09_策謀のカスタードプリン

1 / 緋衣瑠生

 十月後半ともなると気温もだいぶおとなしくなり、屋外で思い切り走っても生命の危機を感じることはない。そういう季節になったこともあって、僕と同居人の双子は毎日のように、三人連れ立って近所をぐるっと一周ジョギングするようになっていた。

「最初はひたすら眠くてしんどかったけど、慣れるもんだなあ……」

 穏やかな陽光と心地よい朝の空気の中、額の汗をタオルで拭う。僕たちはまさに今、その日課を終えて自宅の真ん前に戻ってきたところだ。時刻は驚異の午前六時前、なんと健康的なのだろう。もちろん平日なので、このあと僕は大学、クランとラズは中学にそれぞれ準備をして出発することになる。

「お兄ちゃん初日は死にそうな顔してたよね」
「だけどすぐに順応していました。さすがなのです」

 半袖ハーフパンツでジョギングスタイルの双子は、軽く汗をかいているが涼しい顔だ。

「そりゃまあ、僕だって中学生の頃は朝練で走ってたわけだし」

 これくらいは慣れてみせないと、年長者として立つ瀬がない。
 ちなみにラズは現役陸上部だが、彼女らの通う中学校では朝練は全面的に禁じられているそうだ。今はそういう学校も結構あるようで、時代の移り変わりを感じる。

 シェヘラザードの一件により、A.H.A.I.はその総数が十二台であることが明かされた。
 彼らはどこにいるのか、僕たちにとって危険となりうる存在なのかはわからないが、五月の第5号案件や七月の第8号案件のようなトラブルに、もはやいつなんどき巻き込まれるかわからない。
 ――ならば、基礎体力はつけておいたほうがいい。双子が唱えるそんな主張に僕が乗っかったことにより、この健康意識の高い習慣は始まった。
 また、極めて特殊な生い立ちを持つ彼女らは、定期的に都内のラボ分室でメディカルチェックを受けているのだが、最近はそのついでにラボが誇る超人ガードマンこと熊谷和久(クマガイ・カズヒサ)さんから護身術の手ほどきも受けるようになったという。……実は僕も、先日二人についていって基礎講習を受けてきた。いざというときの手札は多いほうがいい。

 このあたりのフィジカルな鍛錬には、特にラズが気合いを入れている。いわく、クランや僕のこともまとめて守れるくらいに強くなるのが目標なのだという。熊谷さんから見ても彼女からは特に強い向上心が感じられ、動体視力や反応速度、体術の筋も良いとか。
 すらりと伸びた褐色の四肢には、部活で鍛えられてきたであろう筋肉が見て取れる。最初に出会った頃はちょっと心配になる細さだったけれど、健康的とはまさにこのことだ。

「ふふん。ちょっとは強そうになった?」

 視線に気付いたラズがガッツポーズをとってみせる。だけど得意げなドヤ顔は、相変わらずのかわいらしさだ。

「うん。さすが現役の運動部って感じ」
「えっへへ。やったあ」

 その場で跳ねながらくるくる回り、「褒められたぞ自慢」の視線を投げかけてくる妹に、クランは少し頬を膨らませている。

「むう……いいもん。わたしは別のスキルツリーを伸ばしてる最中だもん」
「そうだね。クランは料理とか家事とか頑張ってるもんね」

 そんな二人の背をトントンと叩き、部屋に戻るよう促す。ぼちぼち朝食をとって、出かける支度をしなければ。
 さて、そんなバトル漫画の修行パートめいた備えをしておきつつ、僕はこれが心身の健康以外の役に立たないことを祈っていたわけだが――そうはいかないのが世の常であり、僕たちが背負ってしまった宿命なのだと痛感するのは月末のこと。
 十月の終わり、すなわちハロウィンだ。

 月末も近づいてきたある日、ひとつの荷物が家に届いた。

「どうでしょう? 似合いますか?」
「うん。バッチリ可愛い!」
「ねえねえ、ぼくは?」
「いい感じだよ。よく似合ってる!」

 さっそく箱を開封して着替えを済ませた双子が、僕の目の前でカワイイポーズをキメている。
 クランが纏うのはリボンをあしらったケープとかぼちゃを思わせるふんわりスカート、そして大きな三角帽子。オレンジとパープルを基調にした、お手本のような魔女コスチュームだ。
 ラズは真っ黒なローブを羽織って、首には大きなドクロ飾りを提げている。しかし中に着ているガーリーなブラウスとミニスカートのおかげで、しっかり可愛い死神になった。
 そう、ハロウィンコスである。

