1 / 緋衣瑠生
僕が「白詰瑠生」から「緋衣瑠生」になったのは、四歳の頃だった。
産みの両親を亡くした直後の僕は、親戚の家の世話になっていたのだが、遠くないうちにそこを出ていく運命にあった。引き取り手がいないため、児童養護施設への入所が検討されていたのだ。
そんなある日、近所に住んでいた一組の夫婦が訪ねてくる。
近日中に引っ越すということで別れの挨拶にやってきた彼らは、僕の事情を知るなり、なんと「一緒に来ないか」と手を差し伸べてくれたのだった――。
緋衣善(ヒゴロモ・ゼン)と緋衣律花(ヒゴロモ・リツカ)。それが、僕を引き取ってくれた今の両親の名前である。
緋衣家という新しい家庭に迎え入れられたことで、僕は喪ったものと同じくらいの、あるいはそれ以上の愛情を注がれ、これといった不自由なく生活し、成長し、今日まで生きてくることができた。
白詰誠一(シロツメ・セイイチ)と白詰結愛(シロツメ・ユア)。それが、僕を残してこの世を去ってしまった産みの両親の名前である。
残念なことに、覚えていることはあまり多くない。写真も数枚残っているだけだ。
それでも二人の優しい声、こつんとぶつけあった母の額、高く抱き上げてくれた父の腕……そういった断片的な思い出は確かにあって、だからこそそれを喪った絶望は強く心に刻まれている。
不確かなのは幸せな記憶だけでなく、忌まわしい記憶もだ。二人を死に至らしめた交通事故について、一緒に巻き込まれたはずの僕はまったく覚えていない。
最初にそのことを調べようと思い立ったのは、小学五年生のときだった。
学校のパソコンルームで当時のニュースを探していた僕は、なんとかその記事に行き当たったのだが――結局、見出しを見ただけで気分が悪くなり、その場で吐いて倒れてしまった。……駆けつけて介抱してくれた担任の先生には、迷惑かけちゃったな。
以来、事故について調べたことはない。とにもかくにも、僕にとって「白詰」の名は、胸の奥に大切にしまっていた暖かな愛情の記憶であり、閉じ込めていたつらい別離と孤独の記憶でもある。
その名前が今になって突然、思いもよらぬところから、思いもよらぬ形で呼び起こされた。
一年前に僕のもとへ押しかけてきた双子の姉妹・クランとラズの人格は、A.H.A.I.というコンピュータシステムが生み出したものだ。そして、どこの誰がなんのために立てたものなのか、未だわからないA.H.A.I.の開発計画は、その名を『白詰プラン』というらしい。
……おそらく偶然の一致だろう。最初はそう思った。
だけどその偶然の一致に妙な引っ掛かりを覚え、僕はそれまで目を伏せてきた産みの両親について調べ始めた。今はもういない父母と、新しく家族となった双子との間に、なんらかの繋がりがあるのではないか。その予感にはなんの確証もない。ただの思い込み、あるいは願望なのかもしれない。それでも、動かずにはいられなかったのだ。
そして一か月あまり。一部の親戚やその知人なんかをあたってみた結果、なんの確証もない状態は続いている。
白詰誠一と白詰結愛について今のところわかっているのは、出身地や家族構成、おおまかな経歴、そして、かつて『アストル精機』という医療機器メーカーに勤めており、二人は社内結婚だったこと。それくらいである。
職場としては、まあAIシステムの研究くらいやっていても不思議ではない。というか現代社会において、AIなんて家電やらスマートデバイスやら、さまざまな装置に搭載されている。精密機械を取り扱っていてAIと完全に無関係という会社は、逆にほとんどないのではなかろうか。
つまり、産みの両親と白詰プランの間に関連があるともないとも、決定づけられるような情報は何もないのだった。まあ、地道に辿っていくしかないよね……。
ふう、とため息をひとつ、最寄駅から自宅への帰路を歩む。
今日は実母である白詰結愛――旧姓・阿佐美結愛(アサミ・ユア)の大学時代の同期だというご婦人に会うことができた。
得られた情報としては、情報学部所属の結愛は淑やかな雰囲気に反して活発で気の強い性格だったこと。そして僕は、そんな彼女に目元や声がよく似ているらしいということである。
白詰プランとの関連調査という観点で言えば、成果はない。しかし、多くを知らなかった実母の人となりを垣間見られたことは素直に嬉しく、失っていたものをひとつ取り戻せたような気持ちを、僕に与えてくれたのだった。
