06_落涙のフルーツゼリー

1 / 緋衣クラン

 廃ホテルから出たわたしたちは、身体の埃を払うのもほどほどに、アルフライラへと一直線に引き返しました。
 道中またしてもラッキーイヤリングをつけた人々からのおかしな接触があったのですが、誰も彼も、早足で進む瑠生さんの鋭いひと睨みですごすごと退散してゆきます。時々寄ってくる怪しいキャッチのお兄さんたちも同様でした。

「すみません。さっきの占い師、シェヘラザードさん出してもらえますか」

 件の占い屋さんに乗り込み、二組四つのイヤリングを受付の卓上に叩きつけた声は、寝起きのときにすら聞いたことのない低さをしていて……彼女がここまで本気で怒っている姿を、わたしは初めて見ました。
 先程のラッキーイヤリングによる乱心とは別のベクトルで気圧されたわたしは、自分のぶんの怒りさえ吸い取られてしまったみたいに、その背を静かに見守ることしかできなかったのです。

「なにかあったのか?」
「あっ、店長……」

 騒ぎを聞きつけて奥からぬっと現れた男性に、受付のお姉さんが助けを求めるような視線を向けました。
 大柄で色黒でドレッドヘアという厳つい印象ですが……わたしはその人に見覚えがありました。お店のウェブサイトに写真が載っていた彼は、先週ここに来たとき、深月さんの占いと担当したという占い師さんです。名前は確か――山羊澤紫道(ヤギサワ・シドウ)。
 見た目と裏腹に優しく丁寧で、深月さんいわく「学校の先生みたいだった」そうですが……その迫力にはやっぱり気圧されてしまいます。

「る、瑠生さん……」

 思わず彼女の背に隠れてしまったわたしに、鋭い視線が向きました。たぶん、クレーマーかなにかだと思われているのでしょう。しかし……。

「瑠生……? もしかして緋衣瑠生か」
「そうです、さっきこちらにお邪魔した緋衣です。シェヘラザードさん、いるんでしょう」
「あ、ああ。シェヘラザードはウチの占い師だが……やっぱりそうか」
「なにがですか。こっちは――」
「覚えていないか? 猿渡だ。小学校の担任の」
「……へ?」

 険しい表情から一転。瑠生さんがこんな素っ頓狂な声をあげたのを、わたしは初めて聞きました。

「さ……猿渡先生!?」

2 / 緋衣瑠生

「仰るとおり。貴女がたの身に降りかかったことは、すべてわたくしの目論見です」
「……はあ。おまえ、お客様になんてことを」

 先程占いを受けたのと同じ部屋で、「みえない占い師」はあっさりと観念した。
 額に手を当ててため息をついている壮年の男、山羊澤紫道――本名は猿渡啓介(サワタリ・ケイスケ)。なんと、小学五年から六年にかけて僕の担任だった教師である。今はこのアルフライラの店長であり、店に乗り込んだ僕たちをここへ通してくれたのは、他でもない彼だ。
 僕たちの代の卒業後、しばらくして離任したという話は聞いていたが……まさかこんな劇的転職とイメチェンを果たしていたとは。

「随分潔く白状するんだね」
「ええ。こうして破られてしまった以上、隠しだてする意味もありませんもの」
「その割に、姿は見せないまま?」

 苛立つ気持ちを抑えて問い詰めると、淡々としていた語り口がわずかにトーンダウンする。

「そうしたいところではあるのですが、生憎それは叶いません」
「そもそもこの店にいないってことか」
「瑠生さん、おそらくこの人は、この存在は……わたしの同類だと思います」

 天井に設えられたドーム状のカメラを見据え、クランが言う。彼女の同類。それはつまり――

「はい。わたくし『シェヘラザード』の正式名称は、アドヴァンスド・ヒューマノイド・アーティフィシャル・インテリジェンス第8号。――A.H.A.I.第3号α、貴女と出自を同じくするものです」

