1
クランが回復し、各種検査で異常なしの判定がくだされた後。
すっかり冷めたスタバのコーヒーと猫山さんのサンドイッチを頬張る双子から、鞠花にとある『お願いごと』があった。
「――正直、きみたちにとって気持ちのいいものじゃないかもしれないが」
「構わないです、お姉さま」
「ラズたち、今の自分の目で見ておきたい」
2
鞠花に導かれてやってきたのは研究所の地下、最奥の部屋だった。ここもやはり、幾重ものセキュリティゲートで隔離されていた。
扉が開き、昼白色の照明が室内を照らす。
部屋の半分ほどを埋め尽くしていたのは、デスクトップパソコンを何十倍にも大きくしたような、巨大な黒い箱の群れだった。
「これらすべてがA.H.A.I.――クランとラズの、かつての身体。その抜け殻だ」
「こんな大きなコンピュータが……たくさん」
せいぜいうちの一部屋を埋めるようなでかいコンピュータが、クランとラズの分で二つある程度を想像していたが、そういうスケールではなかったようだ。
「現状、われわれにとって未知のオーバーテクノロジーをもってしても、人間の思考、感情、記憶を――それこそ、人間のボディに移植可能なレベルで機械的に再現するには、これだけのマシンが必要ということだ」
ヒトの脳のたった二つ分のはたらきでも、機械部品に置き換えるとこれだけのものになるという――その光景を圧倒されて眺めていたが、ふと違和感に気付く。
「蓋が開いてる?」
どの筐体も側面のカバーが外され、立てかけられている。
「パーツが抜けていますね……」
「うん。ひとつじゃない。全部そうなってる」
「パーツのほとんどは、先日連中が持ち去ったよ。紛れさせた多くのダミーパーツと一緒にね。だから今ここに残存しているものは、あらゆる意味で抜け殻なんだ」
『連中』が、持ち去った……!?
「……そいつら、ここに乗り込んできたの!?」
「十日ほど前のことだ。われわれも粘ったんだけど、おっかない権力振りかざしてね。お目当てのAIが既に存在しないとわかった途端、取るもの取ってさっさと引き上げたよ」
僕の知らないところで、この研究所はとんでもない事態に見舞われていたらしい。
クランとラズの移植作業はかなりギリギリのタイミングだったはずだ。
……僕の姉が抱えていた「重めの案件」の正体は、凄まじくヘビーであった。
鞠花が部屋の奥へと歩を進め、僕たちはそれに続く。
「彼らはまた接触してこないとも限らないが、今のところその気配は皆無だ。私や君たちの周囲にも――もちろん今日も警護をつけてはいたんだが、影も形もない。もうここにも、われわれにも、用はないのかもしれない」
「そんなのついてたんだ……」
だが、今はその事実がありがたい。そのやばげなやつらはクランとラズのことを知らない、あるいは知っていたとして、本当に興味がないのだろう。そうであるなら、鞠花たちの目論見はまんまと成功したということになる。
「ほら、ここ。きみたちの名前」
鞠花が示した二台の筐体――その型番らしきものが書かれたプレートの上には、テープで紅茶のラベルが貼られていた。
『A.H.A.I. UNIT-03α』の上には、淡いピンク色の『Cranberry』。
『A.H.A.I. UNIT-03β』の上には、ライトグリーンの『Raspberry』。
「このラベル、どっかで見たような……」
「瑠生が誕生日にくれただろう? フレーバーティーのギフトパック」
「ああ、あれのやつか」
思い出した。去年贈ったものだ。
「この二種類は特に気に入ってね。自分で取り寄せて、ここに常備するくらいには」
なるほど、お気に入りのフレーバーのラベルを貼って、そのまま愛称にしたというわけだ。
「ネーミング割と適当だな……」
「でも、クランはこの名前好きです」
「ラズも!」
「だそうだ。名付けはフィーリングだよ、瑠生」
「……まあ、二人が気に入ってるならいいか」
僕としても、今や彼女らにこれ以上しっくりくる名前はないと思う。
クランはクラン。ラズはラズだ。
「……それと。ここに来た以上、これだけはどうしても伝えておかなければならない」
一息置いて、鞠花は重たく口を開いた。
「人格を人間のボディに移植したとしても、連中に『クラン』と『ラズ』を渡さないためには……どうしても残存データの消去と、ハードの分解が必要だった」
そう続けながらクランとラズを見つめ、目を伏せる。
コンピュータである以上、別の場所にデータを移行したところで、元データが勝手に消滅するわけではない。
「移植を終えたのち『ここに残っていた君たち』は、私が破壊した。――いや、殺めたと言うべきだな」
当然、ここに残されていたのはただのデータではない。
二人の身体だったマシンをばらすことだって、したくはなかっただろう。
それでも。クランとラズを守るために、鞠花はそれを実行したのだ。
「……そんな言い方をしないでください、お姉さま」
「ラズたちが今こうしていられるのは、お姉ちゃんとラボのみんなのおかげだよ」
「そうです。お姉さまがそうしてくれたから、クランたちは争いの道具にされずに済んだ」
「わかった上で、自分たちだったものにお礼とお別れをしにきたの」
罪の告白に握り締められた鞠花の手を、双子の両手が左右から包む。
