1 / 緋衣ラズ
クランは楽しんでいるだろうか。
瑠生さんの好みに合わせようとして、苦手な辛いものに挑戦するとか無謀なことをしていなければいいけど……。
いま読んでいる漫画のページをめくると、ちょうど似たようなシーンが描かれていた。あこがれの人に近付くため慣れないことをやろうとした主人公の女の子が、コミカルな絵柄で盛大に失敗している。
このラブコメ少女漫画は深月の蔵書だ。瑠生さんとのお出かけに相棒を送り出したぼくは今日、彼女の部屋にお邪魔して一緒に休日を過ごしているのだった。
天田深月は、ぼくたち双子が人間の身体を得てから初めてできた、瑠生さん以外の友達である。
特にクランとは波長がよく合うらしく、中学に入ってからはクラスも部活も同じということもあって、よく一緒に行動している仲良しコンビとして知られている。なので、今日のように彼女とぼくの二人だけでいるというのは、ちょっと珍しいパターンだ。
――失敗にめげず、主人公の女の子は決意を新たにして次巻に続く。
ローテーブルに出された麦茶をひとくち飲んで、本棚から続刊をとろうとしたぼくは、この漫画が次の巻までしかないことに気付いた。
「これたぶん五巻で終わりじゃないよね?」
「うん。六巻は来月出るって。買ったら貸したげるよ」
「……気になるとこで続いたりする?」
「さあ? 読んだらわかるんじゃないかなあ」
別の漫画を読んでいた深月がニヤニヤしている。これ絶対気になるところで続くやつだ。この五巻、今読むべきかどうか……!
「そうだ。気になるといえば、なんで今日はぼくだけだったの?」
実は今回ぼくを誘ったのは深月だ。しかも双子揃ってではなく、ぼくだけだ。
クランの恋を応援したい身としても、彼女を瑠生さんと接近させるべくこれ幸いと深月の誘いに乗っかったのだけど、ぼくだけが呼ばれたわけは定かではなかった。
「あ……うん、そうだよね。えっとね……」
深月は自分のベッドに座ったまま、言いづらそうにもじもじし始めた。
「先週、一緒に占い屋さんに行ったでしょ? そのとき、何を占ってもらうかって話をしたの覚えてる?」
「気になる人がいるってやつ?」
「うん、それ」
あの場では結局、その先ははぐらかされてしまっていた。更に言うと、帰り道の深月はどんよりと露骨にテンションが下がっていた。恋占いの結果が芳しくなかったのは明らかで、門限に抵触しそうなギリギリまでジュースで一杯やったくらいだ。
てっきり語りたくないものかと思っていたけど――いや、語りたくないのではなく、クランの前では語れなかったのだとしたら。
「まさか深月もお兄ちゃんを!? だ、だめだよ、それは……!」
「ちち、違うよっ! 瑠生さんは確かに素敵な人だけど」
良かった。クランの親友が恋敵になってしまうなんて、それこそ少女漫画的な展開ではなかったらしい。
「そうじゃなくて……その。クランちゃんって……カワイイよね?」
「……なん……だと……?」
◇
たとえば、家庭科部でいろんなスキルを身につけるのにいつも一生懸命なところ。
普段すごくしっかりしてるのに、時々すごく幼い女の子みたいで、世話を焼きたくなっちゃうところ。
気が小さくてちょっと臆病で、なのに瑠生さんが絡むとすごく勇敢だったり、アクティブだったりするところ――などなど、その他もろもろ。
「そういうところ、すごくかわいくて……気がついたら、クランちゃんのこと考えてたりして」
「な、なるほど……」
クランについて語る深月は、まるで瑠生さんに夢中になっているときのクランのようだった。
仲が良いとは思っていたけど、その好意は思っていたよりだいぶ強い。ぼくは相棒のことをひたすらお兄ちゃんに好意を向ける存在だと思っていたけど、その彼女が誰かから好意を向けられることだってあるわけだ。
