04_逢瀬のヨーグルトジェラート

1 / 緋衣クラン

 翌週の土曜日。
 あの後さっそく例のチラシを調達してきた瑠生さんとともに、わたしはふたたび真宿にやってきました。
 八月が近づき、日中の暑さはより厳しさを増しています。わたしたちのホームタウンから地理的にはそこまで離れていないはずなのに、大きなビルに囲まれたこの街では、太陽の光も照り返しの熱も、より過酷に感じるから不思議です。
 今回もアルフライラには予約を入れてあるので、それまでの時間は例によって自由散策タイムなのですが……今日はなんと、お兄さまとふたりきりです。
 お兄さまとふたりきり。つまりこれは――やっぱり、実質デートなのでしょうか!?

「クラン大丈夫? そこ、なんかいるの?」
「はっ!?」

 そんなことばかり考えて、向かいのビルをぼーっと眺めていたからでしょう。
 ランチタイムの駅ビル内レストランは窓際席、向かいに座る瑠生さんは、わたしの視線の先を探っているようでした。
 今日の彼女は半袖の白いブラウスにワイドデニムという涼しげな出で立ちで、本人の爽やかなイメージにもぴったり(長身でスレンダーな瑠生さんは、結構なにを着てもさまになってしまうのですが)。
 ちなみに、わたしはひらひら袖の桜色のTシャツに、膝下丈のスカートです。

「すみません。ちょっとぼーっとしてしまっただけです……というか、怖いこと言わないでください。なんにもいませんっ」
「いや、鳥でもいるのかなと思ったんだけど。それともクランは、何か怖いものの話だと思ったのかな」
「もうー! 瑠生さん!」
「ごめんごめん。ほら、注文決めちゃおう」

 先週ラズと羽鳥さんに脅かされたせいか、どうしても思考が良くない方向に飛躍しがちです。お兄さまがそれをわかって言っているのは、いたずらっぽい笑みからも明らかでした。
 この場にいたら間違いなく追撃をかけてくるであろう相棒は、今日はいません。
 最初は一緒に来る予定だったのですが、別の友達との約束が入ってしまったらしく、残念ながら欠席――というのは本音半分、建前半分で。

『クラン。ぼくは明日、学校の友達と遊びに行くから、クランはお兄ちゃんとのデート楽しんでね。ぐっどらっく!!』

 ……なんて言って、昨晩急に「瑠生さんとのデート権」をわたしに託した彼女は、今朝本当にどこかへ遊びにいってしまいました。
 どういう思惑なのかいまいちピンときていないけれど、次に機会があれば、今度はわたしがデート権をラズに譲るべき……なのかな? こういうとき、互いにケーブルで繋がったコンピュータシステムだった頃は相手の思考がすぐにわかったのですが、それはもはや過去のこと。

 とにもかくにも、今日が張り切りどころであることは間違いありません。
 前回の占いで、みえない占い師ことシェヘラザードから告げられた瑠生さんとの相性は「良好」。
 されど同性であることよりも歳の差がネックとなり、進展はし辛い。相手は静かに寄り添う愛情を求めているタイプ。かなりの長期戦が見込まれるが、焦らずさりげないアピールを続ければ勝機は十分――診断結果を要約すると、こんな感じでした。
 今こそその一歩を踏み出すときだというならば、ここでとるべき行動は……!

「わたしはこれにします!」

 手元のメニュー表から指差したのはパスタアラビアータ、唐辛子のマークで示される辛さの度合いは五つ中三つ半となっています。

「えっ大丈夫? これ辛いやつだよ……?」
「だ、大丈夫です。これくらい、なんのことはありません」

 瑠生さんは辛いものが好きな、いわゆる辛党です。外食でも時折辛口メニューを美味しそうに食べている姿が印象的で、自宅にも辛味調味料がいくつか常備されています。
 正直に言えば、わたしは辛いものは苦手です。……だけど、辛味を一緒に楽しめるようになれば、きっと今よりもっと彼女と近くなれるはず。唐辛子三つ半がどの程度の辛さかはわかりませんが、少なくとも、ラズが興味本位で舐めてのたうち回っていた、瑠生さん秘蔵の海外産ソースのようなものではないはずです。

「本当にいいの? これがいいなら、もう呼んじゃうけど」
「はい。どんとこいです!」

 いざ来いアラビアータ。
 わたしは辛味に打ち勝って、この人と並び立てるようになるのです――!