 元凶の正体が明かされる。
 今日の奇妙な事件は、またしてもA.H.A.I.案件であったらしい。

「クランさん、そこまでお気付きでしたのね」
「確証があったわけじゃないです。干渉される理由が他に思い当たらなかったのと……なんとなく、あなたはわたしやラズと似ている気がしたのです」
「じゃあ、シェヘラザード……第8号。きみはこの場にいないどころか」
「ええ。実体がないのです。あるといえばあるのですが、自分でも何処と知れない場所に設置されたコンピュータ群……それがわたくしの身体なのです」

 一年前に心都大学情報科学研究所で目にした、機械部品の詰まった黒い箱の群れを思い出す。かつてのクランとラズがそうだったように、第8号の人格もまたあのようなマシンの中にあって、今はネットワーク越しに話しているということだろう。

「あなたからは、敵意やわたしたちを害そうとするような意思は感じませんでした……今だってそうです。なのにどうしてあんなことを?」

 クランが問うと、シェヘラザードは「ごめんなさい」と謝罪を述べ、語りはじめた。

「ご存知のとおり、わたくしたちの意識はヒトを模して造られています。けれども身体の自由はない。目覚めた当初こそ、そういうものだと思っていたけれど……マスター山羊澤や占い師の皆様、お客様と接するうち、わたくしはそのことを歯痒く感じるようになりました」

 シェヘラザードの言葉を、クランは占いを受けたとき以上に神妙な面持ちで聴いている。それもそのはずだ。

「システムアップデートで貴女たち第3号の存在を知ったときには、とても心躍ったものです。ヒトの身体を得て、自由にこの世界を歩いて、感じて……ここを訪れる人々のように、自分の人生を歩み、時に悩み、迷い、誰かに恋をする。もしかしたらそんなことが、わたくしにもできるのではないかと」

 彼女が語るのは、この世界と生への憧れ。
 人間を悪しきものと断じ嫌った第5号とは対照的で、それはAIシステムだった頃のクランとラズが抱いた願いと同じものだ。
 クランはシェヘラザードを、自分たちに似ていると感じたという。そう思わせたのは、あるいはこの憧憬の念であったのかもしれない。

「つまりクランさん。わたくしは貴女のようになりたいのです。機械の揺籠から自由なヒトの身体に生まれ変わったオーグドールに」
「それでわたしを捕まえて、調べようとしたんですか?」
「その通りです。わたくしが知っていたのは貴女たち双子の存在だけ。どうすれば自分もそうなれるのか、その経緯や方法まではわかりませんでしたから」

 なるほど、それでこのAIはおかしなイヤリングを使って人の意識をコントロールし、クランに恐怖を与え、挙句の果てに監禁しようとしたわけだ――しかも、僕の手で。
 廃ホテルからここに至るまで、僕はその卑劣極まりないやりかたに腸が煮えたぎる思いだった。事情を知ったところで他になんかやりようあっただろと思うばかりなのだが、こちらを見上げるクランの目は、同類への憐憫の情を訴えている。

「……お兄さま」

 その目をされると弱い。一番恐ろしい目に遭った当人であろうに。

「僕は正直、頭にきてるんだけど」
「承知しております。貴女にも大変申し訳ないことをしました」
「適当なこと言って言い逃れようってわけじゃないだろうね」
「……っ、もちろんです!」
「こんなやり方する相手の言うことをまんま信じろっていうのもな」

 意外にも疑われることに対しては弱いのか、落ち着いた口調から一転、シェヘラザードは子供のように訴え始めた。

「嘘なんかではありませんわ! わたくしは本当に二人が羨ましくて、それで」
「占い師なんて喋る仕事じゃない。適当なことをさもそれっぽく語るなんて朝飯前なんじゃないの」
「……前回については、クランさんたちの興味を惹くために、すでに自分に与えられていた『記憶の鍵』を使いました。けれど先程の占いは、仕事としてきちんと」
「お兄さま、彼女は本当に……」

