05_双子は帰りたくない:Day1 evening-night

 帰宅した僕は、昼食に出かける前と同じようにソファに座って双子に挟まれていた。
 おそらく無意識にしているのだろうが、二人が横並びになるとクランは左側、ラズは右側に陣取るのが基本ポジションらしい。

 何気なくテレビをつけると、午前中に見ていたYouTubeがそれっぱなしになっていて、僕と双子の接点であるFXOの攻略動画がオススメに出ていたので、とりあえずそれを流した。
 動画では彼女たちと一緒に遊んだダンジョンやボス戦、およびそれより少し先の範囲を取り扱っていた。二人の食いつきはよく、こういう戦い方があったんですねとか、ここはもう少しうまく立ち回れそうとか、思いのほかゲーム談義は盛り上がった。

 が、そうこうしているうちに双子の口数は少なくなってきて。
 左右からかかる体重が少し増した気がして、感じる体温が暖かくなってきて……案の定、クランとラズはすやすやと眠り始めてしまった。

 テレビのスイッチを切る。
 夕焼けがベランダ窓から差し込み、寂しくも優しい茜色が室内を染めている。
 聞こえるのはささやかな風の音と、静かなふたつの寝息だけ。

 ――静かだ。
 静かで何もない、何もしない土曜日の一七時半。
 安らかで、心地よい気分だった。

 左右の太ももに二人の頭が乗った膝枕の格好になったので、指先でなぞるようにそっと頭をなでてみる。クランとラズの髪は夕映えにきらきらと光り、やわらかな手触りは絹糸を思わせた。
 穏やかな寝顔は、まるで腕利きの職人によって美しく精巧につくられた人形のよう。だけど脈を打ち、生きている。
 人懐こくて、どこか懐かしい気持ちを運んでくる――不思議な双子。昨日までは回線の向こう、僕の知らないところにいた子供たちが、小さくゆっくり呼吸する身体と体温を伴って、隣にいる。

 未だに僕はクランとラズについて多くを知らない。
 ……だけど本当に、彼女らは純粋に僕に会いたくて、会いに来てくれた。
 たった数時間を共にしただけだが、そのことだけは心の底から理解できた。僕もそれを嬉しく思い、この愛らしい双子のことをいとおしく感じ始めている。

 ソファの前のローテーブルの隅には、熊谷さんの名刺が置いてある。
 おそらく僕が双子を預かるという話を一旦保留にしたので、あの強そうな警備員さんは帰り道に姿を現したのだ。

『お二人がお帰りの際はご連絡ください』

 熊谷さんがそう言ったとき、僕の手を握る双子の手に、きゅっと力がこもったのを感じた。
 二人の表情を咄嗟に伺うことはできなかったし、彼女らは何も言わなかったが、その意味するところは考えるまでもない。

 クランとラズは従順な子供だった。
 街をきょろきょろしながら歩いていても、手をつないでまっすぐ歩くように言えばそうしたし、部屋に散らばった参考書やら雑誌やらに興味津々でも、あまりアレコレ触らないように言えばそうした。
 たぶん、もう帰るように言えば、そうするのだろう。

 ……だけど。

 眠る二人を揺すらないようにポケットからスマホを取り出し、鞠花とのトーク画面を開いてメッセージを入力する。
 明日も日曜日だ。特に予定があるわけでもなし。

《とりあえず、今日くらいはうちに泊まってもらっ》

 そこまで打って、僕は思いとどまる。

 ――お兄(さま/ちゃん)に会いたくて、お姉(さま/ちゃん)のところから来ました!

 一生懸命に訴える姿。
 姉に苛立ちをぶつける僕に向けられた、不安げな瞳。

 ――はぐれないようにするのを、今度はお兄さまにしてほしいです。
 ――ラズのことも、捕まえといてほしい。

 触れ合いを求める手。
 眩しくて無邪気な笑顔。

 彼女たちは。
 顔を合わせたこともない僕のところへ。
 どんなふうに送り出されたのだろう。
 どんな顔をして、車に揺られていたのだろう。
 帰したとして、どんな顔をして帰るんだろう。
 うちに預からなかったら、どこへ行くんだろう。

 ――思い出すのは、部屋の端で膝を抱えてうずくまる寒さ。

 どうしても、過去の自分と重ね合わせてしまう。
 かつて感じた寂しさと心細さを思い出してしまう。

 ――僕は、どうしてほしかった?

