1 / 緋衣瑠生
嵐が去ったあとのイベント広場はやけに静かだった。
消防車のサイレンが遠く聞こえているものの、近くに来る様子はない。この場所は消防署が目と鼻の先だったと思うのだけど……。
それどころか、気がつけばあんなに派手に上がっていた火柱もすっかり勢いを弱め、わずかな炎が黒煙をあげているのみになっていた。空気が乾燥する冬は、むしろよく燃え広がるはずではなかろうか。目の前の事態に対処するのに精一杯でそこまで気が回っていなかったが、いったい、いつの間にこんなことになっていたのだろう?
「ラズ、さっき跳んだときに上から何か見えなかった?」
「周りの様子はあんまり見えなかったけど、かなりの範囲が真っ暗だったと思う。少なくとも公園の入口辺りまでは……第4号がそこらじゅうから電気を吸っちゃったせいだね」
「消防車とかパトカーって、電気自動車でしたっけ……? それにしても、ここまで誰も来ないというのは不思議です」
電気を吸い上げていたアルルカンがいなくなったことで、街灯や売店には光が戻ってきたが、それでも無人の公園はなんとなく暗く感じる。僕たちが持っていたスマホもモバイルバッテリーも軒並みすっからかんなので、レオやシェヘラザードとも連絡が途絶えたまま、公園の外の様子もわからない。
「うーん。救援を待つように、とは言われたけど……」
熊谷さんが草凪を担いで去っていった先は、公園の出入り口へと続く欅並木だ。
やはり歩いてここを出るべきだろうか――そう思った途端、目の前が一斉にまばゆい光に包まれた。
「わっ! これって……!」
「きれい……!」
青いきらめきが道の左右に沿って一直線に広がる。空を彩る天の川のようなそれはまさしく、今日のお目当てであったクリスマスイルミネーションだ。
「でも、わたしたち以外に誰もいないですよね? 故障で勝手に点いたんでしょうか」
「どうだろう、時間になると自動で点灯するようになってるのかも?」
「もう! 二人とも、どっちだっていいじゃんっ」
戸惑うクランと僕にラズが抗議する。
「そうだね。……うん、すごく綺麗だ」
彼女の言うとおり、そんな疑問は野暮かもしれない。
想定外の事態に巻き込まれ、一時はどうなることかと思ったけれど、思いがけず当初の目的を果たすことができた。偶然の貸し切りイルミネーションは、死線をくぐりぬけた二人へ気まぐれな運命が用意したご褒美……とでも思うことにしよう。
「やったねクラン。去年のリベンジ成功だよ。……凄いことに巻き込まれたけど」
「うん。……嬉しい。みんな一緒に、生きてこの風景を見られて」
非日常から日常への帰還。そして特別な日の続き。一気に僕たちのクリスマスが戻ってきた気がする。左右から身を寄せる双子の姉妹とともに、その喜びを噛みしめる。
「二人とも本当にありがとう。きみたちのことを守るつもりが、結局また助けられちゃったね」
「その……さっきは無我夢中でしたけど、やっぱりこの力は普通じゃないです。怖かったり、嫌だったりしませんか?」
「そんなわけないでしょ。それも二人の一部なんだから」
「ピカピカ光って、ヘンじゃない?」
「まさか。このイルミネーションの光よりも綺麗だって思ったくらい」
不安げに見上げてくる二人の手を、僕はそっと握った。
クランの右手は活性の、ラズの左手は停止の力を持つという。だけど僕にとってはそれ以前に、いつも安らぎをくれるあたたかい手だ。
「……わたしたちと一緒にいてくれるのが、あなたで良かった。クランは今日ほどそう思ったことはありません」
「うん。ぼくたちはもうただのオーグドールじゃなくって、『ディアーズ』だもんね!」
――そうか。二人はもうあのクリスマスカードを読んだんだっけ。
「そう堂々と言われると、なんか小っ恥ずかしいね……」