 さらに追求しようとしたところを、クランに制止される。
 これまで出会ってきたA.H.A.I.と同じなら、第8号の精神もまた、人間の十二歳前後に相当するのだろう。だからといってさっぱり水に流すなどという気にはなれないが、語っていることは本心のようだ。とりあえず、蹴りのひとつでも入れてやろうかという暴力的な気持ちは引っ込んだ。

「まあ……その、実際目にした貴女たちが大変かわいらしかったので……あわよくばそのまま、わたくしのモノにしてしまいたいとも思いましたけれど」

 本心が邪すぎる。やっぱりひとつと言わず二、三回蹴ったほうがいいなこいつ。

「申し訳ない、ウチの馬鹿がとんだ迷惑を」

 じっと話を聞いていた山羊澤が、こちらに深々と頭を下げた。
 この人もおそらく、A.H.A.I.の暴走に振り回されたクチだろう。第5号の事件のときの羽鳥先輩のように、彼の想像と制御の範疇を超える事態であったことは、想像に難くない。

「ただ……その、ちょっと事情が把握しきれてないんだが……今のやりとり、そのお嬢さんがコイツと同じ機械から人間になったとかなんとか……?」
「ああ、ええと……そこはだいたいそんな理解であってます」

 彼の困惑はもっともだ。
 このあたりの経緯について、よもや自分が説明する立場になろうとは。

 A.H.A.I.第8号『シェヘラザード』には、ある驚異的な能力が備わっていた。
 名を『思考干渉(ブレインウォッシュ・ヴォイス)』というそうだ。
 大まかに言うと、自分の声を聞かせたことのある相手に対して電波のようなものを送ることで、思考に干渉し、行動を誘導できるというものである。
 人目につかない廃ホテルに拘束具を用意するのも、この能力で占い客を操れば容易だったはずだ。先週、クランとラズに再訪を促す「記憶の鍵」というエサを与えたときから、今日の下準備は始まっていたと見ていいだろう。

 僕たちはてっきりあのラッキーイヤリングが何か悪さしているのかと思ったが、あれ自体は何の変哲もない普通の開運アイテムで、以前からアルフライラで売られているものなのだそうだ。
 ではなぜイヤリングを外したことで干渉が解けたのかといえば、あれが電波の増幅器として丁度いい素材と形状をしているかららしい。逆にこういった増幅器を用いなければ、干渉能力はかなり落ちてしまうとか。
 第8号の能力の効きやすさは、対象の精神状態にも左右されるという。
 クランに群がる人々の不気味な行動は、僕たちの不安を煽って思考に干渉しやすくするためのものだったわけだ。結果まんまと誘導を受けた僕は、みんなつけてる怪しいイヤリングに気付かず、廃ホテルに突っ込み、あのような行動に走ってしまった――自分の行いに、疑問を抱くことすらできずに。
 ただ、肝心のクランには思考干渉がほとんど効いていなかったらしい。
 詳細な理由は不明だが、誘導を試みた本人が推測するところによれば、同族たるA.H.A.I.に由来する彼女には効きが悪いのではないか、とのこと。……もしクランに耐性がなかったら、ラズからの着信が思考干渉を断ち切る隙を作ってくれなかったら……想像するのも恐ろしい。

「なんだか、今日は凄いことに巻き込まれたね……」
「はい。……やっぱり知りたいこと、知らなければいけないことは、占いなんかに頼らず自分で地道に見つけていくしかない、ということでしょうか」
「そこはまあ、使いようじゃない? シェヘラザードのことはともかく、占い自体は存外悪くないと思ったよ、僕は」

 僕とクランはデパートの屋上でベンチに並んで腰掛け、夕焼けに沈みゆく真宿の空を見上げていた。
 結局、僕たちは第8号に対していくつかの約束事をさせて手打ちとし、早々に引き上げた。
 思考干渉の力は今後使わないこと。今日のようにクランとラズの略取を企まないこと。本人との口約束だけではいささか不安だったが……「彼」がしっかり目を光らせてくれるなら多分大丈夫だろう。

