1
ファンタジア・クロス・オンライン――通称『FXO』。
それが、僕がかつて遊んでいたオンラインゲームのタイトルである。
剣と魔法の世界でパーティを組み、ダンジョンを攻略し、モンスターと戦い、レアアイテムを求めて周回を繰り返す。そんな昔ながらの多人数プレイ型ネットワークRPGだ。
オープンワールドだとかVRだとかの華やかなオンラインRPGも幅を利かせて久しい昨今、かなりクラシックなスタイルでありながら根強いファンの多いこのタイトルは、なんだかんだで十年以上運営しているという。
僕がそんなFXOを始めたのは大学受験を終えて一息ついた頃だったので、丸一年近くは遊んでいたことになる。
半年くらい前に、当時所属していたギルド――すなわちプレイヤー同士のチーム的なものが解散した。というか、崩壊した。
発端はまあまあよくある人間関係のトラブルで、少し前からやばげな雰囲気は出ていたのだが、主要メンバーだったとあるプレイヤーが脱退してからのギルドは荒れに荒れ、あっという間に人がいなくなった。
その後もよく遊んでいた何人かの元メンバーとはしばらく連絡をとっていたものの、彼らが流れ着いたギルドにまぜてもらうのも、新しいフレンドを探すのも気が進まなかった。ギルド末期のギスギスした雰囲気を思うと、とてもそんな気分にはなれなかったのだ。
クランとラズに出会ったのは、あてもなく続けていた無所属プレイが二ヶ月目に突入しようかというくらいの時期、昨年の十一月下旬であった。
《暇ならちょっと、この子らと遊んであげてくんない?》
その日『グズ子』というフレンドから届いたショートメッセージは、そんな文面だった。
グズ子のプレイヤーとはリアルの顔見知りである。
なにしろグズ子は、僕をこのゲームに誘った姉・緋衣鞠花(ヒゴロモ・マリカ)のプレイヤーキャラだ。……誘ってきた割にリアルが多忙で滅多にログインしてこないので、レベルはあっという間に追い抜いてしまったのだが。
呼び出されたのは森林エリアの中心地、緑に囲まれた街。
「お、来た来た。ルージ! こちら、今回連れてきた初心者ちゃんだ」
聞き慣れたボイスチャットとともに、フレンドのキャラクターを示すアイコンを頭上に浮かべた女魔道士がこちらに手を振っている。グズ子だ。
『ルージ』は僕のプレイヤーキャラで、プレートメイルに身を包み、大きな盾とメイスを携えた青年だ。クラスは聖騎士。最前線で敵の攻撃を引き付けて味方を守る、いわゆるタンクの役割を担う。
グズ子の隣にいる二人のキャラクターの頭上には、ゲーム初心者の証である若葉マークが浮かんでいた。名前は『クラン』と『ラズ』。どちらも小柄な女性キャラだ。僕は『ルージ』にお辞儀のモーションをさせつつ、挨拶文をチャットウインドウに打ち込む。
《ルージ:はじめまして、グズ子が迷惑かけてませんか?》
「開口一番、手厳しいなきみは」
グズ子は腰に手を当て、呆れるポーズをとっている。
《クラン:こんにちは、クランです》
《ラズ:こんにちは、ラズです》
初心者からのレスポンスは、ほぼ二人同時にチャットウインドウに表示された。
二人の若葉付きは、今にして思えばリアルそっくりというわけではないものの、髪や肌の色などは押しかけてきた双子とよく似ていた。
見たところクランは後方支援のヒーラー、ラズは前衛のアタッカーの初期装備のようで――なるほど、それでタンクの僕にお声がかかったわけだ。
このゲームは基本的にパーティを組んで協力することが前提とされており、各々の役割に応じた動きで戦う必要がある。タンクが敵の攻撃を引き付けて守らなければ、守備力に乏しいアタッカーやヒーラーはたちまちやられてしまうのだ。
《ルージ:できるだけカバーするので、気楽に行きましょう》
《ルージ:わからないことがあったらなんでも聞いてくださいね》
「うんうん。このイケメンタンクは私よりうまいし、教え上手だ。アテにしてくれ。……ルージ、ボイチャは使わないのかい」
グズ子と遊ぶときはいつもボイスチャットを利用していたので、その指摘はもっともだったが、正直、気が進まなかった。
ボイスチャットはスピーディーな意思の伝達と感情の共有を可能にする。それはプラスにもマイナスにも働きうるものであり、僕は先日、そのマイナスの側面を嫌というほど味わっていたからだ。
《ルージ:ごめん。なんかマイクの調子悪いみたい》
ギルド崩壊の一件において、特にボイスチャットから耳にぶち込まれる悪意は耐え難いもので……そのモヤモヤが晴れきっていない僕は、その場を適当にごまかした。
「ん、そうか。……まあとにかく、クラン、ラズ。私はあまりしょっちゅうログインはできないが、明日からはルージが一緒に戦ってくれるので」
ずいぶん勝手を言う姉である。
だがおそらく、単に初心者の世話を押し付けたというよりは、ひとりきりになってしまった僕を気にかけてくれていたんじゃないかと思っている。鞠花は奔放に人を振り回すと同時に、そういうフォローをしたがるお節介焼きでもあるのだ。
《クラン:わかりました、お姉さま》
《ラズ:わかりました、お姉ちゃん》
二人がグズ子に向けた返事に違和感を覚える。
お姉さま? お姉ちゃん?
