1 / 緋衣瑠生
「繰り返すが、報復対象以外を攻撃する意思はない。緋衣瑠生、そこをどけ」
「お断り。それはこっちだって譲らない」
A.H.A.I.第5号操るドローンとの睨み合いが続く。数時間もそうしているかのように錯覚する緊張状態だが、おそらく数分も経っていない。
鞠花はベランダから見て部屋の奥、玄関側の死角に引っ込んでくれたものの、隠れられるスペースとしては狭い。
綺麗に整頓された広い部屋と大きな窓が、今はかえって危険であった。大型のドローンであっても、窓を破壊すれば部屋の中に侵入できてしまう。
玄関から脱出したとして、外に出ればより無防備だ。すぐに回り込まれるだろう。寝室に逃げ込むのは? いや。角部屋だから、リビングと同じ方角に窓があるはずだ。僕の背後の道をどうにか塞いでドローンを物理的に入れなくし、そこへ立てこもる……そんなバリケードを即座に築けそうなものはない。
何か手はないか、思案していたそのときだ。
ベランダ窓の横――ドローンのカメラから死角になる壁面に貼られた、電子ペーパーのホワイトボード。鞠花がメモに使っているそれの表示が、リアルタイムで切り替わっていることに気付いた。
<このメッセージを最後まで確認したら、酢豚にパイナップルはアリか? と言え。その三秒後に消化器で煙幕を張る。>
スマホ経由か何かで書き込んでいるのだろう。鞠花の筆跡の書き文字は、発声による意思疎通を悟られないための作戦指示だった。
煙幕を張り、そして……。その後に続く文言を確認すると、僕は大きく息を吸って、吐いた。
「ところでさ、第5号。酢豚にパイナップル入れるのって、アリだと思う?」
「……なんだそれは。どういう意味だ」
「どうってほどのことでもないんだけど、好みの話?」
一……二……三。
「僕は結構好き!」
僕が言うと同時に、背後から鞠花が飛び出し、ベランダに向けて突進した。
その手に握られていたのは玄関付近に設置してあった消化器だ。窓に向けたホースから勢いよくピンク色の粉末消火剤が飛び出し、リビングルームを煙に包む。
「悪あがきを……!」
鞠花は窓に向けて集中的に煙幕を散布し、敵の目をくらませる。
僕は煙幕がじゅうぶん濃くなったことを確認し、鞠花のパソコンデスクの前に鎮座していたワークチェアを無造作に掴んで担ぎ上げた。
「今だ!」
叫びとともに、鞠花がドローンの前に立ちはだかった。どれほど煙幕が濃かろうとドローンのカメラが見間違えようはずもない、窓ガラス真ん前の至近距離である。
その姿に銃口が向き、マシンガンが火を吹く。
窓ガラスはついに弾丸の貫通を許す……が、攻撃は数センチ先の鞠花の身体に届かない。
彼女を守る防弾窓は、その瞬間『二枚』になっていたのだ。
つまり、すぐ隣の窓がスライドし、開け放たれていて。
「こっ……のぉぉぉぉ!!」
僕は煙に紛れてそこから飛び出すと、渾身の力で鞠花愛用のワークチェアをドローンのプロペラに叩きつけた。
打撃音に続き、ギャリギャリギャリッ! と何かがプロペラの回転に巻き込まれる嫌な音が耳を刺す。
すかさず鞠花が僕の身体を引っ張って離脱させ、二人してリビングに倒れ込む。
同時に、ガシャン、とドローンがベランダに落ちる音がした。
煙幕とベランダ窓の向こうであがくドローンの影を、息を呑んで見つめる。
ベランダの床に向かって数発の発砲音が続いたが、すぐに止まり、ギュルギュルと異物が引っかかった歪な回転音もやがて止まり――それは、沈黙した。
「……やったか?」
「姉さん、今そのセリフはマジでやめて」
「いや、実際言いたくなる気持ちがわかってさ」
とはいえ、目標は今やほぼほぼスクラップである。
打撃の瞬間に少なくとも直接ヒットした一個のプロペラをおじゃんにし、顔面(?)からベランダの床に突っ込んだ衝撃やら上に乗ったワークチェアがぶつかったやらで、残りのプロペラもひん曲がったそれが、ふたたび離陸・攻撃できるとはとても思えなかった。
リビングの大惨事と引き換えに、ひとまずの危機は脱したはずだ。
「ちなみに私はあんまり好きじゃない」
「なんで酢豚パイナップル論争なのさ」
「昨日出前を取った酢豚に入っていてね。敵に悟られない合言葉ならなんでも良かったんだが、咄嗟に思い出したのがそれだった」
そんな人によっては戦争に発展しうる話題にしなくてもよくない?
