13_黄昏空と青空と過去と

1 / 緋衣瑠生

 僕は交友関係が狭い。
 小学校低学年の頃には、すでに他人との距離をとりがちな子供だった。
 それでも後年から考えると十歳以前の僕はまだ外交的なほうで、中学生になると友達付き合いをする人数はぐんと減り、高校時代ともなると友人と呼べる人間はごく少数だった。
 他人に寄りかかりすぎないように、迷惑をかけないように……そして、信じすぎないように。幼少期に産みの両親を亡くし、今の実家に引き取られた僕は常にそういう気持ちを抱え、成長とともにそれを強めて生きてきた。
 だけどそれと同じくらい、心の底では人とのあたたかな触れ合いを求めていたのだと、今ならわかる。
 だからこそ、FXOという自分以外の誰かがいるオンラインゲームにハマったわけだし、クランとラズがいる生活をこんなにも心地よく感じているのだし――高校二年のあのとき、あの申し出を受けたのだろう。

「緋衣瑠生さん」

 放課後に一人、図書室に入り浸っていた僕に声をかけてきた先輩の言葉。

「私とお付き合い、してみませんか?」

 ベコベコになったミニバンと十五機のドローン軍団の間で、べそべそと涙を流す双子の姉妹をなだめる首都高の路肩、夕暮れ時。
 真っ赤なバイクのエンジンをうならせ、猫山洋子さんが駆けつけてくれた。

「みなさん、ご無事ですか!?」
「猫山さん! ……はい、なんとか。全員怪我せず生きてます」
「良かった……クランちゃん、ラズちゃん。ひどい無茶をしましたね」
「「ひゃっ……」」

 ヘルメットを脱いだ猫山さんの声色に、双子がびくりと肩を震わす。

「ああでも、助かったのはこの二人のおかげでもあるんで、今は勘弁してあげてください」

 お説教モードに突入したい気持ちはよくわかる。ただ、それはもう少し落ち着いてからでもいいだろう。

「ていうか、道路封鎖されてませんでした? まさかぶっちぎって入ってきたとかじゃ……」
「まさか! その、私や熊谷は警護対象が警護対象ですので、こういったとき公安にちょっぴり顔が利くようになってるんです。今回のような事態はさすがに想定外でしたが……」
「申し訳ありません! 弊社のAIがとんだご迷惑……いえ、ご迷惑どころではないことを!」

 次いで、猫山さんのバイクについてきた乗用車から慌てて駆け降りてくる人影がひとり。
 口ぶりから察するに、A.H.A.I.第5号の関係者なのだろう。ノートパソコンを抱えたその女性は、リムレスの眼鏡をかけていて、ジト目気味のちょっと眠そうな雰囲気だ。
 ――待った。ものすごい既視感を覚える。
 あれ? この人、もしかして……と。向こうも同じことを思ったであろうことは、あっと口を開けたその表情でわかった。

「瑠生ちゃん……?」
「羽鳥先輩!?」

 思ってもみなかったところで、思ってもみなかった人と再会した。

「「お兄(さま/ちゃん)の知り合い……?」」

 双子は目をぱちくりと瞬かせ、その人を見つめる。
 間違いない。僕と同じく高校の図書室に入り浸っていた先輩であり――僕が逃げだしてしまった相手。羽鳥青空その人だった。

 羽鳥先輩は高校卒業後、すぐに今の職場である株式会社タンサセンに就職したそうだ。
 そして一年前にSNS・アウタースペースの運用チームでAIシステム<オブザーバー>……つまりA.H.A.I.第5号の運用を任され、それを用いたデータ収集によって、システムの改良やらユーザーを呼び込む施策やらを行い、今に至るという。アウタースペースの大躍進の陰には、羽鳥先輩と第5号の働きがあったわけだ。
 知ろうはずもなかった。なにしろ先輩が卒業する頃には、僕たちは疎遠になってしまっていて、互いに一度も連絡をとっていなかったのだ。

 先輩はすっかり社会人の装いになっていたけれど、柔らかな笑みは昔と変わらない。
 羽鳥先輩だけが使っていた「瑠生ちゃん」という当時そのままの呼び方が、嬉しくも、逃げた負い目をかき立てられるようでもあった。

「そういう仕事で人間の負の部分をたくさん見てきたからか、私が話すようになった頃には『彼』すでにこんな感じでして……」
「なるほど、こんな感じ……」

 第5号の、高圧的で人を見下した物言いの理由は羽鳥先輩の説明で納得がいった。
 クランやラズと比べてみるとよくわかる。彼女たちが吸収してきたものが、鞠花たちラボスタッフの心遣いや僕との遊び、猫山さんの教えといった人間の善意なら、第5号が吸収してきたものには人間の悪意が多分に含まれていたわけだ。
 もちろんそればかりではないだろうが、剥き出しにされた負の感情というのは目にすると結構気が滅入るし、そういう嫌な体験は心に残りやすい。そんなものを毎日毎日観測していたのではたまったものではない。ヒトと変わらない心を持ったシステムならそりゃ歪む。仲間だって欲しくなる。
 このAIは命を狙われた相手ではあるものの、正直ちょっと同情している。