「女の子同士でって、ヘンじゃないかな……?」
「そう? わかんないけど、そういうこともあるんじゃない?」
A.H.A.I.に決まった性別はない。少なくともぼくは、これまで自分の性を強く意識したことはなかった。
レオなんかはぶっきらぼうな喋り方から男の子のように扱われているけど、明確に男性人格として設定されているわけではない。ぼくとクランが女の子なのは、用意されたボディが鞠花さんのクローンだったからだ。
その鞠花さんだって瑠生さんのことが好きだったわけで、羽鳥さんと瑠生さんは恋愛感情がなかったらしいとはいえ付き合っていたことがあるわけで――そういう事例が身近だったこともあって、深月のような疑問を持ったことは特にないというのが実際のところだ。
「ていうか、ぼくとクランだって瑠生さんのこと好きだしね」
「……そうだよね。ラズちゃんとクランちゃんの、自分の好きな気持ちに迷わないところ……そういうのも、憧れちゃうな」
「迷わないかぁ……そう言われると、ぼくはどうだろ。好きは好きだけど、クランほど強い気持ちじゃないのかなって、最近は思うんだ」
「恋愛の好きじゃないってこと?」
「それは……わかんない。なんだか考えるほどあやふやになってく気がする」
クランが瑠生さんへの想いを強く募らせている一方で、ぼくは未だにわからずにいる。――今の気持ちが自分の人格に由来するものなのか、身体の記憶に由来するものなのか。
「深月はやっぱりこの漫画みたく、キュンってなるやつがあったの?」
「わたしはちょっと違ったかも。ほわーっと見惚れちゃった感じ。……中学に入るちょっと前かな。クランちゃんが瑠生さんのこと、じっと見つめてることがあって。その顔見てたら、すごく綺麗だな、この子のこと好きだなあって思ったよ」
「あ、それはちょっとわかるかも。いつもと違う顔してるもんね」
熱っぽく潤んだ瞳でお兄ちゃんを見つめるクランの姿は、一緒に暮らしている身からすると、ときどき目にするものだ。そしてそれは、ぼくと彼女の気持ちの差を意識するようになったきっかけでもある。
「……けど深月。クランは……」
「うん。叶わないのはわかってる。クランちゃんが見てるのは、瑠生さんだから」
寂しげな笑み。クランの想いなんて、ぼくが改めて口にするまでもなかった。
「……麦茶なくなっちゃったね。ポットごと持ってきちゃうから、ちょっと待ってて。こないだ親戚からお土産に貰ったフルーツゼリーもあるの!」
「あっ、うん……」
打ち切るように誤魔化すように、深月はあっという間に部屋から出ていってしまった。
――叶わないのはわかってる――どうしてだろう。自分のことでもないのに、心臓をちくりと刺すような感覚がある。ぼくはクランにハッピーになってほしい。深月にもハッピーであってほしい。だけどそれは、たぶん両立しないものだ。
ぼくは深月の想いも知らずに、それいけとばかりに相棒とお兄ちゃんをデートに送り出してしまったわけだけど……今頃どうしてるかな。
手持ち無沙汰になってスマホを取り出し、何気なくふたりの位置情報を確認する。やはり真宿東口方面にいるようだ。
「んん……?」
表示された地図に違和感を覚える。
ふたつのスマホの現在地はカブキ町付近の路地を示していて、周りにあるのは宿泊施設、宿泊施設、宿泊施設、あと宿泊施設と宿泊施設、それから宿泊施設。
「んん……!?」
――それらが「どういう」ホテルであるかは、なんとなくだけど知っている。
デートを楽しんでね、とは言った。
ふたりの距離が縮まることを確かに願った。
それは間違いないのだけど。
「待ってクラン、それは、それは……!!」
いくらなんでもそれはちょっと、かっ飛ばしすぎなのでは……!?