「えー!? なんでさー! すごくいい名前じゃん。ぼくたち、本当に嬉しかったんだよ」
「この名前が、わたしたちに立ち上がる力と新しい誇りをくれたんです。わたしたちはわたしたちとして、ここにいていいんだって」
「……そっか。……うん。それなら……そのカードを書いた甲斐があったな」
生まれや過去を変えることはできない。それは僕にも、誰にもどうこうできるものではない。けれど僕は、彼女たちの辿ってきた道を、存在を肯定したい。胸を張っていて欲しい。そんな想いは、二人にしっかり通じていたのだ。
……ああ。クランとラズの喜んでくれる顔が、こんなにも嬉しい。
二人に笑顔でいて欲しい。僕は本当にただそれだけだったんだ。
そんな簡単なことだったのに。
「草凪が言ってたこと、覚えてる? 僕が他人を信じないとか、必要としてないとか」
「……はい。お兄さまは自分と同じだって言っていました」
「昔は僕もちょっとピリピリしてて……今よりもっと、人を遠ざけてたっていうか」
「うん。……水琴ちゃんとか羽鳥さんから聞いて、それもちょっとだけ知ってる」
「草凪の言葉は……まあ結構当たってるとこもあってさ。僕は今まで……どんなに楽しいときも、嬉しいときも。誰かと一緒にいるときは、心のどこかに不安とか、居心地の悪さみたいなものがあったんだ」
それはずっと見ないように、深く考えないようにしていたもの。
大切な存在ができて、その気持ちが大きくなるほどに膨れ上がってきたもの。
他人への不信、人と自分と比較してしまう心の弱さ、自信のなさ――それだけでは説明のつかない、自分自身をひとりにしようとする心。
「あの電撃がきみたちに飛んでいったとき、すごく怖かった。かけがえのない大切な人を、『また』喪うのかって。……僕の恐れの根源は、きっとこれだったんだ。大切な人がいなくなってしまうことが怖くて、だから誰かを大切に思うこと自体に怯えてたんだね」
心の奥底にあった恐れの正体を口にする僕を、クランとラズは真っ直ぐな瞳で見つめていた。何も言わず言葉に耳を傾け、ただ握り返す手に力を込めて、応えてくれる。
自分自身を縛っていたものが解け、崩れて灰のように落ちてゆく。
日が落ちた空はそんな僕の心を映すかのように、はらり、はらりと真っ白な雪を降らし始めた。
「きみたちが無事に戻ってきて、それどころかあの戦車を……大切なものを理不尽に奪う、恐怖そのものみたいなものをやっつけてくれて。僕は本当に救われた。きみたちはきみたちが思ってる以上に、僕の心を救ってくれたんだよ」
それは長年に渡ってかかっていた呪いを二人が断ち切ってくれたようで。
ならば僕には、感謝とともに伝えなければならないことがある。
「クラン」
「はい」
「ラズ」
「うん」
ぎゅっと身を寄せてくる双子の肩を抱き、腕の中に包む。
「これからもずっと、そばにいて欲しい」
「はい。喜んで」
「うん。ぼくたち、ずっとあなたのそばにいるよ」
「ありがとう」
胸の奥が暖かく満ち足りてゆく。
「大好きだよ。……愛してる」
今まで堰き止められていたのが嘘みたいに、僕はその言葉を自然と口にすることができた。
2 /
最愛の人からの待ち望んだ言葉。
日頃どれだけ実感していようとも、言葉として伝えてほしかった心。
それは胸の奥の恋心を叶えるものではないけれど、愛と優しさに満ちていて。
暖かさと幸福感が、心と身体の芯から湧き上がる。
――『愛してる』。
幼い双子は同時に、その言葉こそが最後の鍵であったことを知る。
人工の魂の奥底に刻み込まれていたもの。
自分たちが生まれた理由。『白詰プラン』の核心、A.H.A.I.の存在意義。
記憶の扉が、いま静かに開かれる。
Ⅳ ドアーズ・オブ・メモリー
おしまい