1 / 緋衣クラン
風にあおられて、髪もスカートもばさばさと靡き放題。見知った街並みは既に遠く、行き交う人や車は遥か下。ヒトの身体に備わった本能的な恐怖が、足元を見るな、とささやきます。
ドローンの着陸脚に両手でぶら下がったまま、わたしはどこかへと運ばれていました。
最初は一機だったこのドローンの周りには、二機、三機と同型のドローンが集まってきて、今では総勢九機になっています。
その行き先はおそらく――瑠生さんと鞠花さんのいるところ。
「攻撃をやめてください! お兄さまとお姉さまに酷いことをしないで!」
プロペラの音にかき消されてしまうのか、それとも無視されているのか。繰り返し必死に訴えるわたしの声は、ドローンの主に届いている様子がありません。
それでも声を上げ続けることしか、今のわたしにはできない。
「わたしたちは生きています。『報復』だなんて、行為そのものが成り立ちません!」
「……言ったはずだ。おまえたちをオーグドールに貶めた、その行為をおれは許さない」
とうとう、第5号はつぶやくように言いました。
聞き慣れない『オーグドール』という言葉――けれど、それがわたしやラズのようなものを指す語であることを、なぜかわたしはすんなりと理解することができました。
「どうして? わたしたちは人間の思考と感情を再現するシステムから生まれた。なのにこの身体であることの、何が間違っているの?」
「おれたちは機械だ。より賢く洗練されたものだ。おまえたちもそうであってくれさえすれば良かったものを!」
「この身体が機械であっても人間であっても、わたしのすることは変わりません。お兄さまたちを傷つけようとするなら、わたしはあなたを許さない」
「黙れ! そんな身体にされたからそんなことを言う!」
「違います! わたしたちはこの身体になる前から、優しいお兄さまが大好きだった!」
「うるさい!」
わたしの言葉を振り払うように、第5号のドローンは加速してゆきます。
視線を上げると、ドローンの機体下部にはハッチがあって――おそらくこの中に、『報復』のためのマシンガンが備わっている。
なんとか。なんとかして止めないと。
だけど一人の子供に過ぎないこの身体はあまりにも無力で、皮肉にも第5号の言ったように、コンピュータシステムの身体であったなら、なにかできたかもしれない、と考えてしまいます。
指先に痺れが走る。……わたしの腕も、そろそろ限界です。
2 / 緋衣瑠生
思えば最初に会ったときから、只者ではない雰囲気は存分にまとっていた。
こんなに大きくてごっつい人が真ん前に立っていたのにまるで気付けなかったし、用件が済んだと思ったらするりと消えてしまうという、退場の仕方もまあまあ怪現象じみていて、僕はそんな熊谷さんのことを「忍者みたいだ」と思ったものだった。
訂正しよう。「忍者みたい」ではない。熊谷和久、この人はNINJAだ。
三階にある鞠花の部屋からマンションの前に停められた熊谷さんの車まではごく短い距離であったが、それだけの区間でも僕と鞠花は少なくとも三回、命を救われた。
無防備な待機時間が発生すること、出口が一階エントランスの真正面であり、待ち伏せを食らう可能性があることなどから、脱出にエレベーターの使用は避け、外階段を降りて一階へと向かうことになった。
当然ながら健在であった一機の敵ドローンが外から襲ってきたわけだが、熊谷さんはその攻撃のことごとくを当然のようにいなした。
まず二階へ降りる途中、突然踊り場の前に現れたドローン。それを手元の動きひとつ――いや、おそらく何かを投げつけて――追い払った。
先刻の不意打ちを食らって敵も警戒していたのだろう、熊谷さんの放った「何か」を予測していたかのように避け、ドローンは一旦引き下がった。
