01_プロローグ:Twins Chatting Ⅰ

1 / 緋衣クラン

 ――毎日少しずつ何かが変わりながら、日々は続いていて。
 季節は流れ、夏がやってきました。

 霜北沢(シモキタザワ)の片隅に、キッチン・ロブスタという老舗の洋食屋さんがあります。落ち着いた雰囲気が心地よい、昔ながらのまちのレストランといった店構えで、わたし緋衣クランと双子の妹である緋衣ラズにとって、とても思い出深い場所です。
 このお店はわたしたちがこの街に来て――つまり人間の身体を得て、生まれて初めての食事をしたところ。

「『リップスティック』」
「く……『クマノミ』!」
「『水際対策』」
「く……く……『クラウチングスタート』!」
「『トレードマーク』」
「く……また『く』? 『クランのいじわる』!」

 窓際のボックス席で、向かいに座るラズが頬を膨らませます。
 わたしたちの通う霜北沢中学校では、月曜日は部活がありません。なのでときどき、こうして放課後の寄り道としてこのキッチン・ロブスタを訪れることがあります。

「『ルールブック』」
「むぅ……『クランのオニ』!」
「『にんにく』」
「もう! 最初の趣旨からズレてんじゃん!」

 わたしの「く」責めに、だらりとソファにもたれかかるラズ。

「えへへ、ごめん。ちょっと楽しくなってきちゃって」

 相棒の言うとおり、このしりとりゲームはある目的のために始めたものでした。
 それは、わたしたちの脳内に秘められているであろう「秘密の情報」を引き出すこと。
 人間の思考と感情を再現するコンピュータシステムである、アドヴァンスド・ヒューマノイド・アーティフィシャル・インテリジェンス、縮めて『A.H.A.I.』。
 その第3号と呼ばれるマシンが生んだふたつの人格を、ヒトの身体に書き込んだ生体人形『オーグドール』。
 わたしたちは一年前に、そういうものとしてこの世に生まれました。
 そしてこの身体には、A.H.A.I.第3号に眠っていた「秘密の情報」もそのまま引き継がれている――この事実は先々月、「きょうだい」であるA.H.A.I.第5号との出会いによってもたらされたものです。
 A.H.A.I.の記憶領域の中でプロテクトが掛かっている情報は、特定のキーワードを認識することによって「思い出す」ことができるといいます。互いに言葉を出し合うことで記憶の鍵となるキーワードを探す、そんな試みから始まったのが今日のしりとりなのでした。

「でもこれさ、結局ぼくたちが今持ってる語彙の中から出し合うわけだから、そんなキーワードなんて出てこないんじゃない?」
「一生懸命考えるうちに、無意識下にある言葉がぽろっと出てきたりしないかな? たとえば『く』から始まるものを、思いつかなくなるまであげ続けるとかしたら」
「ああ! 『く』ばっかりなのはそういう意図だったの?」
「ううん。ラズが困ってるのが面白かったから」
「もー!!」

 本当はそういう意図もちょっとあったのだけれど、コロコロと表情を変える相棒のリアクションが楽しくて、ついからかいたくなってしまいます。
 顔立ちは鏡写しのようにそっくりだけど、わたしの肌は色白で、髪は栗色。ラズの肌は褐色で、髪は金色がかった美しい白髪。控えめでおとなしい、なんてよく言われるわたしと対照的に、ラズは活発で元気いっぱい。バイタルチェッカーを兼ねた眼鏡のフレームの色に象徴される、わたしのお気に入りカラーはライトピンク。ラズはライトグリーン。
 似ているようで正反対、わたしたちはそんな双子の姉妹です。

「クリームソーダふたつ、お待たせしましたー」

 明るく弾むような声とともにウェイトレスさんがやってきて、円いトレイに乗っていたグラスがふたつ、わたしたちの目の前に置かれます。七月に入り、徐々に暑さが増してきた日々を涼しく癒やす……そんなキッチン・ロブスタのクリームソーダは、ここ最近のお気に入りドリンクです。

「「ありがとうございますっ」」
「今日はしりとり?」
「うん。聞いてよ三葉さん、クランが『く』で終わる言葉ばっかり言うんだよ」
「それを言うなら、ラズだって人のこといじわるだとかオニだとか」

 むっと睨み合うわたしたちを見て、顔をほころばせる三葉愛(ミツバ・アイ)さんは、このお店に初めて来たときに知り合った店員さん。もともとはわたしたちの保護者である緋衣瑠生(ヒゴロモ・ルイ)さんの顔馴染みの、優しいお姉さんです。

「あーあ。なんかないかなぁ、こう、欲しいものが一発で見つかるみたいな」

 ラズはそう言って、クリームソーダの上に乗っているバニラアイスをさっそくスプーンで掬い、ひとくち頬張りました。

「二人はなにか探しものでもしてるの?」
「はい。探しものというか、悩みごとというか……」

 しりとり遊びとラズのぼやきが結びつかないのでしょう、三葉さんは不思議そうな顔をしています。
 わたしたちがどういう存在であるか――つまり、オーグドールであることはおおやけにはヒミツということになっているので、なんとも説明しづらいのですが。

「だったら、ちょっと前にちょうどいいチラシが入ってたかな。占い屋さん」
「占い屋さん……ですか?」
「お店の入り口のところ、いろんなチラシが置いてあるでしょう? 今そこに占い屋さんのチラシがあるんだけど、初回無料だとか……ウチの店長が厳選してるチラシだから、変なお店のじゃないと思うよ。もし興味あったらどうぞ」

