05_休日姉妹とレベリング

1 / 緋衣瑠生

 今週の頭、姉の鞠花が珍しく体調を崩したらしい。
 僕は猫山さんから聞いてそのことを知ったのだが、本人に連絡をとってみると軽い風邪だそうだ。二日ほど寝て既に復調はしているものの、今週いっぱいの休みをとっているという。なんでも、鞠花は日頃からあまり休みを取ろうとしないため、研究所のスタッフ一同から「いい機会だから」という強い勧めを受けたとか。さもありなん。

 そういうわけで今日これといった予定もなかった僕は、お見舞いがてら久しぶりに橘祥寺(キチジョウジ)は鞠花の住まうマンションを訪ねることにした。
 姉の住まう部屋は四階建ての三階にあり、僕が借りている築云十年の物件に比べると新しく、かつ広い。さすがは一流研究者といったところか。
 さて、そんな優雅なお部屋にお邪魔して、今いったい何をしているのかといえば。

「まさかレベリングの手伝いをすることになるとは思わなかった……」

 リビングのソファに腰掛け、テーブルの向こう真正面にある大きなベランダ窓、ついでに角部屋なので左手の窓からの陽光を浴びながら、スマホの小さな画面で自分のプレイヤーキャラ――『ルージ』を操作する僕はぼやいた。
 ファンタジア・クロス・オンラインは、スマートデバイスでも遊ぶことができる。半年前くらいにリリースされたモバイル版クライアントはPC版とは操作性がだいぶ異なり、高難度クエストにでも挑まない限りはこれでもじゅうぶんに戦えるものの、やはり僕にはどうにもしっくり来ない。
 クランとラズも普段はPC版で遊んでいるわけだが、モバイル版への順応は余程早かった。やはり固定観念や先入観の薄い子供の方が、新しいものに馴染みやすいのかもしれない。

「なんだよ、いいじゃないか。きみたちはいつも三人、家で一緒にいながらこれ遊んでるんだろう?」
「それはまあ、そうだけど」
「私だってたまにはこうして顔を突き合わせて遊びたい」
「お互い見てるのは画面だけどね」

 一方の鞠花は僕から見て右手側に背を向けて、愛用のデスクトップパソコンでFXOをプレイしている。彼女の部屋は基本的にどこも綺麗に整頓されているが、パソコンデスクの周りだけは本や書類が積まれていて雑多だ。
 モニタの端っこにメモ書きの付箋が貼ってあるほか、ベランダ窓の隣には電子ペーパーのボードが掛かっていて、そこにも仕事や研究関連と思しきさまざまなメモが書き込まれている。

 僕の『ルージ』と鞠花のプレイヤーキャラ『グズ子』は、これもまた半年前のアップデートで追加された砂漠エリアを進みながら、経験値を求めて道中のモンスターたちをひたすら蹴散らしていた。
 そもそも最初に僕をこのゲームに誘ったのは彼女なのだが、なにぶん普段は仕事で多忙な身であるためログイン頻度は低い。この機会にがっつりプレイして、最新のアップデートまで追いついてしまおうという算段のようだ。

「このレベルと進行度、さては熱出してたときもやってたでしょ」
「あ、やっぱわかる?」
「ちゃんと寝てなよ、そういうときは」
「何もしないでいるのはどうも落ち着かなくてね」

 姉はそう笑ってごまかした。まあ、すっかり元気そうなので深く追求はしないけれど。

「クランとラズはどうだい? 元気にしてる?」
「元気いっぱいだね。学校にも思ったよりあっさり馴染んでるみたい」

 姉から託された我が家の双子ちゃんは、平日は毎晩、きょう学校で何があったとか、誰と話したとか、そういった報告を楽しそうにしてくれる。
 物怖じしないラズはともかく、人見知りなきらいのあるクランについては、うまく馴染めるか少し心配していたのだが、それも杞憂だったようで一安心、というのが現状だ。

 元気いっぱいすぎて困ることもあるけれど……と、今朝のクランのキス未遂を思い出したものの、そこについては黙っておいた。
 当初、肉体年齢十二歳としてつくられたクランとラズの身体には、クローン元となった人間・緋衣鞠花の「十二歳の頃の気持ち」の残滓が引き継がれていた。そのことがクランの行動理由の一端かと思うと、とても鞠花本人を前にして言うことはできない。

 普段一緒に過ごしていて、鞠花と双子が似ているという気はあまりしない。見た目が似ていても中に入っている人格は完全に別人で、見せる表情も振る舞いも異なるからだろう。
 身内馬鹿みたいなことを言うが、姉は美人である。そしてその複製体というボディを持つクランとラズは、当然その美貌を引き継いでいる。つまり、クランとラズはかわいい。
 他にもたとえば透き通るような甘い声であったり、何を着せても似合う華やかさであったり、ふとしたしぐさであったり、素直で優しい性格であったり、地頭の良さと裏腹に抜けたところのあるギャップであったり、まあいろいろあるのだけど、とにかく大前提としてたいへんかわいらしい女の子である。