「うん、その……頑張ったね、クラン」
「ふへぇぇ……」

 はい。こうなる気は薄々していました。
 なんとかパスタアラビアータの完食には成功したものの、今のわたしは息も絶え絶え汗まみれ、紙エプロンをぶらさげたまま燃える唇を天井に向け、ぐったりと椅子に背を預けています。
 ちょっとぴりりとくるけれど、意外と大丈夫……なんて余裕でいられたのは最初の数口だけで、あとは口内にみるみる広がる炎との格闘戦でした。

「汗びっしょりだね。外に出る前に日焼け止め塗り直しておかないと」

 うう……こんなはずでは……。

「でも、僕も最初はそんなだったかなあ。背伸びして辛いメニューなんか頼んで、ひいひい言ってたっけ」
「……そうだったんですか? 意外です」
「クランも、慣れたら美味しく食べられるようになるかもね」

 懐かしむようにやれやれと微笑む眼差しは、やっぱり子供を見守る優しさで。
 こと辛味を楽しむことで瑠生さんと肩を並べるには、到底至らないことを実感せざるを得ません。これより遥かに辛そうな赤黒い品々を、この人はどうして涼しい顔で食べられるのでしょう……。

「美味しいは美味しかったです。やはりトマトベースの酸味と甘味はパスタによく合いますし、時々顔を出すベーコンの味わいが嬉しいです。……ただ……辛くて……」
「そっかそっか。アイス注文するけど、クランもいる?」
「たべます、いただきます……!」

 そうして運ばれてきたヨーグルトジェラートは、焼けつきそうな口の中を、冷たく優しく癒してくれたのでした。
 滑り出しはともかく、今日はまだ始まったばかり。こんなことでめげてなどいられません……!

2 / 緋衣瑠生

 首都圏の今日の気温は、早々に三十度を超えたという。
 八月に入ると四十度近くに達する日があることを考えればまだマシなものの、高い湿度との相乗効果で、対策を怠れば熱中症一直線である。
 そんな現代日本の熱帯コンクリートジャングルの中でも、双子の姉・クランは本日たいそう元気でご機嫌で、要するに結構はしゃいでいる。
 さて、駅周辺でひとしきり遊んだ僕たちは、例の占い屋「アルフライラ」に向かっていた。
 先導は道案内を買って出たクランだ。実を言えば、店舗のだいたいの位置は事前に調べて把握しているのだが……やる気満々な様子で手を引いてくれるので、それは内緒にしておく。

「なんだか今日は張り切ってるね」
「もちろんです。なんといっても今日は瑠生さんとデ――えーと……デパコスとかも見れたので」
「え、そこ?」

 マジか。確かにちょっと売り場を覗いたけど、早くもお高い化粧品に興味津々な感じ? ……クランも大人になりつつあるということだろうか。
 思えば彼女たち双子は、いつの間にかいろんな面で成長している。
 一年前に比べて背が伸びたのはもちろん、うちに来た当初は人混みの多い街に出るたびにへばっていたクランが、ずいぶんたくましくなったものだ。控えめな彼女がこうして僕を引っ張っていこうとするなんて思ってもみなかった。
 五月のドローン暴走事件に至っては、彼女らは驚きの行動力を発揮し、僕と姉の鞠花はそれによって命を救われている(それはそれとして大変危険な行動なので、保護者として注意はしたけれど)。

「僕が大人ぶっていられるのも、本当に今のうちだけかもなあ」
「どういうことですか?」
「クラン、すごく成長してるなって思ってさ」
「本当ですか! 嬉しいです!」
「あ、今そこ変な影が動いたような」
「やめてください!!」

 喜んだり驚いたり怒ったり。それでもまだまだあどけない表情を、クランはコロコロと変える。そんな彼女とめいっぱい戯れているうち、目的地にはあっという間に到着したのだった。

「緋衣瑠生さん、緋衣クランさんですね。ようこそいらっしゃいました。……クランさんは先週ぶりですわね。わたくしは当館の占い師、『シェヘラザード』。わけあって対面で姿をお見せできないのですが、ご容赦くださいな」

