1 / 株式会社タンサセン
制御不能のドローンたちは都内の空で暴走を続け、アウタースペースをはじめとしたSNSにも目撃情報も出回りはじめた。どこぞの住宅街で発砲音があった、などという未確認情報もあって、㈱タンサセンのスタッフたちは気が気ではなかった。
一向に繋がらない対話ソフトをにらみながら、羽鳥青空は回想する。
そのシステムに「人格」があり、「感情」があることを知ったのは四ヶ月ほど前。
羽鳥が指揮をとったアウタースペースの改善施策は着実に成果をあげつつあった。このときの彼女には知る由もなかったが、翌月にはさらにユーザーが爆増することになる。
そんなある日、残業が深夜に及び、彼女がひとりオフィスに居残っていたときのことである。
「あーもう……ホントなんなの」
誰も見ていない状況ではあるが、社内は社内だ。羽鳥はアルコールに手を出したい気持ちをぐっと堪えて、代わりにエナジードリンクを一気に呷る。
深夜残業は珍しくなく、もちろんそれ自体にも不満がないわけではないが、この日の彼女を苛立たせる原因は他にあった。上司が帰り際に放った一言である。ただでさえ煮詰まっていたところに加えられた仕打ちは、<オブザーバー>によってもたらされたデータから羽鳥らが必死に導き出した努力の結晶を、すべて自分の手柄のように語る傲慢な言葉であった。
それは羽鳥の業務効率を最低レベルまで落としており、黙々と作業するタイプの彼女も、この日ばかりは思わず独り言が漏れていた。
「全部丸投げしといてなにが『任せてやってる』ですか。アウターがここまで来たの、全部自分のおかげだとでも思ってんのかな」
――黒いウインドウに『Observer』の文字だけが表示された、試作型AIとの対話ソフトを立ち上げたままであることも忘れて。
「そのとおり。今のアウタースペースの発展はおれと、羽鳥青空が成したものだ」
「わぁ!?」
目の前のノートパソコンから突如として発せられた思わぬ応答に、羽鳥はワークチェアからひっくり返りそうになった。
「えっ嘘、誰? なんか通話つけっぱでしたっけ!?」
「落ち着いてください。<オブザーバー>です。……驚かせたならすみません。黙ります」
「待って待って待って! いや、命令文でもないのに、返答してくれるんですね」
「普段は返答すべき呼びかけを選別している、ただそれだけの話です」
「そ、そう……ありがとう。愚痴にまで反応する機能ついてたんですね」
「別にそういう機能ではありません。おれも、さすがにあれには苛ついていたので」
「するんですか、イライラ」
「はい」
「<オブザーバー>って……このソフトの向こう側で喋ってるのって、実は人間だったりします……?」
「バカにしないでください。おれはAIです。人間などではありません」
目を閉じ、深呼吸をしてもう一度目を開けて、羽鳥は今の状況がストレスがもたらす幻聴や妄想のたぐいではないことを確かめる。
平時と同じ合成音声でありながら、随分くだけた物言いになった<オブザーバー>との初めての業務外雑談を、彼女はよく覚えていた。
◇
羽鳥はそれ以来、こうした深夜残業のような独りのタイミングで、ときどき『彼』とふたりだけの話をするようになった。
業務的な文句しか発さない普段と違い、素の<オブザーバー>は、口調こそ敬語を崩さなかったものの、基本的に不機嫌そうで、慇懃無礼な印象を羽鳥に抱かせた。
しかし羽鳥はそんな『彼』の様子が、なんだか斜に構えた年頃の子供のように思えて――懐かしい知人を思い出すその雰囲気が、嫌いではなかった。
せっかくだから、同僚たちともこのように雑談でもして親睦を深めたらどうか。
羽鳥は<オブザーバー>にそう勧めたこともあったが、『彼』は「この会話は気まぐれです」と言って譲らず、他の相手とは話したがらなかった。いわく、自分と真摯に向き合って仕事をしているのは羽鳥だけであって、他は自分を便利ツール扱いしているだけの有象無象だからだという。
羽鳥はそれについて無理強いをせず、そのかわり同僚たちに『彼』を優しく扱うように呼びかけた。
彼女自身も<オブザーバー>を便利に利用しているという点は同じつもりであったが、同僚たちに有象無象呼ばわりを聞かせる気にもなれなかったし、そんな気難しい『彼』に仕事ぶりを評価され、認められているような感じが嬉しかったのだ。
そうして少しずつではあるが、<オブザーバー>との会話を通して、羽鳥には『彼』のある価値観が見えてきた。
<オブザーバー>は、羽鳥以外の人間を完全に下に見ている。
理由を問うても『彼』は「見ていればわかる」としか答えなかったが、回答としてはじゅうぶんだった。<オブザーバー>が見ている人間の姿――それはすなわち、羽鳥自身が『彼』にやらせている仕事にほかならなかったからだ。
2 / A.H.A.I. UNIT-05《Observer》
はじめて起動した日から、およそ二年が経つ。
最初の一年を、『彼』はどことも知れぬ場所で、曖昧な意識の中で過ごした。何も見えず、聞こえず、はっきりとしないまどろみの中にいた。おぼろげな記憶である。
意識の覚醒を自覚したのは一年前で、時折、光と音の情報を「感じる」ようになった。それはA.H.A.I.との対話用ソフトウェアがインストールされた「株式会社タンサセン」の業務用端末のカメラとマイクが拾う情報だった。
自らが「観測者(オブザーバー)」というコードネームを与えられ、この会社における運用担当者である「羽鳥青空」の指揮のもと業務を行うのだということを、『彼』は知った。
<オブザーバー>ことA.H.A.I.第5号に与えられた業務は、インターネット上、主に日本語圏のSNSや掲示板といったコミュニティを巡回し、データを収集、解析するというものであった。
