1
そして僕は猫山さんに死ぬほど笑われた。
曰く、あの「♡おまけ♡」は、「入れとけば絶対楽しんでくれるから……」と鞠花から託されたものだそうだ。それが秒で思惑通りになっているとなれば、そりゃそうだろう。僕も乾いた笑いを漏らすしかなかった。
猫山さんが笑い飛ばしてくれるタイプの人で良かったと思う。
初手バニーガールとか着せてなくて、本当に良かったと思う。
そして肝心の届けものはなんだったかといえば、クランとラズのスマホであった。二人は今まで持っていなかったらしく、今回新たに購入したものだという。
「あの、お兄さま」
スマホを持ったクランが声をかけてくる。
メイド服姿のままとことこと寄ってくる小さな姿に、思わず頬が緩んでしまう。
「うん。どうかした?」
「連絡先を交換しましょう!」
「あっ! ラズもラズも!」
小さいメイドさんが増えた。かわいい。
「そうだね。さっそく登録しとこうか」
取り出した僕のスマホには、さきほど撮ったちびっこメイドの写真がさっそく壁紙設定してあったのだが……これはやめたほうが良いかもしれない。
出先で下手に見てしまうと、いきなりニヤつくやばい人になってしまう。
「お兄さま。最後にFXOで一緒に遊んだ日のこと、覚えてますか」
「ラズたちに連絡先教えてって言ってくれたの」
もちろん覚えている。
僕にとって、あの日の別れはそうそう忘れられるものではない。
「そうだったね。せっかく仲良くなれたのに、寂しかったから」
僕が言うと、二人は「「ごめんなさい」」と頭を下げた。
「あのときそれができなかったのが……クランたちは心残りでした」
双子の姉が、沈痛な面持ちで目を伏せた。
「スマホ持ってなかったんだし、そもそもなにか事情があったんでしょ? しょうがないよ」
「でも、理由も言えずにもう遊べない、連絡も取れないなんて言って。お兄ちゃん、ラズたちのこと嫌いになっちゃわないかって」
双子の妹もまた、しょんぼりと真新しいスマホを見つめている。
「まさか。そんなこと――」
相手に嫌われたんじゃないかという不安。
あの別れからそれを抱いていたのは、この子たちも同じだったのだ。
……いや、同じじゃない。
クランとラズは、不安があっても信じていたに違いない。
自分たちの気持ちが揺らがないこと、そしてそれが相手に通じることを。
だからこそ彼女たちはここにやってきて――言葉で、行動で、それを示し続けているんじゃないか。
僕はどうだ。嫌われたに違いないって、自分は関係を切られたんだって、そう決めつけて。
勝手にネガっていじけてて。
不安と不信は違う。
自分の醜さが浮き彫りになる思いだった。
「そんなことあるわけないよ。二人とも、こんなに素直でいい子なんだから」
――口にした瞬間、「ずるいことをしているな」と思った。
「良かったぁ。……えっへへ。聞いた? クラン。ラズたち、いい子だって」
「ありがとうございます。やっぱりお兄さまは、やさしいクランたちのお兄さまです」
疑うことを知らない、澄んだ瞳が僕の胸を射抜く。
『人間、こんなもんだよな』
かつての自分の心の声が、遅効性の毒のように胸に染み出した。
2
予定よりだいぶ早く戻ってきた猫山さんは、そのまま昼食を用意してくれた。
スマホの設定や衣装の片付け、必要物資の洗い出しなどを諸々終える頃には正午を過ぎてしまったので、ベストなタイミングだった。
そうして白米、焼き鮭と味噌汁を中心とした和食をいただいた僕と双子は、いざ街へと買い出しに繰り出したのであった。言うまでもないが、二人の服装はサロペットスタイルに戻っている。
「お箸ってむずかしいね……頭でわかってても、手がついてこない」
ラズが右手をぐーぱーしている。彼女らは箸の扱いにも不慣れだったようで、苦戦していた。
「まあ、そのうち慣れるよ。僕も小さい頃、気がついたら普通に食べられるようになってたし」
「練習あるのみだよ、ラズ! 猫山さんにお願いして、毎食お箸を使うメニューにしてもらいましょう!」
クランは意気込み十分だ。
「良い案だけど、毎食はちょっと疲れるんじゃないかな。少しずつで大丈夫だよ」
昨日と同じく、クランとラズに手を繋がせ、僕がその後ろを進むポジションで霜北沢の駅前に向かう。