 ――二回連続で当たるなんて、そんなことあるだろうか。
 受付を済ませ、待合室から案内されたのは無人の……前回、クランとラズの記憶の扉を開いたという「みえない占い師」シェヘラザードが待つ部屋であった。
 聞いていたとおり、二脚の椅子と小さなテーブル、その上にタブレットが置かれている。

「……ほんとにいない。どこで見てるんだろ」
「天井にドーム状のカメラが付いてますでしょう? それがこの部屋でのわたくしの目であり、耳ですの」
「あっ、ほんとだ」

 小声でつぶやいた疑問は、バッチリ聞こえていたらしい。
「どうぞお掛けくださいな」と促す声に従って椅子に腰掛けると、クランの表情がこわばっていることに気付いた。

「大丈夫だよ、オバケじゃないって。天井のカメラで見てるって言ってたでしょ」
「ちちち、違います。そんなこと思ってませんっ」

 わかりやすくうろたえる彼女に、みえない占い師も「あらあらまあまあ」と笑みをこぼす。あらあらまあまあって実際に言う人を僕は初めて見た。見えてないけど。

「姿が見えないものを恐れるのは人の常、とても人間らしいことですわね。わたくしはまた会えて嬉しいですわ、クランさん」
「し、失礼しました! えと、わたしもです。またお世話になりますっ」
「ふふふ、やっぱり……本当にかわいらしい。ささ、今日はどのようなご相談でしょう?」

 ……その物言いに、なんだかちょっとねっとりしたものを感じるのが気になったものの。とにもかくにも、シェヘラザードの今日の占いが始まった。

 僕が占いというものに抱いていたイメージは、たとえばタロットカードを引くとか、水晶玉に映る未来を見るとか、そういういかにも不思議なパワーで運命をピタリと言い当てる、みたいなものだった。
 しかし実際受けてみると人生相談というか、カウンセリング的な要素が強いサービスのように思う。相談者の話を聞いて、促して、心の底にある言葉を引き出し――そうしてその人の本当に望むものが見えてきたところで、星座や生年月日、カードが示す運勢なんかの要素を加味して本日のアドバイスを授ける、といった具合だろうか。

「産みのご両親について知ることは、自分の過去と向き合い、なくした繋がりを取り戻すこと……単純な興味や親恋しさだけではなく、そうした過去の精算によって、あなたは精神的な自立を求めておられるようですね」

 シェヘラザードから告げられる言葉には、思い当たるところが多かった。もちろん相談したのは、産みの両親の過去について、手掛かりを得たいということだ。
 自立を求めているなんて、自分では考えたことはなかったけれど……喪失感を恐れ、心から追いやり、見ないようにしていたのは事実で、いま改めてそれと向き合おうとしているのも事実だ。さほど多くを語ったつもりはないのに、心の奥まで見透かされているような気分になる。

「親戚筋よりも過去のご友人をあたる。この道筋は間違っていないようですから、お続けになると良いでしょう。ですが焦りは禁物ですわ。そればかりを追いかけずに、どうかいま周りにいる人達を大切になさってくださいな。そうした人達に寄り添い続けることが、かえって近道になるかもしれません」
「……そうですね。確かに、ここのところそればかり気になって、囚われすぎてたかもしれません。この子たちにも、それで心配かけちゃってたみたいですし」

 隣に座るクランにちらりと目をやると、彼女も安堵したような笑みを見せてくれる。

「ありがとうございます。なんかちょっとスッキリしました」
「それは何より。日々を穏やかに生きる助けに、少しでもなれば幸いでございます」

 はっきりとした解が得られたわけではないが、アドバイスとしては真っ当だ。本人の姿が見えないことも相まって、なんとなく「天の声」なんてイメージが脳裏に浮かぶ。
 人々がこぞって占いを受けに来るのは、人に言いづらい悩みについて、こうした理解と後押しを求めてのことなのかもしれない。

「さて、ではお次はクランさんのご相談でしょうか。……どうでしょう? 前回の結果は、お役に立ちましたかしら?」
「は、はいっ。頑張ってます! 今日もこうして瑠生さんとデ、デ……デパ地下も一緒に見てきましたし」
「……クラン、そんなにデパート気に入ったの?」

 ひょっとしてラッキースポットか何かなのか。シモキタにはないもんね、デパート。
 ――それはさておき、クランの相談内容は「会いたい人がいる」。すなわち前回の占いで出た「篝利創」なる人物との接触の手掛かりを得たいというものだ。
 僕のときと同様にいくらかのヒアリングが行われるが、ある程度の事情は前回すでに語っているからだろう、早々にタロットカードを引く流れとなった。
 表向きになったそれは「法王」の逆位置だ。

