿が見えなくなったのは少し目を離した間の出来事で、カフェの予約時間まで散策しようと電気街をうろついていた途中、駅近くのドリンクスタンドに寄ったときのことだ。三人分のカップを持って戻ってきたところ、二人が待機していたはずの場所にその姿がない。
 後から聞いたところによれば、近くのショップに知っている作品のグッズがあったのが目に留まり、僕を待っている間に少しだけ眺めようというつもりだったらしい。品物を見ている間に、さらにラズが勝手にどこかに行ってしまった、というのがクランの談。ラズの言い分としては、次はあっちと言ったのにクランがついてきていなかった、とのこと。どちらにせよ片割れとはぐれたことで、僕のところへ戻るに戻れなくなってしまったそうだ。
 そして僕はといえば、ものの十秒くらいで神隠しにでも遭った気分になり、テンパって二人を探しに行ってしまった……実際に彼女たちがいたのとは逆方向に。

 このときは池梟(イケブクロ)でクランが倒れた事件からあまり時間が経っておらず、必要以上の不安に駆られてしまったのをよく覚えている。
 後から思えばさっさとスマホで連絡を取って合流すれば良かっただけの話なのだが、そのとき半べそ状態のクランに声をかけた人物こそが、たまたま通りすがった犬束翠だった。彼女の明るい人柄は、人見知りな双子の姉の緊張をほぐしてくれたようだ。
 クランの証言からサクッとラズの行き先を特定・回収した翠は、十分くらいで二人を僕に引き合わせてくれた。また、彼女は二人が名乗った旧友と同じ「緋衣」という苗字にピンと来たといい、どことなく雰囲気が旧友のお姉さんに似ていると感じたそうだ。……鋭い。先入観もあったせいだろうが、僕は初対面で二人が鞠花に似ているとはあまり思わなかったのだが。
 とにかく迷子問題は翠の登場によって解決し、「一対ニだから瑠生のほうが迷子ね」という彼女の謎の主張により、僕こそが迷子だったとして決着した。いや、その理屈でいくとクランとラズもはぐれて一対一対一になったのだから、全員が迷子ということにならないだろうか。もちろん、そんな大人げない主張はしなかったけれども。
 常に冷静たれ。文明の利器を活用せよ。観光地化著しく人混みまみれのカオスの街には充分に気をつけろ――この出来事でそんな教訓を得た僕は、感謝の証に追加のドリンクを一杯、翠に奢った。

 翠が空葉原にいたのは、この日行われていたインディーズゲームの展示イベントの手伝いだったらしい。彼女自身が制作に関わったわけではないのだが、別学部の友人が出展するということで駆り出されたという話だった。
 その後、FXOカフェまでの残り待ち時間でイベントブースへ遊びに行き、翠を交えて対戦ゲームの体験で盛り上がったのもいい思い出である。

「二人も翠のこと心配してたな。怪我大丈夫そう?」
「うん。まだ痛むは痛むんだけど、脳とか頭蓋骨はなんともなくて、たいしたことないから退院はすぐできるって」
「そっか。ちょっと安心したよ」
「ご心配おかけしまして」
「転んでぶつけたとか?」
「……あー、それがね……」

 言い淀む翠の表情に翳りが差す。

「いきなり棒で叩かれたの。気失って、気付いたらここに運ばれてて」
「えっ……それ傷害事件じゃん! どこで?」
「渋矢(シブヤ)の街中。人通り少ないとこってわけでもなかったんだけど、道の端っこでさ、あっという間。急に倒れたから、居合わせた人が救急車呼んでくれたっぽい。起きた途端、警察の人にもアレコレ聞かれてびっくりしちゃった。ああいうの本当にあるんだね」

 全然大丈夫ではなかった。
 今は気丈に振る舞っているが、恐ろしい思いをして心細かったに違いない。

「ごめん、怖い目に遭ったんだね。軽傷で済んで本当に良かった」
「謝ることないって。……相手はまだ捕まってはないんだけど、心当たりあってさ。そのことで瑠生にも話しておきたかったんだよ」
「それってつまり……僕も知ってる人ってこと?」

 翠は静かに頷き、小声で続けた。

「草凪さんって覚えてる?」
「草凪って、草凪一佳(クサナギ・イチカ)?」
「そうそう。瑠生は二年でも同じクラスだったよね。確か小学校の時も?」
「うん。ていうか高校も同じ」

 草凪一佳は、僕と翠の同級生だった少女である。
 たったいま述べたとおり、僕とは小学校も同じで進学した高校も同じ、ついでに言えばクラスもずっと同じ、つまり計十二年を同じ教室で過ごしたということになる。なので縁があるといえばあるのだが、話したことはあまりなく、彼女について具体的に知っていることはまったくと言っていいほどない。こちらも向こうも、積極的に人と接するタイプではなかったからだ。そんな感じなので当然高卒後も会ったことはなく、今どこで何をしているのかも不明である。
 草凪にはただ寡黙で陰気というだけではない、人を寄せ付けない雰囲気があった。それこそ高校時代の僕と同じような……いや、もっと仄暗く冷たい気配だ。周囲からは人に馴染めず孤立しているなどと評されていたが、むしろ自ら好んで独りでいる――よく知らないなりに、僕には彼女がそんなふうに見えていた。