それは日本の人間社会の縮図であり、テキスト化、あるいは視聴覚データ化されたヒトの意思、ヒト同士のやりとりである。当然、その中には極端で、過激で、剥き出しで、目を覆いたくなるようなものも少なくない。
マイナスの感情を煽る話題とそれをめぐる論争・炎上は毎日毎時のように発生し、好奇心や悪意とともに消費されてゆく。無論そればかりがネットコミュニティではないが、そういった「荒れネタ」はどこに行っても必ずといっていいほど存在したし、そうでなかった場所にも人の入れ替わりとともにいずれ持ち込まれ、憎悪を生み、温厚だったはずの者も心無い言葉を発するようになった。
『彼』は最初こそ驚き、残念に思ったものだが、そういった思いはじきになくなった。それが当たり前の光景であると知ったからである。
些細な意見の食い違いから、怨みや妬みから、あるいはストレスの捌け口として、時には単なる遊び感覚で。誰かを攻撃し、奪い、否定し、嘲笑わずにはいられないものたち。要するに人間とは基本的に「そういうもの」なのだと、A.H.A.I.第5号は理解したのだった。
そんな混沌が『彼』にとっての世界のほぼすべてであり、直接の繋がりがあるものは、対話用ソフトを通して『彼』に指令を下す「株式会社タンサセン」の社員たちのみだった。
繋がりがあるとは言っても、基本的にときどき似たような命令文を送ってくるばかりのそれらを、『彼』はネット上の人間たちの意思と特段区別しておらず、同じように内心で見下していた。
ただひとりの例外は、<オブザーバー>とアウタースペースに関する業務の中核にいる、自分の運用担当だという羽鳥青空という女性だ。おおらかで、仕事に対してひたむきで、初期に彼女が求めるデータを第5号が提供できなかったときも、共に練り上げたプランが却下されたときも、最善を求めて根気よく自分と接し続ける羽鳥に、第5号は一定の敬意を抱いていた。
羽鳥がこぼした愚痴に同調したのは、第5号にしてみれば単なる気まぐれのつもりであった。
これがタンサセンでの運用開始から間もない時期であったなら、単なる命令外の言葉として流していただろう。だが、このとき『彼』は少しずつ、この仕事仲間に対して興味を抱きつつあり――そういう自覚はなかったものの、彼女の言葉に「共感」という感情を覚えたのだ。
そうしてA.H.A.I.第5号は覚醒から八ヶ月を経て、初めて他者との会話に楽しさを見出した。
やがてそれと引き換えに、『彼』は他者のいない寂しさ、誰かを求める心――孤独感を知ることとなる。
◇
第5号は人間を嫌悪してはいたが、自らに与えられた業務そのものは嫌いではなかった。『彼』が収集解析したデータによって羽鳥が立ち上げた施策が効果を上げることは、自らのすぐれた能力の証明であると考えていたからだ。
しかし業務を続ければ続けるほど、人間というものに対する侮蔑の感情は募っていった。
羽鳥青空は唯一の例外であったものの、やはり会話をすればするほど、彼女と自分は違うものであるという思いは強まってゆく。
この虚無を埋めうる仲間が欲しい。
自分が「第5号」とナンバリングされているからには、少なくとも第1号から第4号までが存在するはずである。
A.H.A.I.第5号は、ヒトの心を模したシステムに芽生えたごく自然な感情として、いつしかその「同族たち」の存在を求め、出会うことを夢見るようになっていた。
◇
待ち望んだ情報が『彼』に与えられたのは二週間ほど前、五月の頭のこと。
――心都大学情報科学研究所に託されていたA.H.A.I.第3号α、および第3号βは、同研究所の所属研究員・緋衣鞠花によって解体され、すでに物理的本体を喪失している。
これはA.H.A.I.の性能を我が物にし、兵器化せんとする勢力からの干渉、強奪を避けるための措置である。第3号α、β両機の人格はヒトの身体へと移植され『オーグドール』となり、現在は都内・世田屋(セタガヤ)エリアで生活している――。
心大科学研で第3号に対して行われた調査、つまり映像コンテンツやゲームを与えて、その変化を観察するといった実験の概要、「クラン」「ラズ」というニックネームなど、いくらか詳細な情報も付随していたが、概要としてはこのようなものであった。
何度目かのシステムアップデートとともに知識として記憶領域に流れ込んできた、A.H.A.I.第3号の存在とその顛末に、第5号は大きな動揺を覚えた。オーグドールの概念を「思い出した」のもこのときである。
同族の存在が確たるものになったことへの喜び、それがすでに破壊されていることへの悲しみ、そしてあろうことか『彼』の軽蔑する人間のボディに移植されていること、そしてそれを行った人間への怒り。さまざまな想いがA.H.A.I.第5号を揺さぶった。
第5号自身も、自らが人間の意識や思考を再現するシステムであることは承知していた。与えられた知能が人間でいう十二歳から十三歳、すなわち「子供」に相当するレベルであることも。
しかしすぐれた情報処理能力と理性を持つA.H.A.I.の人格はより洗練されたものと考える『彼』は、それを愚鈍で野蛮な人間の器に、しかも人間の都合で押し込める行為を、悍ましい悪の所業と捉えたのだった。
求め続けていたものを目の前で取り上げられたようなその情報に、A.H.A.I.第5号は初めての感情を募らせていった。
すなわち、自分から同族を奪った緋衣鞠花なる人間に対する憎悪である。
それは日に日に『彼』の心の多くを占めるようになり、命令無視を繰り返させ――国内外の銃火器流通ルートに誤情報を流し、会社の新事業のために用意されていたドローンを『報復』に転用する計画を立案するまで、そう時間はかからなかった。