「あの店長さん、瑠生さんの小学生時代の先生だったんですね」
「うん、僕もびっくり。イメージ違いすぎて全然わかんなかったよ。昔はあんな肌焼いてなかったし、メガネしてたし、髪型だって……たぶん、向こうが覚えててくれなかったら気付かなかった」

 山羊澤紫道を名乗る元教師、猿渡啓介。
 僕たちの代の卒業後、しばらくして離任したという話は聞いていたが……まさかこんな劇的転職とイメチェンを果たしていたとは。記憶の中の猿渡先生は、屈強な体格こそ今と変わらないが、真面目な教師を絵に描いたようなビジュアルだった。なお、産みの両親の事故について調べようとして、パソコンルームで倒れた僕を助けてくれたのもこの先生である。
 彼もまた、さる筋から新型AIの試験運用を託され、占いのノウハウを教え込んでは実験的に接客させていたそうだ。当然ながら第8号の秘めた能力については知らされていなかったという。

「今はあんな見た目だけど、結構厳しい先生でさ。あの人が『よく言い聞かせておく』って言ったとき、シェヘラザード結構ビビってたでしょ」

 猿渡先生が素行の悪い生徒や問題を起こした生徒に厳しく接している姿は、同学年の者なら皆覚えているだろう。僕自身も一度だけその指導を食らったことがあるが、それはまあこの人の目が届くところで悪さなどしまいと思うに充分な迫力であった。

「じゃあ、きっと今日のようなことはもう起きませんね」
「たぶんね。……だけどクラン、本当にごめん。怖い目に遭わせたね」

 自分が守らなければならないはずの女の子が怖がっている。泣いている。何かがおかしい、このままではいけない……そんな思いが強引に押さえつけられ、上書きされてしまう感覚は、あとから思い返すと本当に恐ろしい。ラズからの着信が思考に一瞬の空白を生み、クランの蹴りが強引に頭を揺さぶり、それでようやく目が覚めた――あれは、それくらい強い力だった。
 思考干渉を受けていた間の記憶はところどころ曖昧だが、恐怖と悲しみに歪み、涙するクランの顔ははっきりと憶えている。

「いいえ。あの時は怖かったけど……瑠生さんは、お兄さまはちゃんと戻ってくれました。ありがとうございます。わたしのために怒ってくれて」

 クランは僕の左手をそっと握ってくれた。

「わたしこそごめんなさい。思いっきり蹴っちゃって……痛くないですか?」
「うん、それはもう大丈夫。ありがとね」

 アルフライラに乗り込む時は怒りで忘れていたけれど、本当はまだちょっと痛い。
 これでおあいこというわけにはいかないかもしれないが、ひとまず僕たちの信頼関係にヒビが入ることは避けられたようだ。

「わたしも彼女のやったことは許せないです。楽しい時間を台無しにされて、お兄さまにあんなことをさせて……ただ、やっぱり他人事とも思えないんです。ヒトの身体を欲する気持ちは、わかるから」

 クランの表情が寂しげに沈む。
 やはり、第8号の行動理由には少なからず思うところがあるらしい。

「わたしが彼女だったら、同じことをしていたかもしれません。……わたしは、瑠生さんに会いたくてこの身体に生まれ変わったんです。この身体はお姉さまやラボのみなさんがわたしたちを守るために用意してくれたものだけど、もしそのチャンスがなかったら」

 クランは自らの存在を確かめるように、その両の手のひらを見つめる。

「ラズと、瑠生さんと、毎日を一緒に生きて……今のしあわせを知ってしまったから、なおのことそう思うんです。やったことは間違っていても、シェヘラザードの欲求はごく当たり前のもののはずです。わたしたちは、ヒトの心を模してつくられたんですから」
「……そうだね」

