1 / 緋衣瑠生
アドヴァンスド・ヒューマノイド・アーティフィシャル・インテリジェンス――縮めて『A.H.A.I.』と呼ばれるものが存在する。
人間の思考や感情を高度に再現するという、大掛かりなコンピュータシステムだ。
一年前、僕が心都大学情報科学研究所で目にしたものは、「第3号」とナンバリングされた二台一組、すなわち『双子』の人工知能が宿っていたマシンの残骸だった。
そう。残骸である。
A.H.A.I.第3号、その物理的本体は既に解体され、失われている。
だが、その中にあった人格データは今なお健在だ。
『彼女たち』が今どこにいるかと言えば――
◇
地下深く、ローマのコロッセオを思わせる薄暗い円形の闘技場を、石壁に並んで灯る青い炎たちが照らしている。不気味さと同時に静謐さを感じさせるその空間は今、激しい戦いの舞台と化していた。
空気を切り裂き、轟音を上げて巨大な鉄塊が振り下ろされる。
地響き、衝撃、飛び散る破片。直撃すれば致命傷を免れ得ぬそれを、三人それぞれ、すんでのところでひらりと回避。
僕たちのパーティは、黒い鎧に包まれた大剣使いの巨人と相対していた。
名を<ダーク・ジェネラル>。オンラインRPG『ファンタジア・クロス・オンライン』の最新パッチで実装されたダンジョン、暗闇の古城のボスモンスターだ。
こちらの編成はいつも通り。
アタッカーを務める軽剣士ラズ。
ヒーラーは精霊術士クラン。
そしてタンク、僕の操る聖騎士ルージだ。
「バフいきますっ! ラズ、がんば!」
「まかしといて!」
クランが長杖<ネビュラウォンド>を掲げると、三人の身体の周りに炎のリングのようなエフェクトが展開する。攻撃力アップを示すそれを確認して、すかさず散開。
ラズが<ダーク・ジェネラル>の股下をスライディングで潜り抜け、後方に回り込むと、さらに自らも攻撃力アップのバフを発動。
同時にクランは距離を取りつつ防御力ダウンのデバフを放ち、巨人を弱体化させていた。
「ラッシュいくよ! お兄ちゃん、タゲ固定よろしく!」
「了解!」
ラズの猛攻が始まる。
耐性無視。背面特攻。継続ダメージ付与。双剣<エルヴンダガー>を携えたラズは踊るように、数々の攻撃アーツを一気呵成に叩き込み、ターゲットの体力ゲージを削る。
クランと僕――ルージも前面から攻撃を放って援護するが、当然ながらアタッカーの最大火力には到底及ぶはずもない。<ダーク・ジェネラル>の敵対心(ヘイト)は背後で暴れるラズに対して高まってゆく。
巨人が攻撃の予備動作に入った。単体対象の強力な突き攻撃の前兆だ。これの威力は、アタッカーの防御力ではどう頑張っても受けきれない。タンクの頑張りどころだ。
「クラン、ヒール準備よろしく!」
「はいっ!」
僕はターゲット固定のアーツを発動、敵の攻撃目標を強制的にルージへと向け、さらに被ダメージを抑えるアーツを重ねて守りを固めた。
かくして巨人の必殺攻撃が飛んできて、構えた<リリスの大盾>に衝突、光と音の激しいエフェクトが散る。大剣の一撃は全力の防御態勢をもってしても、ヒットポイントの大半を奪っていった。
すかさずクランからの連続ヒールが飛んできて、真っ赤になった体力ゲージがグリーンに戻ってゆく。だが油断は禁物だ。次ぐ攻撃を受け止め続けながらも、クランやラズに敵のターゲットが飛ばないよう、高いヘイトを稼げるアーツを叩き込むのを忘れてはいけない。
そうして戦線を維持しながら、攻撃を続けること幾たび。ついに<ダーク・ジェネラル>からガラス片のようなエフェクトが飛び散った。敵の守りを示すアーマー・ゲージが尽きたのだ。
ボス級のモンスターは通常、いくらプレイヤーの攻撃を浴びてもひるむことはない。だが、アーマー・ゲージを削りきれば話は別だ。ゲージが再生するまでのごく短時間ではあるが、こちらにとって最大の攻撃チャンスとなる。今こそとっておきの連携攻撃を!