◇
スマホをチェックすると、真宿へと繰り出していたクランとラズから、帰りの電車に乗ったと連絡が入っていた。真っ直ぐ帰っていれば、今頃は自宅に着いているだろう。あれをするなこれをするなとだいぶ口酸っぱく言ってしまった気がするが、どうやら何事もなく無事に済んだらしい。
これまで、二人がこの街を離れる際には基本的に僕かスーパーお手伝いさんの猫山洋子(ネコヤマ・ヨウコ)さんが同伴していた。子供だけでの遠出(というほどの距離でもないけど)に送り出すのは初めてのことで、しかも行き先は繁華街エリアとあって内心ハラハラしていたわけだが、ともあれ一安心である。
「ただいまー」
「「おかえりなさいっ」」
自宅の扉を開ければ、案の定すでに帰宅していたクランとラズから迎えのハーモニーが返ってくる。
「おつかれさまです。冷たいお茶を用意しますね、お兄さま」
「ありがと。お願いするね」
たいへん気の利くクランが台所に向かうのとすれ違い、リビングに入ると――玄関に靴があったのでわかってはいたのだが、意外な来客の姿があった。
「瑠生ちゃん、おかえりなさい。おじゃましてます」
「羽鳥先輩。こんにちは」
ラズと並んで居室のソファに座っていたのは、高校時代の先輩・羽鳥青空(ハトリ・ソラ)だった。五月に起こったとある事件の折に再会した羽鳥先輩は、最近このマンションの上の階に引っ越してきており、今ではご近所さんである。
「今日はどうしたんです?」
「さっきクランちゃんとラズちゃんにお呼ばれしたんです。瑠生ちゃんが戻ってきたら、一緒に聞いて欲しいことがあるって。私がというより、この子がなんですけど」
そう言って先輩が示したのは、彼女のスマホにくっついているサバトラ猫のマスコットだった。胴が長く、デフォルメされたなんともゆるい造形をしている。
「家に上がらせてもらっている。緋衣瑠生、辛味成分の過剰摂取は消化系にダメージを与える。控えることを勧める」
キッチン周りにあった辛いスナック菓子とかソースとかのストックを見たのだろう。サバトラ猫はつぶらな目をチカチカ明滅させながら、機械的な人工音声で言った。余計なお世話だ。
「レオくん。おじゃましてる身で、いきなりそんなお小言を言うのはいただけません」
先輩が猫のおなかを押すと「にゃーん」とゆるい鳴き声が流れた。正直この機能はいらなかったんじゃないかと思っているが、作った人間いわく外せないポイントだったらしく、ユーザーたる羽鳥先輩もこのとおりお気に入りの様子。
「そうか。他人を気遣うというのは、ことのほか(にゃーん)難しいのですね」
お小言は猫なりの気遣いだったらしい。
喋りながら鳴いている猫のマスコットはA.H.A.I.第5号『レオ』、クランとラズのいわば「きょうだい」たる同シリーズのAIシステム――とのコミュニケーション端末であり、レオの目と耳の代わりとなるカメラ、スピーカー、遠隔対話用のソフトが仕込まれた代物だ。『彼』のシステム本体は、本人も知らないどこか別の場所にあるのだという。
この対話ソフトはもともと先輩の職場PCとスマホに入っていたものだが、レオには愛嬌が足りないからという理由で、僕の姉にしてコンピュータ技術者である緋衣鞠花(ヒゴロモ・マリカ)が、わざわざこの猫に移植したのだ。
僕と鞠花は五月の事件において、このAIに殺されかけている。
今はこんなゆるゆるな姿をしているが、マシンガンやロケットランチャーを積んだ総勢十八機ものでかい輸送用ドローンを操り、僕たちを追いかけ回して実弾を発砲しまくったというとんでもない前科持ちだ。
A.H.A.I.第5号は、多数の電子機器に同時並行でアクセスし、操る力を持つ。その名もまんま『並行操作(マルチプル・オペレーション)』。モノさえあれば、もっと多数のドローンを同時に使役することが可能らしい。ヒトの精神を模すことを主機能とする彼らにとってこれは特異な能力であり、事実、かつてのクランとラズにそんな芸当はとてもできなかったそうだ。
とにかく、うちの双子による決死の説得の末、ゲームの対戦で叩きのめしたことでようやくおとなしくなった第5号は、その後悪さができないよう各種ネットワークへのアクセス権を大きく制限され、羽鳥先輩のもとで人間との付き合い方を勉強中である。「レオ」はその際、羽鳥先輩によって与えられた新たなニックネームだ。