 未だに僕はクランとラズについて多くを知らない。
 けれど、迷うことはもうなかった。
 入力内容を消去し、打ち直していく。

《二人をうちで預かる話、受けるね》

 送信すると、メッセージはすぐに既読になった。

 ――さま。お兄さま――
 ――お兄ちゃん、返事を――

 なんだか騒がしい。最近はじめて聞いた、だけど馴染み深いような、そんな声がする。

「「お兄(さま/ちゃん)っ!」」

 目を開けると、部屋の中はすっかり暗くなっていた。
 ぼやけた視界の焦点が合うと、僕の顔を覗き込んでいるクランとラズの姿が、月明かりに浮かび上がっていた。

「……ああ、きみたち、起きたの……」

 僕もいつの間にか眠ってしまっていたようだった。

「よかったぁ、お兄さま……」
「ずっとこのままかと思った……」

 単に昼寝してしまっただけなのだが、双子の反応はまるで、死の淵から息を吹き返した人間に対するそれだった。

「そんなに顔色悪かった……?」
「いえ、そういうわけではないんです」
「ラズたちもさっき目が覚めたから、起こさなきゃって」
「雪山じゃないんだから、勝手に起きるって」

 ふあ、とあくびをしながら、握りっぱなしにしていたスマホの画面を覗いた。
 時刻は一九時半過ぎ。鞠花からLINEの通知が来ているので開く。

《クランとラズの荷物は明日届けるよ(ウインクの顔文字)》18:11
《言い忘れてたけど、念のため。ウチのラボとの関わりについては他言無用で》18:13
《二人のこと、ホントにありがと。感謝の極み》18:13
(ゆるキャラの挨拶スタンプ)18:13

「きみたちの荷物、明日届けてくれるってさ」

 姉からの通達を伝えると、クランとラズは大きな目をぱちぱちと瞬かせた。

「「荷物?」」
「そ。これからここで暮らすんでしょ」

 顔を見合わせる二人。

「「ここにいて、いいの?」」
「うん、うちにいな。今日からここがきみたちの家ということで」

 そう告げると、二人の表情は花が咲いたようにぱあっと明るくなった。
「やったあ!」の声とともに、双子が僕の胸に飛び込んでくる。

「「ありがとう、お兄(さま/ちゃん)!」」

 きらめく瞳は星のようで、部屋の灯りも点いていないのに、眩しさが目の前いっぱいに広がる。
 僕の両手は自然と、二人の頭をそっと撫でていた。

 いろいろと考えなければいけないこと、やらなければいけないこともあるだろう。
 だが、それは追々なんとかしていけばいい。さしあたって大事なのはこの双子と一緒にいること。
 理由はこの笑顔で十分だと思った。
 ――ただ、それはそれとして、ひとつ今すぐにやるべきことがある。

「……今日のところは出前でも頼むかあ」

 アレコレ考えたせいか、僕はお腹が空いていた。空腹はクランとラズも同じだったようで、くう、と小さくお腹が鳴る音が二人同時に聞こえてきたのだった。

 ディナーは宅配ピザに決定した。決め手は先日投函されていたチラシの半額券である。
 ペットボトルのコーラを付けずにサラダを足したのは、注文の最中で「成長期の只中にあるであろう子供に、コテコテのジャンクフードはどうなのか」という疑問がよぎった結果の妥協案だ。まあ誤差の範囲だろうが、『うちで預かる子たちに与えるもの』と思うと、やや意識が違ってくる。

 配達を待つ間に熊谷さんにも連絡を入れたが、すでに話は姉から伝わっているようだった。
「お二人をよろしくお願いします」という厳かでありつつ穏やかな声色は、彼が去り際に見せた深々としたお辞儀を想起させた。

 届いたピザボックスを開ければ、二人は無邪気にはしゃぎ、クランが食レポし、ラズがサムズアップで美味を表明する。
 たった一日でお馴染みの流れになったやりとりが心地よかった。

 クランの栗色の髪が、熱風を吸って柔らかくなびく。
 すっかり乾いたことを確認し、ドライヤーのスイッチを切ってヘアブラシで整えてやる。

「はい、おしまい」

 僕に背を向けてちょこんと座っていた双子の姉は、自分の頭を確かめるように触れて「わあっ」と感嘆の声をあげた。

「ありがとうございます、お兄さま! すごいよラズ、ふわっふわになった!」
「えっへへ。でしょー?」

 先にドライヤーをかけてやったラズは、少し得意げだ。

「でしょーじゃないでしょ。さっきまで生乾きだったんだからね」

 双子と交代で入った風呂から僕があがると、ラズがクランの髪にドライヤーをかけているところだった。微笑ましい光景だが、手元はおぼつかない。
 おそらく先にクランが乾かしたのだろう、ラズの美しい白髪は多分に湿気が残っており、ぼさぼさだった。羨ましいほどのなめらかキューティクルが傷むのをみすみす見逃すわけにはいかず、僕は選手交代、やりなおしを申し出たのだった。

