1 / 緋衣ラズ
「ありがと水琴ちゃん、もう帰れないかと思った」
「いいっていいって。あたしもたいした用事あったわけじゃないし」
後部座席で腰にしがみつくぼくに、バイクの運転手は気さくに応じてくれる。
土地勘のないエリアをあてもなくさまよっていたぼくの前に颯爽と現れ、拾ってくれたライダー。それはぼくとクランの友達・天田深月のお姉さんであり、瑠生さんの大学の友達である天田水琴さんだ。
天田姉妹とは去年、瑠生さんに紹介されて出会った。その後も時々みんなで遊ぶことがあり、今ではすっかり顔馴染み。水琴ちゃんと呼ぶがいい、とは本人の談である。
水琴ちゃんも今日は大学がお休みということで、実家に顔を出していたんだとか。……そういえば瑠生さんも、「木曜にとっている講義は水琴と一緒」って言ってたっけ。
地元民である水琴ちゃんは、霜北沢中学めざしてスイスイとバイクを走らせてゆく。
「けどびっくりしたぁ。ラズち、中一の五月にして部活ばっくれてんのかと思ったわ」
「ばっくれないよ! ぼくは――」
「お兄ちゃんみたくなるんだもんね。モテモテで羨ましいなぁ、瑠生は」
その言葉に、第5号のドローンの件で忘れていた朝の一件が、頭の奥から引きずり出される。
「ねえ水琴ちゃん、お兄ちゃんが高校生の頃……なんかあったとか、聞いたことある?」
「なんかって?」
「えと……誰かとちゅーしたとかしないとか?」
「なんそれ。瑠生が言ってたの?」
「言ってたっていうか……意図せず聞こえちゃった断片情報からの憶測?」
「きみらたまに難しい物言いすんね?」
視線があさっての方向に行ってしまう。立ち聞き情報なのでちょっと後ろめたい。
「瑠生とは予備校仲間でガッコは違ったかんなー。ああでも」
「でも?」
「二年のときかな? 告られて一瞬だけ付き合ってたことあるって言ってたかも」
「ほんとに!?」
水琴ちゃんの腰に回した腕に思わず力が入ってしまい、彼女は「おっふ」と呻いた。
「いきなり腹締めんの危ないから」
「あっゴメン」
「でもまーじで一瞬だって。一週間もたなかったっていうから、なんかあったんだろうね」
「そ、そうなんだ……」
「そこらはあたしもよく知らないかな。まあ喋っといてアレだけど、あんま人の過去詮索すんのはやめときなー」
「はーい……」
水琴ちゃんの言うことはもっともだ。
瑠生さんとクランに仲良しでいて欲しいから……というのはもちろんだけど、瑠生さんの過去に何があったのか、ぼく自身の純粋な興味というのも、大いにあった。
「ゆーて気になっちゃうよねぇ、好きな相手のそういうの。……瑠生のやつ、双子ちゃん来てから結構変わったよね」
「そうなの?」
「そうよ。それこそ高校時代は、だいぶツンツンピリピリしてたかな。それが今や母親みたいな……じゃなくて、『お兄ちゃん』か。とにかく、いい顔するようになったと思うよ」
「……あんまり想像つかないかも。お兄ちゃん、いつもやさしいから」
「あっはは。そりゃそうか」
意外だった。鞠花さん相手にはときどきツンツンしてるように見えるけど、ああいう感じとも違うのかな。
瑠生さんは日頃から、あまり自分の話をしない。訊けば教えてくれることはあるものの積極的ではなくて、学校に通うようになってから、ほかの人間はこんなにいろいろ自分のことを喋るものなんだと驚いたくらい。……あの人について、ぼくはまだまだ知らないことだらけだ。
さて、そうこうしている間に見覚えのある道に出て、散々迷ってうろついたのが嘘みたいに、ぼくはあっという間に学校まで戻ってくることができた。
「校庭だれもいなくね? 部活ってこんな早く終わるもん?」
「ほんとだ。そんなことないはずなんだけど……」
校門の前でヘルメットを外し、二人して首を傾げていると、こちらに駆け寄ってくる人影に気がつく。
「ラズちゃーん!」
「「深月?」」
セリフが重なる。ぼくの友達で水琴ちゃんの妹、天田深月がそこにいた。
