1 /
ヨヨギ公園での小さな戦争を、無人となったクリスマスマーケットのテント陰から静かに見守っている存在があった。
ひとつは栗色の長髪に白い肌、白いローブ姿の少女。もうひとつは金色がかった白い髪と褐色の肌、緑の服と革鎧に赤いマフラーの少女。その姿はオンラインゲーム『ファンタジア・クロス・オンライン』における、『クラン』と『ラズ』のアバターによく似ていた。
しかし、それに気付くものはない。
目を凝らさなければ見えないような半透明の像は、眩しい炎の前にあまりにも希薄であり、その場の誰もが眼前の状況に必死で、あるいは夢中であった。
――ドローンたちはすべて破壊され、ついに追い詰められた緋衣瑠生はカーキ色の鉄塊の腕に捕まった。
幽霊のような二つの影は、ただ沈黙し、何の表情も浮かべることなく、事態を観測する。
誰にも見つかることなく、春の橘祥寺でそうしていたように。
緋衣クランが目撃した、夏の真宿でのように。
緋衣ラズが目撃した、秋の霜北沢でのように。
ただそれしかできることはない。それでも、おぼろげなその存在には理解することができた。
「やめて! 瑠生さんを……お兄さまを離して!」
「わかんないよ。こんなことして何の意味があるのさ!」
彼女たちの目前に迫る死の恐怖を。
愛する人と共にありたい。救いたい。己の無力を嘆く二人の心を。
「駄目だ二人とも、いいから! 少しでも離れて!」
拘束されながら最後まで懸命に二人を守ろうとする、そんな彼女だからこそ、その想いは強くなるのだと。
――穴だらけの記憶と意識の中、微かに残ったものがそう叫んでいる。
2 / 緋衣瑠生
クランとラズが叫び、僕の解放を懇願している。
当然、僕を捕らえる鉄の指は身をよじろうが蹴ろうがびくともしなくて――十メートルもないであろう彼女たちとの距離が、ひどく遠い。
「安心しなよ人形。こいつには何もしないって。アルルカンはオマエたちより自分の力が優れてることを証明して、オレはその結果をもってオマエたちを壊すだけだよ」
「……草凪さん、あなたはどうしてわたしたちを排除しようとするのですか」
「ぼくたちに恨みでもあるの? それとも誰かに言われたの?」
「そういうのじゃないかな。自分にとって必要だからやるだけ。好き嫌いの話で言えば……どっちでもないな。ヒトは嘘つきだから嫌いだし、モノは素直だから好きだけど、混ざりものの人形に関してはノーコメント。あんまり興味ない」
いつ間違えた? 戦おうとしたこと? この公園に来てしまったこと? 魂宮大で第4号の本性を見抜けなかったこと? ……あるいは、もっと前から?
どうする? どうすればいい? この状況から何が出来る?