「冷えちゃわないうちにベッドに入りなー」

 言いながら、僕も自分の髪を乾かす作業に入る。
 時刻は二三時過ぎ。よい子はぼちぼち寝る時間だ。
 歯ブラシは予備のストックがあったのでそれを使ってもらったが、さすがに子供サイズのパジャマは持っていないので、クランとラズにはやむなく、僕の部屋着を適当に着てもらうことにした。言うまでもなく、だぼだぼのぶかぶかである。ズボンは当然はけないので、下着の上からTシャツだけ羽織った格好だ。
 まあ布団をしっかりかぶれば風邪をひくことはないだろう。明日、二人の荷物が届くまでの辛抱だ。

 ……なのだが、双子はいっこうにベッドに向かおうとしない。

「どうかした?」
「お兄ちゃんは、そこで寝るの?」

 ラズが見つめているのは、先程三人で昼寝したソファだ。双子が風呂に入っている間に、ブランケットを用意してある。

「うん、こっちでいい。ベッド広めだし、きみたち二人でも余裕だと思うよ」

 僕が言うと、二人はふるふると首を横に振った。

「「お兄(さま/ちゃん)と一緒がいい」」

 僕は一人暮らしだが、ベッドは幅が広めのものを使っている。
 子供の頃は寝相が悪く、実家のベッドで何度も落下事故を経験し、そのたびに将来は大きなベッドで眠るのだと心に決めて成長したからである。
 大学受験を無事突破し、いざ一人暮らしが決まった頃には無意識下の大移動はほとんど起こらなくなり、ベッドが大きくなければならない理由は薄くなっていたのだが……それでも欲しかったんだよ広いベッドが。理屈ではないのだ。
 シンプルに広い寝床は快適なので気に入っている。本やら何やら枕元にたくさん持ち込めるし。
 ……それがまさか、こんな形で役に立つ日がやってくるとは思ってもみなかったのだが。

「なんだか落ち着かなくて、心細くて……いえ。たぶん……怖いです」

 左側に寝そべるクランが、つぶやくように言った。
 常夜灯の淡い光が、小さなシルエットをおぼろげに映し出している。眼鏡を外した双子の顔を見るのは初めてだ。

「眠るのが?」

 小さくうなずくクラン。

「少しずつ思考が鈍くなって、抗えずにそのまま落ちていくような感じが、怖いです」
「そっか」

 僕はこれまでの人生で眠気を怖いと思ったことはないが、この子はそう感じるのだろう。
 クランの頬をそっと撫でると、小さな両手が僕の指先を包むのがわかった。
 少し昼寝もしたのだが、既に彼女の言う思考が鈍い状態になりつつある。……今日はなんだかいろいろあった。

「でも、さっきはいつの間にか寝ちゃってた。勝手にそうなっちゃった」

 今度は右側に横たわるラズが言う。

「そりゃあ、まあ。寝落ちるときってそういうもんだし」
「明日もさっきみたいに、自然に起きられるかな。寝たらもう、ずっとそのままなんじゃないかって気がして」
「ああ……それでさっき、僕のことあんなに心配してくれてたの?」
「うん……」

 ラズが今にも泣き出しそうなしょぼくれ顔をしているので、僕は布団の中を右手でさぐって、彼女の手を握った。

「朝になったらちゃんと目を覚ますよ。ラズも、クランも、僕も」

 そうすると、ラズはふにゃっとリラックスした笑顔を見せてくれた。

「ありがと、お兄ちゃん」
「やっぱり、お兄さまについててもらって、良かったです」

 双子はずいっとベッドの真ん中に寄ってくる。少しは安心してくれたようだ。

「でも、あんまりねぼすけだったら布団剥いで起こしちゃうからね」

 彼女らの身体はぽかぽかとあたたかい。
 なんだかやっぱり、不思議な懐かしさというか、安心感があるなあ……。
 心地よい疲労感とふたつの体温に包まれながら、僕の意識はとろけていった。