 確かにお店に入るとき、隅のチラシ台で演劇やライブ、フリーマーケットのお知らせなどに混じって「初回無料」の文字をちらっと見た気がします。そのときは何のチラシか、気にとめていなかったけれど。
 大きく書かれていた店名は、確か――

「『アルフライラ』のことですね」

 聞き慣れない声がした方に目をやると、近くのカウンター席に座っていた別のお客さんが、振り返りこちらを見ていました。
 見た感じは三十代半ばくらいでしょうか。細身で、穏やかな笑顔を浮かべたその男性の席には、ホットコーヒーのカップが置かれています。

「失礼……そのお店、知人が関わっているもので、つい」
「あら。穂村さん、あのチラシのお店の人と知り合いなんですね」

 そう応じる三葉さんの様子を見るに、「穂村さん」と呼ばれたこのお客さんも、ここキッチン・ロブスタの常連のようでした。

「ええ。そのうち、この街でやるイベントにも参加してもらおうかと……っと。すみません、これはまだ秘密でした」

 立てた人差し指を口元に当てながらの困ったような笑みは、柔和な人柄を思わせます。

「こんにちは。おじさん誰? ぼくは緋衣ラズ、こっちは双子の姉のクラン」
「ら、ラズ! いきなりそんな……」
「こんにちは。私は穂村想介(ホムラ・ソウスケ)。近頃、仕事の合間によくここを利用させてもらっています」

 いきなりそんな、おじさん呼ばわりは失礼なのでは……と思ったけれど、穂村さんは優しげな表情を崩さず、そう名乗りました。

「そうなんだ。ぼくたちもここ好きで、時々来るんだ」
「実は何度か、あなたたちのことはお見かけしていますよ。仲のいい姉妹がいるな、と」
「さ、騒がしくしちゃってたらすみません!」
「とんでもない。こういう場所は人々の楽しげな声で賑わっていたほうが……すみません。ただの客の私が言うことじゃないですね」
「いやいや。穂村さんの言うとおりです。店長の受け売りになりますけど、このお店は昔からそうやって……あ、いらっしゃいませ。二名さまですね」

 お店の扉についたベルがカラコロ鳴ると、うんうんと頷いていた三葉さんが、新しいお客さんの案内に向かっていきます。

「まあ、とにかく。真宿(シンジュク)の『アルフライラ』、ぜひ機会があれば。知人に代わって、私からも宣伝しておきますね」

 穂村想介さんはそう言って、口元に寄せたコーヒーカップを傾けました。

 ラズはさっそく席を立って、お店の入口のチラシコーナーから件の『アルフライラ』のチラシを持ってきました。

☆占いスペース アルフライラ☆
【このチラシをお持ちくださった方 初回無料!】※最初の二十分まで
占星術・タロット・数秘術から手相占いまで!
仕事・恋愛・日常生活 どんなお悩みもお気軽にご相談ください
真宿駅東口から徒歩十分

 ――チラシにはそんな文句とともに、所在地や問い合わせ先などの情報が書かれています。

「仕事、恋愛、日常生活……どんな悩みもお気軽に……かあ……」
「クランが何考えてるか、当ててあげよっか」
「うっ」

 チラシに見入っていた視線を上げると、ラズはストローでクリームソーダを吸いながら、にやにやとこちらを見つめていました。
 ……相棒には筒抜けのようです。
 わたしが主に注視していたのは「恋愛」の二文字。
 そして頭に思い浮かべていたのは、わたしたち双子と一緒に暮らす保護者にして想い人。わたしの『お兄さま』こと、緋衣瑠生さんの凛々しくまぶしい笑顔でした。
 今は家族として同居しているけれど、いつかこの胸の内を打ち明けたい、自分を「あなたの一番」にしてほしい――わたしにとって瑠生さんは、そんな相手です。
 なお『お兄さま』とは呼ぶものの、瑠生さんは女性です。これは対面で会う前から一緒に遊んでいたオンラインゲームに由来する呼び方ですが、しっくりくるのでこう呼び続けています。
 優しくて美人さんで、纏う雰囲気や立ち振舞いは中性的でもあって、だけどときどき不器用だったり意外と寂しがり屋さんだったりそんなところもたまらないのですが今はのぼせそうになる頭を現実に引き戻さなくては。

「で、でも。目的はわたしたちの頭の中の情報を引き出すことであって」
「いいんじゃない? ついでに占ってもらっちゃおうよ」
「なんか……一気に不純じゃないかな、動機が」
「ぼくまだ何も言ってないよ」
「もう、ラズ!!」

 さっきの仕返しとばかりに、ラズは心底愉快そうに笑っています。

「ていうか不純も何も、占いってそういうものなんじゃないの?」
「それは……確かに?」

 そうかな? そうかも。

「初回無料は二十分までか……穂村さんの名前出したら、もうちょっとオマケしてもらえたりしないかな」
「ラズ、結構セコいこと考えるね……」
「セコいとか言わないでよ!」

 穂村さんの知り合い割引などというものが発生するかどうかはともかくとして。
 占いという未知なる世界に好奇心を刺激され、会話は大いに盛り上がり――わたしとラズの心中において、すでに占いスペース・アルフライラを訪ねることは決定していたのでした。