22_エピローグ:幻想と現実の境界で

 空は青く晴れ渡り、大地は見渡す限りの緑。
 青々とした森の真ん中には、他の木々の十倍はあろうかというほど高く立派な大樹が聳え立っており、街はその『神樹』から程近い場所にあった。
 街といっても、建っているのは木造のバンガローのような民家と、樹の幹をくり抜いて作られた小屋のようなものばかりである。コンクリートのビルもアスファルトの舗装もそこにはなく、行き交う人々の服装は西洋童話の絵本のようだ。
 そこはオンラインRPG『ファンタジア・クロス・オンライン』における始まりの街のひとつ、名を『神樹の街 リヒター』という。本来なら数多の冒険者で賑わっているはずの場所だが、人の手で動くプレイヤーキャラクターの姿はない。いるのはアクセスに対して台詞のテキストを返し、あるいはイベントやクエストを発生させるスイッチの役割を担うNPCたちだけ。

 ――ただひとりを除いて。

「おかえりなさい」

 街の中心の噴水広場で空に手を伸ばすのは、白い肌に銀髪と蒼い目、澄んだ氷を思わせる薄青色のドレスに身を包んだ女性だった。真っ直ぐ伸びた髪は足先より長く、絹のシーツのように石畳の上に広がっている。
 森の集落より、氷の城が似合う――そんな高貴さや冷たさを連想させる姿とは裏腹に、声色は包み込むような優しさに満ちている。
 その囁きに誘われるように、空から降りてくるものがあった。
 豆粒ほどに小さな光球がふたつ。ライトピンクとライトグリーンの輝きを放ち、螺旋を描いてゆっくりと白い両手の中に収まってゆく。
 彼女が受け止めたものをそっと胸に抱くと、指の隙間から一際強い輝きが漏れた。
 次の瞬間、その場に立っていたのは精霊術士クランと軽剣士ラズ。現実世界の双子や瑠生、そして草凪たちを導いた存在である。
 この幻想と電子の箱庭こそ『FXOの双子』が帰る場所であった。

「おつかれさま。よく頑張ったね」

 視線を返す二人は、相変わらず無表情のまま、言葉を発することはない……が、その頬には静かにこぼれるものがあった。
 小さく、しかし熱い、ひとすじの涙。
 薄氷の姫は使者たちがみせた「変化」に目を見開きつつも、ゆっくりと屈んで目線を合わせ、慈愛の眼差しとともにその頭を撫でた。

「大丈夫。あなたたちは自分にできることを精一杯やって、立派なことをしたんだよ。あなたたちの行動がなければ、今頃世界のかたちは大きく変わってしまっていた」

 そして少女たちの涙を指先で拭い、そっと胸に抱き寄せる。

「心配しないで。あの子たちだって、自分の大切な人を眠らせたままにはしない。必ずまた立ち上がって前へ進む。もう一人のあなたたちなんだから」

 見上げる蒼い瞳には、FXOの世界である惑星『マグナ・テラ』の空に浮かんだ二つの太陽が映っている。彼女が見据えるのはテクスチャの空を超え、データの星々を超え、基盤とケーブルの銀河、ネットワークの宇宙を超えた先――現実世界。

「……ありがとう、瑠生」

 自らを取り巻く因縁との、千回の人生より長く、ものの五分にも満たない短い戦いを終えた彼女を想い。
 A.H.A.I.『第0号』は、静かに瞼を閉じた。

Ⅴ フォール・イントゥ・ナイトメア
おしまい