1
時はあっという間に四月末。本日土曜日をもって世間はゴールデンウィークに突入した。
天気は快晴、絶好のお出かけ日和である。僕はクランとラズを伴って、池梟(イケブクロ)駅に降り立っていた。
「霜北沢の駅前も人が多かったけど……ここ、もっとすごいね」
行き交う人々を眺めて、ラズが目を丸くしている。
「都内のでかめの街はだいたいこんな感じだね。連休初日だからなおさらかも……クラン、大丈夫?」
「だ、だいじょうぶです……」
クランはこの駅の待ち合わせ場所としてお馴染み、ふくろうの石像を囲む手すりに寄りかかっていた。顔色が悪いとまではいかないものの、若干グロッキーになっている。僕も初めて都心で人混みに呑まれたときはこんなだった気がする。
「はいこれ、水飲みな。しんどかったらしゃがんでていいからね」
「ありがとうございます、いただきます……」
ペットボトルの水のキャップを開けて渡すと、クランはこくこくと飲み始めた。
「お姉ちゃん、ちゃんとラズたちのこと見つけられるかな」
「まあ、そこは大丈夫だと思うよ」
今日は鞠花の誘いで、彼女を交えた四人で遊ぶ約束をしている。
なんでも抱えていた重めの案件が一旦落ち着いたとかで、クランとラズの様子見がてら、リフレッシュしたいとのことだった。
双子の今日の装いは、初めて僕の前に現れたときと同じワンピース姿だ。スマホや財布などが収められたポシェット、そして左耳の上には花飾りが付いたお揃いのヘアピン飾りが追加されている。先週買い物に行ったときに、なんとなく「似合うだろうな」と目について、二人に買い与えたものだ。
華やかな双子の姿は、きっと遠目からでも鞠花の目につくことだろう。
スマホの時刻表示は9:54。
「遅刻の連絡も特にないし、そろそろ来ると思うんだけど」
「おはよー、揃ってるね」
噂をすれば、中央改札方面から見知った顔がやってきた。僕の姉こと緋衣鞠花である。肩下あたりまでの黒髪を左サイドで三つ編みにまとめ、ロングスカートにジャケットという春らしい出で立ちだ。
「おはよ、久しぶり」
「「おはよう、お姉(さま/ちゃん)!」」
「おぉー! クラン、ラズ! それいいね。瑠生が買ってくれたの? 可愛いじゃないか」
「でしょー!」
「えへへ、ありがとうございます」
髪飾りを褒められて、ラズが見事なドヤ顔を見せた。クランも元気を取り戻しつつある。
「仲良くやってくれてるようでなにより。ありがとね、瑠生」
「別に、それは姉さんにお礼を言われるようなことじゃ……」
なんだかベタなツンデレみたいな文句が口をついて出てきてしまったのは、ひさびさに顔を合わせた気恥ずかしさからだろうか。
「そうか。そういうところは相変わらずだなあ」
ニマニマとした生暖かい姉の視線に、思わずそっぽを向いてしまう。
「少し顔色良くなった?」
「猫山さんのご飯のおかげでね。姉さんの方こそ、やつれてない? 仕事ばっかしてて、ちゃんと食べてないんじゃないの」
「耳が痛いな。まあ、ここのところ余裕がなかったのは事実だ。今日はせいぜい美味しいものでもいただくさ」
「相変わらずはお互い様じゃん」
面と向かって直接言葉を交わすのは久しぶりだったが、すぐに馴染みある会話の応酬になる。
相変わらずな姉の様子に、なんだか少し安心感を覚えた。
ともあれ無事に合流した僕たちは、早速最初の目的地へと向かったのだった。
2
明るく鮮やかなブルーに満たされた空間を、色とりどりの魚たちが泳いでいる。群れをなす小さなものから、単独で思うがままにうろついているものまで様々だ。岩の上にゆらめく珊瑚の周りにもウニやヒトデや小魚の姿が見え、目を凝らしてみれば、砂に合わせた体色でじっと潜んでいるものなんかもいる。
海の生態系を圧縮したアクリルの水槽に、クランとラズはべったりと張り付いていた。池梟が誇る巨大商業施設・サンシャインシティの屋上に位置するこの水族館は、今日の行き先として二人が真っ先に挙げたスポットだった。
「これがさかな……海の中……」
「を、再現したものだ。本物の海の一部を切り取ってきたようなものだね」
クランの呟きに鞠花はそう答えた。水槽の中の世界に双子は興味津々だ。
