11_追跡のシュークリーム

1 / 緋衣瑠生

 自称オバケこと、A.H.A.I.第6号の追跡は困難を極めた。
 彼女は追いかけた先で右に現れ左に現れ、近づけば人混みをすり抜けて遠ざかり、姿を消したかと思えば後ろに現れる。そんなことを既に五回ほど繰り返していて、その神出鬼没な挙動に僕たちは振り回されっぱなしであった。
 街に溢れる人の多さも、こちらの行動を大きく制限していた。第6号が出現すればどよめきが上がり、群衆の注目がそこへ行くので所在はすぐに知れるが、人の壁に阻まれて辿り着くことができない。

「ああもう、全然追いつける気がしないや……ウサギ追っかけるイベントみたい」

 ラズの言うウサギのイベントというのは、僕たちにとってはお馴染みのオンラインRPG「ファンタジア・クロス・オンライン」に登場する場面だ。ウサギの姿をしたNPCを追いかけて目的地を目指すシーンなのだが、プレイヤーを導くウサギは一定の距離に近づくと凄いスピードで離れていき、絶対に接触できないようになっている。
 ようやく手が届きそうなところまで近づいた黒猫の少女は、いたずらっぽい笑みとともに蜃気楼のように消えてしまった。言ってるそばからこの有様である。

「ほらほら、こっちこっち!」

 そんな状況の中でも、第6号の誘い声は不思議と鮮明に聞こえてくる。今度はすぐそこ、シュークリーム屋の前だ。金髪赤眼の半透明少女はくるくる踊り、店先に並んだ包みをおもむろにひとつ取って、こちらへ投げて寄越した。

「はい、どーぞ」
「え? わわ、あぶなっ」

 投げられたシュークリームをラズが慌ててキャッチすると、その隙に第6号はドロンと姿を消してしまった。

「ああっ、すみません! ええと、支払いは」
「緋衣瑠生、おれを使え。Suicaで決済ができる」

 僕が謝ることではまったくないのだが、万引きと思われてはたまらないので慌ててレジに駆け寄る。
 店員さんも突然の怪奇現象に目を白黒させていたが、とりあえずサバトラ猫をカードリーダーにタッチする。にゃーん。……これ、羽鳥先輩の残高なのかな。

 今のところ第6号の行動は、僕たちを振り回して遊んでいるようにしか見えない。危険な「イタズラ」が嫌なら自分を捕まえてみろ、と彼女は言ったが――。

「ラズ、あれは一応触れるんだよね?」
「たぶん。少なくともさっきは触れた感じがあったよ。本当にヒトの手みたいだった。でも他の人はすり抜けてるし、どうなってるんだろ」

 ――今のあたしは、どっちかっていうとあんたたちに近い状態。
 ラズの頬に触れたとき、第6号がつぶやいた言葉も気にかかる。あれもまた、AIシステムが生んだ人格が「何か」に宿った存在だとでもいうのだろうか。

「やっぱり、立体映像ってわけじゃないのか……」
「仮にアレが立体映像ならば、必ず投影装置が存在するはずだ。これだけあちこちに出現するのなら街のいたるところに投影装置が必要なはずだが、その様子はない。他の立体映像に見られるノイズが確認できないことからも、アレは既存の立体映像とは別の何かである可能性が高いだろう」

 レオは僕が左手に提げた編みカゴから顔を出し、内蔵カメラとマイクで状況をモニタしている。その冷静な分析がより一層「もしかして」という気持ちを強くさせた。
 いま僕たちが追いかけているモノは……本当に幽霊的な何かなのではないだろうか。
 目的不明、正体不明。第6号を名乗る何かの存在が途端に薄気味悪く思え、薄ら寒いものが背筋を這い上がってくる。

「しっかりしろ、緋衣瑠生。いま眼前にあるモノが何であれ、それをコントロールしているのはおれと同じAIシステムだ。アレがかつてのおれと同じことをしようというのなら、必ず阻止しなければならない。できることは限られるが、可能な限り支援する。頑張れ」
「へ? ああ、うん……」
「どうした。そういう表情を『鳩が豆鉄砲を食ったよう』と言うのだったか」

 あの第5号から「頑張れ」なんて言葉が出てくるとは思っていなくて、思わずそんな顔になってしまっていたらしい。

「……まさか、きみに励まされるとは思わなかった」
「おれは羽鳥青空の命令に従っているだけだ」
「そっか。そうだね」
「何が可笑しい」
「なんでもないよ。ありがとう」