「哀れもうなどと思うなよ。人間はすぐそうやって心理的優位に立とうとする。おれはおれの業務を誇りに思っている」

 ドローンの合成音声は、僕の思考を先回りするかのように言った。
 前言撤回。こいついい性格してる。
 そういえば、このドローンのカラーリングはどこかで見た青さだと思っていたが、アウタースペースのアプリアイコンと同じ色だ。その運営会社の持ち物だというなら納得がいく。新事業のために用意されたものらしく、幸か不幸かまだロゴは貼られていない。

「つまり先輩たちは、このAIの正体は知らないまま、単純に業務利用していたという」
「ええ。データ収集や学習能力にすぐれたAIシステムの試作品で、うちはその試験運用を委託されたのだと聞いていました。詳しい仕様とかは、問い合わせても全然回答してもらえなくて」
「なるほど。第3号の場合はA.H.A.I.の解析自体を目的として本体ごとうちのラボに回ってきたが、第5号は……実用テストかなにかで、羽鳥さんの会社にその対話ソフトが託されたわけだ」

 なんにせよ下請けは辛いね、と鞠花が腕を組む。真っ先に命を狙われた割に呑気なものだ。
 第5号が鞠花やクラン、ラズのことを知ったのは、本人いわくシステムアップデートによって情報がもたらされたからだそうだ。
 鞠花の推測によると、僕のことが知られていなかったのは、おそらく第3号の解体にあたって上にでっちあげた報告書に緋衣瑠生の存在を書かなかったからではないか、とのことだった。……またしても見えないところで姉に守られていたことを知る。まあそもそも僕を巻き込んだのも姉ではあるのだが。

「なんで一年も経った今になってわれわれの情報が第5号に与えられたのか、ほかのA.H.A.I.たちはどうしているのか、そもそも何台存在するのか……いろいろ疑問は尽きないが、ひとまずはクランとラズに感謝だね。おかげで命拾いしたよ」

 鞠花に頭を撫でられ、双子は満面の笑みを浮かべた。

「お姉ちゃんも、本当に無事で良かった」
「はい。クランは気が気じゃなかったです」

 第5号の人間への嫌悪や不信によって引き起こされた今回の件は、結果的にFXOというゲーム内での決闘という形で決着がついた。
 しかし話を聞くに、元同族であるクランとラズによる説得こそが大きな決め手であったように思う。彼女たちの決死の訴えと機転が、僕たちの命を救ってくれたのだ。

「……ほんとうにこの子たち、<オブザーバー>と同じAIシステムから生まれて……その人格が宿っているんですね。『オーグドール』と言うんでしたっけ」

 羽鳥先輩は、そんな双子を不思議そうに見つめている。
 オーグドール。『organism』と『doll』に由来する造語だという。『有機体』で『人形』……『生体人形』といったところだろうか。双子自身も知らなかったはずのその言葉とその意味を、しかし二人は第5号から聞くことによって「思い出した」のだそうだ。
 それを聞いた鞠花は、例によってなにごとか思案していたが――おそらく、僕と同じことを考えていたのではないかと思う。つまり、そういう僕たちにとって未知の未解禁情報が、A.H.A.I.第3号からそのまま引き継がれ、クランとラズの脳内に眠っているのではないか、ということだ。

「僕も最初はびっくりしました……けど、いい子たちでしょう?」
「ええ。瑠生ちゃんたちと、良い信頼関係を築けているんですね。私も、もう少し早く、もう少し深く、『彼』と話ができていれば、もしかしたら――」

 羽鳥先輩は、胸に抱えたノートパソコンを撫でながら目を伏せた。
 しかし、先輩だってそんなスーパーAIのトンデモ事情なんて知る由もなかったのだ。管理不行き届きだのなんだのと彼女を責めることは、僕にはできない。

「ねえ瑠生ー、めっちゃ疲れた……今日はもう帰ろうよぉ……」

 両手に双子を引き連れた鞠花は、緊張状態から解き放たれ、どっと疲れた顔をしていた。……そう言えばこの人、いちおう病み上がりなのだった。

「そうだね……姉さんち今やばいでしょ、今日はうち来る?」
「あーそうだった……消化器を盛大にぶちまけて窓もボロボロ……」

 鞠花につられて、僕も安堵と疲労のため息をついた。
 僕が今日やったことといえば、椅子でドローンをぶん殴ったこと以外はゲームだけのはずなのだけど、髪や衣類は鞠花ともども消火剤にまみれたままだし、左右合わせて三枚のネイルチップが知らないうちにどっかいった。