「「本物の海……」」
「二人は、海を見たことはないの?」
僕が問うと、双子は首を横に振った。
「映画とかに出てくるのは見たことあるけど……」
「あとは、FXOの海マップしか知らないです」
「そっか。じゃあ、そのうち海にも行ってみようか」
「行く! 海に行ったら、もっといろんなもの見られる?」
即答するラズの目が予想外にキラキラしていて、思わずたじろいでしまう。
「うーん。単に生きもの見るならここのほうが手軽にいろいろ見れるかな。けど、こことは違う楽しさとか発見があると思うよ」
「なるほど」
「ルイさんと一緒ならきっとどこでも楽しいよ、ラズ」
「ん、そうだね。ルイさんと一緒なら!」
クランとラズが笑い合うと、明るく和やかな雰囲気が辺りに漂った。
「いや、なんかもう君たち……妬けるなあ」
双子の展開するお花畑空間に、鞠花は圧倒されているようだった。僕はもはや慣れつつあったが、まあ、傍から見たら小っ恥ずかしいですよね。
「もちろんお姉さまも一緒だと、もっと楽しいです!」
「うん! お姉ちゃんも一緒だと嬉しい!」
「そかそか。ありがとねぇ」
鞠花は双子の頭をそっと撫でると、こちらを見てふたたびニヤニヤとし始める。
「あ、瑠生も撫でたげようか? 昔みたくさ」
「ほら二人とも。そこ、チンアナゴがいるよ」
「塩ー。その半分でいいから、姉さんにも愛をわけてほしいね」
鞠花が肩をすくめてみせる。思い通りのリアクションなどしてやるものか。
「恥ずかしいからはしゃがないで」
「なんだよお、双子ちゃんと私とでそんなに露骨に態度違う?」
年甲斐もなく頬を膨らませる姉であった。
「……待ち合わせのときも言い合ってたけど……あんまり仲良くないのかな?」
砂から顔を出したり引っ込めたりしている小さな魚たちを眺めながら、ラズが不思議そうにつぶやいた。
「逆じゃないかな。とっても仲良しなんだと思うよ」
クランはニコニコと楽しげだ。
3
水族館内をぐるりとひととおり回った僕たちは、一階の中央にある巨大な円柱状の水槽の前に戻ってきた。ここにはベンチが設置されていて、腰を落ち着けてじっくりと魚たちを観察することができる。
僕と鞠花の間にクランとラズが座り、四人並んで水槽を眺める格好になった。
「この中にいるものたちは、みんな生きているんですね」
街での日常生活において、動植物の生命を意識したり、実感することはあまりない。
クランのこの一言だけでも、水族館に連れてきた意味は十二分にあると思えた。
「そうだね。小さいものも大きいものも、全員が一人ひとつの命で生きてる。それはこの中の生きものだけじゃなくて、他の生きものも、人間も一緒」
「人間……ルイさんも、お姉さまも」
「クランとラズもね」
「ラズたちも?」
「そりゃそうでしょ。そういうわけだから、きみたちも怪我や病気に気をつけて、自分の身を大切に、ほかの命も尊重するように」
「「はいっ」」
さすがにちょっと説教臭くなってしまったかと思ったが、双子は変わらず嬉しそうでほっとする。
ふと視線を感じて顔を上げると、案の定、鞠花が目を細めてこちらを見ていた。
「なんだよう……」
「いや、私から頼んでおいてこう言うのもなんだけど、すっかり保護者だなと思って」
「情操教育なんてガラじゃないことくらい、自分でもわかってるってば」
「とんでもない。君に託して良かったと思ってるんだ、本当に」
まったく調子のいいことを。
「魚たちも、みんな何か考えたり思ったりしてるのかな」
水槽の鑑賞に戻ったラズが、ぽつりと呟いた。
「どうだろう……人間と同じようなことを考えて生きてる気はしないけど」
その疑問は、僕も子供の頃に抱いたことがあった。
魚類も何らかの思考はしているんじゃないかとは思うが、少なくとも大学の単位とか買い物の予算のことを考えたり、一喜一憂することはないだろう。
「異種どころか人間同士だって、何を考えてるのかよくわかんないことばっかだけどね」
膝に頬杖をついた鞠花がため息をつく。
「姉さんが言うと説得力あるかも」
「なにをぅ」
「実際わかんないもんなの? なんかこう、脳波的なやつとかで」