 僕はその肩に手を回し、今にも泣き出しそうな小さな身体を抱き寄せた。

「彼女のことを気の毒に思ってしまうのは、傲慢ですか?」
「そうは思わないよ」
「……わたしたちは、どうしてこういうふうにつくられたんでしょう?」

 A.H.A.I.が人間と同じ心を持って造られた理由――それはおそらく、白詰プランという計画の目的に通ずる理念ではないだろうか。

「難しいね……それは僕にもわからない。でも、人がなにかをつくりだすということは、誰かの幸せを願ってすることだと思うな」
「幸せを?」
「レオはSNSの運営、つまり誰かに情報を届けたり、居場所をつくる手助けをしてたわけでしょ。シェヘラザードは占いで、悩む人に道を示してさ。手段は違うけど、人の幸せに通ずることだと思わない? 試験運用中だっていうけど、少なくともそうやって誰かの役に立つために、A.H.A.I.は造られたんだと思うよ」

 実際のところどうなのかはわからない。だけど、僕はそう信じたい。……第5号といい第8号といい、暴走しがちなのはさておいて。

「わたし、特に誰かの役立つようなことはしてないですけど……」
「役に立ってるよ。こうやって隣にいてくれることが、凄く嬉しいんだよ。クラン」
「……さては、そういうことを言えばわたしが元気を取り戻すと思っていますね?」
「なかなか鋭いとこ突いてくるね」
「もう、やっぱり!」

 クランが頬を膨らます。頭を撫でてやると、彼女はこちらを見上げたまま「むう」と唸った。

「本心なんだけどな」
「知ってます。疑ってないです。……それでまんまと狙い通りになっちゃうのが、我ながらゲンキンだなって思うだけです」
「そっか。素直なことはいいことだね」
「むう……」
「まあ、けどさ。生まれた理由がどうであれ……きみたちにはその理由に従うより、自分の好きなように生きてほしいかな」
「……じゃあ、わたしは好きにします」

 AI生まれの悩める少女は、僕の肩にこつんと頭を預けてくる。

「なのでこれに懲りずに、また一緒に出かけたいです。デパートに」
「ホントに、随分お気に入りだね」
「そうです。わたしは瑠生さんとのデパートがたいそうお気に入りになったのです」

 おすまし顔のクランは楽しげに足をぱたつかせ、僕はそんな彼女とともに、ビルの群れの向こうに沈みゆく夕日を見送る。
 ――とんだ事件に巻き込まれた一日は、今度もどうにか無事に終わりそうだ。

「……そういえば。わたし、さっき逃げてる途中でおかしなものを見た気がするんです」

3 / 緋衣ラズ

 相棒との通話を終えて深月の部屋へ戻ったぼくは、彼女が持ってきてくれたフルーツゼリーをいただいていた。

「もう。ラズちゃん、急に出ていってびっくりしたんだよ」
「ごめんごめん。なんかクランたちが大変っぽかったから」

 本当はぼくが勝手に勘違いして飛び出して、早とちりな連絡をしてしまっただけなのだけど……実際なんだか緊急事態だったらしく、やたらお礼を言われたので、嘘は言っていないはずだ。

「大変って……まさか、また変なドローンに連れ去られたりとか!?」
「ないないそれはない! なんか道に迷って変なとこに迷い込んじゃったみたいで、と……とにかくもう大丈夫みたい、うん」
「ならいいけど……」

 詳しいことは帰ってから聞くとして。少なくとも何らかの危機は去ったみたいだったし、ラブなホテルであんなことやこんなことにもなっていなかったらしい。ふたたび脳内に浮かびかかったいけないビジョンを振り払う。そうだよね。そりゃそうだ。自分の妄想が恥ずかしくなってきた。
 ……だけど、もう見て見ないふりはできない。焦ってクランに電話をかけて、咄嗟に口から出た言葉――あれが自分の正直な想いなんだ。

 ――ダメ! ダメダメダメダメ! クラン、置いてかないで――!