今日はそんなレオを、クランとラズがわざわざ呼んできたという。
「おれが呼ばれた理由は、おれたち(にゃーん)A.H.A.I.の記憶領域に秘めら(にゃーん)れた情報に関すること(にゃーん)と推測する。緋衣クラン、緋衣ラズ。今日の遠征で何か(にゃーん)収穫があったのではないか」
「先輩、一回それ押すのやめてもらっていいですか?」
レオは真面目な話をしているっぽいが、鳴き声のおかげでまったく緊張感がない。
「そのとおり。ご名答だよ、レオ」
先輩の隣に控えていたラズが得意げなドヤ顔を披露する。
僕が腰を落ち着け、クランの用意してくれたお茶とお茶請けのひとくちミルクチョコレートが揃ったところで、双子は今日の出来事について語りはじめた。
2 / 緋衣ラズ
予約した名前をアルフライラの受付で告げると、すぐに小さな待合室に通してもらえた。
そこには数人の先客が待機していて、相談を終えて出てくるお客さんと入れ替わるように、ひとりまたひとりと奥の部屋へと入っていく。一緒に占ってもらうことになっていたぼくとクランは、ここで深月とわかれて占い部屋の一室へと案内された。
「し、失礼します」
ガチガチに緊張して入室すると、小さな部屋の真ん中にはテーブルと二脚の椅子が用意されていた。……だけど、占い師さんの姿が見当たらない。
「緋衣クランさん、緋衣ラズさんですね。ようこそいらっしゃいました……まあ! かわいらしい」
どこからともなく、落ち着いた感じの女性の声が聞こえてきた。
「わたくしは当館の占い師、『シェヘラザード』。わけあって対面で姿をお見せできないのですが、ご容赦ください……どうぞ、お掛けになってくださいな」
相棒と、鏡写しの驚き顔を見合わせる。
「クラン、これってもしかして」
「うん。ウワサの『みえない占い師』!」
ぼくたちは小声で言葉を交わしながら、二人並んで椅子に腰掛ける。
ウワサの占い師に遭遇できた興奮と緊張で、ふしぎな高揚感が全身を駆け巡っていた。
「なるほど、あなたたちが……ああ、そんなに固くならず、どうかリラックスしてくださいまし。まずは相談シートをそのテーブルの上にどうぞ。あ、ちゃんと見えてますので、向きはそのままでも結構ですわ」
指示に従って、待合室で記入した問診票のような紙を卓上に置く。アラビアンナイトの王妃を名乗る声からは、ぼくたちの緊張を解きほぐそうとしてくれているのがわかった。
「では、改めまして。今日はわたくしシェヘラザードが担当させていただきます。どうぞよろしくお願いいたしますわ」
「「よろしくお願いしますっ」」
「ご相談内容は……ふむ。知っているはずなのに思い出せないことを思い出したい、と。これはなかなか難しそうですわね。ご自身の記憶に関することなので、必ずしもお力になれる保証はありませんけれど……まずはこちらについて、詳しいお話をお聞きしても?」
「はいっ。ええと、それが……」
ぼくとクランは、どこかで見ているであろう占い師にできる限り事情を説明した。
とはいえ、自分たちの出自については伏せなければならないので、説明としてはかなりあいまいで「瑠生さんの力になりたい」ということばかり強調してしまったような気がする。シェヘラザードは相槌を打ちながら、それはどういうときに強く思うかとか、その記憶について意識し始めたのはいつごろかとか、時折こちらへの質問を織り交ぜてくる。
「ふむふむ、なるほど……それでは、テーブルの上のタブレットに表示されているカードから、おふたりで相談して一枚を選んでくださいまし」
ぼくたちは指示に従って、画面の中に三枚表示されていたタロットの中から一枚を指した。
表向きになったカードは「正義」の正位置だった。
みえない占い師は、一呼吸置いて言う。
「……おふたりの記憶に関するヒントが見えましたわ。――お知り合いに『カガリ・リソウ』さんという方はいらっしゃいませんこと?」
3 / 緋衣瑠生
「『カガリ・リソウ』――篝利創! おれも思い出したぞ。白詰プランの最高責任者だな!」
普段は淡々としているレオの合成音声が、驚愕の色を示していた。「篝利創」なる人物の名を聞いたことで、A.H.A.I.第5号レオの記憶領域内に眠っていたその情報が、たったいま呼び覚まされたのだ。