「二人の言うとおりだよ。……それが咎だと思うなら、僕も一緒に背負う」
そう伝えると、姉の沈痛な面持ちは、少しだけ和らいで見えた。
「面と向かってそういうこと言うよね、きみは」
「僕だって、もう無関係じゃないから。いろいろ知っちゃったし……知れてよかったと思う。これからもクランとラズと、一緒に暮らしてくんだからさ」
「そうか。……ありがとう。きみたちの言葉で、少し気が楽になったよ」
姉の照れ笑いは、よくよく見れば双子にもその面影が残っている。
「まだある? クランベリーティーとラズベリーティー」
「ああ。せっかくだから用意しよう」
3
部屋の隅には椅子と円いテーブルが設置されており、軽い打ち合わせや休憩のできるスペースになっていた。鞠花が持ってきてくれたふたつのティーポットと四つのティーカップを囲み、僕たちはフレーバーティーの甘い香りを楽しみながら、黒い箱の群れを眺めていた。
「オンラインゲームでの実験は当初、クランとラズがAIであることは、二週間もすれば瑠生に明かすはずだった」
鞠花はそう語った。
「最初は、人間のプレイヤーとの関わりで、二人のAIにどのような変化がみられるかという実験であり、人間に迫ったAIがどこまで人間のように振る舞えるのか――悪い言い方をすれば、どこまできみを騙せるかという実験に過ぎなかったんだ」
すぐ頓挫してしまったけどね、と付け加え、口元のカップを傾ける。
「最初の誘い、僕が拒否ったらどうするつもりだったの?」
「そこは心配していなかったよ。私が最も信頼している、最も優しい人間がきみだからだ」
「……『面と向かってそういうこと言うよね、きみは』だっけ。それそっくりそのまま姉さんに返すよ」
「でも、お兄さまはとってもやさしいです。クランもそう思います」
「ラズも!」
「乗らなくていいってば」
多方面からそのように褒め殺しを食らうのは、普通に恥ずかしい。
「ま、きみはその優しさを、まんまと私につけこまれたということだ。瑠生も、それにクランもラズも……勝手な都合で随分振り回してしまった」
「それももういいって。発端はともかく、今こうしていられるんだから」
「はい。クランはみんなでお茶を飲めることが嬉しいです」
「こういうの、結果オーライっていうんでしょ?」
ラズはぐっと親指を立てた。
「……そうだね。私は、人工知能というのは、人に寄り添う優しいものであって欲しいと思う。二人には瑠生と接することで人の優しさを知って、それを人に与えられるものになってほしかった。この目論見については、大成功と言えるかな」
「それは……二人がこういう子になったのは、姉さんや研究スタッフの人たちみんなのおかげじゃないの?」
「その要素も否定はしないが、きみの存在は予想以上に大きかったんだ。AIシステムとしてのクランとラズが起動したのは去年の六月だったな。知能面だけで言えば、その頃から今に近かったんだが……二人がこれほどまでに感情豊かになったのは、瑠生と接するようになってからなんだ」
「そうだったの……?」
思い返してみれば、最初の二人はだいぶぎこちない感じだったが……単にゲーム慣れしていないとか、緊張しているとかだけではなかったらしい。
「もちろん、ある程度の変化は期待していたさ。しかし、私たちのように研究対象として接するのと、きみのように友人として接するのでは……今にして思えば、どちらが豊かな感情を育むのかなんて、考えるまでもない」
自嘲するように言う鞠花に、双子は微笑んでみせる。
「だけどクランは今ならわかります。一緒にゲームをしたり、いろいろなデータをとったりして、お姉さまたちがクランたちのことを知ろうとしてくれていたって」
「うん。今日もみんなクランを助けるのにすごく一生懸命だった。クランのことも、ラズのことも、大事にしてくれてるってわかって、嬉しかったな」
「本当にいい子になったなあ、きみたち!!」
鞠花はオーバーなリアクションでおどけてみせたが、その言葉は本心だろう。
固い絆で結ばれ、互いを想い合い、人を思いやる――やさしい心を持った、純真な双子の姉妹。そんな今の二人の心をかたちづくっている一因に、僕がなれているのなら……少しだけ、自分のことが誇らしく思えた。
「そういえば、クランとラズの場合、どっちになるんだろうね」
僕がふとした疑問を口にすると、双子は揃って首を傾げた。
「六月って言ってたよね、はじめて起動した日。誕生日がそれになるのか、それとも地下で、今の身体になって生まれた日になるのか」
「「……どっちだろう?」」
クランとラズが顔を見合わせる。
「意識や記憶の連続性を考えるなら、前者ということになりそうだが……まあ、好きな方でいいんじゃないかな」
「うーん……難しいです。ラズは?」
「お誕生日、特別なお祝いの日だよね。……じゃあ、どっちも?」
「どっちもはよくばりじゃないかなあ。……クランも思ったけど」
無邪気な応酬に、自然と笑みがこぼれる。
四人でテーブルを囲み、お茶を飲み、笑い合う。
きっと少しのタイミングのズレや、ボタンの掛け違いで崩壊していてもおかしくなかった――そんな奇跡の味は、あたたかく、ほんのり酸っぱくて。
鼻に抜けるベリーの香りは、安らぎと同時に賑やかで楽しい気分を与えてくれた。