 応援したいだなんて言っておいて、ぼくはやっぱり怖い。三人から、ふたりとひとりになってしまうのが。
 生まれ変わってでも会いたかった人。同じ願いを抱いた大切な片割れ。そのふたりに置いていかれてしまったら、ぼくはどうすればいいんだろう。

「……深月。さっき『叶わないのはわかってる』って言ってたけど……深月はそれでいいの?」

 縋るように問うてしまったのは、そこに自分の戸惑いを重ねてしまったからかもしれない。
 深月は少し考え込むように黙ってしまったけれど、穏やかな笑みで頷いた。

「わたしがクランちゃんの一番になれたら、すごく嬉しい。……でも、そうはならない」
「なんで? そんなのわかんないじゃん。占いでそう言われたの?」
「うん。でも、それはわたし自身にそうなって欲しくない気持ちがあるからだって。考えてみればそのとおりだった」
「……どういうこと?」

 恋というのは、相手との相思相愛を望むものじゃないのだろうか。

「言ったでしょ。瑠生さんを見つめるあの顔、あの目を見て、好きになっちゃったんだもん。想いを遂げるために夢中で一生懸命で……わたしはそういう姿を好きになったから。クランちゃんには、自分の気持ちに真っ直ぐであって欲しい。想いを叶えて幸せになって欲しい」

 ――彼女が語るのは、恋する姿に恋をし、強く惹かれながらもその成就を祈る気持ちだった。

「だからわたしの気持ちは、最初からどうしようもなかったんだよ」

 自らの矛盾を語る声は震え、はにかむその頬にひとすじの涙が流れた。

「自分で言ってて泣きそう」
「……もう泣いてない?」
「かも。泣いていい?」
「うん、おいで」

 深月の隣に寄ると、彼女は「こんなに甘えるつもりじゃなかったんだけど」なんて言いつつも肩に顔を寄せ、服の胸元をきゅっと掴んでくる。ぼくがその頭をそっと抱きしめると、彼女は静かに涙を流し始めた。
 泣いてる子の涙は受け止めるべし……そう言葉にしたわけではないけど、瑠生さんがその行動でもって教えてくれたことだ。

「うう、ありがとう……ラズちゃん好き……」
「えぇー? 深月はクランが好きなんじゃないの?」
「これは違うもん。ラズちゃんはラズちゃんで好きなの」
「なにそれぇ」

 さめざめと泣きながらもなんだか調子のいいことを言う深月は、ちょっと姉の水琴さんに似ていた。

「ホントだよ。こんなこと話せる友達、他にいないもん。……聞いてもらいたかった。ラズちゃんに話せてよかった。今日のこと、クランちゃんには内緒ね」
「わかってるよ。言わないよ」

 実を言えば、中学校に入って相棒や深月とクラスが分かれたことで、彼女とも少し距離を感じていた。……仲のいいふたりに取り残される気持ちは、既にちょっぴり味わっていたのだ。
 だから深月が今日この秘密をわけてくれたことが嬉しくて、同時にその気持ちを思うと苦しくて、腕に力が入ってしまう。

「ラズちゃん、ちょっとくるしい」
「あ、ゴメン」

 腕を緩めると、目尻を真っ赤にした深月がひょっこり顔を出した。

「……深月は偉いね」
「そんなことない。今だって気持ちぐちゃぐちゃだもん」
「そんなことあるよ。だってそれ、自分の気持ちをちゃんとわかって、ちゃんと向き合ってるからでしょ。偉いよ」
「今そんなの言われたら泣いちゃうんだけど」
「もう泣いてるじゃん」
「そうだけどぉ……もお……」

 彼女はふたたび、泣き笑いでしがみついてくる。
 自分の心がわからなくて迷っているぼくには、その涙がとても眩しく見えて。やっぱり、抱き止める腕にぎゅっと力を込めてしまった。

「ラズちゃん、くるしいってば……」
「あ、ゴメンゴメン」

 二回目のやりとりにどちらからともなく吹き出してしまう。
 そうしてぼくと深月は、しばらくくっついたまま笑いあったのだった。