……それは、こいつのことか。
《ルージ:グズ子、初心者になんか変なこと教えてない?》
「心外だな! これは別に私がそう呼べって指示したわけじゃないって」
《ルージ:あんまりこの人の言うこと真に受けないでいいからね》
「いや本当だって。いいだろう、二人がどう呼ぼうが」
クランとラズは不満げな姉の声をよそに、さきほど僕がそうしたようにおじぎのモーションをとりながら言った。
《クラン:わかりました、お兄さま》
《ラズ:わかりました、お兄ちゃん》
お兄さま? お兄ちゃん?
……それは、僕のことか。
「なるほどこれはいい。私が姉ならルージは兄か、うん、道理だ」
腕組みでもしていそうな声色でグズ子が言う。おまえは何を納得しているんだ。
この人たちはもしかして、本当に素でこんな感じなのだろうか?
なんだろう。そういうロールプレイ、なのだろうか……?
「ま、とりあえず最初だし、サクッとレベル上げから始めようか」
グズ子は言葉どおりにサクサクと。僕の心中のツッコミも戸惑いも知ることなく、レベル1から遊べる多人数用クエストを受注しにかかった。
これが僕の、『クラン』と『ラズ』とのファーストコンタクトであった。
2
「あー、もしもし? 聞こえてます? ……よかった。ルージです、改めてよろしくです」
「おっ。ルージ、マイク直ったのかい」
「うん、まあ。なんか設定が変だったっぽい」
……というのは嘘である。
クランとラズに初めて会ったその日のうちに、僕はボイスチャットの封印をあっさりと解くことになった。
まず、指示が追いつかない。
クランとラズは壁に向かって走ってみたり、敵の群れに突っ込んであっという間に死んでみたり、初日は「完全にゲーム初めて触りました」みたいな挙動だった。少し慣れてきてからも、初見のギミックにはほぼほぼ全部引っかかって死ぬ。
それでいて、二人のタイピングはめちゃくちゃ速い。
環境的な問題でボイチャができないという初心者たちだったが、僕はそのレスポンス速度にキーボードでついていくことを早々に諦めた。戦闘真っ只中でも、明らかに定型文ではないチャットが流れることもある。
そんな背景から、僕は結局マイクをパソコンに接続したのだが……。
「あちゃー、どんまいです。それ初見、僕も引っかかって……」
「そうそうそんな感じです、今のタイミングばっちり!」
「あのクエストのやつかー。それなら近くのエリアで採れるんで、案内しますよ」
……気がつけば、普通にめっちゃ喋っていた。
最初こそ気が進まなかったボイスチャットも、やっぱり楽しくて……クランとラズもゲームシステムの不明点をちょくちょく尋ねてくるなど、かなり乗り気だった。ように思う。
そうこうしているうちにあっという間に時は過ぎ、その日の冒険は日付をまたぐ少し前くらいに終了、解散となった。
《クラン:ありがとうございます、お姉さま、お兄さま》
《ラズ:またよろしくおねがいします、お姉ちゃん、お兄ちゃん》
「おつかれ。ルージ、ありがとね。久しぶりに遊んだー」
「うん。クランさんも、ラズさんも、おつかれさま。楽しかったです、おやすみー」
そんな挨拶を交わして、ログアウトして。
その日はゲームを始めたての頃のような、久しぶりの充足感に満たされながら床についた。
――やっぱり誰かと一緒に遊ぶのは楽しい。
ギルド崩壊の件で人間関係に嫌気がさしつつあった中、僕はこの体験ができたことをとても嬉しく思った。
3
クランとラズのゲームプレイは、あっという間にうまくなった。
自らのロールに合わせた基本的な立ち回り、スキルやアイテムの使用タイミングなどは一週間もあれば完璧になった。
相変わらず初見のギミックには弱いものの、数回の試行でおおむね全て見切る。アドリブ的な対応も、場数を踏んだだけぐんぐんうまくなっていった。
総じて上達速度は目を見張るものがあり、「バッチリサポートしてやろう」などと僕が息巻いていたのも最初のうちだけ、精霊術士クランと軽剣士ラズは、聖騎士ルージにとってすっかり頼れるパーティメンバーとなったのだった。