2 / 緋衣瑠生
「なんだか……誰かに見られているような感じ、しますよね……?」
こちらを見上げるクランの眼差しには、困惑の色があった。
彼女の言う感覚は僕にもあった。アルフライラを離れて少し歩いたあたりからだろうか。なんとなく視線というか……変な気配を感じる。
立ち止まり、すぐそばのビルを背にして周囲を伺う。大通りから少し逸れたこの道も人通りは多いが、特に怪しげなものや不審な人物は見当たらない。しかし視線を右に向ければ左から、左に向ければ右から見られている――そんな感覚がどうにも拭えなかった。
「気のせいにしては嫌な感じだね……クラン、やっぱり今日は帰ろうか」
「……はい。残念ですけど……」
往々にして、こういう嫌な感じがあるときに無理をしてもいいことはないものだ。ましてや僕ひとりではなく、クランも感じているとなればなおさらである。
不安と無念にしゅんとする彼女の手を引き、駅方向に踏み出す。……と、前方からやってきた二人組の女性に「エクスキューズ・ミー」と声をかけられた。見たところ外国人観光客のようだった。
英語は得意ではないのだが、熱心な身振り手振りから写真を撮って欲しがっていることは理解できた。妙な気配が気になりながらも「オーケーオーケー」などとベタベタの日本語英語で返しながらデジカメを受け取ると、二人組はピースサインをしつつ、なぜかクランに手招きしている。
「えっ、えと、わたしもですか?」
「あーノーノー。ソーリー。それじゃ撮りますね。セイ、チーズ」
僕が断ると推定観光客たちは少し残念そうにしていたが、撮った写真を確認すると鞄から取り出したクッキーの個包装をクランに渡し、「センキュー!」と手を振って去っていった。
「……メープルクッキーだ。なんか、ブラウンの髪でピンクの眼鏡をかけた女の子……ちょうどわたしみたいなのが、あの人たちの今日のラッキーパーソンなんだそうです」
「そっか。英語はクランのほうができるもんね……」
AI生まれの双子は、生まれたときから日本語と英語と中国語がわかるという。
高校英語で自動詞他動詞だの関係代名詞だのに苦しめられた身としてはちょっと羨ましい。中国語に関しては我完全無理解中国語である。
「わたし、写りにいかなくて良かったんでしょうか」
「今の世の中物騒だから、とりあえずね。見ず知らずの人間と撮った写真なんて、どこで何に使われるかわかんないし」
純粋な思い出作りだったのなら申し訳ないけれど……なんとなく。彼女らが道を塞ぐように立ち止まった気がしたことも、僕の警戒心を強めていた。
気を取り直して、ふたたびクランの手をとる。まとわりつく気配を振り切るべく、僕たちはもう一本向こうの通りに向けて歩み始めたのだが。
「ところで瑠生さん、気付きましたか? 今の人たち――」
「すみません、一緒に写真撮ってもらえませんか?」
また、不意に声をかけられた。
今度は日本人。僕と同じか少し歳上くらいの女性で、やはりその視線は真正面からクランを捉えていた。
◇
何かがおかしい。
それから立て続けに三回、僕たちは同じように声をかけられ、写真撮影を求められた。二回目は丁重に断り、三回目は「すみません」の一言だけ返して足早に去り、四回目は「写真を」と言われた時点で逃げた。
声をかけてきた人々は今のところ女性ばかり。決まって真正面から立ち塞がるようにやってきて――クランをじっと見つめている。気のせいではない。
……あれ。
それ以外にも、共通点があった――と、思うんだけど。
なんだろう。見落とすはずはないのに……それがなんなのかはっきりしない。
"そんなことより"。
とにかく、何かがおかしい。何かはわからないが、明らかにおかしい。
一刻も早くこの場を離れるべく、僕たちは自然と駆け足になっていた。
「クラン、大丈夫?」
「はい、だけど……やっぱり何か変です。怖いです……ひっ!」
クランが息を呑み、立ちすくむ。
正面から女子高生くらいの三人組が、早足でこちらに向かってきている――おそらくまた同じ手合いだ。駅へは少し遠回りになるが、怯える小さな手を引き横道へ。
しばらくするとまた正面から来るので左へ。次は右へ。どういうわけかクランを狙う、不気味な女たちを躱してひた走る。