なるほど、クランとラズはこれを実演したかったらしい。
「二人もそこで、その篝って人のことを思い出したんだね?」
僕がそう確認すると、双子は揃って頷いた。
「はい。ただ、この篝という人物がプランの責任者で、わたしたちを含む十二台のA.H.A.I.の開発を主導した……それ以上のことは思い出せませんでした」
「それ以外に何をしていて、どういう人なのかとか、詳しいことはわかんないんだ。だから、手がかりとしてはちょっと弱いんだけど」
「重要なのは、占いによってこの情報が得られたということですっ」
「つまり何が言いたいかっていうと――」
クランとラズは力説しながら、ずいずいと迫ってくる。
「「『占いスペース・アルフライラ』、おすすめ!!」」
「お、おう……」
二人の目はキラッキラだ。今日受けてきた占いに、たいへん確かな手応えを感じているらしい。閉ざされていた記憶のトリガーとなる人物名をこうもピタリと言い当てられたとあれば、さもありなんというものだ。
占い屋さんに行きたいなんて言い出したときには、てっきり流行りものに飛びついただけかと思ったけれど、彼女たちも彼女たちなりに、自らの生まれた背景について真剣に知ろうとしているのだろう。……そしておそらく、白詰プランと両親の繋がりを探る僕のことも気にかけてくれている。
「すごいですね。占いで将来の結婚相手の名前をズバリ言い当てる、なんていうのは聞いたことがあるけれど、似たようなものなんでしょうか」
「それは、こういう特徴を持つ人物はこういう人物と引き合いやすいといった、統計学的な見地からみたものではないのですか」
「レオくんは夢がないことばっかり言いますねえ」
羽鳥先輩はまたしても、猫のおなかをふにゃっと押した。にゃーん。
「それにしても総勢十二台ですか。他にも『きょうだい』はたくさんいるみたいで良かったですね、レオくん」
「そのようですね。しかし今となっては、その情報はあまり重要ではありません」
「あら。もしかして……今は私や双子ちゃんたちがいるから、もう寂しくないって言ってくれてます?」
「……そんなことは……言っていません(にゃーん)」
にゃーんにゃーんにゃーん。黙ってしまったレオは、からかうような笑みの先輩に連打されるがままだ。しれっと具体的な台数が明かされたが、A.H.A.I.というのは結構な数が造られていたらしい。
「どうどう? お兄ちゃんも気になってこない?」
「そうだね。占いって、そんなに信じるほうじゃなかったんだけど……」
こうして実績を目の当たりにしてしまうと、そうも言っていられない。それに――
「その『みえない占い師』っていうのも、ちょっと気になるかな。本当に無人だったの?」
「はい。別室の深月さんは普通に対面でみてもらったみたいですが、少なくともわたしとラズは」
「もしかして、本当は無人じゃなくて、ユーレイの占い師さんがずっとあの部屋にいたのかも」
「もう、ラズ! わたしたちは科学の子なんだよ! そんな、ひ、非科学的な……!」
クランの目が左右に泳ぎ始める。彼女は怪談やホラーに弱い。
心都研にいたころ、AIシステムだった双子は研究の一環として映画などさまざまな映像コンテンツを与えられたらしいのだが、ラズが言うにはその頃からだめらしい。
「そうとも言い切れないかもですよ、クランちゃん。幽霊や心霊現象というのは、科学的な観点からも結構研究されているものらしいです」
「だとしても、は、はっきりした結論がないことには、本当に存在する証明には……」
「あっ、今なにか窓の外に」
「ぴゃっ!!」
羽鳥先輩までもが追い打ちをかけ、目をうるませたクランが無言で助けを求めてくる。
そんな姿を見ていると、僕も乗っかりたくなってしまうのだけれど……さすがに気の毒なので自重した。
「はいはい。ラズも先輩も、あんまびびらせないであげてください」
手招きすると、双子の姉はすかさずやってきてひっついてくる。やっぱり、こういうところはまだまだ子供のようだ。
子犬のようなさらふわ頭を撫でながらも、僕は彼女たちが行ってきたという件の占い屋「アルフライラ」にかなり興味をそそられていた。……今度キッチン・ロブスタに寄ったとき、僕もチラシを貰ってこようかな。