「わかんないねー。ある程度感情とかは測れるけど、具体的に考えてる内容まで読み取れるわけじゃなし。感情の度合いにしたって、それこそ本人の主観でしか実際のとこはわかんないよ」
ふわっと雑な質問をしてしまったが、結構真面目に答えてくれる姉だった。
「ゆえに、多くの生物が互いに何らかのコミュニケーションをとることで意思を伝え合う。われわれがこうして交わす会話や、ジェスチャーなんかがそれにあたるわけだね」
鞠花がウインクし、ビシッと両手でこちらを指差した。ゲッツのジェスチャーはなんの意思表明にあたるんだろうか……。
「じゃあ、人間同士だったら気持ちや考えってそれで伝わるんじゃないの?」
ラズが首を傾げる。
「そうとは限らないのが人間なんだよねえ。伝える側の言葉のニュアンスや表情、受け取る側の解釈の違いで、伝えたい情報が相手に行かなかったり、要らない情報が行ってしまったりするのが常だ」
ラズは鞠花の言うことがいまひとつピンときていない様子だが、きっと彼女たちもこれからの人生で実感することが――
「あ! ラズたちが最初ルイさんのおうちに入れてもらえなかったときのことだ!」
「えっ瑠生、この子ら締め出したの……?」
「その節はどうもすみませんでしたッ!」
クランとラズに頭を下げる。二人には申し訳ないが、知らなかったものは仕方ないじゃないか。あれは僕だけのせいではないはずだ……!
「まあ、ともかくだ。人はそもそも伝えようと思ったことしか伝えようとしないし、自分の利になるように嘘をつく、なんてこともする。一筋縄じゃいかないよね」
「……嘘、ですか……」
何か思うところがあったのか、クランの表情に翳りが差したように見えた。
「嘘も状況によって百パーセント悪いこととは限らないが、私としては、君らにはなるべく誠実な人間に育ってくれることを望むよ。……というわけで瑠生、今後とも二人をよろしく」
「はいはい、わかってますって」
クランとラズにはそうあって欲しい、という気持ちは僕も同じだ。鞠花は満足そうに微笑むと、目の前の水槽に視線を戻した。
「話を逸らしてしまったが、まあ結局のところ魚が何考えてるかはよくわからない。……飼育員さんに聞けば、なにか面白い話が聞けるかもしれないね」
4
かなりじっくり巡ったこともあり、水族館を出た頃には一三時をまわっていた。
サンシャインシティには水族館以外にも、さまざまなアミューズメント施設、キャラクターショップ、ファッションやアクセサリなどの雑貨店、そして飲食店が入っている。
三階にあるカフェレストランで腹ごしらえを済ませた後は、道中でクランとラズが興味を示した箇所を巡ることにし、まずはゲームセンターに辿り着いた。
「あー!」
「ここまで来たのに……」
クランとラズが肩を落とす。
クレーンアームで順調に運ばれてきたと思われたぬいぐるみは、やはり出口の手前でぽろりと落ちてしまう。
僕と姉は彼女たちの後ろに並んで、クレーンゲームに挑戦する姿を見守っていた。
「こんな風にはしゃぎながら一緒にやったことあったね、UFOキャッチャー」
「あー、あったね。姉さんと一緒に出かけるのなんていつぶりだろ」
「瑠生が中学生の頃じゃないかな。私が実家を出る少し前」
昔はときどき、一緒に買い物や街遊びをしたものだったが……姉が大学進学に合わせて引っ越してから、そういった機会は失われてしまった。
「サンシャイン一緒に来たこともあったよね。あれはいつだっけ」
「私がこの子らくらいのときだね。そのときの瑠生は小三だったか」
「あぁ、そうだったそうだった! 夏休みの」
父さんと母さんに連れられて……あのときは、映画を観た帰りだっただろうか。
「姉さんがなんかなくして、一生懸命探した覚えがあるんだけど……」
「なんだ、そこは覚えててくれたわけじゃないのか」
なにぶん十年以上前の小学生の時分だ。記憶の細部はおぼろげである。
「なんだっけ」
「さあ、なんだったかな。……懐かしいな。本当に大きくなったね、瑠生」
「まあ、おかげさまでね」
鞠花の柔らかく細めた目には、きっと遠い日の思い出が映っているのだろう。
「ルイさんも昔は小さかったの?」
ラズが振り返り、食いついてきた。
