1
「姉さん、ちょっと……」
キャラクターショップ、アクセサリーショップ、雑貨店。いくつかのスポットを巡ったところで、僕は鞠花に声をかけた。
クランの顔に疲労の色が見えたためだ。表情が固く、若干血色が悪い気もする。
目配せすると姉はすぐに事態を把握してくれたようで、頷きが返ってくる。
「少し外の空気吸ってくるから、姉さんとラズはなにか飲み物買ってきてもらえる? さっき切らしちゃって」
「了解」
「そこの出口出たところの近くにいるから。……いい? クラン」
そう告げてとったクランの手は、少し冷たくなっていた。
「はい。すみません、ルイさん」
次の目的地に目をきらめかせていたラズも、僕と鞠花のやりとりで相棒の様子に気付いたようだった。
「ごめんねクラン。ラズ、夢中で気付かなくって……」
「ううん。少し座ってれば大丈夫だよ。クランこそごめんね」
「美味しいの買ってくるから! 待ってて!」
「うん。ありがとラズ」
しょげた顔から一転、ラズは表情を引き締め、鞠花の手を引く。
「おっとと、クランには瑠生がついてるから、走っちゃダメだよ」
今にも駆け出さんとするラズを制し、ちらりとこちらにアイコンタクトで「頼むよ」と告げながら、姉は買い出しに出発した。
「それじゃ、そこで少し休もうか」
「はい、ありがとうございます」
僕もクランの手を引いて、サンシャインシティの出口へと向かった。
2
サンシャインシティの地上階は、池梟駅方面に伸びた長く緩やかな階段と繋がっていて、四階までは階層を問わず外に出られるようになっている。この階段がスペイン階段と呼ばれていることは、昨日ネットでお出かけ先のことを調べているときに初めて知った。ところどころに花壇やベンチが設置されていて、館内を歩き疲れたときにもってこいの休憩スポットでもある。
広い階段の端っこに腰掛けてもいいのだが、幸い誰も座っていないベンチを見つけたので、クランと僕はそこに腰を落ち着けた。
「すっかり夕方だねえ。遊んだ遊んだ」
「ごめんなさい。ルイさんに、みんなに迷惑を……」
クランは少し落ち着いたようだが、しょんぼりしている。
「迷惑なんかじゃないよ。今日はたくさん歩いたし、人も多いし、体力使うって。ちょっと休憩挟めばよかったね」
朝もクランは人混みにまいっていた様子だった。その後は調子を取り戻していたので油断していたが、やはり疲労が蓄積していたのだろう。
少し冷たくなっていたクランの白い手を、両手で挟んで暖める。
「寒くない?」
「はい。そんなに気温も下がってないみたいですし、風が気持ちいい」
「そっか」
せっかくなので、心地よい風を僕も一緒に味わう。
「ありがとうございます。もうちょっと頑張れそうだと思ったんですけど……クラン自身よりもルイさんのほうがわかっちゃうんですね」
「生きてる以上、疲れはどうしてもねー。そういうこともあるし、そういうときは遠慮なく言ってくれて大丈夫だよ。目つむって、ちょっと寝ててもいいから」
――そこまで言ったところで、双子がうちにきて最初の夜を思い出す。
「はい、今度からそうします。……大丈夫ですよ。もう眠るのは怖くないです。いつもルイさんとラズがいてくれるから」
今のは良くなかったかな、なんて思いが顔に出ていたのだろう。クランはふわりと笑ってみせた。
「そっか、良かった……クランにも僕が考えてること、わかっちゃうんだね」
「えへへ。ほんの少しくらいは」
たった二週間でも、人は変わってゆくものだ。クランもラズも無邪気さは相変わらずだが、初めて会った頃の危なっかしさは薄れてきているように思う。
しばらくそのまま、夕焼けを見上げながら一息つく。
「もうすぐ終わっちゃいますね、今日」
「そうだね」
綿雲がゆっくりと空を流れてゆく。
「楽しかった?」
「はい。でも、ちょっと寂しいです」
「じゃあまた今度出かけよう。ここでもいいし、別のとこでもいいし。一緒だったらきっとどこでも楽しい、でしょ?」
「……はいっ」
クランに少しずつ元気が戻ってきた。
「やっぱり、ルイさんはやさしいです。とっても、とっても」
人の心を溶かす眩しい笑顔で、彼女は言う。
……しかし。
「クラン?」
僕の手の中で、小さな両手が震えている。
「クラン、どうしたの?」
柔らかな笑みから一転、彼女は俯いてしまう。
「……きらわれたく、ない……」
震えが小さな肩にまで広がる。
「こんなやさしいお兄さまに、きらわれたくないです……」
僕の手の甲にぽたぽたと零れてくるのは、大粒の涙だった。
「ラズには大丈夫だって言ったくせに。今になってこんなにこわくなるなんて……クランはうそつきです」
声が震え、悲痛な呟きに変わり。
「怖いって感情は知ってるはずなのに。この身体でそれを感じるのが、とっても痛くて、苦しい」
クランの涙はとめどなく溢れ、僕の手を濡らしてゆく。
僕がクランを嫌いになる……? どうしてそうなるのかはわからないが、彼女がそれを案じてひどく怯えていることだけはわかる。