「ブレイク入れるよ!」
当然、この好機を見逃すラズではない。
すかさず回転斬りを繰り出すと、<ダーク・ジェネラル>が大きくのけぞり、体勢を崩した。
「ナイスだよ、ラズ!」
ルージは大盾を激しく叩きつけるシールドバッシュでそれに続く。巨人は転倒し、尻餅をつく。
「続きます!」
援護に徹していたクランが前に出てきて、長杖で床を叩く。<ダーク・ジェネラル>の足元で魔法陣が輝き、竜巻が渦巻いたかと思うと、その巨体を空高く打ち上げた。
宙に浮いたモンスターは完全に無防備となり、防御力が著しく低下する。パーティ全員で共有する連携技ゲージを解放するべき瞬間だ。
「これで締めっ!」
クラン、ラズ、ルージの三名が一斉に飛び上がり、空中に浮かぶ巨人を囲み――光をまとった各々の武器を三方から、標的に向けて振り下ろす!
浮き上がったそばから地面に叩きつけられた<ダーク・ジェネラル>は大打撃を受け、その体力ゲージをごっそりと減らした。
敵のヒットポイントは残り6%。10%を切ると発動してくる、最期の全体攻撃は痛烈だ。発動される前に、再起する前の無防備なうちに――全力ラッシュで削り切る!
◇
ファンファーレが鳴り響き、画面に大きく『Quest Completed!』の表示が踊る。
「終わったぁー……」
緊張状態から解き放たれ、一気に疲労が押し寄せる。コントローラを机に置き、僕はワークチェアの背に上半身の体重をすべて預けた。
何度か戦って<ダーク・ジェネラル>を相手にするのもだいぶ慣れてきたが、まだまだ気が抜けない相手だ。
「「おつかれさま、お兄(さま/ちゃん)!」」
背後から聞こえるステレオボイスに振り向くと、二台のパソコン、二台のデスクの前に座る、二人の同居人の姿があった。
「うん、二人ともおつかれー」
僕がそう返すと、彼女たちは鏡写しのように瓜二つの笑顔を浮かべる。
「これで三周、そろそろ休憩にしましょう」
色白の肌で、栗色の髪を肩下で二つ結びにし、クリアピンクのフレームの眼鏡をかけた少女は『緋衣クラン』。僕を「お兄さま」と呼ぶほう、双子の姉である。
「ちょっと気を抜くと即死だもんねー、神経つかうぅ」
褐色の肌で、金色がかった白髪をポニーテールにまとめ、クリアグリーンのフレームの眼鏡をかけた少女は『緋衣ラズ』。僕を「お兄ちゃん」と呼ぶほう、双子の妹である。
そして二人の「お兄(さま/ちゃん)」であるところの僕は『緋衣瑠生(ヒゴロモ・ルイ)』。二十一歳、大学三年生女子。
間違いではないことを強調するためもう一度。女子である。
昔から髪は伸ばさず、スカートはあまりはかず、自称も「僕」とあって、子供の頃なんかは男の子に思われることも多かったが、それは二人と出会う前の話で。
もちろん、双子もリアルの僕の性別を誤認しているわけではない。この倒錯した呼び名は、二人とはじめて出会った場であるこのゲーム、FXOでの僕のプレイヤーキャラ・ルージが男性キャラであることに由来する。
呼称の修正を考えたこともあったものの、結局二人はこの呼び方がしっくりくるらしく、兄呼ばわりは定着したままになっている。
クランとラズの生まれはだいぶ特殊だ。