しかしそんなことよりも。
「……姉さん。この流れは全部作戦通り?」
「ちょっとだけ違ったかな。最後は私がかっこよく上になって庇う予定だったんだけど」
倒れ込むと同時、僕は咄嗟に身を翻して鞠花を組み敷くようにしていた。
「そううまくはいかないね……って瑠生、どうしたの? 顔怖いんだけど」
「……姉さんが自分を囮にするなんて書いてなかった」
ホワイトボードに書かれた作戦はこうだ。
<このメッセージを最後まで確認したら、酢豚にパイナップルはアリか? と言え。その三秒後に消化器で煙幕を張る。
私は煙に紛れ、こちらから見て奴の右側の窓を開けたら安全圏に退避する。きみはパソコンデスクの前の椅子で横からプロペラを狙って殴れ。以上>
だが鞠花がとった行動は、敵の眼前に身を晒すことだった。
「退避しただろ、防弾ガラス二枚の裏に。安全安全。無防備になる瑠生に銃口が向いちゃだめだったんだよ、この作戦は。……待って近い……顔近いって瑠生!」
鞠花の言い分は、少なくとも無策で彼女を庇おうとした僕よりずっと理にかなっている。
だけどやはり、心情的に納得はいかない。
「だってそんなこと書いたらきみは従ってくれな……ねえちょっと、マジでそんなに見つめ、はわ……」
……そうだ。わかっていれば僕は従わなかったかもしれない。
何も言い返せず、視線で不本意の念を送るしかできない自分が悔しい。
「姉さん、いつもそう。クランとラズを最初にうちに寄越したときだって、肝心なところは全部、黙って自分で背負い込んで」
絞り出すように言うと、なんか顔を真っ赤にして暴れていた鞠花はおとなしくなった。
「それを言われちゃうとな。……悪かったよ。今後私がリスクを負いうる場面では、きみにちゃんと話そう。今日のところはそれで許してくれる?」
「……うん。もうそんな機会、ないといいけど」
「ごもっとも。だが無茶はきみもだぞ。今回はきみが稼いでくれた時間のおかげでなんとかなったが、タンクをやるのはゲームの中だけにしてくれ。肝が冷える」
そう言って鞠花は、そっと僕の頬を撫でた。
「家族を危険から遠ざけたい気持ちは私も一緒だ。わかってくれるね」
「……うん」
「一機を行動不能にした程度で、何を終わった気になっている」
するりと会話に入ってくる合成音声。
ベランダに落ちたドローンから、今度は直接聞こえてきたのだ。
一気に緊張が走り、僕と鞠花は立ち上がった。
「やっぱりやってなかった!?」
「まあドローンをやっつけたところでAI本体は痛くも痒くもなかろうさ。それよりも……」
「これと同じやつが、まだ何機もいる……?」
「そうだ。残りの機体もこちらに結集させている。今度は確実におまえたちを排除する」
……待った。今、こいつはさっきと違うことを言わなかったか。
同じ疑問を抱いたであろう姉が問う。
「おまえ『たち』? 標的は私だけと言っていただろう」
「『元』第3号αとの接触により確信した。緋衣瑠生、第3号を致命的に破壊し、人間に隷属させたのはおまえだな」
「こいつ、クランにまで――」
だが第5号は、それ以上考える暇を与えてはくれなかった。
「緋衣瑠生。おまえも報復の対象とする」
ベランダの外にもう一機。もう一箇所の窓の外にさらにもう一機。
今しがた再起不能に追い込んだのと同じドローンが飛んできて、同じように機体下部のハッチからマシンガンがせり出してくる。
まずい。ベランダ窓は開けっ放しだし、その防御力も限界だ。
今度こそ本当に追い詰められた――と思ったそのときである。
ベランダ側のドローンが、ガンッ、と大きな音を立てたかと思うと、右後方のプロペラ基部から煙を吹いて、落ちていった。
もう一機はそれに反応して逃げるかのように、高度を上げて姿を消した。
鞠花が震えるスマホを取り出し、通話ボタンを押す。
「鞠花さま! ご無事ですか!」
「すまない助かった! 私も瑠生も無事だ」
僕は通話相手の声に覚えがあった。間違いない。鞠花のラボに所属する屈強な警備員、熊谷和久(クマガイ・カズヒサ)さんだ。
隠れている間に、鞠花が彼に救援を要請していたのだろう。
「熊谷、マンションの外かい? 敵は何機いる?」
「視認できたのはいま落とした一機と、もう一機。こちらに気付いて上空へ退避しています」
「了解した。こちらでも瑠生が一機やっつけてくれたが、おそらく多数の武装ドローンがこちらに向かっている。ここから避難したい」
「承知しました。マンションの前に車を停めています。部屋までお迎えにあがりますので、しばしお待ちを」
熊谷さんという援軍は心強い限りだが、胸を撫で下ろしてはいられない。
第5号の宣告は、今後は僕に対しても容赦なく発砲してくることを意味している。――次に僕が鞠花を庇えば、先程のFXOでの惨状がリアルに発生することになる。
A.H.A.I.第5号、うちのかわいい双子の親戚とは思えない凶暴さだ。
黒いスーツにサングラスの頼もしい警備員さんは、すぐにこの部屋までやってきてくれた。
そうして僕たちは、消火剤とガラス片で荒れ果てた鞠花の自宅から脱出する運びとなったのだった。