――なんだか頭が痛い。どこかから見られているような感覚は纏わりついたまま、耳鳴りまでしてきた気がする。……ええっと、どこへ向かっていたのだっけ。
"いや、今はとにかく、この異常事態から逃れられる場所を目指さなければ"。
「瑠生さん、大丈夫ですか? かなり道が逸れてしまいましたけど……瑠生さん?」
得体の知れない恐怖と、クランを怯えさせるものに対する苛立ちを振り切るように進む。
……この子は僕が守らないと。
◇
大通りを渡ってカブキ町に入り、トー横を突っ切ってラブホテル街へ。
このあたりまで来るとさすがに人通りは少なくなってくる。そのまま奥へ進み、狭い路地に入ると、いかにも長らく人の手が入っていなさそうな古びたビルが見えてきた。恐らく廃ホテルだろう。
"――ここだ"。
「あっ、あの。ここに隠れるんですか? あぶなくないですか……?」
ひとしきり走って息を切らせながら、クランは不安げに辺りを見回している。
"でも大丈夫、ここまで来ればもう少し"。
頭痛と耳鳴りは激しくなってきている。
"でも、それもなんとかなる"。
汚れてほとんど中の見えないガラスの押しドアを開き、ビルの中へ。戸惑うクランを促してフロントの奥の階段で三階に進む。
ホテル内はかび臭く、じめっとしていて薄暗い。光源は窓にかかったブラインドやドアの隙間から差し込む光だけだ。
"目的地は三〇六号室"。
そこにはもちろん鍵などかかっていなかった。
「瑠生さん、やっぱり出ましょう。ここ怖いです。さっきの変な人たちは来ないですけど、埃っぽくて暗くて……外が暗くなったら帰れなくなっちゃいます」
部屋に入ったところで、とうとうクランがそんなことを言い始めた。たしかに彼女の言うとおり。
"だが、僕たちはここに来る必要があった"。
――本当に?
だってほら、そこのテーブルの上に縄と手錠が用意されている。
"これは彼女のためのものだ"。
"この酷い耳鳴りだって、きっと収まる"。
"僕もクランも良いこと尽くめだ"。
「それ、なんですか……? なんでそんなものがあるんですか……?」
「そりゃああるよ。今使わないといけないんだから」
「瑠生さん……やっぱり変です! どうしたんですか……いつものお兄さまじゃないです!」
僕が手にしたものを見て、どうしてかクランが怯えて後ずさる。
――ああそっか、縄は良くないよな。彼女の肌は雪みたいにまっしろで綺麗で……痛々しい跡が付いちゃうのは、とても良くない。仕方ない、手錠を使うことにしよう。
3 / 緋衣クラン
少し前から違和感はありました。
この手を引いて走る瑠生さんは、何か得体の知れないものからわたしを守ろうとしてくれていた。そのはずなのに、いつからか――彼女がどこか彼方を見ているような、こんなに近くにいるのにどんどん離れていくような、なんとも言えない不安感が芽生えてきたのです。
それはきっと気のせい、あるいはわたしたちを取り巻く異常事態に気が立っていたからで、無事に逃げおおせればすぐ元通りになる。瑠生さんのとる行動は、いつだってわたしやラズを一番に考えてくれていた。だから今度だって、その導きに従っていれば大丈夫。
そんな考えは甘い希望的観測で、ある種の現実逃避で。
今この状況は……自分で考えることを放棄して、お兄さまに甘えっぱなしだったわたしに課せられた、罰なのかもしれません。
「クラン、だめだよそんなワガママ言って」
わたしが読書に熱中してお風呂をあとまわしにしてしまったときのような、少し困った顔と諭す声。だけどその手には鈍色に光る手錠を持って。
明らかに尋常ではないのに日常そのままの瑠生さんの様子が、強烈な違和感をもたらします。
「いやです、どうしてこんな……こんなの絶対おかしいです!」
「ほら、これ付けたげるから。そこのベッド座って」
違う。瑠生さんはわたしに、そんなもの付けようとしない。こんなじめじめと汚れた場所に座れだなんて言わない。……いつの間にか、わたしの知っている瑠生さんではなくなってしまったみたい。
嫌な動悸。怖くて悲しくて、からだが震えて後ずさって――図らずも彼女の虚ろな言葉どおり、わたしは大きなダブルベッドに足をぶつけ、そのままマットレスに倒れ込んでしまいました。
鼻をつくカビっぽい臭い。「あっ」と声を上げた拍子に立った埃が喉を刺し、咳き込む。
「ほら、つかまえた」