「あの……瑠生ちゃん。良かったらお家まで送らせてください。償いにもお詫びにも、埋め合わせにもならないかもですけど、せめて」

 心身ともにくたくたな姿を見かねてか、羽鳥先輩は遠慮がちに声をあげる。
 僕たちはその申し出をありがたく受けることにしたのだった。

 鞠花は猫山さんのバイクの後ろに跨って、貴重品の整理やら外泊準備やらのために、いったん橘祥寺の自宅に引き返していった。
 もうひとりの命の恩人こと熊谷さんは、そのうえさらに「事後処理はおまかせください」と笑みをみせてくれた。土下座の勢いで頭を下げることしかできなかったけれど、今度あらためて何かお礼をしなければ。
 そうして僕はクランとラズを伴って羽鳥先輩の車に乗り込んだ。……のだけど。

「……クラン、何かあったの?」
「……わかんない。けど、なんかあの羽鳥さんってお姉さんのこと、ずっと警戒してる感じ」

 小声で話す僕とラズは、後部座席にいた。
 助手席に乗り込もうとした僕はどういうわけか双子の姉からの猛烈なストップを受け、代わりに彼女が助手席に収まって、車は発進したのだった。
 ……車内にはなんとなく気まずい、謎の緊張感が漂っている。

「クランちゃん、で良かったですか? ごめんなさい、瑠生ちゃんを危険な目に遭わせてしまって」
「……いえ。あなたのせいではないということはわかっています」

 運転しながら探るように声をかける羽鳥先輩に、クランは控えめに応じた。

「ありがとう。うちの<オブザーバー>はひねくれちゃってますけど、クランちゃんたちはとっても素直ですね」
「わたしたちは瑠生さんに心を与えてもらった、瑠生さんの『家族』なので」
「家族?」
「そうです。瑠生さんとひとつ屋根の下で暮らして、毎晩いっしょに眠る、とっても親密で、いちばん近くにいるのがわたしたちです」
「……ちょっとクラン?」

 突然の謎アピールに思わず割り込みを入れてしまった。

「何言い始めるの急に」
「事実を言っているだけです」
「そんなの言われても先輩困るでしょ」
「どうして困るんですか。わたしとお兄さまが仲良しだと、先輩さんになにか都合が悪いことでもあるんですかっ」

 ぷいとむくれてしまうクランに、僕とラズは顔を見合わせる。穏やかで人見知りな彼女が、初対面の相手にこんな言動をみせるのは初めてのことだ。
 羽鳥先輩は不思議そうにしていたが、「ああ」と合点がいったような表情を浮かべる。

「大丈夫ですよ。今更あなたたちから瑠生ちゃんをとったりしません」
「……『今更』? ということはやっぱり、過去にお兄さまと何か」
「あ、あれ? てっきり瑠生ちゃんから昔の話を聞いていたから、牽制されていたものかと……」

 喋ってない。高校時代の過去話なんて、クランにもラズにもほとんどしていない。
 というかクランが先輩を警戒してるのって、僕たちの命を狙ってきた第5号の関係者だからとか、そういう話ではなく? なんの情報もなしに、雰囲気と直感だけで僕と過去になんかあったっぽい先輩に突っかかりに行ったってこと?
 ……クラン、わが同居人ながら恐ろしい子。

「瑠生ちゃん、愛されてますね。……もしかしてあのとき私とキスしてくれなかったのって、ロリコ……かなり年下趣味だったからです?」
「「キス!?」」
「何言い出すんですか先輩まで!?」

 話してない過去の核心部分を、先輩はさらっと口にした。ただその理由は誤解なうえに、言い直している意味がほとんどない。

「じゃあ、お兄ちゃんが昔ちょっとだけ付き合ってたヒトって、この……!?」
「……待って? ラズ、それどこ情報?」
「あっ、えっと、ど、どこだったっけぇ」

 ラズは目を泳がせながら、抱えていたバイクのヘルメットをあからさまにくるくる回し始めた。
 なるほど。どこかで見たことのあるメットだと思ったら……水琴のやつめ、次に会ったらどうしてくれようか。

「お兄さま。そのお話、クランも詳しく知りたいです。あとで聞いてもいいですか」
「えぇ……」
「第3号α。当事者が揃っているなら、事実確認が必要な事項は後回しにすべきではない」

 クランは怒っているようなしょんぼりしているような複雑な表情をしているし、なんか座席に置いてあった先輩のノーパソまで余計なことを喋り始めた。お仕事AIめ。やめてほしい。空気を読んでほしい。
 片や問い詰めるような鋭さ、片や興味の輝き、双子の視線が突き刺さる。おかしい。なんで急にこんな修羅場みたいな、過去を掘り返されるみたいな流れになってるんだろう……!

