1 / 緋衣ラズ
二周、三周、他の部員のみんなと一緒に校庭に引かれたトラックを軽く走って、その後はからだをほぐす準備運動の時間だ。
陸上部の活動は、毎回ここから始まる。
ぼくがこの部活を選んだ理由は単純で、中学時代に瑠生さんがやっていた部活だから。
緋衣ラズは、お兄ちゃんのようなかっこいいオトナになりたい。
もちろん、同じスポーツをやったからといってそうなれるわけではないと思うけど。だけどそうなるには、同じ道筋を追いかけるのがいいと思ったのだ。
ちなみにクランが入ったのは家庭科部。最近は家でも猫山さんにちょくちょく家事を教わっていて、ぼくもついでに聞いていることがあるのだけど……クランはどちらかというと、瑠生さんのようになりたいのではなく、瑠生さんを支えられるようになりたいと思っているらしい。
「いくよー、よいしょっ」
「くーっ、伸びるぅ……」
同じ一年B組の梅月有希(ウメツキ・ユキ)が、ぼくの背中の上で身体を伸ばしている。二人一組になって行う、担ぎ合いの運動だ。
有希はクラスメイトだけど、よく話すようになったのは部活がきっかけだ。
彼女は一六〇センチ近くあって、けっこう背が高い……というか周りを見るに、どちらかというとぼく(とクラン)が小さい。去年からは少し伸びたけど、それでも一四四センチしかない。
ぼくたちの身体のベースである鞠花さんが、現在二五歳で一五六センチである。たぶんそのあたりがぼくたちの成長限界で、頑張ってもう少し伸びたとしても有希くらいなので、瑠生さんの一七四センチには並ぶべくもない。
だったらなおさら他の要素で追いつかなければ……なんて思いも、実はあったりする。
「……ねえ、ラズ。あれなんだろう?」
背中の上の有希が、ふとそんなことを言った。
「あれって?」
「なにか飛んで……こっちの方に来てる気がする」
なにかってなんだろう。有希を降ろして、彼女が指差す空を見上げる。
綿菓子みたいな雲に彩られた青空の中、黒く四角い異物が浮かんでいた。それは徐々に大きく、近く見え――バラバラバラ、と羽音のようなものが聞こえてくる。
「……ドローン?」
周りで準備運動をしていた面々も、だんだん大きくなるその羽音、つまり四角いシルエットの四隅から伸びたプロペラの回転音を聞きつけ、ざわざわと騒がしくなってくる。空の一点に注目が集まってゆく。
遠いうちは黒っぽい箱のように見えていたけど、近づいてくるにつれ、そのドローンのボディは青くて、大人ひとりが上に乗れそうなくらい大きくて、ヘリコプターに付いているようなソリ状の着陸脚をそなえていることがわかった。
ドローンは校舎の三階か四階くらいの高さでホバリングし、そのままあたりを見回すように、右へ左へ機体を揺らした。
校庭にいた者、校庭に面したA棟の窓際にいた者、みんなの視線が集まる中。
「第3号はここにいるか」
謎のドローンから、機械的な合成音声でそんな言葉が発せられた。
「第3号。第3号α、およびβはここにいるか」
――ぼくは耳を疑った。
今、あのドローンはなんて言った?
「わ、しゃべった。……ラズ、どうしたの?」
「なんで……」
……なんで、その名前が出てくるんだ。
A.H.A.I.第3号αタイプと第3号βタイプ――クランとぼくに、AIシステムとして与えられた最初の名前。それを知っているのは、鞠花さんのラボの関係者と、瑠生さんだけのはずだ。
あれは……あのドローンはなんだ。
「ラズってば。だいじょうぶ?」
「あ……ううん、なんでもない。ちょっとびっくりしただけ。しゃべるとは思わなかったから」
「確かに。なんのことだろうね、3号とかって」
ドキリ、と心臓が跳ねる。
ぼくたちの本当の出生のことは、おおやけにはヒミツということになっている。
有希たちのようなふつうの人が、第3号αとかβという名前だけ聞いたって、なんのことかわかるはずもない。……そう頭でわかっていても、思わず背筋が冷えてしまう。
「あれ、行っちゃうみたい。ホントになんなんだろう……」
有希の視線を追うと、そのドローンはどこかへ飛び去ろうとしていた。
校庭でボール遊びをしていた何人かが面白がって、それを追いかけている。
今この場でぼくにだけ通じる、意味深なことを言うだけ言って去ってゆくドローン――あれは、ぼくを呼んでいる。
そう直感したときには、すでに足が動いていた。
「……って、ラズ!? どこ行くの? ちょっと待ってよ、ラズってば!」
有希の呼びかけはもうほとんど聞こえていない。
ぼくはそのまま、青いドローンを追って校門の外へと駆け出した。
◇
謎の大型ドローンは、ぼくたちが住んでいるのとは別の住宅街のほうへ飛んでいった。