 思い込みが激しくて融通の効かないヤツだと思っていたけれど……クランとラズがそうであるように、レオもまた羽鳥先輩のもとで少しずつ変わっているのだ。

「むぅっ、レオには負けないよ。あいつはぼくが捕まえてやるんだから」

 ラズもシュークリームを頬張りながら対抗意識を燃やしている。……そうだ。最初は彼女を置いていこうとしたくせに、僕がうろたえていて一体どうする。

「そうそうその意気。真面目に追っかけてきてくれなきゃつまんないよ」

 またどこからか、人をからかうようなあの声が聞こえてきた。
 だが姿は見えない。ラズが背中合わせにくっついてきて警戒体勢をとり、僕も周囲を注意深く観察する。

「ちがうちがう、こ・こ・だ・よっ」
「わひゃぁ!?」

 背後からラズの素っ頓狂な声があがり、振り返る。
 見れば、彼女の右脚にまとわりついているものがあって――それは上半身だけの半透明のガイコツであった。思わず「うわっ」と声を上げてしまう。
 そこへあっという間に肉がつき、肌が整い、金髪と黒いドレスがきらめき、アスファルトの路地に半分埋まってラズの脚に抱きついた格好の第6号が姿を表した。

「トーダイモトクラシってね。遠くばっか見てたら捕まえられないよーだ」
「このっ!」

 ラズがしゃがんで掴みかかろうとすると、オバケ少女はやはりそれをすり抜け、地面に吸い込まれるように消滅する。

「ええっ、地面も通り抜けちゃうの!?」
「だってオバケだもーん」

 次の声は僕の耳元から。たった今沈んでいったはずのそいつが背後に浮かんでいるのが、気配としてはっきり感じられた。顔のすぐ横、視界の隅にわずかに映りこんできたその表情は、いたずらっぽい笑みを浮かべている。
 ……突然の事態に心臓が跳ね、動けなくなってしまう。彼女はそのまま、肩の上から抱きつくようにしなだれかかってきた。ラズの言ったとおり、本当に触れている感じがする。肌と布擦れの触覚がありながら体温が感じられない、なんとも不気味な感覚だった。

「どう? あたしを肌で感じるでしょ? こうやっていろんなことができちゃうんだよ。たとえば――」

 透き通る手が赤ずきんのケープをめくって、鎖骨から首筋をなぞるように撫でてくる。
 飴玉を転がすような甘い声と裏腹に、感じるのは……敵意? いや――

「このままあんたをやっちゃうとかね」

 最後の囁きはこれまでの無邪気さから一転、冷たく鋭く刺すような――はっきりと「殺意」を感じさせる声色。耳だけじゃなく、指先からも染み込んでくるみたいだ。
 やばいと思った時には、既に十本の指が喉に食い込んでくるところだった。

「やめて!!」

 僕が自力で引き剥がしにかかるより早く、ラズが飛びついてくる。
 それと入れ替わるように、背中と首にまとわりついていた感覚がふっとなくなって、気配が後ろに飛び去ったのがわかった。

「おっとと、捕まっちゃうところだった。……そんな怖い顔しないでよ。今日は遊びなんだから、そんなことしなーいよっ」
「瑠生さんに触んないで。この人はラズのお兄ちゃんだよ」
「へぇ。このお姉さん? お兄ちゃん? まあどっちでもいいけど、そんな大事?」
「当たり前でしょ。なんか今の……すっっっごいヤだった」

 ニマニマと笑う第6号を、ラズは珍しく敵意を剥き出しにして睨めつけている。
 ……今のは、なんだ? 首筋に感じた恐怖は本物だった。まるで接触面から直接肌を伝ってくるような、生々しい殺意。ますます得体の知れない相手だ。

「助かったよ。ありがとうラズ、僕なら大丈夫」
「ん。……あ、ゴメン。せっかくのコスがしわになっちゃうね」

 胸元にしがみつく彼女の背を撫でてやると、強張った身体から少し力が抜けたようだった。そのはにかみ顔に、自分もまた緊張が和らぐのを感じる。

「もしもし。そんな場合じゃないんだけど、いちゃつかないでもらえます? ……なーんか、ちょっとイジワルしたくなっちゃったなぁ」

 僕たちを見下ろす視線は、いつの間にかひどくつまらなさそうなものになっていた。
 ――今の至近距離で掴みかかっても逃げられてしまうとなると、どう捕らえるべきだろうか。考えあぐねているうちに、第6号の姿はまた霧散してしまう。

「もう、また消えた!」
「待て緋衣ラズ」

 やみくもに駆け出そうとするラズを呼び止めたのはレオだった。

「第6号の挙動について少し気になったことがある」

2 / 緋衣ラズ

「最初の出現時と、シュークリームを投げてきたとき、そして今しがた。この端末のセンサで、周辺の磁場が大きく乱れているのを観測した」
「磁場の乱れって、コンパスがくるくるしちゃうみたいなアレ?」