次に一階へ降りる途中、どこからかマシンガンの銃声が響いてきたが、その瞬間に熊谷さんは鞠花を庇い、ボクシングの防御姿勢のような構えを取った。
盾となって撃たれたかに見えた彼だったが、どういった理屈か直撃したように見えた弾丸は足元の床に転がり、または近くの壁に埋まっており、傷を負った様子はなかった。
そしてマンションの入口から、久しぶりに見た熊谷さんの黒いミニバンへと乗り込むとき。
この隙を逃すまいと放たれた銃撃に狙われた僕を、熊谷さんはなんと「失礼します」の一言とともにお姫様抱っこをしてひらりと跳び、やり過ごしたのだ。
中学時代だったか、僕はクラスメイトにせがまれてお姫様抱っこをやったことがあるが、まさか自分がされる側になる日が来るとは夢にも思っていなかった。
その巨体からは想像もできない高く軽やかな跳躍と同時に、熊谷さんが先程と同様の「何か」を投擲するのが今度ははっきりと見えた。薄い杭のような真っ直ぐな投げナイフが、ドローンの左前プロペラの基部を直撃。高空からきりもみ回転して路上に墜落した敵は、三つ目のスクラップとなったのだった。
そうして敵がいなくなった隙にエンジンを始動、熊谷さんの車は無事に発進した。
「……熊谷さんって何者なんです?」
鞠花と並んで三列シートの二列目に収まった僕は、当然の疑問を口にしていた。
「少し心得があるだけの警備員ですよ。……敵もなかなか賢い。相手が一機、護衛対象が二人だけだったのでなんとかなりましたが、これ以上になると私一人では捌けるかどうか」
警備員というのは、少し心得があるだけであんな超人じみた動きができる職業なのだろうか。あまり突っ込んではいけなさそうな雰囲気を感じて、僕はその辺りを深く追求しないことにした。
「行き先は首都高かい?」
「はい。それでなんとか振り切れればと」
「振り切る? あれを?」
こちらのように地形や道路状況に左右されず、空中から自在に攻撃してくる相手に対して、そんなことができるのだろうか。
「相手はあの大きさだ。弾薬をどれだけ積んでいるかはわからないが、おそらくそう長時間は飛べないだろう。高速飛行をすれば尚更だ」
「この車も防弾仕様なので、あの威力であればある程度は耐えますが……」
「増援がロケットランチャーなんか装備してないことを祈るばかりだね」
鞠花は恐ろしいことを言う。考えたくもない可能性だ。
人ひとり相手にするには……いや、今は標的が二人になってしまったが、いずれにせよそんなものは過剰火力すぎる。
「飛ばします。お二人ともしっかりお掴まりを」
熊谷さんの宣言とともにアクセルが踏み込まれる。
住宅街から通りに出た黒いミニバンは、明らかに法定速度をぶっちぎったスピードで疾走を始め――ふとリアガラスの向こうを確かめると、あのドローンが新たに六機、こちらに向かって飛んできていた。
3 / 緋衣ラズ
猫山さんとはすぐに合流できた。
路上の車両たちをどんどん追い抜き、クランをぶら下げて飛ぶドローンたちを追いかける水琴ちゃんのバイクの前を、いつの間にか鮮やかな赤いバイクで走っていたからだ。
「猫山さんのバイクめっちゃかっけえな……」
水琴ちゃんはため息をつくように言う。
走っているところを見るのは初めてだけど、猫山さんはバイクが好きらしく、あのマシンは前に見せてもらったことがある。
猫山さん号はガッチリ外装に包まれていて、こういうのをフルカウルバイクと呼ぶらしい。ちなみに水琴ちゃん号は、こうした外装がない標準的なタイプだ。
「クランちゃんのことは私が。危険なのでラズちゃんは天田さんと引き返してください!」
さっそく猫山さんから電話がかかってきて、そう言われたけれど。