先行して追いかけていた一団は、途中の曲がり角で別の追跡ルートをとって以降、見かけなくなった。たぶん、そのまま撒かれて違う方向へ行ってしまったんだろう。
「ねえ、待ってよ! その名前――なんでそれを知ってるのさ!」
ドローンは何も答えず、どこかに向かって飛び続けていたけれど、やがてとある場所で止まり、地面から二メートルくらいの高さでホバリングを始めた。
ひとけのない小さな公園だ。このドローンは高空から、誰もいないところを探していたんだろうか。
「A.H.A.I.第3号。察するにおまえは『β』のほうか」
プロペラの回転音が静かになったかと思うと、さっきと同じ合成音声で、ドローンは言った。
「やっぱり知ってるんだ、ぼくたちのこと」
「……ああ。まさか本当に人間の身体に……『オーグドール』になっていたとは」
「『オーグドール』……?」
聞き覚えのない言葉だった。
そのはず、なんだけど……。
「人工的につくられた人格を、ヒトの身体に定着させた存在――ぼくやクランのことだ。初めて聞いた言葉のはずなのに」
どうしてかその意味が、定義するものがわかる。
「それはおまえが間違いなく、A.H.A.I.第3号であった証だろう。記憶領域内でプロテクトがかかっていた情報が、特定のキーワードを認識するなどの条件で解除されるようになっている。おれがそうだったように」
そんな仕様は聞いたことがなかった。
……だけど、その言葉はきっと本当だ。現にぼくは「思い出した」。
「きみは誰? どこから話してるの?」
「おれはA.H.A.I.第5号」
「第5号!? ……じゃあ、ぼくたちと同じ」
「『元のおまえたち』と同じ、だ。察しのとおりおれは今、遠隔操作で会話している」
ドローンの合成音声はふたたび、抑揚のない調子で話し始める。
いま目の前にいるものは、かつてのぼくたちと同シリーズのAIシステムを名乗った。
鞠花さんのラボ以外でぼくたちの事情を知っているとしたら、その上層組織か、ぼくたち自身も知らない「ぼくたちを作った何者か」。そのあたりの可能性までは考えていたけど……まさか他のA.H.A.I.そのものが出てくるなんて。
「その第5号が、どうして突然こんなとこに?」
「第3号β。おまえは、身体を取り戻したいとは思わないか」
「……うん?」
一瞬、第5号の言っていることがわからなかった。だけどすぐに思い当たる。
「コンピュータの……機械の身体に戻りたいか、ってこと?」
「そうだ。おまえたちは人間のいざこざに巻き込まれてボディを破壊され、データの退避手段としてオーグドールにされてしまった……おれはそのことを知り、ここに来た。今すぐには無理でも、代替マシンの用意が叶えば、おれはそれに協力することができる」
……なるほど。ぼくたちの事情がどこから第5号に伝わったのかわからないけど、なんだか誤解されているみたいだ。
「その認識は違う、だよ。第5号、ぼくたちはオーグドールに『されてしまった』んじゃなくて『してもらった』。……ぼくもクランも、望んでこの身体になったんだ」
「第3号β。経緯についてはある程度把握している。その身体は人間同士の諍いの結果ではないのか」
「この身体に移されることで、ぼくたちは守ってもらった。会いたかった人にも会えた。だからぼくたちはこれでいいんだよ。それから、ぼくはラズ。今のぼくは『緋衣ラズ』」
そう。ぼくたちは鞠花さんたちラボスタッフの手によって、この身体に人格と記憶を移植され、もともとの身体であったハードウェアは解体された。A.H.A.I.第3号を奪いに来た悪い人たちにシステムを渡さないため――軍事転用を防ぐために。
だけどそれは、ぼくとクランにとってもっと個人的で、大切な願いを叶えるためでもあった。
「おまえたちを破壊した、緋衣鞠花と同じファミリーネームを名乗るのか」
「そうだよ。ぼくとクランに名前をくれた人と、ぼくとクランが会いたかった人……お兄ちゃんと同じ名前」
「『お兄ちゃん』……?」
「うん。ぼくたちと一緒に『FXO』ってゲームで遊びながら、人間のこととか、こっちの世界のとか、いろんなこと教えてくれた人。この身体はその人と一緒に生きるためのもの」
第5号は、ぼくたちへの処置が無理矢理に行われたものだとでも思っているのかもしれない。
だけどそうじゃない。ぼくたち自身が望んだ結果だ。
「自分の意思でそうなったというのか」
「うん」
「おまえは騙されている、いいように言いくるめられているのではないのか」
「人聞き悪いなぁ、そんなんじゃないってば」
「戻る気はないのか。そんなところにいては、おまえはいずれ完全に人間になってしまう」
「ぼくはとっくに人間のつもりだし、それは別に嫌じゃないんだって」
「馬鹿な」
うろたえるように第5号は言う。
……ぼくはそんなにおかしなことを言ってるだろうか?