二人は相変わらず、道中見かけるさまざまなものを興味深げに観察していたが、昨日よりはだいぶ落ち着いた様子に見える。
「お兄さま、少し元気がないように見えます。大丈夫ですか?」
「ああ、ごめん。大丈夫……少し考えごとしてて」
連絡先交換のくだりで湧き上がった自己嫌悪が、胸のつかえになっている。
……いやいや、僕はもうクランとラズの保護者なのだ。
二人に余計な心配をさせないよう、今は気持ちを切り替えていかなければ。
たどり着いたショッピングセンターは、キッチン・ロブスタがあるエリアからさらに駅寄りに進み、南口商店街の入口から少し逸れたあたりにある。
双子がスマホを入手したので、まずは手ぶらで身軽なうちに、ここに入っている家電量販店でスマホケースを物色しようという算段だった。
3
「「これにします!」」
クランとラズがチョイスしたのは、花柄があしらわれた手帳型のスマホケースだった。
シンプルな背面タイプのケースにも似たようなデザインのものがあり、二人はかなり迷った様子だったが、最終的にこちらに落ち着いた。色はクランが薄いピンク、ラズがライトグリーンの色違いである。眼鏡のフレームの色といい、昨日着ていたワンピースといい、やはりお気に入りのカラーなのだろう。
レジを後にした二人は、すぐにでもケースを取り付けたい、といった様子でそわそわしていたので、とりあえずフロアの隅のベンチに座ってもらった。
早速箱を開封する様子を見守りつつ、二人の右隣に腰を下ろす。
「これ、なんだか手触りもいいね」
「うん。パッケージの上からじゃわからなかった」
わくわく感いっぱいの姿は、親からおもちゃを買い与えられた幼少期の体験を思い起こさせる。
「「できた!」」
ケースの装着を完了し、二人は高らかにスマホを掲げた。
「うんうん。いいじゃん」
「ねえねえルイさん! さっきやってたやつ、パシャって写真撮るの教えて!」
「あっ、クランもやりたいです!」
「はいはい。カメラのアイコン押せば起動するから、ここ押せば撮れるよ」
なるほど、と言いながら、ラズが僕の右側に回り込み、ライトグリーンのケースをまとったスマホを掲げた。
「こう? これで三人うつる?」
「あー、自撮りするときは背面のやつじゃなくて、画面こっち向けて。で、これ。ここ押すとインカメラで画面見ながら撮れる」
「おお……」
そうしているうちにクランがずいと寄ってくる。
「こうですね!」
彼女もラズに説明したのと同じようにインカメラを起動させ、スマホを掲げた。
小柄な二人の腕は短くて、なかなか三人同時には画面に納まらない。
「クラン、もうちょっとこっち……」
「ラズも少しだけ寄って……」
双子が互いに呼びかけあい、僕を押しつぶすようにどんどん密着状態になっていく。
いやいや、なにも二人同時に撮らなくても、一枚撮って後でシェアすれば……まあ、楽しそうだからいいか。
「じゃあ二人とも、まずはラズのカメラのほう見て。はいちーず」
パシャ。
「次はクランのほう。はいちーず」
パシャ。
「撮れたかな?」
二人は目をきらめかせて、はじめての撮影結果を確認する。……のだが。
「「……あれ?」」
まあ案の定、一発でうまく撮れるとは限らないわけで。
画面を覗くと、ラズのものは手ブレがひどく、クランのものは撮る瞬間に画角がずれて、肝心の本人が見切れてしまっていた。
不思議そうな二人に、思わず笑みがこぼれてしまう。
「もう一回、ぶれないようにやってみよっか」
僕たちはしばらくその場で、納得いくまで何テイクかの撮り直しを行うことになった。
4
三人ぎゅうぎゅう詰めの自撮り写真を壁紙に、近くにあったガチャガチャから入手したケーキのストラップが装備され、さらに手帳型ケースの内ポケットには昨日もらったキッチン・ロブスタの割引券が収納された。
新品からすっかり自分専用の装いとなったスマホに、クランとラズはご満悦だ。
家電量販店を後にした僕たちは、スーパーやドラッグストアでキッチン洗剤やシャンプー等の消耗品を中心に買い込み、最後に小さな雑貨屋に立ち寄った。
その店は駅前エリアから少し外れ、自宅のある住宅地寄りの一角にあった。
「ここにちょっと気になってたやつがあってさ」
奥のカウンターに座る店主のおじさんの「いらっしゃいませ」に迎えられ、足を踏み入れる。
「いろんなものがありますね」