このままでは、クランとラズが――。
「さて、あとは有言実行。アルルカン」
草凪の号令で、アレキサンダーの右手がクランとラズに向けられた。
空気が震え、帯電する四本爪の間に白い光の帯が走る。
「やめろ!!」
僕は喉が張り裂けそうな勢いで叫んだ。
「なんでだよ。草凪、きみが何か望んでいるのは僕にだろ。何かしろっていうならするよ。だからお願い。頼むから、二人のことは」
「オマエに望むこと……そうだな」
ここに至るまで愉悦の表情を崩さなかった彼女が、不意に静かな口調で語り始める。
「別に見てるだけで良かったんだよ、緋衣。オマエが昔のオマエのままだったら……オマエという同類がいることで、オレは安心したんだ」
「僕が、きみと同類……?」
「他人を信じない。他人を受け入れない。自分しか信じない。自分しか要らない。自分と同じ理不尽を食らって、自分と同じ価値観を持ったやつがいる。それが嬉しかったの」
「……それは……」
否定できなかった。
人を信じず、遠ざける。それはまさに自分がやってきたことだ。
学校の同級生たちに。こんな自分を受け入れ育ててくれた、育ての両親にさえも。
だけど――
「だけど残念なことに今は違うみたいでさ」
草凪の視線の先にあるのは、成すすべもなく身を寄せ合う双子の姉妹。
……そう。冷たく寂しかった心を暖かく解きほぐし、僕を今の僕にしてくれたのは、他の誰でもない彼女たちだ。
「言ったろ? オマエにはああいう顔してて欲しいって。だったら――オマエを今のオマエにしたモノを、壊してやればいい」
「そんなことの、ために……?」
「ただ人形たちが居なくなればいいって話じゃない。一度芽生えた執着っていうのはそう簡単に消せるモノじゃない。昔のオマエとまるきり同じにはできない。……ならせめて、それを上回るような憎悪を抱いてもらわないと。神川とかいう連中じゃなくて、オレにさ」
――たった、それだけ。
「これだけインパクトのある演出をしてやれば、忘れられない最悪の思い出になるだろ?」
――たったそれだけの自己満足のために。これだけのことをして、その果てに二人の命を奪おうというのか。
怒りも呆れも通り越して、脱力感が全身を襲う。
草凪一佳は怨恨のために殺すのではなく、利益のために殺すのでもなく、ただ僕という個人の喪失と憎しみを求めるがために、この馬鹿げた舞台の上で最愛の二人を殺す。
そしてそれは、狙い通りの効果を抜群にもたらすだろう。
「……やめてよ。もういいだろ……クランとラズがいなくなったら、僕は……もう生きてなんかいけない」
「生きるさ。オレにもオマエにも、他人は必要ないんだから」
「そんなわけないだろ! その子たちは違う!」
「そうそう、こっちだって長いことやきもきしてたんだ。そういうのもっとちょうだいよ」
四肢が折れんばかりの力で押し返すものの、それでも拘束は一ミリも緩まない。
街灯に、売店に、マーケットのテントに、僅かに残っていた広場じゅうの光が消え、その分だけクランとラズに向けられる光が強まってゆく。
「緋衣瑠生! くそっ、こんな――」
「クランさん! ラズさん――」
双子のスマホもドローンの残骸も沈黙し、レオとシェヘラザードの通信が途絶する。
A.H.A.I.第4号が操るこのマシンは、最初からやろうと思えばこの広範囲のどこからでも電力を吸い取れたのだ。――さっきの戦いも全部が演出。必死に抗ったのも全部が茶番。二人の死は最初から、草凪によって決められていた。
徒労だ。無力だ。絶望感が心を覆う。
白くスパークする光の迸りはどんどん激しくなり、パリパリと空気が震え、辺りを眩しく照らしてゆく。
――嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。こんなことあってたまるか。
父さんと母さんのように、僕はまた――喪うのか。
「クラン! ラズ! 逃げて!!」
双子は動かない。その指先には、ベンチに座っていたとき渡すはずだったクリスマスカードがあった。一枚のカードがクランの右手とラズの左手に、まるでいつも三人で手を繋ぐときのように。
……ああ。さっき二人を突き飛ばした拍子に落ちたのか。
きみたちへの感謝も愛しさも、そこに書いたくらいじゃ全然足りない。
これっぽっちも伝えきれていないのに。
「というわけでお人形さん、最期になんか言い残すことある?」
「いいから走って! 逃げて!」
二人は何も言わない。ただゆっくりと、その場に立ち上がった。
「……特になし、か。まあいいけど」
結局のところ僕がいつ間違えたのかといえば、戦おうとしたことでも、この公園に来てしまったことでもなく、そもそも最初からで。
こいつの言うとおり、人を拒絶することしかできない人間が人を愛そうとしたから。執着心を持ってしまったから。
だから、こういう結末になるしかなかったのかな。
「じゃ、さよなら」
「やめろぉぉぉぉっ!!」
ふたつの小さな心臓を撃ち抜く、雷の矢が放たれた。
――こんなことになるくらいなら。
どうして直接、大好きだって言ってあげられなかったんだろう。