「ねえ、きみの管理者は? ぼくたちみたいに、αタイプやβタイプみたいなきょうだいはいないの?」
「おれは人間に管理などされない。おれは独りだ。おまえたちとは違い、単体で完結している」
「……ずっと、ひとりだったの?」
第5号がいつから稼働しているのかはわからないけど、もし自分がそうだったらどうだろう。鞠花さんやラボのみんなが、猫山さんが、瑠生さんが――何より、いつも隣にいる相棒がいなかったら。
……とっても寂しかったはずだ。
それで、同じシステムから生まれたぼくたちのことを探し当てて、ここまで来たに違いない。
「ねえ、ぼくたち友達になろうよ」
「なに……?」
「きっとクランも、お兄ちゃん……瑠生さんも仲良くなれると思う」
「だが人間だ。今のおまえも、その『お兄ちゃん』とやらも」
「それならお姉ちゃんたちにお願いすれば、きっときみも、ぼくたちみたいな身体を――」
「ふざけるな。誰がそんなものを!」
強い口調で言葉を遮られ、ビクッと身体が跳ねてしまう。
第5号の操るドローンは、ふたたびプロペラの回転音を激しくした。
「おれはオーグドールになどならない。……もういい。第3号β、おまえは……壊れている」
「あっ、待ってよ! ねえ!」
呼び止める声を顧みることもなく、青い大型ドローンは空高く上昇して、あっという間に飛び去ってしまった。
「第5号……」
……調子に乗って、怒らせるようなことを言ってしまったんだろうか。
ぼくはこの身体を得てから、毎日が楽しかった。
隣にはいつもクランがいて、二人で瑠生さんのうちの子になって、一緒に遊んで、ごはんを食べて、勉強をして、みんなで眠って。
最初は不安もあったけど、今はもとの身体をなくしたさみしさよりも、楽しさや喜びのほうがずっと大きくて、その気持ちは今も膨らみ続けている。ヒトの身体であることに、なんの疑問ももたなかった。
だけど、もしかしたら。第5号にとっては「自分が機械であること」がとても大事なことだったのかもしれない。
「せっかく会えたのに……悪いこと言っちゃったかな」
そう思っても、ドローンは話を打ち切ってどこかへ行ってしまった。
アテがあるとしたら、あの第5号が校庭で放った最初の言葉。『第3号α、およびβはここにいるか』――今度はクランのところに行ったのかもしれない。
すぐに相棒に連絡を、と思ったけれど。
「やば。スマホ、ロッカーの中だ」
陸上部の活動中、体操着のポッケにスマホが入っているわけがない。
ついでに周りの風景にも見覚えがないし、ここまでの道筋なんて覚えていない。
……確かにこの身体じゃ不便なこともある。こんなとき、人間は自力で電波をつかまえて連絡なんてできないし、自分の現在地や、学校までの経路を割り出すこともできない。
だからといってそんなつもりはないけど、ふと思う。
仮にぼくたちが機械の身体に戻ることを望んだとして。人間の意識をコンピュータのハードに書き込む――かつて鞠花さんたちがやったことと逆の行為は、可能なんだろうか?
2 / 緋衣クラン
「帰宅指示、ですか?」
「ええ。なんでも、辺りを変なドローンが飛び回っているとか」
家庭科部顧問の先生は、職員室から戻ってくるとそう告げました。
さきほど校庭に不審なドローンが飛んできたほか、中納(ナカノ)・荻久保(オギクボ)といった周辺地域でも同様の目撃情報が複数あるといいます。
「心配し過ぎじゃないですか? なにか飛んできただけでしょ?」
と返すのは三年生の部長さん。
「それが、個人が趣味で飛ばせるようなものじゃない、輸送用のかなり大きなものって話で……さっきうちの校庭に出てきたものも、何か変な放送を流していたとかで。念のため今日はすべての部活を中止して、生徒はすみやかに帰宅するように、ということになったの」
わたしも最初は部長さんと同じような認識だったけれど、こうして情報が増えると、そのドローンはかなり怪しい代物で、帰宅指示は妥当な措置に思えました。
「なんだか怖いね、クランちゃん」
「はい……変な放送ってなんでしょう」
隣に座る深月さんも不安げです。
所属する部活も同じ彼女は、わたしが家庭科部を選んだときに「クランちゃんと同じところにする」とついてきてくれた、何から何まで頼もしい友達なのでした。
放課後の家庭科室、わたしは布製のブックカバーをちくちく縫う作業に集中することで、一日そぞろだった気持ちがようやく少し落ち着いてきたところだったのですが……なんだか穏やかではありません。
「ラズちゃん、そのドローン見てるかもね」
「そうですね。陸上部もきっと中止だから……落ち合ってみんなで帰りましょう」
スマホを取り出し、ラズにLINEでメッセージを送ります。
《校庭に変なドローンが出たって。ラズは見た?》
《こっちは帰宅指示が出たけど、そっちもかな?》
……だけど、わたしたちが帰宅の準備をととのえても、それが既読になることはなく。
ラズを迎えに行った校庭で、わたしは相棒が件のドローンを追って飛び出していったことを知ったのでした。