クランが目を丸くし、辺りを見回す。
フロア中心のテーブルや壁沿いの棚に、さまざまな小物やおしゃれな置物が所狭しと並び、壁の高いところにはトートバッグなんかがかかっていた。
「なんか不思議な、いい匂いもするよ」
ラズが言うように、暖色の照明に照らされた店内には心地よい香りが漂っている。たぶん柑橘系のアロマを焚いているのだろう。
「あ、これこれ」
陳列されていた場所は覚えていたので、目当てのものはすぐに見つかった。
僕の呼びかけに寄ってきた双子が、わあ、と声を上げる。
カラフルな食器類が並ぶ棚の端にそれはあった。
シンプルなマグカップである。
本体色はパステルカラーで、真ん中には白い丸、その上に小さな三角がふたつ――猫のシルエットがワンポイントでついていた。
「きみたちのマイカップにいいかなって」
一応マグカップ自体はいくつか家にあるが、「これが自分の」というものがひとつあったほうが良いと思うのだ。
色はもちろん、淡いピンクとグリーンである。
「クランたちの色です! ルイさん、どうしてわかるんですか?」
「どうしても何も……」
よくよく思い出してみれば、クランとラズはFXOでも、色が選べるような装備品についてはこれ系の色を好んで使っていた。
以前なんとなくこの店に寄った時に、このカップが目についたのも、それを覚えていたからで……二人がゲームから姿を消し、ロスに陥っていた時期だったので、余計に印象的だった……ということは、黙っておくのだが。
ふと、陳列されているカラーバリエーションが以前見た時と違うことに気付く。
左からクランの好きなピンク、ラズの好きなグリーン、そして。
「黄色なんて、前あったかな……?」
「それ、三色なんですよ。黄色は切らしてたんだけど、少し前にまた入って」
突然の声に、クランが「ぴゃっ」と小動物の悲鳴みたいな声を上げて跳ねる。
「ああ、すみません。驚かせてしまいましたね」
そう苦笑いするのは、カウンターに座ったままの店主さんだった。
「いえいえ、そうだったんですね」
クランの頭にぽんと手を置き、撫でてなだめる。
彼女は人見知りに加え、思った以上に小心者であるようだ。
「名入れもできますよ」
「ナイレ?」
店主さんの笑みに、ラズが首を傾げた。
「お名前を彫るんですよ。その人のカップという目印に」
「へぇー、たのしそう!」
「自分で彫るんじゃなくて、彫ってもらうんだけどね」
ラズの目がキラキラしはじめたので、一応訂正を入れておく。
いずれにせよ、名前入りのカップはきっと愛着が持てるだろう。
「二人とも、どうかな? 好みかなって思ったんだけど」
双子の妹は大きく首を縦に振り、まだ硬直が解けきっていない姉も、こくこくと頷いた。
「じゃあクランと、ラズと、お兄ちゃん! 三つおそろいの名前入り!」
「おにっ……」
僕が呻くと、ラズが「しまった」という顔をする。
「ははは、元気なお嬢さんですね。マグカップ三点、少しお時間いただきますが、よろしいですか?」
「お願いします……」
店主さんはにこやかに笑って、カウンターの引き出しを開く。
自分のものを買うことまでは考えていなかったのだが……まあ、僕も名前入りのカップは持っていないし、それもいいだろう。
僕は店主さんから差し出されたメモ用紙に、彫刻してもらう名前を記入した。
5
「瑠生さまも休んでいただいて構いませんのに」
夕飯後の食器を洗いながら、猫山さんが言う。
「いえ、なんかもうお世話になりっぱなしで悪いので……」
「どうぞお気になさらず。これが私の仕事なんですから」
彼女の隣ですすぎ終わったものを受け取り、ふきんで拭っていく。
夕方、雑貨屋から自宅に帰り着くと、猫山さんが夕食の準備をしてくれていた。
そのハンバーグは大変美味だったのだが、食後の片付けまでも任せっきりなのがどうにも落ち着かず……今、無理を言ってこうして手伝わせてもらっている格好だ。
双子は僕が台所に向かうとすかさずやってきて一緒にやりたがったが、さすがにこれ以上は狭いのでご遠慮願った。今はテレビを見ながら、なにごとか楽しそうに話し合っている。
「猫山さんは、研究所でもこういう仕事をされてるんですか?」
「ええ。大きな施設なので、私や熊谷のようなサポートスタッフがおります。お世話のしがいありますよー、中には研究以外頭にないみたいな方もいますので」