 ……意識しないわけがない。
 そんな子たちが自分のことを慕って懐いて、さらに「そこにあるとわかっている心」をどうして無視できるだろう。
 しかし、かといって、どう受け止めていいのかもわからないのだ。

 一年前、僕はラズとともにクランの心の中を垣間見て、その奥に眠っていた幼い日の鞠花の想いを、見て、聞いて、感じた。いくつ言葉を並べられるよりずっと強く、ストレートに響いてきたそれは、僕が他人に対して抱いたことのない感情だった。
 その熱さと甘さを知って、間近に感じて、僕はそれを嬉しく思った。
 しかし。それはやっぱりどこか遠いもの、自分にないもの――そういう感覚は、あれ以来むしろ強まったような気もしている。

 人を好きになるということ、誰かに恋をするということがどんな感じなのか。
 二十一年間生きてきたが、僕は結局それを自分の感覚として理解できていないのだ。

「瑠生、瑠生! 助けて、こっちにタゲ飛んできてる!」
「わ、やば、ごめん!」

 ピンチを訴える姉の声に、慌ててグズ子に群がる敵を引っ剥がす。
 自分自身の守りも雑きわまりなく、ルージのHPは減りデバフも盛り盛りだ。
 タンクは戦闘中に私的思考の迷宮に踏み入ってはならない。ならないんだけど……!

 雑念を払い、なんとかモンスターの群れを撃退し、一息つく。
 魔道士グズ子はアタッカーであり、高い火力を誇る反面、回復や防御の手段に乏しい。敵の攻撃を一手に引き受けるルージのレベルが高いので、このあたりのレベル帯はヒーラーを欠いた二人編成でも戦えるが、油断をするとたちまちこのような目に遭う。

「そこのキャンプまで着いたら休憩にしようか。きみのお土産もあることだし、お茶にしよう」
「うん、そうしよ……」

 本日お見舞いがてらに僕が持ち込んだおやつは、霜北沢に最近できたお店で買ってきたスイートポテトだ。美味しさとおしゃれさを合わせ持つ、評判のスイーツである。
 敵との戦闘が発生しないセーフゾーンたるキャンプエリアは目と鼻の先、さっさと駆け込んでしまおう、と思ったそのときであった。

《JESTER:緋衣鞠花だな》

「「……は?」」

 突然チャットウインドウに表示されたテキストに、僕たちは困惑した。
 発言者はすぐに見つかった。頭上に『JESTER』というネームプレートを浮かべた槍騎士が、キャンプエリアからこちらへ近づいてきている。

「姉さん、知り合い……?」
「いやいやいや、いきなりリアルネーム晒してくるような知人に覚えはないよ!」

 JESTERは走りながら、背負っていた槍を両手に構える。
 しかし、周囲に狩るべきモンスターの姿はない。――ということは。

「後退して! 攻撃してくる!」

 案の定、他プレイヤーからの攻撃ターゲットを示す赤いマーカーがグズ子につき、『JESTER』は攻撃アーツの構えをとる。
 ターゲット固定の発動が間一髪で間に合い、その矛先をグズ子からこちらへ向けることには成功したものの……相手の叩き出したダメージ量は凄まじく、ルージは数回の攻撃でやられてしまった。
 JESTERのレベルは最高の200だった。さらに装備品も最高クラスのもので固められていることが、ステータス詳細を参照しなくてもグラフィックで判別できる。
 対してこちらのレベルはルージが150ほど、グズ子は100ほどで、先の戦闘での消耗がなくても力量差は瞭然。ルージがこの有様ならば、残ったグズ子がどうなるかなど、火を見るより明らかだった。

「……そのうえ野良PKとは、こんなに治安の悪いサーバーだったかな、ここは」

 そう言いつつも、僕たちのプレイヤーキャラを瞬殺した槍騎士を眺める鞠花は、怒るでもなく呆れるでもなく思案しているようだった。
 疑問は僕も同じだ。このプレイヤーはなぜ鞠花の名を特定していて、なぜこんな形で接触してくるのか。――こいつは何者だ。

《JESTER:こんなものか、なんの面白みもない》

「いや、そのレベル差で殴っといて何言ってんのかな……」

 思わず口に出して突っ込んでしまう。
 しかし、『JESTER』……このキャラの名前、どこかで見たような。

《JESTER:第3号が育ったゲームがどんなものかと思えば》
《JESTER:所詮は人間の娯楽ということか》

 僕と鞠花は互いに目を見合わせた。
 ――第3号が育ったゲーム。
 こいつは、鞠花のことのみならず、クランとラズのことを知っている……?