 ぼくの問いに、瑠生さんの編みカゴから顔を出した猫のマスコットは「とりあえずその認識で構わない」と頷いた(ように見えた)。

「アイツが出現すると、その磁場の乱れが出るってこと?」
「少し違う。厳密には、アレが特定の行動をとっている間だけだ」

 レオの言う「特定の行動」に思い当たったのだろう、瑠生さんがつぶやく。

「ものをすり抜けず、接触しているときだね」
「そのとおりだ。まだサンプルが少なく確証はないが、磁場が乱れるタイミングは接触の瞬間と一致する。アレは物体をすり抜ける状態と、接触可能な状態とを相互に切り替えているものと推測する」

 さしずめ、すりぬけモードとおさわりモードといったところだろうか。……だが、それは要するに。

「こっちが向こうに触れられるかどうかも、あっちの気分次第ってこと? ますます捕まえられる気がしないんだけど!」
「チャンスがあるとしたら、先程のようにアレが接触を図ってきたときだが」

 こちらを挑発するような、見せつけるような第6号の姿を思い出す。
 ねっとりとした目で妖しく見つめ、瑠生さんの胸元から首筋を撫でるしぐさに、ぼくは大切な宝物を無遠慮にベタベタと触られるような不快感と、みすみすそれを許した自分への強い怒りをおぼえた。
 突然の出来事に驚いて、衝動のままに飛び出してしまったけど、あの時だって本気で捕まえようとしたのだ。なのにまんまと逃げられてしまったという事実が、苛立ちと焦りを煽ってくる。
 なんとかしたいけど、いったいどうすれば……一瞬反応が遅れてしまったのは、そんな思案をしていたせいだろう。

「はーい。そういうつまんないネタバラシは――」

 突如眼前に現れた第6号は、頭上に右手を振りかぶっていて――そこには、鈍く光る大きなナタが握られていた。

「――やめてください、ねっ!!」
「えっ」

 息を飲む間もなく、斜めに振り下ろされる。

「ラズ、下がって!」

 ブォン、と鈍く風を斬る音。
 瞬間、ぼくの身体は後ろに引き寄せられていた。瑠生さんが咄嗟に抱き寄せて一歩下がってくれたのだ。
 おかげでぼくたち二人はナタの一撃を浴びずに済んだけど、ぼくを庇う左腕に提げられていた編みカゴが、盾がわりとなってばっさりと切り裂かれてしまった。中に入っていたお菓子と、猫のマスコット――レオが宙を舞う。

 今起こったことを把握し、ぞわりと冷たいものが時間差で背筋を這った。
 あいつの姿が変幻自在であることはわかっていたけど、まさか刃物まで持ち出して振り回すなんて。
 カゴから飛び出してしまったレオは、そのまま第6号の左手に収まった。

「あは。悪い猫ちゃん、つっかまーえた」

 楽しげな声とともに、華奢だったその腕がみるみる太く大きく、鋭い爪を備えたものに膨らんでゆく。
 指の間からかろうじて見えるサバトラ猫の首を見せつけるように、陰惨な笑みを浮かべた少女は異形の左腕を高く掲げ――

「レオっ!」
「はい、没収~」

 にゃーん。おなかの押しボタンで流れる鳴き声が、まるで断末魔の悲鳴のようで。ばきばきっ、と内蔵部品が砕ける音を立てて、レオは握り潰されてしまった。
 猫の首がぽとりと地面に転がり、一拍遅れて開かれた悪魔の手から、くしゃくしゃになってしまったボディが落ちた。

「あんたたちがつまんないことばっかしてるのがいけないんだよ?」

 第6号はけらけらと笑う。
 ――レオがやられた。あまりにもあっけない事態に、瑠生さんの助けがなければ自分が餌食になっていたかもしれないという恐怖に、ぼくは声を失ってしまった。

「こいつ……よくも!」
「なぁにがよくもよ。自分は容赦なくこの子のドローン叩き壊したクセに」

 怒りをあらわにする瑠生さんへの第6号の返しが、皮肉にもぼくに思い出させてくれた。
 そうだ、ドローンと同じ。ぼくたちオーグドールと違い、端末が壊されただけでA.H.A.I.第5号の本体が死んでしまったわけではない。……だけど、もうレオのサポートは受けられない。今みたいに物理的に干渉してくるときが捕まえるチャンスだと、彼はヒントを残してくれたけど。

「こんなの、無理だよ……!」

 レオには負けない、なんて言ったくせに。鈍く光るナタと無惨なマスコットの残骸を前に、心臓が跳ね、足がすくみ、血の気が引いてゆく。
 今は目の前の「それ」が恐ろしくてたまらない。
 遊びだなんてとんでもない。一生懸命追いかけていた相手は、破壊や殺傷に対して一切の躊躇がない。想像以上に危険な存在だった。