「そうだよー。今はこんなでっかいけど、昔は……と言いたいとこだけど、子供時代から結構長身だったかな。割とすぐ背は追い抜かれた気がするね」
「ここに一緒に来た頃は、さすがに小さかったよ」
「クランたちも、そのうちルイさんみたいに大きくなれるんでしょうか」
「うーん、私くらいにはなると思うけど、一七〇台まで伸びるかはどうかな」
「なんでさ。クランもラズも伸び盛りなんだから、わかんないじゃん」
二人の頭をぽんぽんと撫でる。猫山さんに頼んで毎日カルシウムたっぷり与えてやろうか。数年後、長身の美女に成長した二人はさぞ麗しいことだろう。
「でもこの小ささゆえの愛らしさも捨てがたい……!」
「瑠生ー。声に出てる声に出てる」
僕と鞠花がコントめいたことをしているうちに、撫でられてニコニコしていたクランの顔が、不意にキッと引き締まった。
「ラズ、あと何枚ある?」
「三枚。クランは?」
「二枚。穫るよ、ラズ!」
「うん!」
二人はふたたびこちらに背を向け、クレーンゲームに百円玉を投入した。筐体の中で寝そべっている真っ白なうさぎのぬいぐるみがよほど気に入ったのだろう。
僕がこういうのをやると、だいたいドツボにはまるので良い思い出がない。……が、彼女らにお小遣いとして与えた残弾が尽きたら、今日くらいはちょっとだけ追加投資してあげよう。
あっ、と声が上がり、またもぬいぐるみがアームをすり抜ける。
こういったクレーンゲームの多くは、投入金額と景品の排出状況によって掴む力が変化すると聞いたことがある。これはまさにそういうタイプだと思われた。
ここを掴めば出口に近づきそう、と作戦を立てたり、ラズに操作を任せ、クランが横に回り込んでガイドしたりと奮闘するものの、双子の持つ百円玉は無情にも残り四枚、三枚と減っていく。
クランが最後の百円玉を投入する。残弾はラズが持つ残り一枚となった。
再度アームがぬいぐるみを掴むと……そのまま出口の直上までやってくる。
「あっ、落ちない。しっかり掴んだ!」
「いけそう……このまま……」
ついに「アタリ」を引いたのだろう。景品をしっかり保持したアームが開き、そのまま出口に落とす――かに思われたが、足の部分が穴の端に引っかかって、落ちきらない。
後ろで見ていた僕たちまでもが「あああ……」と声を上げてしまった。
「でも、これなら」
「あと一回で落とせそうだね」
頷き合い、ラズが最後の百円玉を投入する。
慎重にボタンを操作して、アームの先端がぬいぐるみの直上に来るよう配置。
「「せーのっ」」
そして二人で手を重ねてボタンを押し、アームを下に押し込むと――
「「やったあ!」」
ファンファーレが鳴り響き、晴れて白いうさぎのぬいぐるみは双子のもとに落ちてきた。
「二人とも、穫れてよかったね」
クランとラズがうちにやってきて二週間、こんなに真剣な姿は初めて見たかもしれない。鞠花もぱちぱちと手を叩いている。
歓喜する双子を微笑ましく眺めていると、二人は顔を見合わせ、頷きあった。
「「これ、ルイさんに!」」
「えっ、くれるの?」
呆気にとられている僕に、戦利品を差し出してきた二人が続ける。
「ルイさんにはいつも、いっぱいやさしくしてもらってるから!」
「さっきここに来たとき、景品が穫れたらルイさんにあげようって、ラズと決めてたんです」
「……そっか」
満面の笑顔と真っ直ぐな言葉。
最初に二人と手を繋いだとき。彼女らを預かることを決めたとき。トランプで遊んだとき。あれと同じ暖かさが胸いっぱいに広がる。
二人がかりで両脇を抱えられた白いうさぎを、僕はしっかり受け取った。
「クラン、ラズ、ありがと。大事にするね」
ついさっきまでよくあるマスコットだと思っていたそれが、一瞬で世界一かわいいぬいぐるみになってしまった。
――人から何かを贈られるのって、存外嬉しいものなんだな。
長らく忘れていたものを、またひとつ思い出したような気がした。
「おめでとうございますー! こちら持ち運び用にどうぞ」
「ぴゃぁっ!?」
景品用の袋を持ってきてくれた店員さんにクランがびびる。
「あぁ、どうもありがとうございます……」
彼女が他人馴れするのには、もう少し時間がかかりそうだ。