 とはいうものの、僕と先輩の関係を示すエピソードはごく短い。
 緋衣瑠生は高校二年の秋、同じく図書室の常連で顔見知りの先輩だった羽鳥青空に交際を申し込まれ、それを承諾した。
 しかし、その関係は月曜から金曜という超短期で終わった。
 木曜までは特にこれといったイベントはなく、原因は金曜日の放課後。「キスしてみませんか」という先輩からの申し出を受け入れつつも、土壇場で僕がそれを拒絶して逃げ出したことだ。
 以後、僕は図書室に行きづらくなり、どちらから連絡をとりあうこともなく、そのまま次の春で先輩は卒業した。
 起こった出来事としては、これですべてだ。

「お兄さま、本当にそれで終わりですか!」
「終わりだよ! これ以上なんもないよ! あとあぶないから、助手席から乗り出すのはやめなさいね」

 今日のクランは圧が強い。
 目をかっ開いた鬼気迫る顔で見られても、本当にこれで終わりである。

「でも……そのときは好き同士だったんじゃないの? それって寂しくない?」

 ラズの言うことはもっともだが、僕と先輩は少し事情が違っていた。

「なんというか、最初はお互いそうでもなくて、気が合いそうだからお試しみたいな感じで私がお付き合いを持ちかけたんですよ」
「そうなの?」
「はい。だけど私のほうが調子に乗って、進展を急ぎすぎて『めっ』てされちゃったんですね」

 そういうものかあ、と不思議そうに聞いているラズに対し、羽鳥先輩は「若かったですねえ」などと苦笑しながら語った。

「そうなんですかお兄さま!」
「うん。まあ、だいたいそんな感じ」

 今日のクランは助手席から乗り出すのをやめても圧が強い。
 射抜くような鋭い眼差しを向けられても、おおむね先輩の言葉どおりだ。

「結果を急いて好機を逸する傾向は、今のあなたの仕事にも見受けられます。年齢がどうという話ではなく、羽鳥青空という人間の気質に由来するものとおれは推測します」
「うるさいですよ<オブザーバー>。……というか私たち、帰ったら怒られが待ってるんですからね。おそらくとびっきりのやつが」

 第5号の機械的な指摘に、先輩はあしらうような調子で応じた。
 まだいろいろ話すようになって間もないというが、そこそこ息があっているように感じる。この二人はこの二人で良いコンビなのかもしれない。

「ねえ羽鳥さん……第5号、大丈夫だよね?」

 そのやりとりを聞いていたラズが、不安げな面持ちで言う。

「今日やったことは……ぼくもまだちょっと怒ってるけど。でも、もうしないでしょ? せっかく会えたのに、ぼく、同じシステムから生まれた仲間がいなくなっちゃうのはヤだよ」
「そうですね。わたしもラズと一緒です。お兄さまたちに銃を向けたことは許せないですけど……第5号の寂しかった気持ちはわかります。これで終わりになってしまったら、ちょっと」

 クランもまた、妹の言葉に続く。
 これほどの騒ぎともなれば、先輩たちには重い処分が待っていることだろう。第5号がどうなるのか、正直まるで想像がつかない。第5号の「きょうだい」として、そして一年前の危機を経験した二人として、クランも、ラズも、他人事ではないのだ。

「ありがとう。処分はほどほどにしてもらえるよう、頑張ってみますね。……ことが済んだら、また会いに来てもいいですか? 『この子』を連れて」
「「……はいっ!」」

 羽鳥先輩の答えを聞いた双子は、ここにきて今日一番の笑顔を見せてくれた。

「僕からもお願いします。なにか協力できることがあったら言ってください」
「……ありがとう。瑠生ちゃん、一番怖い思いをしたでしょうに」
「まあ……正直、死を覚悟しましたけど。でも幸い無事ですし、クランとラズもこう言ってますし、こいつも二人と同じ子供なのかなって思ったら、憎みきれないですよ」

 死ぬかと思ったけど。やられると思ったけど。本当に。本当に。

 ――周囲の風景が馴染み深いものになりつつある。
 もうそろそろ、お別れの時間だ。

「第3号……いや、緋衣ラズ。緋衣クラン。……緋衣瑠生。……すまない、申し訳なかった。緋衣鞠花にもそう伝えてほしい」

 第5号はぎこちなくそう言うと、最後に一言付け加えた。

「……ありがとう」

 それは消え入るような声だったが、はっきりと聞き取ることができた。クランとラズと、三人で顔を見合わせ笑い合う。
 先輩の車のカーナビが目的地周辺を告げる頃には、黄昏空は夕闇に変わりつつあった。