なるほど。ガチの科学者や研究者って、確かにそういうイメージがある。
「さっきの健康診断もそういう?」
猫山さんは夕食前、クランとラズのおなかに聴診器を当てたり、タブレットを持ってなにごとか操作をしたりしていた。問えば、簡単なメディカルチェックなのだという。
「あれはあの二人だけの特例ですが、基本的に毎日チェックさせていただくことになります。……現状クランちゃんもラズちゃんも健康そのものなので、そこはご安心ください。お決まり的なものと思っていただければ」
心配が顔に出ていたのだろう、猫山さんは僕を諭すように微笑んだ。
一見するとクールビューティといった風の人だが、時折見せる柔らかな表情は、人に安心を与える力があった。
「瑠生さまは、平日は毎日大学に?」
「はい。月曜は一限からなんで八時、水曜は昼頃に出ます。残りは九時半くらいですかね」
「承知しました。お弁当は必要ですか?」
「えっ、いや、さすがにそこまでお世話になるわけには……」
「構いませんよ、手間はそこまで増えません」
なんだこの人。神か。
「じゃあ……本当にいいんですか? 月火はだいたい友人と食べるので学食なんですが、木金はあると嬉しいです」
「木金ですね。お任せください」
神だ。めちゃくちゃありがたい。
「それで、僕がいない間あの子たちは……」
居間のクランとラズをちらりと見やる。
「研究チームでは、様子を見ていずれ学校に編入させることを考えていますが、当分はここで過ごしてもらうことになります。学力や社会常識を身につけるのに必要なものはひととおり用意していますので、それをこなすのが主な過ごし方になるでしょう」
「そうですか。まだあの二人だけで外に出たりとかは、危なっかしいですもんね」
「……お気付きとは思いますが、あの子たちはまだ世の中の多くを知りません。情緒も幼いことかと」
頷く。それはこの二日間クランとラズに接して、身にしみて感じていたことだった。
「瑠生さまにはどうか、二人に多くのものごとを見せて、教えて、実感として与えてあげて欲しいのです」
「なんか、先生の仕事みたいですね……」
「すみません、ちょっと大げさな物言いになってしまいましたね」
猫山さんは少しばつが悪そうに微笑んだ。
「お勉強などについては、もちろん私もしっかり二人を指導させていただきます。……ただ、やっぱりクランちゃんとラズちゃんにいちばん必要なのは、瑠生さまなのだと……今日、二人の楽しそうな様子を見て、思ったのです」
……ちくりと胸が痛む。
隅に追いやっていた、卑屈な自分への自己嫌悪が再燃してくる。
「僕は、放っておいちゃだめだろうなって思っただけなんです。二人がここがいいなら、ここにいていいって言ってあげたくて」
口をついて出てきたのは、自分に言い聞かせる言葉であった。
「それ以外本当に何も、何ができるのかとか、しなきゃいけないのかとか、考えるの全部後回しにしたまま引き受けちゃったんで……その、本当にいろいろありがとうございます」
「とんでもありません、こちらこそ。突然のことを引き受けていただいて、本当にありがとうございます。私たちも全力でサポートしますので、何かあればいつでもお申し付けください」
熊谷さんも言ってくれた言葉だ。本当に頼もしく思う。
「……僕がなにか、二人に教えられることなんてあるんでしょうか」
「そうですね……今までそうしてくださったように、話をして、一緒に過ごして……瑠生さまのあるがままに接してあげてください。それがきっと、二人に生き方を教えることになります」
「人に教えられるほど立派な生き方、できてる自信ないですけど」
「それでいいんです。一から十までそう思って生きられる人は、そう多くないと思います」
猫山さんは手の中の洗い物を見つめて、目を細める。
「だけど少なくとも私は、あの子たちの『お兄さん』が貴方で良かったと思います」
ひとつ、ふたつ、みっつ。手渡されたのは、僕と双子の名前が刻まれたマイカップだった。
嬉しい言葉であると同時に、再びくすぶり始めたものが心を大きく揺さぶってくる。
……本当に僕なんかで良かったのだろうか。
クランとラズがまっすぐであるほど、向けられる信頼が大きいほど、そんな疑念が渦巻いてゆく。