「草凪にやられたの?」
「うん、一瞬だけど絶対見たことある顔で。多分あの子だと思う」
「翠ってなんか恨まれるようなことあった?」
「ないと思うんだけど。というか多分そういう怨恨的なのじゃなくて……盗られたんだよね」

 少し困ったように眉を顰め、翠は「これ、本当はあんま外部の人に言わないほうがいいやつなんだけど」と前置く。
 ――そして彼女の口から語られた驚くべき事実は、僕にとっても他人事でない事態であった。
 つまり、A.H.A.I.が絡む案件である。

 魂宮(タマノミヤ)大学は、近年ロボット工学の教育と研究が盛んなことで知られる。
 今年の春に工学科の三年生となった犬束翠は、『老人向け・麻痺患者向けの生活支援ロボット』をテーマに、研究と試作機開発を繰り返していた。
 ここまでは、彼女との過去のやりとりで既に聞いていた情報だ。

 本題はここから。
 研究室入りした初日、翠には一台のノートパソコンが託された。
 そのマシンはもともと支給されていたものより全体的にスペックが高いほか、見慣れないひとつのプログラムがあらかじめインストールされていたそうだ。
 それは、黒いウインドウの真ん中に白文字で『Gazer』とだけ表示されている謎のアプリケーション。発声して呼びかけると機械的な合成音声による反応が返ってきて、時には向こうから自発的に語りかけてくる。だが、アプリそのものは連絡用のインターフェースに過ぎない。
 実際に言葉を紡いでいるのは、ネットワーク越しに繋がった「人ならざるもの」。データ収集能力・学習能力に優れた最新型の試作AI――その名も<ゲイザー>なのだという。

 その特徴に僕は覚えがあった。
 十中八九、高校時代の先輩・羽鳥青空(ハトリ・ソラ)の社用ノートパソコンに入っていたソフトと同じものだ。
 羽鳥先輩のものは<オブザーバー>、後に彼女によって『レオ』と命名されたA.H.A.I.第5号と繋がっていた。翠のソフトと繋がっている<ゲイザー>なるAIも、教員や学生には詳細が伏せられたまま、試験運用の名目で研究室に託されたのだという。
 <ゲイザー>は研究室のメンバーとまるで人間のように円滑な会話を交わし、すぐれた学習能力と計算能力でロボット設計の補助や試作機の動作テストに協力してくれていたそうだ。
 これはまさしく、未だ僕たちが出会っていないA.H.A.I.に違いない。
 そうであるなら――第3号の緋衣鞠花、第5号の羽鳥青空、第8号の山羊澤紫道(ヤギサワ・シドウ)、第6号の穂村想介(ホムラ・ソウスケ)、そして犬束翠。A.H.A.I.の関係者はまたしても、僕と接点のある相手だったということになる。

「殴られて気を失ってる間に、そのパソコンが盗られたんだね」
「うん。大事なデータは全部クラウドにあって、昨日のうちに対策してもらって……あのあと私の端末からアクセスしようとした形跡もないみたいだから、多分そのへんは漏れてない。と思いたいんだけど」
「研究データ目的でもなく、財布とかほかの貴重品は無事だったってことは金銭目的でもなく、端からパソコンそのもの……というか、そのAIとの対話ソフトが狙いってこと……?」
「……やっぱりそうとしか思えないよね」

 翠を襲った犯人が草凪だったとして、なぜ彼女がそんなものを狙うのだろうか。
 目的が対話ソフトであるというなら、A.H.A.I.の特殊性をあらかじめ知っていたのだろうか? あるいは、それを知る何者かに指示されて……?

「でも、<ゲイザー>はずっと翠たちと一緒にやってきて、研究にも協力的だったんだよね。たとえば草凪が悪用する目的で盗っていったなら、<ゲイザー>本人が言うことを聞かないんじゃないかな」

 そう、盗られたのはあくまで意思疎通のためのツールであって、A.H.A.I.本体ではない。外部からシステムに対してできることはごく限られていて、それこそ声を掛けることくらいのはずだ。
 しかし、翠は首を横に振った。

「……<ゲイザー>、様子が変なんだって」
「変って?」
「私のほかにも同じアプリが入ったマシンが研究室に何台かあるんだけど、私がマシンを盗られてから、呼びかけても応答しなくなっちゃったみたい。で、これ。今朝研究室の仲間から送られてきたんだけど……画面の表示がこんなんなってるらしいの」

 彼女が取り出したスマホには、ノートパソコンの画面を撮った写真が映し出されていた。
 黒いウインドウに白の英字。それはやはり羽鳥先輩のソフトと同じものに見えたが、ここまでに聞いていた話とは少し様子が異なっていた。

「ねえ瑠生、ダメ元で聞くんだけど……これ、なにかわからない? 草凪さんに何か関係ある言葉とか」

 画面に浮かぶ文字は『Arlequin』。昨日までそうであっただろう『Gazer』ではない。

「……草凪と関係あるかは、ちょっとわからないけど……」

 この現象にも覚えがある。羽鳥先輩がA.H.A.I.第5号に『レオ』という新たな名前を与えたことで、対話ソフトの表示は『Observer』から『Leo』へと変化した。そこから推測するなら、このA.H.A.I.は奪われた先で何者かによるリネーム、つまりその支配を受け入れたということではないだろうか。

 言い知れない悪い予感が、僕の背筋を撫でるのがわかった。