コミュニケーション面においても、最初こそややぎこちなさや堅苦しさを感じたものの、二人は楽しげにチャットをしてくれるようになった。
話す内容はなんのアニメやら映画が面白かったとか、総合するとインドア系の趣味を持つ子供……おそらく中高生くらいだろうか、という印象だった。
チェスや将棋のようなボードゲームはやったことがあるらしいが、こういったキャラクターを操作して冒険する、いわゆるコンピュータRPGは初めてだそうだ。
また、必ずコンビでログインしてくるので、仲のいい友達かきょうだいか、とにかく親しい間柄であろうことも察せられた。二人は息もぴったりで、発言がハモるがごとく、同じような文言を同時にチャットウインドウに並べることもしばしばだった。
一方で慎重派のクランをラズが引っ張り、やや突っ込みがちなラズをクランが手厚くフォローするなど、徐々にプレイスタイルから性格の違いも見て取れるようになった。
攻略の作戦会議などをすると、クランは長文で綿密なプランを提案してくる。ラズは応答や肯定の際にサムズアップのモーションを好んで使う。野良で会う他のプレイヤーに対しても、クランがやや人見知りなムーブをとるのに対し、ラズは物怖じしないのが印象的だった。
――と、つらつら所感を並べてはきたものの、僕はこの二人の素性について、あまり多くを知らないままだった。
もちろん基本的なスタンスとして、ゲームやネットの知り合いには、リアルの事情について積極的に訊かないようにしているから……ということもあるのだが。
クランとラズは知り合ってから一ヶ月かそこら、年末のある日を最後にゲームから姿を消してしまったのだ。
その頃には、三人組でのプレイがすっかり日々の習慣と化していて。
僕たちはいつも通りに遊んで、いつも通りに解散の流れとなった。
「結構遅くなっちゃったな。今日はそろそろ解散にしようか」
《クラン:了解です。おつかれさまでした、お兄さま》
《ラズ:もうちょっと遊びたかったな》
「明日またやろう。二人も、あんまり夜更かししちゃだめだよ」
そう告げてログアウトしようとしたとき、クランからのチャットが続いた。
《クラン:それが》
《クラン:あの》
《クラン:お兄さま》
「うん? どうかした?」
《クラン:クランとラズは、明日からログインできなくなります》
「えっ……そうなの?」
《クラン:はい》
「そっか……」
《クラン:今の今まで言えなくて、ごめんなさい》
《ラズ:急でごめんね》
「いいよ。残念だけど、なにか事情があるんだね」
《ラズ:もっと遊んでいたいけど》
《ラズ:もういかなくちゃ》
「それはずっと? いつかまた、ここに戻ってくる?」
《ラズ:そうしたいけどわからない》
《クラン:いま、確かなことは何も言えないのです》
「じゃあ良かったら、連絡先とか聞けない? また一緒に遊びたいな」
《クラン:ごめんなさい》
《クラン:今はそれはできないのです》
《ラズ:ごめんね》
「……そう、か……。寂しくなるね」
人付き合いを苦手とする身としては結構思い切った申し出だったのだが、あっさりと断られてしまった。
《クラン:でも、絶対にまた会えます》
《ラズ:また会おうね、お兄ちゃん》
「……うん。ありがとう。それじゃあまたね」
そうして、翌日から二人がゲームにログインしてくることはなくなった。
僕はその後もしばらくこのゲームを遊んでいたのだが、「二人がひょっこり戻ってくるかも」などという期待が叶うことはなく、フレンドリストのクランとラズの名前はずっとオフライン表示のままであった。
例のギルドが解散したときの比ではない虚無感が、僕の心に訪れたのを覚えている。
……事情があったんじゃしょうがないよな。
……『お兄さま』も『お兄ちゃん』も、慣れれば割と心地よくて。
……結構仲良くなったと思ったんだけど、思い込みだったのかな。
……やっぱりひとりで喋ってて、鬱陶しかったかな。僕。
そんなモヤモヤしたものが胸に残り。
僕はFXOをやめてしまった。
……人間、こんなもんだよな。