 うちには姉の鞠花から送りつけられた、双子のための様々なコスプレ衣装が存在する。二人は一年を経て少し背が伸びたものの、大半はまだ着ることができるのだが……その中にハロウィン用の衣装は存在しない。
 この日届いたのは、夏頃からときおり都内各所の専門店を見て回った末に発注したアイテムだ。まあまあの出費ではあったが、今はクランとラズを預かっていることで「研究協力費」の名目でラボから幾ばくかの金額が振り込まれているし、何より季節限定の可愛いコスに身を包んだ二人を僕自身が見たかったのだから仕方がない。
 無駄遣いなどでは、断じてない。

「それじゃ二人とも、こっち見て。はいチーズ」

 慣れた様子でしっかりキメ顔をくれるクランとラズに、スマホのカメラシャッターを切る。
 ……二人は今やすっかりコスプレ大好きっ子である。それもこれも、僕がこうやって大喜びで写真を撮りまくり、そのたびに褒めちぎってきたせいなのだが。とはいえこんな光景を撮らないわけにはいかないのだし、ばっちり似合っているものを讃えないわけにはいかないのだから仕方がない。
 やはりカメラや機材もきちんと揃えるべきだろうか。時々ネットで撮り方のコツみたいな記事を見て工夫してはいるのだが、それこそメディアに載っているような美麗な写真と比較すると、やっぱり足りない、パッとしない画しか撮れていない気がする。
 せっかく被写体は最高なのに。そんな思いは日に日に大きくなってくる。写真に凝り始めると囚われるという、恐るべき底なし沼――この気持ちは、そこに片足を突っ込めと誘うものなのかもしれない。

「装備も整いましたし、週末が楽しみですね」
「今のぼくたちなら仮装コンテストの入賞も狙える気がする!」

 今月最後の週末、霜北沢の駅前エリアではハロウィンにちなんださまざまなイベントが催される。例年仮装で参加する人も多く、二人にとっては華やかな衣装を着て堂々外出できるまたとない機会だ。
 去年は既存のゴスロリドレスにそれらしいアクセサリーを合わせることで対応したのだが、やはり彼女らはイベント専用コスチュームが欲しかったようで、若干の心残りがあった。そんなわけで、今年はクランもラズもかなり気合いが入っている。

「せっかくだから、お兄さまも衣装を買えばよかったのに」
「いやあ、僕はあくまで撮りたい側というか、目立つのは苦手というか……」
「わたしは常々思っているのです。お兄さまはこんなにスタイルが良いんだから、いろんな衣装が映えるはずなんです。ね、ラズ」
「うんうん。今回だったら……ヴァンパイアの格好とかどう? 良くない?」
「いい! 絶対似合う!」

 無邪気な矛先を僕に向け、双子がきゃっきゃと騒ぎ始める。
 なんだか話がおかしな方向に転がり始めた。これはいけない。

「着ないってば。それにほら、今からじゃ週末に間に合わないでしょ」
「「えー!?」」

 二人は大不満の声をハモらせ、口を尖らせる。

「こういうこと言うとお兄ちゃん、頑なに拒否するよね。ぼくたちのことはいろいろ着せ替えて遊ぶくせに」
「それはほら、クランもラズもすっごく可愛くて、とっても写真映えするからであって」
「「えっへへへへ」」

 揃って頬を緩ませたのも束の間、双子はやはりぴったりシンクロしながら表情筋を引き締めた。

「ラズ、丸め込まれちゃダメだよ!」
「そうだった! こうなったら、水琴ちゃんとか羽鳥さんにも協力してもらおっか」
「この手の楽しいことなら、猫山さんやお姉さまも力を貸してくれるはず!」
「あーもーきみたち、他の人を巻き込もうとしない。やんないかんね」
「「ぶー!!」」
「ぶーじゃないの。あんまりしつこいとおやつの猫山さん特製プリン、僕が全部食べちゃうよ」
「「横暴だー!!」」

 断固としたノーを突きつけると、二人は不承不承といった様子で引き下がった。
 近頃はベタ褒めで注意を逸らす戦法も見切られつつある。狡猾な大人の子供騙しは、もはや彼女らに通用しないのだ……!

 ……さて。
 その後の双子ちゃんはけろりとした様子で引き続きノリノリのポーズをキメた後、ご機嫌でカスタードプリンを頬張っていたので、いっときの思いつきを本当に実行するつもりはないのだろう、なんて油断していたのだけれど――そうはいかないのが世の常であり、僕の認識があまりにも甘かったのだと痛感するのは週末のこと。
 十月の終わり、すなわちハロウィンだ。