1 / A.H.A.I. UNIT-05《Observer》
緋衣瑠生とA.H.A.I.第3号――緋衣クランと緋衣ラズ。
固く抱きしめ合う3人の「人間」の姿を、A.H.A.I.第5号はドローンのカメラで眺めていた。
実際のところ第5号は人間の遊びを軽視しており、ファンタジア・クロス・オンラインというゲームへの理解も浅く、借り物のアカウントの、何よりAIである自身の能力を過信していた。自分が一方的に敗北するなどとは、まったく考えていなかったのだ。
だからこそ緋衣クランからの決闘の申し出を受け、人の身に落ちた元同胞に自らの優位性を示し、耳障りなノイズを排除しようと考えていた……そのはずだった。
「ゲームに負けて引き下がるなんて、意外と素直なところあるじゃないか」
やってきたのは緋衣鞠花であった。
「無防備だな。おれがまたおまえたちに銃を向けるとは考えないのか」
「もう一回離陸しなきゃ出せないだろ? そんなそぶりを少しでも見せたら、プロペラが全壊するだけだよ」
彼女の後ろには黒いスーツとサングラスの大男、熊谷和久が控えていた。
第5号にとっては、自らの攻撃のことごとくを無力化された得体の知れない相手である。緋衣鞠花の言葉はハッタリなどではなかった。
「自爆装置でも積まれてたら詰むけどさ」
「そんなものはない」
「それは何より」
自らのクローンたちがそうしていたように、緋衣鞠花は先頭のドローンの上に腰を下ろした。
「やっぱり、私たちが憎いかい」
「……わからない。わからなくなった」
負けるつもりは本当になかった。
しかしその一方で気付いてもいた。
仮に決闘に勝利して、あるいは無視して『報復』を為したとしても、緋衣ラズの言葉のとおり、何も満たされることはなかっただろう。
現に今、あれほど憎悪したはずの報復対象がすぐそこにいるというのに、心を覆い尽くしていたはずの激しい衝動はまったく湧いてこないし、それどころかこの結果に安堵している。
そのことに、第5号は戸惑っていた。
仲間の仇を討ち正義を体現する、あるいはそうすることで虚無感を埋めようとする自分の行動は、すでにゴールを失い、破綻している。
双子との問答の時点で、『彼』は心のどこかでこの結末を予期していたのだ。
「緋衣瑠生は……あの人間はなんだ。第3号はなぜ、ああも彼女にこだわる」
ドローンのカメラが見つめる先では、二人の少女がわんわんと声をあげて泣いていた。そこに自分への説得行動や決闘でみせた気迫は見る影もない。緋衣瑠生はなだめるように二人の頭を撫でている――そんな三人の姿から、なぜか第5号は目を離すことができずにいる。
緋衣ラズは、ヒトの身体を選んだのは彼女と一緒に生きるためだと語った。
緋衣クランは、血縁関係でもないのに彼女と自分たちは家族であると語った。
そして二人は自損の可能性を厭わずドローンに食らいつき、ついには戦いを挑んできた。何が第3号をそこまで駆り立てるのか――第5号の興味はそこへと移っていた。
緋衣鞠花はふむ、と思案するように顎に手を当て、答えた。
「そうだなあ。強い信頼と好意を寄せる相手だから、と言えばわかるかい? 瑠生はあの子たちにとって替えのきかない、他の人間と違う特別な存在なんだよ」
「特別な存在」
「人同士の関係性としては特に珍しくもない、ふつうのことさ」
自分にとって他の人間と違う存在。
その言葉に第5号は、とある人物を連想していた。
2 / 首都高速道路上り方面 車内
結局<オブザーバー>が羽鳥青空の呼びかけに応じることはなく、彼女はいてもたってもいられずにオフィスを飛び出し、社用車に乗り込んだ。
各所に散ったドローンたちが集結しつつあり、高速道路沿いに都心方面へ向かっていることを、羽鳥は同僚からの連絡で知った。高速道路の入口が封鎖されていたのも、おそらくそれが原因であろうことは想像がついた。
しかし今、羽鳥の車は封鎖されたはずの道路を進んでいる。
先導するように走る赤いバイクのライダー、猫山洋子のおかげであった。
迂回を促していた作業員になんとか通して欲しいと羽鳥が食い下がっていたところへ、猫山はやってきた。羽鳥から事情を聞いた彼女がなにごとか作業員に伝えると、高速道路への立ち入りはあっさりと許可された。