「クラン、大丈夫だよ。僕はクランのこと嫌いになんてならないよ」
手をしっかり握って、努めて優しく呼びかけると、涙に濡れた大きな瞳がまっすぐにこちらを向く。強い不安に揺れて、助けを求める目だ。
「クランはこんなに優しくていい子なんだから、ね?」
今度は、いつかのごまかし混じりの言葉なんかじゃない。彼女の頭を胸に抱き寄せ、頭をそっと撫でる。
「お兄さま……っ!」
クランは堰を切ったように泣き声を上げ始めた。
3
「落ち着いた?」
涙と鼻水でぐしょぐしょになったクランの顔を、ティッシュでもちもちと拭う。
「はひぃ」
「眼鏡も拭いたげるから、ちょっと待ってね」
「はいぃ……ありがとうございばす、すびばせん」
「よしよし」
ひとしきり泣いたクランは、いくらか調子を取り戻したようだ。彼女の顔を受け止めていた僕のシャツは酷い有様だが……まあ代償としては安いものだ。
空は茜色から闇の色に近づき、ビル街や街灯の光が目立ち始める。夜が近付いていた。
少しの沈黙を置いて、クランは大きく深呼吸をすると、ゆっくりと話し始めた。
「……クランたち、ルイさんに話してないこと……内緒にしてないといけないことがあるんです」
「うん」
「でもいつか……きっともうすぐ、明かさなくちゃいけなくって」
「うん」
僕の前に突然現れ、預けられた謎の双子。
鞠花の研究所となんらかの関わりがあって、人的・経済的バックアップもされている。
――何の事情もないわけがない。それはわかっていたことだ。
「ルイさんがそれを知ったとき、今と同じように過ごしていられるのか、すごく不安で。嫌われちゃうんじゃないかって。……ラズも同じことを思ってて」
ぽつぽつと語るクランの姿は、いつもより更に小さく思えた。
「ラズには、そんなことないから大丈夫だよって言ったんです。なのに自分のほうが怖くなって」
「そっか」
クランとラズが抱えている事情について問いただすことはしてこなかったが、彼女たちは彼女たちで、目に見えない恐怖や不安と戦っていたのだ。
「クランからはさ、僕と姉さんがどう見えた?」
「……はい。とっても仲良しだと思いました」
ありがと、と返し、僕は柄にもなく身の上話をすることにした。
「姉さんとはね、血が繋がってないんだ。僕はクランたちよりもっと小さい頃、今の実家に……鞠花姉さんのお父さんとお母さんに、引き取ってもらったんだよ」
「そうだったんですか。すごく仲良しだから、てっきり」
別に秘密にしていたわけでもないのだが、語る機会のなかった事実に、クランが目を丸くする。
「まあ、普通姉さんって言ったらそう思うよね。……でもね。それでも今、クランから見て仲良しって思ってもらえるくらいには、血の繋がりがなくても仲良くやれてるんだ」
……本当は、僕が一方的に距離を置いてた時期もあったのだけど。それでも今は、そこそこうまくやれていると思う。
「クランとラズのこともおんなじ。ずっと大事な友達だと思ってたし、今はもう家族だと思ってるよ」
「クランたちが、家族?」
「そうだよ。だから安心して。何があってもきみたちのことを見捨てたりしない」
小さな身体を、もう一度ぎゅっと抱き寄せる。
「見ていて欲しい人が自分を見てくれない心細さも、少しはわかるつもりだから」
「お兄さま……」
「クランはお姉ちゃんだね。ラズに心配させないように、ひとりで不安を背負おうとしてたんだよね」
「ありがとう、お兄さま……ありがとう」
双子の姉は応えて、細い腕を僕の腰にまわしてきた。
4
「完全に出ていくタイミングを見失ったな……」
飲み物の買い出しに出ていた鞠花とラズは、瑠生とクランの死角に潜むように、階段の隅に座ってスターバックスのコーヒーを啜っていた。
ペットボトルの水に加え、スタバのテイクアウトの調達を終えた買い出し組がサンシャインシティの出口からスペイン階段に出ると、どういうわけかクランが瑠生に泣きついていて……二人はとりあえず隠れて様子を見守ることにしたのだった。
「クラン、いいなあ……ラズもぎゅってして欲しい」
「瑠生の言葉は、君にも等しく向けられたものだ。君たちはそれくらい、瑠生から想われているんだよ。……盗み聞きというのはちとアレだから、これは内緒でね」
苦笑いをする鞠花に、ラズは笑顔とサムズアップで応えた。
「状況が状況だったとはいえ、君たちには本当にすまない。こんなに秘密を抱えさせるつもりではなかった」
「ううん、いいよ。……もう終わったんだよね?」
「ああ。当面の危機は去ったと言える。だから今日の最後に瑠生に明かすつもりで、私はここに来ている」
「……うん。わかった」
表情をやや硬くするラズに、鞠花は朗らかに話しかける。
「大丈夫だよ、聞いてただろう? 私はともかく、君たちへの瑠生の想いは変わらないさ」
とはいえ。もう少ししたら、いい加減に瑠生とクランの前に出ていかなければ――と、彼女がコーヒーをもう一口飲んだときであった。
「クラン? ……クラン、どうしたの? しっかり!」
突然の狼狽の声。
それは瑠生から上がったものだった。