その人格はAIシステムの産物であり、その器たる身体は僕の義姉、コンピュータ技術研究者・緋衣鞠花(ヒゴロモ・マリカ)のクローン。A.H.A.I.第3号が生んだふたつの人格データを鞠花の複製体に書き込むことで誕生した、言うなれば人造人間の双子なのである。
もともとコンピュータ上のデータであったとは思えないほど感情豊か、そんな双子の性格をざっくり言い表すならば、おっとりした姉と活発な妹だ。
鞠花いわく、AIプレイヤーとして実験的に遊ばせていたこの『FXO』において、クランは後方支援を主とするヒーラー、ラズは最前線で戦うアタッカーのロールを務めていたことが、性格形成に大きく影響しているのだという。
時は五月の半ば、時刻は二一時を回った頃。
クランとラズがここ霜北沢(シモキタザワ)のマンションに転がり込んできて、僕の「家族」となってから一年ほどが経過した。
双子が僕に託された背景を思えば、びっくりするくらい何事もなく平和な日々を経て、僕たち三人は今夜も元気にFXOの世界をエンジョイしているのだった。
「あっ、クラン、お兄ちゃん! レアドロップあった!」
「「ホント!?」」
珍しく僕とクランの声がハモる。
見ればラズの言うとおり、報酬アイテムの中に高レアリティを示す赤文字の装備品が燦然と輝いていた。もともと狙っていたアイテムとは違う、俗に言う「副産物」であるが、これはこれで嬉しい。
「とりあえずドロップ報告だけしとこっかなぁ」
ラズがリザルト画面に最近実装されたシェアボタンをクリックする。これを押すと、スクリーンショットにテキストを添えて、アカウント連携したサイトに投稿できる仕組みだ。
ここにはツイッターやインスタ等のおなじみのラインナップに加え、『アウタースペース』というSNSのボタンが並んでいる。
アウタースペース・通称アウターは、少し前まではかなりマイナーな存在だったが、ここ数ヶ月でユーザー数が激増しており、今やかなり勢いのあるサービスだ。丸と輪っか、土星のような星のシンボルが白抜きされた、濃いブルーのアプリアイコンがトレードマークである。
「アウターに直で貼れるの、いいよね」
「新エリアで何が拾えるかとかも、これのおかげで早いうちにキャッチできたりしますし」
双子は投稿テキストを打ち込みながら、わいわいとはしゃいでいる。この二人にとってはじめてのSNSが、このアウタースペースであった。
なお、僕は主に使っていたSNSが運営体制の変更によって謎の仕様変更が繰り返され、怪しい噂もちらほら聞くようになったため、避難所として類似サービスであるアウターのアカウントを取得したクチなのだが、最近はむしろアウターのほうをよく見るようになっている。
この春から中学生となった双子いわく、アウタースペースでバズったモノは学校でもちょくちょく話題に上がることがあり、若年層にも受け入れられているようだ。
「そういえば今度、アウターでフリマのサービスもやるそうですよ」
「落札したものがその日のうちに届くんだって!」
「ああ、そんな記事出てたね」
確か、都内の限定的な地域で試験的に即日配送をやるとかなんとか。詳細は発表されていないが、運送業者を介さないフードデリバリーみたいなシステムでもやるつもりなんだろうか?