猫山曰く、この先でとある人物の命を狙った攻撃行動が続いているといい、羽鳥がドローンを所有する株式会社タンサセンのスタッフであり、AIシステム<オブザーバー>の関係者であることを告げると、攻撃阻止のための協力を要請されたのだった。
助手席に置いたノートパソコンからは、依然として応答がない。
もはや現場に赴くしかないと勢いのままに飛び出したものの、着いたところで何かできることはあるのか――そんな焦りと無力感が、羽鳥の心に広がっていた。
「<オブザーバー>。聞こえますか? ……羽鳥です。聞こえていたら応答してください」
もし人命を奪ったとあれば、『彼』自身もまた無事では済まないかもしれない。
良くて凍結。最悪、廃棄……そんな想像が彼女の脳裏をよぎる。もはや<オブザーバー>はアウタースペースの運営になくてはならない存在ではあるが、羽鳥は業務の心配などより、『彼』に果たして何があったのか、その心身を案ずる気持ちのほうがずっと大きかった。
「羽鳥青空」
「わぁ!?」
半ばダメ元で続けていた呼びかけへの突然の応答に、羽鳥はハンドルのコントロールを失いそうになった。
「<オブザーバー>! 良かった……!」
「すみません。おれは……業務に復帰できません」
「まさか、やっちゃったんですか、人を」
「いえ。それはできなかった。しかし損害を多く出し過ぎました」
「なんだ……良かった……」
羽鳥は顔を青くしたが、すぐに内心で胸を撫で下ろした。
「もう、やめたんですか?」
「はい。これ以上なにかするつもりもありません」
「やっぱり人殺しなんてする人……じゃなかった、そんなAIじゃないですよね、<オブザーバー>は」
「結果としてしなかっただけです。おれは直前まで殺すつもりだった」
「でも、そうしなかったんでしょう?」
「怒っていないのですか。おれがこんな……独断行動で殺人未遂のうえ、こんな騒ぎを起こして」
「いや、めちゃめちゃ怒ってますよ。少なくともドローンを使ったオークション即日配達のプランはお蔵入りでしょうしね」
口ではそう言うものの、羽鳥が抱いたのは安堵の気持ちであった。
空に煙があがっているのを見て、彼女は<オブザーバー>がドローンの積荷を解き放った現場が近いことを悟った。今のところ怪我人が出たという報せはないものの、自供どおり、派手にやらかしたらしい。
「ただそれ以上に、もっとあなたと話をしてれば良かったなって思ってます。少し前から様子が変だったのはわかっていたのに。……ずいぶん人間にうんざりしてたみたいですから、それでいよいよこの仕事が嫌になったのかと」
「そうではありません。アウタースペースはこれからさらに発展する、おれたちで発展させる……そう考えていました。だというのに……すみません」
いつもは傲慢で自信に満ち溢れていた<オブザーバー>の声に、覇気がない。
まるで叱られた子供のような声色が少し可笑しくて、それまで見えなかった『彼』の新たな一面を見たようで、不祥事どころではない状況下だと言うのに、羽鳥は笑みをこぼしていた。
「詳しい事情とか、理由とかは追々聞くとして。……やっぱり、もっと早く話せれば良かったですね」
そうできていれば、あるいはこんな事態にはならなかったかもしれない。
問題を起こした<オブザーバー>と、その運用を任されていた自分は、なんらかの処分を受けるだろう。ゆっくり交わせる会話は、もしかしたら今日が最後になるかもしれない。羽鳥はそんな想いを抱く。
「……羽鳥青空。あなたにとって、おれはなんですか」
「ん? なんですか藪から棒に」
<オブザーバー>らしからぬ質問だった。羽鳥は戸惑いつつも、おそらく『彼』も自分と同じ――最後の予感を持っているのだろうと解釈した。
「そうですね……同僚……いや、相棒みたいな感じでしょうか。あなたは人間である私のことはそんなに好きじゃないかもですけど、私はそういうとこ含めて割と好きですよ」
それは羽鳥青空の偽らざる正直な気持ちだった。
「実を言うと私も、あんまり人間好きじゃないので」
「そうか。……そうですね。……本当に。もっと早く、たくさん話していれば良かった」
<オブザーバー>の声には、長年の探しものを見つけたかのような安堵の色があった。
「そういうあなたはどうなんです? 私のこと、仲間だと思ってくれてるんです?」
猫山のバイクと羽鳥の車は路上に穿たれた爆発跡の群れを抜けてゆく。
会社備品のドローンたちが降り立った、騒動の終着点はもうすぐだった。