《JESTER:ゲームはもういい》
《JESTER:そこで待っていろ》

「なんだ? こいつ何を言って――」

 突然の出来事に戸惑っていると、手の中のスマホが震えた。
 画面の上部に現れた通知は我が家の双子の姉・クランからの着信を示していた。タップして応答する。JESTERの様子も気になるので、ハンズフリーで話せるスピーカーモードに。

「もしもし、クラン?」
「あっ、お兄さま!」

 クランの声色からは何やら焦りが感じられる。
 てっきり今朝の文句の続きでも言われるのかと思ったけれど、非常事態かもしれない。

「どうしたの? 何か困りごと?」
「それが……学校に変なドローンが来たらしくて」
「ドローン? ドローンって、空飛ぶあの?」
「はい。それがかなり怪しいドローンで、危ないからって帰宅指示が出たんです。だけど……ラズがそれを追いかけて学校の外へ行ってしまったみたいで、戻らなくて」
「ラズが?」
「スマホも置いて行っちゃって、連絡がつかないんです」
「あー、部活中か……」

 あのやんちゃっ子はいったい何をしているんだ。
 しかし、ラズもまだまだ無邪気な子供だとはいえ……そんなに怪しげなものを、面白半分で追いかけたりするだろうか。余程興味を引く理由がありそうなものだけど。

「……あの、お兄さま。そちらも何かあったんですか?」
「あーいや。姉さんとFXOやってたら、ちょっと変なのに絡まれてさ」

 動揺が声色に出ていたのだろう。クランは相変わらずよく気付く子だ。
 そのとき、バラバラバラ――と。
 いつの間にか、どこかからあまり馴染みのない音が聞こえているのに気付いた。
 飛行機……いや、ヘリコプターのような音が……徐々に大きくなっている。

「……瑠生。クランの言うドローンっていうのは」

 ベランダ窓の外を見つめる鞠花の視線を、僕も追う。
 その先に、音の発生源と思しき何かが見えた。

「ねえクラン、そのドローンって……輸送用かなんかかな? 一メートル四方くらいのでっかいやつで」
「はい」
「青くて四角くて、プロペラが四つあって」
「はい」
「ヘリコプターみたいな脚がついてて」
「そうです! 陸上部の皆さんの目撃情報と一致します!」

 ――ラズが見たであろうそれが、緋衣鞠花の住まう部屋に、近付いてきていた。

「ついでにマシンガンみたいなのぶら下げてる……?」
「……ましんがん?」

 ソリ状の着陸脚の真ん中、本体下部のハッチが開く。
 そこからせり出してきたものは、僕の目にはそのように映った。
 すなわち、銃器の砲身のような何か。

「瑠生、伏せろ! 物陰に!」

 鞠花が叫んだ。

2 / 株式会社タンサセン

 ㈱タンサセンの社内は騒然としていた。
 新事業の試験運用に向けて中納の倉庫に用意していた、大型の運送用ドローン十八機が突如として起動し、飛び去ってしまったというのである。
 これだけでも一大事なのだが。前日、同倉庫に搬入され、おそらく現在そのドローンたちが抱えているであろう「積み荷」が、更に大問題だという。
 本来搬入されるはずの物品と何がどうしてすり替わったのか、それらはなんと銃火器らしい。日本国内の一般社会にあってはならないものが、大量に持ち込まれてしまい――この空の上を縦横無尽に飛んでいるのだ。

「<オブザーバー>。応答してください、<オブザーバー>!」

 羽鳥青空は、ノートパソコンの画面から自身の管理するAIシステムに呼びかけ続けていた。
 相変わらず反応はない。

 一年前に突然「アウタースペースの運営業務にうまく利用されたし」の通達とともに託されたそれは、試作型の高性能AIシステムとの対話ソフトだった。
 彼女は当初、恐ろしくコミュニケーションがスムーズな<オブザーバー>を、スマートデバイスやWebサービスで利用できるような、会話型のサポートAIの上位版と捉えていた。
 まさか対話ソフトの向こう側に存在していたのが、人間の思考や感情を高度にエミュレートするシステム、アドヴァンスド・ヒューマノイド・アーティフィシャル・インテリジェンス――A.H.A.I.第5号であることなど、知りうるはずもない。

 だが、それでも羽鳥には予感めいたものがあった。
 現状、証拠と呼べるものはなにひとつ存在しないが、今日のこの騒ぎには間違いなく<オブザーバー>が関わっていると、彼女は考えていた。
 でなければなぜ、来たるべき新事業――フリマ即日配送においてドローンの制御を担うはずの『彼』は今、この状況下で沈黙しているのだろう。

「<オブザーバー>! あなたは何か知っているんでしょう?」

 羽鳥は、『彼』と繋がっているはずの対話ソフトのインターフェースに呼びかけ続ける。
 <オブザーバー>の様子は、この数日おかしかった。
 こうして自分のコントロールをも受け付けなくなる――そんな可能性も薄々考えてはいた。
 だが、一方で楽観していたのも事実だ。
 自分の言葉だけは『彼』に通じる。話せばわかる。
 そんな思いが羽鳥の中にあった。それだけの積み重ねが『彼』との間にはあったはずだと、彼女は考えていた。

 だが、仮にドローンを「積み荷」で武装させ、操っているのが<オブザーバー>であったとして、なぜそんなことをするのか、羽鳥には皆目見当がつかない。
 無理をしてでも、昨日のうちに『彼』と話をするべきだった――沈黙したままの画面を見つめながら、羽鳥は奥歯を噛み締めた。