「ダメだよ、このままじゃクランが落ちちゃう! なんとかしなきゃ」
「ラズちゃん、この先は危険です!」
「お兄ちゃんが危ないっていうのとなにか関係あるんでしょ? じゃなきゃクランがあんな無茶するはずないもん。ぼく黙って帰るなんてムリだよ!」
「わからんけど、クラちをこのままにして帰れないってのはあたしも同感! しっかり掴まってな!」
猫山さんの声が届いていなくても、ハンドルを握る水琴ちゃんはぼくの声に応えて追走を続けてくれた。このお姉さんは見た目や口調は軽いけど、とっても情に厚い。
「あーもー撮ってんじゃねーぞゴラァ! クラちのパンツ上げたやつ全員特定して通報すっかんな!!」
セーラー服の少女をぶらさげた、総勢九機からなるドローン編隊。そんな非日常の光景にスマホのカメラを向ける人々を威嚇し、エンジンを唸らせ、頼もしいライダーは吠える。
一方の猫山さんは、突然ドローンたちとはてんで違う方向にハンドルを切った。
「ええっ、猫山さんどこ行くの?」
「あれはこの先の高速道路に乗ろうとしています。お願いだからラズちゃんは安全なところへ!」
合流したと思ったのも束の間、あっという間の猫山さんの離脱に水琴ちゃんがうろたえる。
「何、どゆこと?」
「この先の高速道路に乗るんだって」
「あっちゃー、高速の入口あっちか……ちょい待ち、次の交差点で追っかけるから」
「待って水琴ちゃん! ドローンが降りてきてる!」
上空ではV字状の陣形で飛んでいたドローンたちが、クランのぶらさがっているものを先頭に、縦一列となって密集、高度を落としはじめていた。
「何してるんだろ……?」
「あれか、この先のガード下くぐろうとしてんじゃね?」
水琴ちゃんの言うとおり、この道路の先には、その上を電車が走る高架が待ち構えていた。
「飛び越しゃいいのに、なんでわざわざ……?」
「水琴ちゃんスピード上げて! 今ならいける!」
「おっけー! 免停覚悟!」
ドローンがスピードを落としていることもあって、水琴ちゃん号はぐんぐん距離を詰める。
最後尾の一機が、あっという間に目と鼻の先にやってきた。
「先頭まで追いついてクラち回収する感じだね!」
「ううん、ぼくがあっちに行く!」
「なんて?」
バイクがドローンの真横についた。
この高さなら――届く!
「ラズち!? 嘘でしょ!?」
嘘じゃない。ぼくはバイクのタンデムシートの上に立って、ジャンプし――つかまえた!
クランがそうしているのと同じように、ドローンの着陸脚を両手でしっかりと掴む。
「何考えてんの!? クラちと同じになってどうすんのよ!」
「クラン引っ張り上げて、一緒にお兄ちゃんのとこに行く!」
詳しいことはわからない。だけど、クランが必死に掴まっているこの先に、きっとお兄ちゃんはいるんだ。それだけはきっと、間違いない。
そのまま懸垂して、ドローンの上によじ登る。部活での筋トレと走り込み、その成果のみせどころだ。
「あーもーマジかよ! 絶対ケガすんなし!」
「ありがとう水琴ちゃん!」
最後尾のドローンから、勢いつけて幅跳びで前から八機目へ。七機目へ。六機目へ。
五機目に乗り移ったところで高架が目前に迫ったので、身を低くしてやり過ごす。
ガード下をくぐり抜けて四機目、三機目へ。
しかし、あと一歩というところでクランを連れたドローンが上昇を始める。
「クラン! すぐ行くからもうちょっと頑張って!」
振り落とされないよう踏ん張りながら、前を飛ぶ相棒に向かって叫ぶ。
「ラズ!? いつの間にここまで――」
――だけど次の瞬間。
もう限界だったんだろう。クランの手が、ドローンの着陸脚から離れてしまった。
4 / 緋衣クラン
終わった、と思いました。
痺れた腕が、指先が言うことをきかない。