「あれ、お姉ちゃん? なんでここに?」
「なんかラズち迷子になってたから連れてきた」
「連れてこられた」
「連れてきてもらった、でしょうが。生意気なのぁこの口かっ」
いたずらっぽく笑う水琴ちゃんに頬をつままれ、伸ばされてしまう。
「ふぁい、ありあふぉ、みことひゃん」
「じゃれてる場合じゃないよ、ラズちゃん! クランちゃんも私も、心配してたんだよ」
「そっか。ゴメンね深月……あれ? クランは?」
「それが、今度はクランちゃんがどこかに飛び出して行っちゃって」
「えっ、なんで?」
「わからないよ……! ラズちゃんがいなくなったって電話してたみたいなんだけど、急に『お兄さまたちが危ない』って」
深月がそう言って差し出してきたのは、ロッカーに置きっぱなしだったぼくのスマホだ。
「ごめん、勝手に開けちゃって。なんかすごいぶーぶー鳴ってて……ラズちゃんが戻ってきたらすぐ連絡できるようにって、ここで待ってたの」
ロッカーの暗証番号は、たぶんクランが教えたんだろう。
お互い特に教えあっているわけではないけど、こういう番号を考えるときに思い浮かべるものはぼくもクランも同じ。瑠生さんの誕生日だ。
「ううん、ありがと。うわ、ホントにいっぱい来てる。クランと……猫山さん?」
胸がざわざわする。お兄ちゃんが、お兄ちゃん「たち」が危ないってどういうことだ。ぼくが会ったA.H.A.I.第5号と、なにか関係あるんだろうか?
まずはクランに折り返す。……けど、応答はなく留守番電話サービスに繋がってしまう。
次いで猫山さんに折り返す。……こちらはすぐに繋がった。
「もしもし、猫山さん?」
「ラズちゃん? 今どこに!?」
「えっと、ごめんなさい! いま学校にもどってきました」
「良かった……クランちゃんは一緒ですか?」
「それが、今はクランがどっか行っちゃったみたいで。ねえ猫山さん、お兄ちゃんたちが危ないってどういうこと!?」
「大丈夫。そちらは熊谷が対応にあたっていますから、ラズちゃんはそのまま家に戻ってください。クランちゃんは私が連れ戻し……あれ?」
猫山さんはらしくなく動揺し始めた。
「どうしたの?」
「クランちゃん、近くにいませんか? GPSの座標が学校のすぐ近くに……いえ、まっすぐ移動してる?」
彼女が見ているスマホの位置情報があっているなら、クランは近くにいるということだけど……辺りを見回すものの、それらしい姿は見当たらない。
「クランちゃん!?」
悲鳴を上げるように言ったのは深月だった。
その視線の先は――空。
「ウソウソうそうそ!? 何やってんのクラち!」
水琴ちゃんもびっくりだ。
例のドローンが三機、三角形の編隊を組むように飛んでいて、先頭を行く一機にものすごく馴染みのある人影がぶら下がっている。
肩下で二つ結びにまとめた栗色の髪。霜北沢中学のセーラー服と白い肌。ピンクのフレームの眼鏡。ぼくの半身にして相棒、双子の姉・緋衣クランに間違いなかった。
「いた! 飛んでる! ドローンで飛んでるよ、猫山さん!」
「なんですって!?」
クランもこちらに気付いて何か言っているように見えるけれど、いかんせん遠い上に、ドローンの羽音で何も聞こえない。
ぼくはスマホを体操服のハーパンのポッケに突っ込んで、校門に停まっているバイクに走った。
「水琴ちゃん! 追っかけて!」
「お、おう!」
水琴ちゃんはふたたびぼくをタンデムシートに乗せると、すぐにエンジンをふかした。
「ゴメン深月! お姉さんもうちょっと借りるね!」
「あーもーわけわからん。深月、あんたはアレ真似しちゃダメだからね」
「そんな危ないことしないよぉ!」
「ほんとゴメン! 明日リプトンおごるから!」
「リプトンはいいから、ケガしちゃだめなんだからね!」
ぼくがいなくなってはバイクで戻り、クランがいなくなってはドローンで飛び。振り回しっぱなしにしてしまっているのにぼくたちを気遣う優しい深月の声を背に、水琴ちゃん号は急速発進した。