瑠生さんはわたしに覆いかぶさるようにベッドに左手をつくと、右手に持った手錠をぷらぷらと遊ばせました。
いつもの優しげな微笑み。なのにその目はどこか遠くを見ているよう。ずっと近くで見ていたいはずの大好きな顔なのに、今は怖くて怖くてたまらない。
「こんなの、こんなのいやです。お兄さま……せっかくのデートだったのに」
視界が滲む。悲しくて、わけがわからなくて、涙が溢れてしまう。
少し前からしばしば聞こえていたキーンと高い耳鳴りのような音も、一層強く――これ、なんなんでしょう。気が散って、思考が鈍くなって――考えるのをやめろと囁きかけてくるような。
――耳鳴り。耳……視界の端、瑠生さんの耳にはアルフライラのラッキーイヤリングが光っています。
最初に声をかけてきた外国人観光客の二人もこれとよく似た、おそらく同じものをしていました。次に会った人も、その次も。それから後はよく見ていなかったけれど――様子のおかしな人たちは、みんなこれを着けていたのだとしたら。
確証のない直感。だけど迷っている暇はない。わたしは自分の両耳からラッキーイヤリングを強引に引っ張りました。
「……っ痛……」
金色のそれが外れた途端、痛みのかわりに耳鳴りが止んで、不快感が消え去る。
やっぱり、このイヤリング。これがわたしたちに迫ってきた人たちを、瑠生さんを、おかしくしているものに違いありません。
「お兄さま、それです! それを外してください!」
けれど、瑠生さんの耳に伸ばそうとした手はあっさりと掴まれてしまいました。
「ほらクラン、おとなしくして」
「お兄さま! そのイヤリングはダメです!」
抵抗しても、わたしの腕力で振り払うことはとてもできなくて、手錠を封じようとしたもう一方の手もあっさり退けられてしまう。
「どうしてそんなに暴れるのかな」
そもそも力に自信なんてなかったけれど……それでも、大人と子供でこんなにも差があるなんて。このイヤリングさえ外すことができれば、なんとかなるかもしれないのに。
掴まれた手首に手錠がかかろうとした、まさにそのとき。
わたしが肩に提げたポーチから、けたたましく着信音が鳴り響きました。ファンタジア・クロス・オンラインの強敵戦闘BGM――着信にこの曲を設定している相手といえば。
「ラズ!?」
その瞬間、瑠生さんの動きが止まって、わたしの腕を掴む力が緩む。
……この機を逃す手はありません。
「ごめんなさい、お兄さま……!」
わたしはベッドに寝そべったまま膝を胸に寄せ、足の裏を瑠生さんの胸めがけて思い切り伸ばし――要するに、蹴っ飛ばしました。
全身を使った渾身の一撃は、瑠生さんのからだを大きくのけぞらせました。そのまま手錠を取り落とし、後ろの壁に背中をぶつけ、へたり込む彼女からイヤリングを外すべく、わたしはすかさず近寄ります。
「ごめんなさい、ごめんなさい! 今、それを取って――」
「……大丈夫、聞こえる。ちゃんと聞こえた……」
うめくように呟いた瑠生さんは、おもむろに右手を顔の横へ。わたしがしたのと同じようにイヤリングを引っ張って外しました。
「おかげで頭スッキリした……ああもう。なんだって、こんな」
次いで左のイヤリングを両手で外しにかかり、投げ捨てると、顔を上げ――
「……ごめんクラン。何やってんだろうね、僕は」
――げっそりとした様子ではあったけれど、そこにはいつもの穏やかなわたしのお兄さまが、瑠生さんがいました。
「お兄さま、戻ったんですね! ごめんなさい、わたし」
「ううん、僕のほうこそ。怖かったでしょ」
胸に飛び込むわたしを受け止める、その腕の優しさは彼女が正気に戻った何よりの証。
……なのですが、緊迫感あふれる戦闘BGMは相変わらず流れ続けています。どういうわけか絶妙のタイミングでかかってきた、相棒からの打開の一手。ポーチからスマホを取り出し、わたしはようやくその呼び出しに応じました。
「もしもし、ラズ? ……ありがとう。本当にありがとう。わたし――」
「ダメ! ダメダメダメダメ! クラン、置いてかないで! はやまらないで! そういうのは……それはちょっと、急すぎると思う!!」
電話の向こうで、ラズはなぜだかすごく焦った様子。慌ただしくまくし立てるその声に、わたしと瑠生さんは揃って首を傾げるのでした。