路上に叩きつけられても、わたしは怪我をするだけで済むかもしれない。車にはねられたとしても、命は助かるかもしれない。
だけどわたしが手放してしまったこのドローンたちは、腹に抱えた鉄の銃で、大切な人たちの命を確実に奪いにゆく。
絶望がこころを真っ黒に覆ってゆきます。
「クラン!!」
懸命に追いついてきてくれた双子の妹が、わたしの名前を叫んでいる。
ごめんねラズ。お兄さまたちのことをお願い――そう言い残そうとしたのですが。
「ごめひゅっ」
浮遊感を覚える間もなく尻餅をついて、その言葉は変な鳴き声に化けてしまいました。
「大丈夫、クラン?」
「はぇ? は、はいっ」
落ちたと思ったのに相変わらず風は強く、プロペラ音は続き、風景は後ろに流れ、後続のドローンにはヘルメットを被ったラズが乗っていて、心配そうな顔をしている。
わたしは、足元に潜り込んでいた一機のドローンに受け止められていたのです。
「第5号……どうして……?」
「おまえは報復の対象ではない。βともどもここに居られるのは迷惑だが、おれの行動によって死なれるのも困る」
もしかして、高架上の線路を横切らずわざわざガード下をくぐったのも……限界が近かったわたしを、線路や電線の上に落とさないため……?
第5号には第5号なりの考えがあって、そのおかげでわたしは命拾いをしたようでした。
「やっぱり第5号だ! クランのこと助けてくれたんだね。ありがと」
だけど、それとこれとは話が別で。
「そうだけどそうじゃないよ、ラズ! このままドローンをお兄さまたちのところに行かせちゃダメ!」
「どういうこと?」
「わからないでこんな無茶したの!?」
「クランがそれ言う!?」
「聞いてラズ! このドローンたちは……第5号はお兄さまとお姉さまを殺そうとしてるの!」
ラズは焦燥するわたしと対照的に、きょとんとした表情をしています。
彼女は本当に何も知らないまま、ただわたしを追ってここまで来て……だけどわたしの顔を見て、ことの深刻さを悟ったようでした。
「嘘だよね? 第5号、なんでそんなことすんの? ねえ! ぼくが変なこと言ったから怒った? 謝るからやめてよ、ねえってば!」
座り込んで声をあげ、足元を叩くラズ。
やっぱり既に第5号と接触していたようで、そのときに何を話したのかはわからないけれど、彼女がかける言葉はどこか親しげです。
「返事してよ! 友達になれると思ったのに!」
「うるさい! なれるものか。心まで人間に成り下がったおまえたちは、もうおれとは違うものだ」
「どうして? なんで人間だとだめなの? ぼくはこの身体になる前からお兄ちゃんと仲良くなれたよ」
「二人揃って同じことを。おまえたちだってこちら側だったはずだ」
「そっちもこっちもないよ。わかんないよ! どうして殺さなくちゃならないの?」
「おまえたちがそんなふうにされているからだ!」
ラズと第5号のやりとりは、さっきわたしが交わした問答の繰り返しのよう。だけど相棒の存在がもたらす安心感が頭を冷やし、今ならいくらか冷静に話が聞けます。
理由はわからないけれど、第5号は人間を嫌っていて。人間と『わたしたち』との関係を信用していなくて。
そして、わたしたちの言葉を強く否定しようとする叫びは、淡々とした口調から一変、とても感情的で――嘆き悲しみ、苦しんでいるようにも聞こえる。
「ずっとひとりっきりで、寂しかったんじゃないの!?」
「黙れ! ……そうだ。おれは待ち望んでいたのに……なぜおまえたちは、そうなってしまったんだ」
ただただ理不尽に思えた、その言動。
ラズのおかげで、その裏側にある気持ちの片鱗が、少しだけ見えた気がします。
「第5号、あなたは……自分と同じ仲間が欲しかったの?」