勢いに乗ったサービスが別事業に手を出し始めると、いまいちパッとしないものになる……なんてイメージがあるのだけど、使い心地良好な最近の推しSNSであるため、ここは素直に応援したい。
えーっと、アウタースペースの運営会社は、なんてところだったっけ。
2 / 株式会社タンサセン
株式会社タンサセンは、都内某所に本社を構えるWebサービス運営会社である。
同社が立ち上げたSNS・アウタースペースはツイッター等と類似した後発サービスだが、この数ヶ月で急速にユーザー数を伸ばしている。
痒いところに手が届く機能、口コミや巧みな広告戦略で他のSNSに疲れたユーザーたちを呼び込み、その受け皿となっている――というのが世間からの認識だが、その裏にはある秘密があった。
「羽鳥さーん。ちょっといいですかー?」
株式会社タンサセン本社オフィス、とある日の午後。
打ち合わせで離席していた羽鳥青空(ハトリ・ソラ)が自席に戻ってくると、アウタースペース運営部署の同僚・矢田(ヤダ)が彼女に声をかけてきた。
「メール見ました? これ、羽鳥さんがいなかったんで僕が代理でやろうとしたんですけど……」
そう言って矢田が示したノートパソコンのモニタの隅には、真っ黒な背景の真ん中に白い文字で『Observer』とだけ表示されたウインドウが表示されている。
矢田の言う依頼メールは、羽鳥も先ほど確認していた。部署で管理している、とあるデータの共有を求める別部署からの依頼だった。
「<オブザーバー>、週次レポート出してー」
矢田がパソコンのマイクに向かって話しかける。しかし『Observer』のウインドウは反応しない。
「作ってくれたレポート、見せてもらいたいだけなんだけどなあ……」
「<オブザーバー>、聞こえますか? 羽鳥です。週次レポートをこの端末に表示してください」
矢田と同様の指示を、今度は羽鳥がマイクに向けた。
いわゆるジト目気味のけだるげな印象とは裏腹に、よく通るはきはきとした口調だ。
「了解しました」
合成音声の返答と同時に、黒いウインドウの中で『Observer』の文字が明滅すると、先週「それ」が収集してきたデータがコンパクトに纏められたレポート――目的のファイルが、あっさりと表示された。
「はぁー……僕が同じこと言っても動かなかったのに。今週三回目だ」
矢田の落胆はもっともだ。しかし、これはマイクの不具合でもなければ、彼の音声を<オブザーバー>が認識できていないわけでもない。
羽鳥は丸いリムレスの眼鏡を指で直し、再度声をかける。
「<オブザーバー>。私が不在の場合は、他のスタッフの言うことを聞いてください。前にも言いましたよね」
反応はない。
「<オブザーバー>?」
「……了解しました」
黒いウインドウの中の文字を瞬かせ、<オブザーバー>は極めて「機械的に」返答した。
「どうしちゃったんですかねえ、こいつ。最近までこんなじゃなかったですよね? ……格納場所漁ってファイル開くくらい自分でやれってことすかね。便利なんだけどな」
「そうですねえ……」
矢田と同じ違和感は、羽鳥も抱いていた。
彼女らの所属するアウタースペースの運営チームでは、インターネット上のデータ収集解析に<オブザーバー>と呼ばれるAIシステムを利用している。
昨年に突然導入された「それ」の運用を突然託されたのが、当時入社三年目だった羽鳥である。同時に与えられたミッションは、利用者数が伸び悩んでいた自社製SNSの発展であった。
羽鳥の指示により、<オブザーバー>は大小さまざまなSNSや掲示板などのコミュニティやブログ等を巡回し、収集・解析したデータを持ち帰った。それに基づいて彼女のチームがとったさまざまなシステム改善や呼び込み施策は、周囲の期待以上の成果をあげ、ミッションは見事に果たされたのだった。
順調そのものである。
しかし、今月に入ったあたりからだろうか――問題が浮上し始めた。
<オブザーバー>が、羽鳥以外の人間からの指示を素直に受け付けなくなっているのだ。
羽鳥自身が行う制御は、今のところ問題ない。むしろ以前よりも指示に忠実で、スムーズにこなすようにさえなってきている。
元より運用を任されているのは羽鳥なのだが、近頃はほとんど彼女が専任で指示を出すようになった。今日に始まったことではないにせよ、ここ数日の<オブザーバー>の挙動は明らかにおかしい。
「一回、専門の人に見てもらったほうがいいんじゃないすかね」
「あんまりそう言わないであげて。私からも<オブザーバー>に話してみますから……」
「話してみるって、AIにですか? 羽鳥さんの言うことまで聞かなくなっちゃったら、もうお手上げですよ」
もちろん羽鳥も同じ懸念を持っていた。
もし『彼』が、自分の制御さえ受け付けなくなってしまったら――。
明日は『彼』と話をする時間が取れるはずだ。
……今度は少し踏み込んで話をしてみよう。
最近の振る舞いに一抹の不安を覚える一方で、全幅の信頼を置く「仕事仲間」との対話を楽しみにしている――そんな気持ちを、羽鳥青空は自覚していた。