「既にご自身でも感じていらっしゃるかもしれませんが、件の人物はあなたがたと切って離せぬ運命、あるいは宿命で繋がっているようです。それが絶たれない限り、いずれ再会することになるでしょう」

 言葉どおりに受け取るならば、捜さずともそのうち会えるということになるだろうか。A.H.A.I.が篝という人物によって造られたのなら、運命的な繋がりがあるという言葉も、「再会」という表現も頷ける。

「ですがご用心を。それは大きな試練、あるいは変化を伴うもの……申し訳ございません、それがあなたがたにとって良きことなのかその逆なのか、はっきりとはわかりません。その時のあなたがたの心持ち次第ということかもしれません」
「なんだか、穏やかじゃないですね……」

 クランの表情に緊張が走る。おそらく僕も同じような顔をしているだろう。

「ごめんなさい、脅すようなことを言ってしまいましたわね。ですが、過度に恐れる必要はございません。それは今すぐに訪れるわけではありませんし、何より……クランさん。あなたには同じさだめの星のもとに生まれた半身と、隣で見守ってくれる瑠生さんがいますわ。ほかのご友人にも恵まれているようですから、きっと大丈夫。どうかその繋がりを忘れないでくださいな」

 神秘的にさえ感じられたシェヘラザードの口調は、入室したときにかけられたような朗らかなものに戻っていた。

「要するに、僕が言われたのと同じようなことかもね。周りのみんなのことを大切にって。……もし何かあっても、みんな力になってくれるよ。大丈夫大丈夫」
「……はい。ありがとうございますっ」

 クランの手を握って励ましてやると、重苦しい顔色がいくらか晴れた。

「そのとおりでございます。もし、それでもまた道に迷うことがあれば、わたくしをお尋ねくださいな。できる限りのお力添えをいたしましょう」

 今回はそのものドンピシャな、クランたちの記憶の鍵となるキーワードは得られなかった。まあ、何十分何千円の占いでそう易々とあれもこれも掘り起こされてしまっては、情報にプロテクトをかけている意味も薄いというものだろう。
 帰りに受付でもらったキャンディを舐めながら、僕たちはアルフライラを後にした。

 大きな試練、変化、そのときの心持ち次第――クランの占いの結果は、僕のそれと打って変わって警告めいていた。
 しかし彼女は今、たいそうご機嫌な様子で僕の左手をしっかりと握っている。
 笑顔の原動力は、その両耳に光るシンプルな金色のフープイヤリング。その名も開運ラッキーイヤリングは、みえない占い師・シェヘラザードからのお土産だ。……ネーミングはともかく、おそらく占いの結果にびびっているクランを慮ってくれたものだろう。受付で売られている価格はそう高くはなかったものの、チラシの無料キャンペーンといい、随分と気前がいい。アルフライラは顧客獲得に熱心なようだ。
 ちなみに僕も同じものを貰ったので、普段着けているピアスを外して付け替えている。貰ったその場で互いの耳に付けっこしたことで、クランは一気にニッコニコになったのだった。

「占いの結果はちょっと怖かったですけど……これをつけてもらったから、もう大丈夫です」
「学校にはしてっちゃダメだからね。こういうの多分没収されちゃうから」
「はい、わかってます。わたしと瑠生さんだけのおそろいです」

 足取り軽く、二つ結びの長い髪を揺らしてクランは歩む。
 十六時をまわって太陽の熱気は多少おとなしくなり、微風も相まって体感的にはちょっとだけ過ごしやすくなっている。

「せっかくだから、ついでの景気付けにもう一回寄ってこうか、デパート」
「うっ、別にデパートが特別好きというわけでは……」
「あれ、そうだったの?」
「……いえ。やっぱり好きです、デパート。寄りたいです」

 クランは一瞬がくりと肩を落としたように見えたが、すぐにはにかむ笑顔で手を握り返してくる。

「じゃあ今度は屋上行ってみようか。けっこう快適だよ」

 そうして僕たちは、真宿三丁目で一番大きなデパートへと進路をとったのだが――後から思い返してみればこの時点で、既に逃れ得ぬ罠にまんまとはまっていたのだ。